71.後悔は先に立たないものでした。
「少し休憩されては如何ですか?」
マリーが言うと、サタンは時計に目をやり、「もうこんな時間ですか」と呟いた。
「あまり根を詰めるのもよろしくないかと……」
言いながらマリーがティーカップをサタンの前に置いた。サタンはそれを一口飲んで返す。
「別に詰めているわけではありません」
「…………」
とはいえ、今までのサタンは執務の合間(もしくは最中)に美夏の元へと行っていた。美夏がいなくなってからそういった行為は一切せず、ただ執務机に向かっていた。
美夏が来る前と似たようなものではあるが、それでもあの頃は適宜休憩を挟んでいた。それが今では時計にすら目もくれず、書類や書簡等と睨めっこを続ける日々。
流石にその変わりようは看過出来るものではないらしく、リュカからマリーに気を配るよう言い渡される程だった。
「……あの、サタン様」
「何でしょう」
「……サクちゃんのこと、本当によかったんですか?}
「それはどういう意味ですか」
「あのように、急に解雇せずともよろしかったのではと……」
言葉を選ぶように、ゆっくりと伝えるマリー。勿論そこには自分の感情もあった。自分だって、サクと過ごすのはなかなかに楽しかったものだから、最後があのような形だというのがどうしても納得出来ていなかった。
「……元々こちらに来るのを嫌がっていたようでしたからね。今頃解放されて清々したと思っていますよ」
「そんなこと……!」
「それに、……あのような目に遭わせて尚、此処にいろとは言えません」
サタンの表情は暗く、重いものだった。その裏には後悔や自責の念があるのだろうと思わせた。自分がもっと注意していれば、側にいれば。考えても今更仕方の無い事であるが。
「……ですが、サタン様は助けに向かわれましたし、無事に連れ帰って来られました」
「だからといって記憶や恐怖が消えるわけではない」
「…………」
言葉に詰まるマリーを見て、サタンは少し眉を下げた。そして立ち上がると「少し出てきます」と姿を消した。
◆◆◆
サタンが来たのは以前美夏を連れて来たツリーハウスだった。あれから椅子を一脚増やしたのだが、それは使われる事は無かった。
椅子に腰掛け、誰もいない空間をぼんやりと見つめる。脳裏にあるのは美夏の事だった。
最初はただの興味だったが、いつの間にかそうではなくなっていた。自分が魔王であるとわかっていながら萎縮するわけでも畏怖するわけでもなかった美夏。それが新鮮で心地よかった。故に、いつも側においていた。そんなことをすれば彼女が魔王の気に入りだと知れ渡るのは当然だというのに。
油断していたわけではない。ただベリアルがあんな行動に出るとは思っていなかった。それにベリアルがそこまで美夏に執着するとも思っていなかった。人間ということで多少興味はひけど、その程度だと思っていたのだ。まさか誘拐なんて。
認識が甘かった。考えも甘かった。故に、美夏を危険に晒した。その事実が未だにサタンの心に棘を刺していた。
自分が側にいれば。いっそ、いつぞや美夏が持って来ていたお守りの所持を許可していれば、もしかしたらこんなことにはならなかったかもしれない。
幾ら後悔してもしたりない。サタンは何度も自分を責め続けていた。




