72.もう一度、会いに行きました。
田舎から帰って来て、私は千春に借りた手鏡とにらめっこしていた。
帰ってすぐに千春の家に行き、手鏡を借りた。……借りたはいいけど、急に行っていいのかなこれ……と思ってしまったのだ。
何しに来たとか言われたらどうしよう。帰れってまた追い返されたらどうしよう。話すら聞いてもらえなかったら。
それが怖くてなかなか行く勇気が出ない。鏡を合わせようとして止まって、を繰り返している。気付けばお昼も夕方も過ぎて、夜である。こんな時間に行くのもどうなの。
だけど、行かないと。いや、行きたい。もう一度サタン様に会いたい。一つ息を吸ってから、そっと鏡を向かい合わせにした。色の変わった姿見。よし、とそこに手を差し入れた。
◆◆◆
目を開けると見知らぬ場所だった。え、どこここ。いつもならサタン様の部屋に来るはずなのに。薄暗い部屋には私の身長よりも高い本棚が幾つも並んでいる。何だ?と考えふと気付く。もしかして、書庫?千春用に書庫直通になってるのかな……。
そう思って見れば成程図書館みたいだ。広い。そういえば今度連れて来てくれるってサタン様が言ってたけどそれっきりになっちゃったな。
背表紙の文字すら読めない本だったけど何となく一冊手にしようとしたら足音がした。びくりと体が強張る。
誰だろう。書庫の人だろうか。というか、こんな時間に何の許可も無く入って来てしまったけどもしかしなくてもこれ怒られるやつなんじゃなかろうか。とにかく出よう、とそーっと歩く。足音がしないように、ゆっくりと。月明かりだろうか。外から入る光で何も見えないわけじゃないのが救いだ。
出口はどっちだろう。カンだけで静かに進む。けど広いなここ?本棚の隙間を縫ってついつい明るい方へ、窓際へと進んでしまう。窓とは逆に出入り口があると思うんだけど。じゃああっちかな。
そろそろ歩いて、ふと足音が近付いているのに気付く。私がいることがバレているのでは?
知っている人ならいいけれど知らない人だったら何と説明すればいいのだろう。やっぱり怒られる未来しか見えない。逃げないと、と歩く速度を速めると、それに合わせて足音も速さが上がっている気がする。絶対バレてる、というか私を追いかけている?
見つかっても魔王城だから殺されるような事はない、と思いたい。けどそういえば私クビになってるよな……。不法侵入とかで殺されたりするのでは……?急に背筋が冷たくなった。震える足を必死に動かす。怖い。どうしよう。
方向もわからず進んだせいで行き止まりに来てしまった。かつかつと聞こえる足音はまっすぐにこちらへやってくる。本棚との間でじっとしてたらやりすごせないかと隅っこにしゃがんで縮こまった。
見つかりませんようにと祈った甲斐も無く、足音がかつんと鳴って背後で止まった。
「……サク?」
「へ……?」
おそるおそる顔を上げるとそこに立っていたのはサタン様だった。
「サク、何故ここに……、いえ、どうやって……」
「サ、サタン様……」
安心してしまって、思わず涙がこぼれた。泣き出した私を見てサタン様がおろおろと手を伸ばす。困ったような顔で頭を撫でてくれた。
「な、泣かないでください」
「だって、怖かったんですよ……っ!」
謎の足音だけ近付いてくるんだもん!と言うとサタン様は「それはすみません……」と謝ってくれた。しかし勝手に入っていた私も悪いな。
「……わ、私もごめんなさい……。勝手に入って……」
「というか、どうやってここに…………ああ、プリムの鏡ですか」
「そうです……。借りました……」
「成程。……何故、またこち
らに。もう来なくていいと言った筈ですよ」
「…………」
サタン様の声が冷たく感じる。拒絶されているように感じてしまう。けどやっぱりあんな最後は嫌だった。
「……あ、いたかった、です」
「…………」
何と言おうか悩んで、口から出てきたのはそんな言葉だった。サタン様はひどく驚いた顔で私を見る。
「……会いたかった、です。あんな別れ方、最後、嫌でした。だから、来ました。ちゃんと話したくて……」
「…………」
サタン様は何も言わない。そっと見上げると何故かサタン様の方が泣きそうな顔をしていた。
「サタン様……?」
「っ……恨み言でしょうか」
「へ?」
「……あのような目に遭わせておいて、あんなにあっさり終わらせたから」
唇を噛んでサタン様が言った。何とも言い難い辛そうな表情だけども別にそこは気にしていないというか。
「え、いや、違いますけど……」
「……では、何を」
「ただ単に……その、サタン様といるの楽しかったから、あんな終わり方は嫌だってだけで」
「…………」
「あ、勿論サタン様だけじゃなくてマリーさんとかリュカさんとかもですけど!折角、仲良くなれたのにあんな最後は嫌だっていうのと、あと、……サタン様が許してくれるなら…………また、ここに来たい、です」
「…………」
無言のままのサタン様の様子を窺うと、サタン様は何故か真顔だった。無表情で、じっと私を見ている。どういう感情でそうなっているのかわからず、そもそもちゃんと聞いてもらえていたのかもわからず、暫し待った。
待ったがやはりサタン様は何も言わない。動かない。瞬きすらしていない気がするけど大丈夫かこの人……魔王。
「……サタン様……?」
そっと目の前で手を振る。するとサタン様ははっとしたように瞬きを繰り返した。
「……本気、ですか」
「は、はい」
「また、怖い目に遭わせるかもしれませんよ」
「…………よくはないけど、でも、サタン様なら助けに来てくれると思うんでいいです。あ、あと、もしもの時用に何か魔術教えてください」
「…………」
「ダメ、ですか……?あ、勿論メイドは頑張るんで!」
「…………あんなに働きたくないといった風だったのに」
「そ、れはそうなんですけども……。でも、ここに来ていいなら、頑張ります」
「…………」
ふ、とサタン様が私の頭に触れた。何かを確かめるようにゆっくりと撫でられる。大きな手で包むようにされると心地いい。
抵抗する気にもなれないのでサタン様のなすがままになっているとサタン様は泣きそうな顔で微笑み、言った。
「……わかりました」
「じゃあ……」
「手鏡、使えるようにしておきますからいつでも来なさい」
「はい!!」
「でもメイドはもういいです」
「えっ」
「私の客分として招きましょう。そうすれば常に側にいられる」
「常に……」
そこまでは求めてないような、と言い掛けてやめた。サタン様が何だか幸せそうに目を細めていたから。
「……じゃあ、はい。お願いします」
「はい」
約束です、と言われて何となくくすぐったい。悪魔なのに契約じゃないんだなぁなんて思った。
「……て、いうかすみませんこんな時間に……!」
「ああ、構いませんよ。まだ起きていましたから」
「そうですか……。えっと……じゃあ、帰りますね。お邪魔しました……」
幾ら起きていたからといっても長居するのもよくないだろう。なので帰ろうとするがサタン様に手を掴まれた。
「え?」
「……もう帰ってしまうんですか?」
「え……」
サタン様がどこかしょんぼりしているように見える。見えるというか、実際にしょんぼりしているというか。眉を下
げて、唇を噛んでいるその表情は泣きそうにも見えた。
「……え、と……」
「久しぶりに会ったので、もう少し一緒にいたいです」
「明日も来ます、よ?」
「それでも、いたい。……二人きりなのは今だけですから」
確かに日中はマリーさんとかいるもんな。そうなると……まぁ、いい、か?
「……少し、歩きませんか」
「へ?」
「夜の魔界も綺麗ですよ」
手を取られ、転移したのだろう気付くと外にいた。遮る物が無い空は漆黒の闇。けれど銀粉を塗り広げたような星々が空いっぱいに光り輝いていた。
「……綺麗……」
「はい」
「月はないんですか?」
「今日は新月です。……今度、満月の夜にもいらっしゃい。月も綺麗ですから」
「期待してます!」
きっとすごく綺麗な夜空なのだろう。考えるだけで胸が躍る。満天の星空の下、サタン様と二人きりで暫し星を眺めるのだった。




