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19.鬼の血を継ぐ者


 それは一瞬だった。

 突然、清俊が目の前から消えた。

 ついさっきまで紗夜ちゃんの隣に確かにいたのに。一瞬、清俊の腕が何かに引っ張られたと思ったら、次の瞬間清俊の姿がどこにもなかった。

 いったい何が起きたのか、俺には何も理解できなかった。


「清俊?」


 恐る恐る名前を呼んだが返事はない。

 何で急に、そう思っていた時、紗夜ちゃんが突然駆けだした。


「紗夜ちゃん!?」


 俺が呼んでも紗夜ちゃんは止まらない。一心不乱に古い館の中を走る。

 慌ててそれを俺は追いかけたが、紗夜ちゃんとの距離はあっという間にひらく。

 おい、嘘だろう。

 いくら足が速くても、相手は女の子。大の男の俺が走って追い付けないはずがない。だというのにその距離はどんどんひらいていく。

 紗夜ちゃんがどこに向かっているのか、俺には全くわからなかった。

 ただ紗夜ちゃんはまるで何かに導かれるように迷いなく、館の廊下を突き進んでいく。

 その背を俺は必死に見失わないように追いかける。

 どれぐらいそうして走っただろうか。俺の体力がつきかけたその時、紗夜ちゃんはとある部屋の中へと入った。俺も追うように部屋に入る。

 途端、凄まじい寒気と吐き気がした。


「ゔっ」


 俺は思わず口を押え、その場に膝をつく。

 なんだこれは。空気が重い。

 息を吸うことさえ苦しく感じられ、同時に酷く気持ち悪くなった。

 少しでも気を抜けば、意識を失いそうな気さえする。

 俺は必死に意識を繋ぎ留めながら、紗夜ちゃんの方を見る。

 俺とは違い、紗夜ちゃんは表情ひとつ変えず、とある壁をじっと見つめていた。

 あれだけ走ったというのに息さえ乱れていない。

 いくらなんでもただの女の子にしては体力ありすぎるだろう。

 おかしいと思ったがそれを尋ねている暇はなかった。


「清俊様!」


 紗夜ちゃんが壁の向こう側に大きな声で叫ぶ。

 まさか、この壁の向こうに清俊がいるのか。

 いったいどうやってそんなところに一瞬で行ったんだよ。いや、それよりも何で紗夜ちゃんはそれがわかって。

 俺は紗夜ちゃんを見る。館が薄暗いせいかいつも以上に肌が色白く見え、紗夜ちゃんがなんだかいつも知っている紗夜ちゃんではないように見えた。

 と、その時、清俊の叫び声が壁の向こうから聞こえた。


「清俊!?」


 いったい何がおこったというのか。ただあまりにも緊迫している叫び声にただごとじゃないとわかる。

まさか、妖に襲われているのか。

 だとしたら今の清俊を守るものは何もない。早く、清俊のもとにいかなければ。

 そう思うが、清俊はこのぶ厚い壁の向こう側だ。いったいどうすれば。

 そう思っていた時、紗夜ちゃんが突然、拳を握りしめ、その拳で壁を思いっきり殴りつけた。

 止める間なんてなかった。

 がんがんと拳が壁にぶつかる音が響く。何度も何度も、拳から血が滲んでも紗夜ちゃんは壁を殴るのを止めない。

 俺は思わずあっけにとられてそれを見る。紗夜ちゃんのその予想外の行動にも驚いたがそれ以上に驚いたのは壁に徐々にひびがはいっていったことだ。

 それはとても女の子が殴っているとは思えない、凄まじいものだった。


「紗夜ちゃん」


 いったい君は何なんだ。

 そう尋ねる前に壁が勢いよく砕け散った。


「嘘だろう」


 あり得ない。

 俺は気持ち悪さも忘れ、呆然と砕け散った壁を見る。紗夜ちゃんはすぐに腰に下げていた刀を引き抜き、中へ飛び込む。

 はっとして俺も立ち上がる。僅かにふらつきながらもなんとか立ち上がると俺も砕け散った壁の向こう側へと入った。

 中に入って俺は息が止まりそうになった。

 目の前にはそれはそれは大きな妖がいた。

 真っ黒な巨体、何十とある腕、そしてそこについている何個もの大きな目玉。

 見るだけで身体が震える。

 これが禁忌妖禄に載っている妖だというのか。

 妖の前には清俊が倒れていて、その清俊を妖から庇うように紗夜ちゃんが刀を手にその前に立っていた。

 震える俺とは違い、紗夜ちゃんは禁忌妖禄の妖を前にしても怯えもしなければ怯みもせず、ただ無表情に相手を睨んでいた。

 そして刀をゆっくり構えると妖へと斬りかかった。

 妖のいくつもある大きな目玉がぎょろりと動き、紗夜ちゃんを捕まえようと手を伸ばす。それを紗夜ちゃんはかろやかによける。そして自分を捕まえようとした腕を容赦なく一本切り落とした。

 途端に妖の叫び声が部屋に響きわたる。

 紗夜ちゃんは動きを止めず、更に斬りかかる。

 そうやって戦う紗夜ちゃんをしり目に俺は一歩も動かなかった。いや、動けなかった。

 今、俺が刀を抜いて斬りかかっていったとしてもすぐに妖に捕まり、食われるだろう。それほど実力差が目に見えた。

 いや、これが普通なのだ。禁忌妖禄の妖を前にして一人で戦いを挑むなど通常できるはずがない。

それなのに。

 刀を振るい続ける紗夜ちゃんを見る。その動きはもはや人間離れしていた。

 これが鬼の力だというのか。

 そう思っていると清俊が小さく呻いた。

 はっとして俺は清俊の元へ駆けよる。


「清俊!」


 俺が呼び掛けると清俊は目を開き、俺の方を見て苦し気に笑う。

 見れば腕から血が流れていた。


「怪我したのか!」

「かすっただけだ」


 そう言いつつ腕からかなりの血が流れている。俺は慌てて自分の腰に巻かれていた帯をとくと清俊の腕に巻き付け、止血する。

 怪我自体は命に別状なさそうだが、血が流れたせいか、清俊の顔はいつもより青白い。早く安全な場所に行かなければ、そう思い、清俊を担ぎ上げようとするとそれを清俊が止める。


「樹希」

「なんだよ!さっさと行くぞ!」

「紗夜を、置いてはいけない」


 清俊にそう言われ、俺ははっとする。そうだ、紗夜ちゃんが妖と戦っているのだ。置いていくなど、そこまで思い、俺はいやと考えを否定する。


「清俊」

「なんだ」

「紗夜ちゃんはなんだ?」

「何を言って?」

「あれが鬼の力ってやつなのか?」


 どう考えても普通の女の子の力や動きではない。

 今なお禁忌目録の妖と戦って、一人で互角に戦えるなんて、そんなの普通の女の子のはずがない。

 俺の問いかけの意味に気づいたのか清俊は黙り込む。

 そして小さく笑った。


「紗夜は普通の女の子だよ。普通のどこにでもいる女の子だ」


 清俊は迷いなくそう言い切った。そんなはずがないとはその顔を見て、言えなかった。

 その時、妖が凄まじい叫び声をあげた。

 見ると同時に地面から手が生え、紗夜ちゃんの足を一瞬拘束した。すぐに紗夜ちゃんは刀で斬り捨てたがその一瞬を妖は見逃さなかった。その一瞬、妖は太い腕で紗夜ちゃんの身体を勢いよく殴り飛ばした。同時に紗夜ちゃんが勢いよく後ろへ飛んでいく。そして受け止める間もなくそのまま壁へ強く叩きつけられた。


「紗夜!」


 止める間もなく、清俊が紗夜ちゃんの元へ駆けよる。

 どうする。どうすりゃいいんだ。

 このままでは全滅だ。

 紗夜ちゃんの傷の具合はわからないが、あの衝撃を受けて今まで通り戦うことは無理だ。となれば残された手段はひとつ。

 俺は震える足を叱咤し、刀を抜き、妖の前に立った。

 大きな目玉がぎょろりと動き、今度は俺を見つめる。妖の目玉に写った俺はなんとも無様な恰好だった。

 足は震え、刀をもつのがやっとの状態。

 それでも俺は奥歯を噛みしめると刀を妖に向ける。


「清俊!逃げろ!」


 おそらく10分ももたない。いや、もしかしたら3分ともたないかもしれない。

 それでも俺がなんとか逃げるだけの時間を稼いでみせるから早く行け、そう叫んで振り返った時、俺は妖に対峙していたことも忘れ、それを呆然と見た。

 それは異様な光景だった。

 清俊は何を思ったのか、腕から流れる自身の血を紗夜ちゃんに飲ませていた。

 何をしているんだ。

 そう思った次の瞬間、妖が叫んだ。

 耳をふさぎたくなる程の大きな悲鳴が上がる。


「鬼だ!鬼がいる!」


 妖はそう叫ぶと身体を縮こませる。妖は怯えていた。禁忌目録にのるほどの実力がある妖が怯え、震えている。

 同時に俺も凄まじい寒気を覚えた。

 清俊の方を見る。清俊は静かに怯えもせず、ただそこにいた。そしてその隣には紗夜ちゃんが立っていた。

 いや、それを紗夜ちゃんと呼んでいいのかわからない。

 目は赤く、黒かったはずの髪は銀色に変わっていた。そして身にまとうのは青い火。

 鬼だ。

 角こそ生えていないがそこに立っていたのは間違いなく鬼だった。

 全身が震えた。

 なんだこれは、目の前にいた妖の比ではない。もっと恐ろしい、何かが目の前にいた。

 鬼が刀を抜き、笑う。

 鋭い牙から飲んでいた血が滴り落ちる。

 途端に言いようのない恐怖を感じ、俺は叫ぶことも出来ず、その場にへたり込んだ。


「化け物だ」


 そう、妖なんかじゃない。もっと異質でもっと恐ろしい化け物が、目の前にいた。


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