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賽の河原でバーベキュー

作者: 鮭雑炊

お盆は過ぎてしまいましたが、なんとか8月中に投稿できました。怪談、とまでいかない心温まる作品です。楽しんでいただければ幸いです。

※注意:宗教を独自解釈する場面が多々あります。作中にある歌もオリジナルなものです。


――賽の河原

 親よりも先に死んだ子供らが行くことになる地獄。冥土にある暗く荒涼とした世界。親不孝という罪を犯した子供らは贖罪として石を積み上げる。積み上げる石塔は、恐ろしい鬼がやってきてすぐに壊してしまい、その苦行が終わることは無い。この地獄に今日もまた、鬼の叫び声が響く……


「あいたぁっ!!」

「よっしゃあ! 青鬼に命中! ポイント1点!!」

「このクソガキがあああっ!」

「シュウくん! 後ろから黄色さんっ!」

「ウリャ! 股間に命中っ! 2ポイントゲットー!」

「おうふ……」

「黄鬼ぃ!? しっかりしろーっ! お前ら鬼かーっ!?」


 鬼が子供たちに襲われていた。


「はっはっはっ。いやぁ子供は元気ですなあ」


 鬼たちが襲われる悲惨な現場から少し離れた所。スーツを着た男性が、のんびりと隣にいる赤い鬼に話しかける。


「鬼の方々ができるのは積み上げた石を壊す以外では言葉や行動で脅したりするだけ、子供たちには直接暴力を振るえない、ですよね?」

「ガキどもによけいな知恵をつけさせやがって!」


 男性よりも3回り以上も体格のいい赤鬼は、苦虫を嚙みつぶして咀嚼しているかのような表情で応える。実に恐ろしい表情だが、よく見ると悔しいという思いが滲み出ている。


 地獄にいる鬼たちはみな雇われた鬼たちであり、働くにあたって明確な規則、守るべき基準が定められている。冥府の賽の河原の目的は幼くして命を失った子供たちの弱い魂をいくらかでも強くしてから次の生に送りだすというもの。そのための石積み、そのための理不尽な鬼による仕打ち。しかし子供らを苛むためなら何でもしていいということはない、子供らに直接暴力を振るってはいけないというのもルールの一つだ、それを完全に見透かされている。


「どうでもいいから石を積んでくれ。壊すから」

「いや、なんで無駄な作業をしなくちゃいけないんですかね? 壊す? 意味がわからない」

「そういう仕様なんだよ! 昔からの! 仕事なの!」


 実力行使は不可、脅すのも無意味と悟った赤鬼は自身のノルマ達成のために男に懇願する。


「わかるだろ? おっさんもいい年なんだから。おっさんから子供らにも言ってくれ、いい子にして石を積みなさいってさ」

「はっはっはっ、赤鬼氏、僕はおっさんと呼ばれるような歳になってようやく気づけた事がある。無意味な労働はしたくないなって。自分がやりたくないことを子供たちに無理強いはできないよ。そもそも親より先に死ぬことが罪になることからしてもう意味不明なの。こちとらいいおっさんだよ、もう」


 賽の河原には子供たちだけでなく大人も普通にいる。親よりも先に死ぬ、それがこの地獄に来ることになる理由だが、そこに年齢制限は無い。親が長生きをしていれば当然ながら子供もまた大人に成長するというもの。それでも親より先に死ねば親より先に死んだという罪を負うのである。それが70歳であろうと80歳であろうと。スーツの男性も享年50、むしろここでは若手と呼ばれるほど。

 高齢化の影響は地獄にも押し寄せてきていた。


 赤鬼は言う。


「しかし、このままじゃいられんだろう。石積み行為は功徳の代わりでもある。さっさと功徳を積んで生まれ変わったほうがいい」

「生まれ変わったらまた働くんでしょう? 生まれ変わりたくないでござる。解脱したいでござる」

「解脱はよっぽどの功徳を積まないとできねーから……」


 仏教でいうところの解脱とは輪廻転生しなくていい状態になることであり、人が修養を積む最大の目的のひとつである。


「うーん。地獄も慣れると別に悪くないような気がしてきた。ちょっと暗いけど、静かでいい所。ずっとここでやりたいことだけして生きていってもいいかなって」

「もう死んでるからな!? 自分が死人だって自覚持てやオラァァン?」



「ヒロさーん。あっちの藪で食べられそうなキノコを見つけたよー。バーベキューとかできるんじゃない?」

「枯れ木はたくさん落ちてるし、火起こしなら任せて欲しい、生前やったことがある……」


 自分の名前を呼ばれたスーツの男性が声の聞こえた方を振り返ると、たしかに生前よく見かけたようなキノコを持ったふくよかな女性(享年60)と枯れ木を手にした小柄な男性(享年70)の姿。

 ふくよかな女性はニコニコ笑顔で子供たちに呼びかける。


「シュウちゃん、ユキちゃん、鬼ごっこはそれくらいにして、こっちきてバーベキューしましょう」

「ミコおばちゃん! バーベキュー? わーい!」

「バーベキュー?」


 シュウ(享年11)とユキ(享年10)は呼ばれてミコおばさんの元へ駆け寄ってくる。


「……鬼ごっこだと? 鬼だ……たしかに鬼だ」


 さんざん石を当てられまくった鬼たちが地面に両手をつけて打ちひしがれている。鬼が自分らに手を出せないと知ってからの少年はもう本当に容赦がない。無邪気さ故の狂気の沙汰か、少年は鬼から見て鬼だった。

 ヒロはそんな鬼たちを見ながら小声で赤鬼に聞く。


「あれ、痛そうだけど、大丈夫です?」

「子供の力で投げられた石なんて、どれだけぶつけられても特に痛くない、けど心は痛い」

「こころ」


 遠くを見る赤鬼の横で小鬼……少年が小柄な老人に質問をする。


「シローおじいちゃん、火とかどうすんの?」

「枯れ木同士を擦れば火はつくはず。まぁ慌てないで、先にカマドを作ろうか。ええと? まず空気の流れを考えて、こうやって石を積む……」

「石積んだ? じゃあ壊す」


 いつの間にか復活した青鬼と黄鬼が唐突に老人の組んでいた石を壊す。


「…………」

「…………」

「…………」

「せっ……せっ……戦争じゃああ!!!」

「ああっ!? 普段すごく温厚なシローさんが怒った!」


 きゃっきゃ笑いながら石当てを再開する子供たち。賽の河原に鬼たちの悲鳴が響き渡る。


「お前らいいから真面目に石を積めええっ!」



 嘆願書

 昨今における賽の河原の高齢亡者が引き起こす種々な問題


 地獄管理課、日本支部管理官殿

 表題の件。高齢化が叫ばれて久しい現在、現場には子供とはいえない年齢の亡者たちが好き放題をしております。例として、無垢な子供らに余計な知識を与えて石積みの功徳を積ませるのを妨害、自分らの石積みも何かと理由をつけて放棄、賽の河原を理想郷などと言ってはばからない等々。本来の賽の河原の役割は次の生に向けての脆弱な魂の強化であるはず。すでに強い力を持つ大人や子供らがこちらに送られてくるのはどうかと愚考いたします。現場での現在の混乱の原因は、亡者らに鬼たちが直接的な暴力を振るえない点にあると考えます。それは子供らの魂を必要以上に傷つけるのを避けるためであると理解しておりますが、問題のある亡者についてはどうか殴らせてほしい、ブン殴らせてほしい、せめて大人たちだけでも。

 これ以上の賽の河原の運営に支障をきたさないための何かしらの対策が必要な段階にあると思われます。どうかご一考ください。

 冥土管理運営部所属、賽の河原の赤鬼



 ここは鬼たちのセーフハウス、もとい詰所。地獄の亡者どももここまでは入ってこれない。赤鬼に青鬼に黄鬼、休憩中の鬼たちが軽食やお菓子を食べながら談話している。


「昔は良かったよなあ……子供らも素直でさ、叫びながら金棒を振り回すだけでいうこと聞いてくれてさ」青鬼がぼやく。

「そうそう。大人になった奴らとかほとんど来なくてさ、来ても普通にうちらを怖がってくれたし、怖がられなくとも話せば理解してくれたし」黄鬼がカレーメンを食べながら答える。

「ちょ、黄鬼さん、休憩所でカレーのにおいを振りまくのは反則っす、釣られて食べたくなるじゃん」

「青さんも食べればいいじゃない。とゆーか、あの子、シュウとか呼ばれていた子? なんなの? なんで石投げつけてくるの? そしてなんで点数つけてんの?」

「ゲーム世代ってやつ? 俺たちはモンスター枠なんだろ。容赦ないよな」

「あんまり出てこない黒さんなんかレアキャラ扱いで高得点つけられて集中攻撃されてから、もうずっと姿を見てないよ」

「黒鬼さん……繊細だから」


 何やら作業をしていた赤鬼が会話に加わる。


「嘆願書、出しといたぞ。どうせ今回も何も変わらないだろうが」

「まぁ期待はできねえよな。時代は刻々と変わっているってーのに」

「古い習慣、変わらないしきたり……上は現場のこと何にも見てないんだ。どうせ無視無視、たまには現場で働けっての……」


 ピロリン、という音がして書類が机の上に現れる。


「上からだ! 返事早っ!? 聞かれていたんじゃないか?」

「えっ!? うそっ!?」

「言ってません! 俺、何も言ってないっす!」


 慌てる黄色と青色を無視して赤鬼が上司からの返答を読み上げる。


「あー、要約すると、暴力は今まで通り不可、石積みの最低回数の緩和、それと特例で、亡者の願いをある程度なら叶えてもいいって。実験的な試みだから今回は一人だけ、と」

「上司様! 素早い回答ありがとうございまーす!」

「おおお、結構な変更キタこれ。歴史の転換期ってやつ? 願いを叶えるかー。アメとムチのアメってことだよね。それで言うことを聞かせろって」

「一人だけってのが問題だよな、どう説明したもんか? 揉め事になる未来しか見えない……」



 賽の河原の宵闇に光の粒が舞っている。賽の河原には日の光が差し込むことは無い、ただし真っ暗というわけでもない。夕暮れの時刻を越えてようやく夜が始まる時間帯とでも表現すべきだろうか。夜とはいえ月も星も見えない、だが、どこかに謎の光源でもあるのか視界が全く無いわけでもない。考えてみれば当然だが、真っ暗闇では向かってくる鬼に子供らが怖がることもできず、石を積むことひとつも満足にできないわけで……。そんな薄暗がりの中、少年と中年が肩を並べて座っている。少年が小石を川に投げ入れる音と水が流れる音以外に音は無い。


「ヒロおじさん、この光ってるのって何? 蛍?」

「蛍だったら良かったんだけどね、水子の魂だとかなんとか鬼が言ってたなあ」

「水子?」

「あー、子供になることもできなかった子供? よく知らないけど」

「ふーん」


 少年らから少し離れて少女は座り、ぼんやりと流れる川を見ている。光の粒のいくつかが少女に近づこうとして、また離れていく。


 ――物悲しい


 どうにかして火を熾してやろうと悪戦苦闘するおじいさんの横、ミコは思う。自分たち大人はまぁいい。好きでここにいる。だが子供たちはどうなんだろう? 鬼たちの言葉を思い出す。ここで功徳を積んでさっさと生まれ変われと。生まれ変わりのことを子供らに聞かれたとき、自分は何と答えただろうか。生まれ変わったという記憶も経験も自分には無いので、上手な説明もできなかったはず。


「ねえシローさん、このままでいいのかなぁって」

「……」


 地道に黙々と木と木を擦り合わせていた老人は手を止め川の方向を見つめる。視界の先には子供たち。シローはスクリと立ち上がり子供の方へと歩いていく。


「あ、シローさん。どうしました?」


 シローは無言で小石を手に取り下手投げのフォームで勢いよく川へと放り投げる。すると小石は水の上を何度もピョンピョンと跳ねていく。


「うおおおおすげえ!」

「……水切り、石切りとも言う」

「どうやんのっ!? それ、どうやんのっ!?」


 目をキラキラさせた少年が立ち上がり、小柄な老人に水切りのやり方を教わり始める。


「ユキもやってみろよ! これ、すげえ!」


 やがて大人たちも含めた全員で水切り大会が始まった。静寂に包まれていたはずの賽の河原に子供たちの笑い声が響き渡る。


 シュウという子供は長らく親に放置されて育ってしまった少年だ。共働きの両親は遅くまで仕事をしており、学校からマンションに帰っても誰もいない。休日などは両親そろって寝ているかテレビを見ているか。家族で遊びに行った記憶など、いつのことかも思い出せない。その日も、おなかが痛いと思っても、誰の助けも求められなかった。気がついたら大勢の鬼に囲まれていて、お前は親不孝の罪を犯したため地獄行きだと告げられて、そしてここにいた。

 最初は恐怖した。

 恐ろしい形相の鬼たちが石を積めと催促する。意味も分からなく石を積み、意味も分からなく積んだ石を壊された。

 しかし、すぐにヒロおじさんやミコおばちゃん、シローおじいちゃんと合流して、鬼たちは何もできないよと教えてくれた。怖くないよと。

 だから少年はやさしい大人たちが好きだ。一緒に遊んでくれるから好きだ。

 なんなら鬼たちも好きだ。石をぶつけられたって大して痛くないだろうというのは、なんとなくでも分かるものだ。けど、とってもいい反応を返してくれる。構ってくれる。だから少年は鬼たちも大好きだ。

 後から来た妹分のユキはおとなしくて守りがいがあって兄貴風を吹かせられるから好きだ。


 だから少年は楽しくてしょうがない。

 だから少年は今が一番楽しくてしょうがない。



「今日は話をしに来た、だからその石を置け。なんで満面の笑みなんだよ? 怖えわ」

「どうしました赤鬼氏? あらたまって」


 無条件反射のように鬼に石を投げようとする笑顔の少年に恐怖しながら赤鬼は説明をする。


「ふぅむ? つまり? 願いを聞いてやるから石を積め、と」

「叶えられる願いにも限度はあるぞ? ほんのささやかなものだ」

「どの程度です?」

「それはいちいち聞いてから判断するしかないな」

「ハンバーグ食べたい!」

「シュウちゃん、もっとよく考えよ?」


 鬼の提案を受けて各々が好きなことをしゃべり始める。


「食べ物関連はいいね。全員に好きな食べ物をふるまうとか」

「……叶えられる願いは一つ、か」

「その一つの願いで全員の願いを叶えてもらうっていうのはどうかしら、そしてまた一人が全員の願いを叶えてもらう願いをするの、永遠に願い叶え放題!」

「無理に決まってんだろォ!?」

「……火打石、ライター、いや、いっそガスコンロ?」

「ステーキ! スキヤキ! テンプーラッ!」

「シュウちゃん……」


 先ほどからずっと無言でうつむく少女が気になり話しかけるミコおばちゃん。


「ユキちゃんは何がいい?」

「……パパとママに会いたい」

「ウ……ッ!」


 わいわいと和やかな雰囲気が一気にしんみりとしたものになる。そんな空気を切り裂くように少年は言う。


「親とか超どーでもいいじゃん! そんなことよりもっと楽しい願いを言おうぜ! な?ユキ?」

「パパとママに会いたいよ……」

「…………」


 少年は先ほどまでの楽しい気持ちは消えて急に怖くなってしまった。もし願いが叶えられればユキはどこかに行ってしまうのではないか? 消えてしまう? いかないで、ずっと一緒にいようよ、そんな気持ちは言葉にならない。代わりに口からこぼれるのは少女を責める言葉。


「くだらねー! バッカじゃねーの!」

「…………」


 ヒロは鬼たちに質問する。


「赤鬼氏、実際問題どうなんです? ユキちゃんの願いは叶えられる願いなんです?」

「ああ、それくらいならいけるだろう。俺は少しだが現世に干渉できる資格を持ってるからな」

「さすがバイトリーダー赤鬼氏」

「バイトリーダーとか言うな!」


「くだらねー! そもそも願いとかいらねーんじゃん! 別に困ってねーし! 鬼め! 退治してやる、ユキ! 戦闘開始だー……」


 まるで悲鳴を上げているかのような少年を壊れ物を扱うようなやさしさで、そっと抱きしめるミコおばさん。


「ねぇシュウちゃん、ユキちゃんはシュウちゃんの妹分なんだよね? 妹のお願いを聞いてあげられるのはカッコいいお兄ちゃんだよ? カッコいいシュウちゃんを、おばさんは見たいなあ」

「…………」


 結局、少女の願いを叶えることに決定した。



「優希……」


 8月の中盤、ユキの母親は旦那の実家の親戚が集まる大部屋から離れた部屋でひとり、椅子に座ってまどろんでいた。最愛の娘が亡くなってからは塞ぎこむことが多くなり、何も手につかない。自分が生きているという実感も無く、ただただ時間だけが過ぎていった。一人娘を無くした母親に皆は優しかったが、腫れ物を扱うような対応にも思えてしまい、気分が晴れることは無い。

 今も、実家に帰省した時、娘と泊まるためよく利用させてもらっていた部屋に一人でいると、今の自分が起きているのか寝ているのかもわからなくなる。


 ふと母親はオルゴールの音が鳴っていることに気が付く。


(これは優希が大切にしていたオルゴールの音楽だ……)


 あのオルゴールは実家に持ってきていないはずだけど? ぼんやりとした思考の中、後ろに人の気配を感じる。よく知っている声、もう残された映像でしか聞くことのできなくなった笑い声。すぐに振り向くと、そこには写真立ての前にクマのぬいぐるみ。生前、娘が大好きだったクマのぬいぐるみが立ち上がり、フワリと宙に浮く、否、一人の少女によって持ち上げられる。少女――愛娘、自分の子。ぬいぐるみを抱きしめた優希がそこに立っていた。前と変わらない笑顔で。


「……ママ」

「……優希」


 母親は椅子から立ち上がり、よろめきながら娘に近づいて抱きしめる。子供の暖かい、柔らかい感触が腕から伝わってくる。


「ああっ優希! おかえりなさい、おかえりなさい……」

「ママ、わたしは帰ってこれないの、けど、今すごく楽しいんだよ。友達もできたの、シュウくんっていうの! おとなの友達もできたよ、みんなやさしい人たちなの。いろんな遊びを教えてくれるの」

「うん、うん……」

「ユキのことは心配しなくていーの。ユキは笑ってるママが好き。だから、元気だして、ママ」



 ぱちりと母親の目が覚める。椅子に座った状態のままだ。娘の写真の前に置かれていたクマのぬいぐるみは横たわったまま動く気配はない。


(夢だったの? いつの間にか寝ていたのね。けどあれは……)


 母親の頬を伝う涙の熱と、抱きしめた腕に残る暖かさは、確かにそこにあるものだった。



「後は、父親の方だが……、ううん、感度が悪いな。おい、陣が壊れるだろ、もっとこっちに寄れ」

「駄目そう?」

「こういのは個人差があるからな。青鬼、もっと出力を上げるぞ、いいか?」

「了解っす」


 何か見たいし。全員で行こうよ。


 そんな理由で、本命のユキ、赤鬼、青鬼、黄鬼、そしてシュウ、ヒロにミコ、そしてシロー、結局8人での大所帯での現世旅行。現世に行くといっても意識だけを飛ばす方式のようだ。賽の河原の地面に描かれた、現世に影響を与えるための陣の中は、ぎちぎちに詰まっている。

 さっきから少年は無口。ずっと、むくれいている。


 ユキの父親が一人になるのを見計らってから先ほどから接触を試みるも、なかなか繋がらない。


「お、いけそうだぞ」


 廊下に一人でいる父親の周りでパチン、パチンと音が鳴り出す。ラップ音という現象。


「なんか家がきしんでる。実家ももう古い家だからなぁ。ん? ちょっと寒くなってきた。風邪とか引いていられないんだが」


 しかし、気づかれない。


「あー、おしい! あと少しだった。もっと出力上げるか? いや、これ以上は……」

「ユキちゃん、もっとパパさんに会いたいって強く思うのよ!」

「いや、そういう感情のどうこうでもないんだが……次こそっ!」


 突如、廊下の電気が消える。田舎にある父親の実家は古い大きな家屋であり、昼間とはいえ薄暗くなる。いつの間にか親戚たちの声が聞こえなくなっているのに父親は気が付く。


「!?……寒っ」


 父親は薄暗くなった廊下に写真が落ちているのを見つける。近づき、拾い上げる。それは家族3人がそろって映っている写真だった。自分と妻、そして亡くなってしまった娘の姿。


「だっ……誰かの落とし物か? なんでここに写真が? ゾクゾクしてきたぞ。本格的に風邪を引きそうだ」


 父親は写真を見ながらつぶやく。


「優希……もっと一緒に遊んでやればよかった……父さんさみしいよ……」

「パパっ!! 私もさみしい! 私も一緒にいたいよパパ! 気づいてパパっ!!」


 父親のつぶやきを聞いて泣き出す少女。


 ふいに父親は耳鳴りと眩暈を覚える。

 ずるり……ずるり。不自然に静まり返った廊下で後ろから何かが這ってくる音がする。

 振り返っては駄目だ。父親は理性ではない部分で、そう思う。体がうまく動かせない。

 自分の体に急に訪れた立ったままでの金縛り状態に、父親は足が震えだす。

 未だかつてない不思議な感覚。まるで今の自分は寝ているような、起きているような……

 ずるり……ずるり。

 何かが自分に近づいてくる。

 ずるり……ずるり。


(振り返っちゃ駄目だ! 振り返っちゃ駄目だ!)


 さらにはオルゴールの音だろうか? どこか遠くから、聞いたことがあるような音楽。しかし、鳴る音は途切れ途切れであり、どこで聞いたのかうまく思い出せない。

 ずるり……

”何か”はすぐ後ろまで来ている。振り返りたくないと思っても、どうしても気になり振り返ってしまう。うまく動かせない体でゆっくり後ろを振り返る。そこにあったのは……。


(クマ? クマのぬいぐるみ?)


 薄暗い廊下にポツンと、クマのぬいぐるみが横たわっている。


(さっきは無かったっ! 絶対に……っ!)


 もはや指一本動かすことができない。恐怖に固まる父親の目の前でクマのぬいぐるみがゆら~りと立ち上がり、中空に浮かぶ。ぬいぐるみの後ろに、うっすらと白く光る何か人のように見えるモノ。


(ひぃ~~~~~!!)


「パ……パ……イ……ニ……」


 徐々に白い光がぼんやりとした少女の形をつくる。少女にある面影、それは自分の娘。最愛の自分の死んでしまった子供。


「ゆ……優希っ、優希なのか?」


 娘は泣いている。


「なんだっ! 優希っ! 何か伝えたいのか!?」

「パパ……イッショニ……ジゴクニ……いっしょに、地獄に、来て…………アソボ?」

「!」


 父親は気を失った。


「……なんでパパさんにはホラー風?」


 ヒロのつぶやきに答えてくれる人は誰もいなかった。



 賽の河原、少女はまだ泣いている。鬼たちが陣を消しながら笑顔で話しかけてくる。


「これで良し、と。あとは石を積むだけだな、さあ積め」

「いや、ちょっとは余韻とか考えてあげて」

「ユキちゃんのパパさん大丈夫かなぁ」


 少女は泣き止まない。終始無言だった少年は少女に向かって口を開く。


「もう泣き止めよ……ユキ……」

「パパぁ、ママぁ、うあーん」

「ユキ……親に会えたんだからもういいじゃん……親なんて、親なんて……うぅ……おかーさん! おとーさん! うあーん!」


 少女につられてか、少年も泣き出してしまう。口ではどれほど親を疎ましく扱おうとも、やはり心では親を求めるものなのか。オロオロと見守るしかできない大人と鬼たち。

 ため息をつき、いつ泣き止むとも知れない子供らに近づく赤鬼。そして子供たちの頭に赤くゴツく大きな手を乗せる、そっと、やさしく。


「なぁ、聞いてくれ。最近、光の粒が増えているのに気が付いているか? こいつらは水子……自我が目覚める前に死んでしまった子供らの霊なんだ。こいつらは自分では何もできない、考えることも、石を積んで功徳を貯めることも出来ない弱い奴らなんだ。けど、こいつらにだって次の生はある。石積みを終えて生まれ変わる子供についていくことでこいつらは生まれ変われるんだ。なぁ、こいつらを連れて行ってやってくれないか?」

「消えて無くなっちゃうの、怖い……」

「グスっ……ずっとここにいればいいじゃん。ずっと遊んでいようよ」

「うんうん」


 ようやき泣き止んだ子供ら。そして少女が石積みを拒否。


「ん? 消える? 生まれ変わりは消滅じゃないぞ、まぁ記憶は消えて残らんだろうが」

「パパとママが来るのを待つ。おじいちゃんもおばあちゃんも生きてるもん」

「いや、ユキちゃん、親が死ぬのを待つというのはね、それはどうかと」


 たまらず口をはさむヒロ。


「ユキちゃん、生まれ変わって今の自分じゃなくなることは本当に怖いことだと思う。けどね、こうも思う、新しい自分になることって、すごくワクワクすることなんじゃないかって。だってそうだろ。新しくゲームを始めるときってさ、すごくワクワクするものじゃないか?」

「早く生まれ変わったら、生きてるパパやママに会うことだってできるかもしれないわね」

「……うまいもんも好きなだけ食える」


 大人たちが一転、少女を説得しはじめる。当然である、賽の河原に来る大人は親より先に死んだという罪しかない、それ以外のめぼしい罪を犯さずに長く生き、そして死んだ者。つまり基本的に超がつく善人。泣いていて道に迷っている子供を放っておくことなどできるはずもない。

 それでも拒否する少女「怖いよ」


 再び泣き始めた少女の横で少年は迷う。いやだ、行って欲しくない、けど泣いて欲しくもない、自分も怖い、格好いい兄貴分ならこういう時はどうするんだ? そんなの決まっている。考えるまでもないこと。少年は決心をする。歯を食いしばり、勇気を出して、少女の手を取る。


「俺も一緒に行ってやる! 俺も行くからっ! ユキと一緒に生まれ変わるからっ! だからっ! ユキも勇気出せっ! 怖くねぇから! お兄ちゃんにまかせとけっ!」


 目を見張って少年を見上げる少女。しばらく放心していたがポツリと。


「シュウくんと一緒なら、いいよ……」


 大人たちはほっとして、うなずきあう。


 そうして二人の子供は石を積む。

 ふたりがかりで大きな石を、その上に、それより少し小さな石を。石を積むたびに鬼たちが歌うように声を上げる。


 一つ積んでは父のため

 二つ積んでは母のため

 兄と妹、供養した

 父母の悲しみいかほどか

 五つ積んでは己がため

 六つ積んでは己がため


 ほどなく子供の背丈ほどある石塔が完成する。赤鬼が石塔に近づき、そっと壊す。


「功徳は成った」


 子供らの体が優しく温かく光りだす。惹かれてくるのか、光の粒たちが集まって来て子供らを取り囲む。しっかりと手を握ってくれている少年に少女は微笑みかける。


「生まれ変わっても、いっしょにあそぼうね」


 少年も微笑み返す。


「ああ、絶対だ。すぐに見つけてやるからな」


 やがて賽の河原中の光の粒が集まって、天へと昇り始める。それはまるで命でできた炎のようで……


 すべての光の粒が天へと消えていった時、そこにはもう何もなかった。



「うああん、シュウちゃん、ユキちゃん、来世は絶対、長生きしてねえ。うあああん」

「……大丈夫、元気で強い子供らだった」


「さて、残りはお前らだな、さあさあ積め」

「働きたくないでござる。生まれ変わりたくないでござる。入滅したいでござる」

「だから、そんな功徳積んでねーから! ごたごた言ってないで、さっさと石を積めーっ!」


 賽の河原には地蔵菩薩が現れて、永劫の苦行に苛まれている幼く哀れな子供らに救いを与えるという。どうやら、そんな役割を大人たちが意図せずに行っているのかもしれない。

 それならしばらくは、賽の河原に地蔵菩薩の出番はないようだ。



お・わ・り



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