第九十二話 覚悟を胸に
朝。鳥の声が響く部屋の静寂を、刀の鞘鳴りが断ち切る。
鞘と鍔が極限まで近づき、最後に「カチン」と乾いた音が鳴った。
「⋯⋯これでよし、と」
準備は整った。
ローブを深く羽織り、昨日作戦会議を行った広間に向かうと、約束の時間前だというのにすでに人だかりができていた。
同じローブに身を包んだ人たちがこうも集まると、まるで秘密結社かなにかと誤解されそうだ。
だが、これもれっきとした作戦の一つ。
たしかに、これなら遠目では個人を特定するのは難しいだろう。
「あら、カインちゃん起きたのね」
「やっと来たか。もう少しでミアが起こしに行くところだったぞ」
「ちょっ、やめてよ母さん。もうそんな年齢じゃないんだから」
「あら、そうなのね。子どもの成長って本当に早いわ」
ルミアはそう言いながら、昔のように俺を抱きしめてきた。
まったく、あれから三年も経ったというのに、この癖は変わっていないんだな。
⋯⋯ほんとに、変わってない。
「ちょっと母さん、苦しいってば」
「ふふっ、今日だけは許してちょうだい」
少し低くなった声が耳元でそっと囁かれる。
俺も静かに抱き返すと、同時に胸の奥がきゅっと締めつけられるのを感じた。
脳裏をよぎる。
──もう二度と、この感触を味わえなくなるかもしれない、と。
もし俺が死んだら、二人はどれほど悲しむだろうか。
それだけじゃない。モモも、ミリアも──。
考えただけで、胸が張り裂けそうになる。
前世の最期の瞬間には、そんなこと、気にもしなかったのにな。
前の親とは、就活に失敗したときに大喧嘩して、それっきりだったし。
連絡も、もう十年近く取っていなかった。
──でも、最近になって思う。
あのときもきっと、ずっと心配させていたんじゃないかって。
「さて、今日はこのくらいにしといてあげましょう。ちゃんと、他の人たちにも挨拶してきなさい」
「⋯⋯はいっ」
母の腕をそっと離れると、すぐに二つの影がこちらへと近づいてきた。
「カイン、おはようございます。調子はどうですか」
「おはよう、モモ。うん、今日はやけに調子がいいよ」
「そう、ですか⋯⋯それなら良かったです」
俯きながらそう答えたモモの手には、元通りになった杖が握られていた。
どうやら、修復が間に合ったようだ。
俺はすぐに、モモの隣で大量の荷物を抱えるカンナに向かって姿勢を正した。
「ありがとうございます。モモの杖を修復してくれて」
「いいんじゃ。お主に頼まれなくとも無理やり直しておったからの」
「たしか、代金をまだ払っていませんでしたよね」
そう言って腰の革袋を取り出しかけたところを、カンナがすぐに手で制した。
「いや、代金はいらん」
「でも、それでは⋯⋯」
「その代わり、モモにこれ以上心配させるな。昨日からずっとこやつの沈んだ顔を見せられてうんざりしてるんじゃ」
「──わかりました」
俺は深く一礼し、再びモモの方へと向き直る。
彼女はまだ俯いたまま、顔を上げようとしない。
俺はそっと、口を開いた
「モモ──」
⋯⋯けれど、続く言葉が出てこなかった
あれだけ一緒に旅をしてきたというのに、今さら何を言えばいいのかわからないなんて。
どうしてそんな表情をするのか。
以前の俺なら、きっとわからなかった。
ただ今回ばかりは、さすがの俺でもわかる。
ミリアですら薄々感づいていたんだ。
きっとモモには、とっくにバレていたことだろう。
モモには、いつも心配ばかりかけてきた。
嘘はつきたくない。
けれど、覚悟を変えるつもりもない。
だからこそ、俺が伝えるべきことは──
「モモ、ありがとう。ここまで頑張ってこれたのも、モモのおかげだ」
「はい⋯⋯」
──それは、いつもと変わらない、ありふれた言葉だ。
「今日も、頼りにしてる」
「──はいっ!」
モモは顔を上げ、笑顔で応えてくれた。
⋯⋯うん、良かった。最後に、その表情が見られて。
「どうやら、集まったようですね」
奥の襖が静かに開き、ルドが姿を現した。
その背後には、ミリアとシオンの姿も。
その瞬間、部屋の空気が一段と張り詰める。
「それでは皆さん、準備はいいですか?」
口火を切ったルドの声からも、緊張しているのが伝わってくる。
よく見れば、手もわずかに震えていた。
厳しい戦いになることは、この場にいる誰もがわかっている。
──だが、その誰よりも緊張しているルドこそ、それだけ誰よりも本気で、勝ちにいこうとしている証でもある。
「そんなの当たり前じゃないですか」
「俺たちのことを疑っているのか? まあ、会ったばかりだから仕方ねえけどよ」
「⋯⋯たしかに、皆さんのおっしゃるとおりですね」
ルドはふっと微笑むと、一呼吸置いて、俺たち一人ひとりに視線を送った。
「ボクたちの底力を、見せてやりましょう」
「はいっ!!」
「おうッ!」
掛け声を合図に、俺たちは一斉に歩き出す。
それぞれの覚悟を胸に。
──さあ、最終決戦だ。
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