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第九十一話 前夜

 静かな夜だった。

 雲の切れ間からこぼれる月光が、縁側を淡く照らしている。

 そこに腰を下ろすと、夜の冷気が肌を撫でた。


 あの会議の後、ルドが「しっかり休養を取るように」と言って、すぐに解散になった。

 久しぶりに家族と再会できたというのに、ゆっくり言葉を交わす暇もないまま、明日の決戦に向けた準備に追われ、気づけばこんな時間だ。


 本当は、明日のためにもそろそろ寝ないといけないのだろうけど、そこはどうか許してほしい。

 今はどうしても、起きていたい気分なんだ。


「⋯⋯懐かしいな」

 いつもと同じはずの夜。けれど、どこか空気が張り詰めていて。

 あのときも、こんな感覚だった。


 今なら、グラジオの気持ちが分かる。

 ⋯⋯なんて、自分を買いかぶりすぎか。

 今尚、あの背中に並ぶことすらできていないのに。


 それでも、わかる気がするんだ。

 あれだけの怪物たちを相手に、負けるつもりは一切ない。

 にもかかわらず、その戦いの先に自分が生きている姿がどうしても思い描けない。


 本来なら、死の恐怖に押しつぶされていてもおかしくないのに、なぜか普段以上に落ち着いている自分がいて、今日はずっとその調子が続いている。


「本当に不思議だ。明日、死ぬかもしれないっていうのに────」

 なのに、死を恐れていない。

 まるでそれが運命だと言わんばかりに。

 おかしな話だ。前世では、死ぬのをあれだけ嫌がっていたというのに。


 まだ生きていることを確かめるように、手のひらのぬくもりをじっと感じていると、通路の奥から誰かの足音が響いてきた。


「⋯⋯どうやらカインさんも、眠れないようですね」

「ミリアも、眠れなかったみたいだね」

「はい」

 そう静かに答えたミリアは隣にそっと腰を下ろした。

 その目は遠く、何かを見つめるように夜空を仰いでいる。


 俺もそれにならうように視線を上げた。

 暗闇の中で、星たちだけが凛と瞬いていた。


 言葉は交わさず、しばらくの間、ただ時間だけが過ぎていく。

 数秒か、それとも数分か。


 やがて、ミリアがぽつりと口を開いた。


「今日のカインさんは、あのときのグラジオと雰囲気がどこか似ていますね」

「⋯⋯そっか」

「カインさんもそう思っていたんですね」

「なんとなくだけどね」


 ミリアがそう感じたのなら、間違いないのだろう。

 死を望んでいるわけではないのに、どこかでそれを受け入れている。

 それは傍から見れば、矛盾しているように見えるかもしれないけど。


「⋯⋯カインさん、一つ私と約束してください」

「ん?」

 ミリアがこちらに向き直ったのが、視界の隅でわかった。

 次にミリアが口にする言葉なんて、容易に想像ができる。

 だから、俺は視線を夜空に向けたまま、耳だけを傾けた。


「明日、絶対無事でいてくださいね」

「──ああ、もちろん」

「その言葉、信じますからね」

 そう言い残して、ミリアはそっと立ち上がった。

 軋む縁側の音が、静々と夜へ溶けていく。

 その音が完全に消えるまで、俺はただ夜空を見上げていた。


「⋯⋯ごめんな、ミリア」

 ずっと、考えていたんだ。

 俺は”後悔のない人生”を望んでいた。理由は、前世で死ぬほど後悔したから。


 でも、おかしいと思わないか?

 すでに俺の人生は後悔だらけだ。

 前世の比じゃないくらいに。


 なのに俺は、まだ足掻いている。

 命を賭けて、抗おうとしている。


「⋯⋯ようやく、わかった気がするんだ」

 あのとき、絶望の中でもひときわ強く輝いていた光の正体が。


 俺がずっと、本当に求めていたものは『後悔のない人生』ではなかったんだ。

 誰もが望み、すぐそばにあるのに、その瞬間を手にするのは非常に困難で。


 でも、それでも追いかけずにはいられない。

 命をかけてでも、成し遂げたいと思える。


 きっと一度目の人生では、どれだけ頑張っても叶えられなかった。


 でも今は違う。

 みんながいたから、気づけた。

 みんながいるから、手を伸ばせる。


「俺は明日、それを叶えてみせるよ」


 俺は空へ手を伸ばし、静かに拳を握った。

 星が、空から少しずつ姿を消していく。

 俺は最後にもう一度だけ空夜を見つめ、そっとその場を後にした。



 ────そして、朝を迎えた。

ここまで御覧いただきありがとうございます。

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