3.初出勤の日を迎えました。
土曜日。朝。スマホのアラームを止めて、二度寝した。眠かった。
すると夢の中にサタンが現れた。
『あ、サタン』
『君は死にたいんですか?』
『え?いや?何で?ですか?』
『今日は土曜でしょう。さっさと来なさい』
『あ』
忘れてた。やばい、と跳ね起きる。そこはまぁ当然私の部屋なわけだけどあれ今のって本当に夢?
何か不思議な気分になりつつ時計を見る。スマホに表示されている時間は九時二十八分。……うん。起きよう。
顔を洗って朝ご飯を食べることにした。母さんに「休みなのにもう起きたの珍しい」と言われた。大体金曜は夜更かしして土曜は昼まで寝てるもんだからさぞかし珍しいだろうな。
とはいえ今からちょっと魔界でバイトしてくるなんて言えるわけもない。「ちょっとね」とだけ返しておいた。
食べたら着替えて……合わせ鏡か。ん、もし母さんが部屋に来たら怪しまれるな。鍵は掛けるにしても話し掛けられたりするのも困る。家から出ないけど家にはいないわけで。
「……本読みたいから邪魔しないでね」
一応伝えておく。母もオタクなのでそういう時の気持ちは充分にわかってくれるタイプだ。なのでこれで部屋に入って来たりはしないだろうし何か話しに来る事も無い筈だ。
「わかったわ。お昼はどうする?何かいる?」
「あー…………」
あれどうなんだろう。ていうか何時間勤務?バイトだし四~五時間とか?私バイトしたこと無いからわかんない。
それにバイトの昼ご飯ってどうなってるんだろう。飲食店ならまかないとかあるだろうけど。……何なら帰ってくればいっか。休憩くらいあるでしょ。
「……適当にどうにかするからほっといていいよ」
「はいはい」
「じゃ、そういうことで」
言い残して部屋に戻る。そして着替えた。普通にTシャツとスカートである。どんな格好して行くものなのかよくわからないのでもう何でもいいかと思った。
朝ご飯も食べて着替えて親にも言った。これで準備はOKなはず。……持って行くものあるのかしら……?筆記用具とスマホは持ってっとこうか、と鞄に入れる。
手鏡を机に立てかけるようにして、姿見に向けた。
「うわ……」
ぐにゃりと鏡面が歪む。銀色だったはずなのに、黒とか赤とかが混じってて不気味だ。ていうかマンガみたい。
多分この中に入るんだろう、と思いつつそっと手を差し込んでみる。すると何かに引っ張られるように、私は鏡の中に入り込んだ。
◆◆◆
「やっと来ましたか」
すとん、と落ちた先にはサタンがいた。この間の場所らしい。サタンはこの間と同じように肘掛けに肘をついて、手のひらに頬を乗せていた。違うのは、今日は衛兵じゃなくてメイドさんが横にいた。金髪の、優しそうなお姉さんだ。
「あー。……おはようございます」
「来るのが遅い。プリムは既に来て働いていますよ」
「すみません……。けど時間とか何も聞いてなか
ったんで」
「……それもそうですね。では明日は六時に来なさい」
「夜のですか」
「朝です」
「無理です」
「…………」
即答したらサタンにすごい目で見られた。無理やて。六時に来るったら何、五時くらいに起きなきゃじゃん無理っていうかやだ。労働条件みたいのもう少し聞いとくべきだった……!
「…………」
サタンは未だに無言。あれこれ殺される……?と思ったのも束の間、「では何時ならいいんですか」と言われた。譲歩してくれるらしい。
「……今日と同じくらい……」
「余程死にたいんですね」
「違います!て、いうか何時間働くんですか私!?」
「さて。その辺り人間界はどうなっていますか」
「……大体、バイトなら四~五時間かと。正社員なら多分八時間くらい」
「では八時間で」
「私バイトじゃないんですか!?」
「そういう概念が無いもので」
「えぇ……」
「文句があるなら契約破棄としてこのまま魂を頂きますよ」
「すみませんでした」
折れるしかなさそうだ、と頭を下げる。サタンは「それでいい」と言った。
「それでは……八時から十六時までですかね」
「……休憩とかって……?」
おそるおそる聞いた。ノンストップで働けと?死ぬ。悪魔って体力無尽蔵なの?するとサタンはメイドさんの方を向いた。
「休憩はどうなっていますか?」
「お昼ご飯に三十分程、後は適宜休ませていただいてますので……正味一時間程いただいているかと思い
ます」
「では八時から十七時にしましょう」
「増えてません……?」
「休憩分ですよ。不満ですか?」
「いいえ」
めちゃくちゃ首を振った。優しいんだか優しくないんだかさっぱりとわからない。とはいえ譲歩しまくってくれてる辺り、相当優しい部類なのだろう。……ていうかサタンって魔王なんじゃ。人間にこんな優しくていいんだろうか。
「ではそういうことでいいですね。他に質問や、確認はありますか」
「……あの、さっき夢に出てきましたよね」
「はい。あまりに来ないので。忠告無しで魂を食らうことも考えました」
「すみませんでした……!!」
「私が寛大でよかったですね」
「……はい……」
魔王って人の夢にも出れるんだな……。魔王ならそれもそうか。
「他には?」
「えっと……ご飯ってどうなりますか?」
「……使用人の食堂を使えるようにしておきましょう」
「ありがとうございます!……何か持って来るものとかってありましたかね……」
「その辺りはマリーに聞きなさい。……マリー」
「はい、サタン様」
メイドさん……マリーさんがスカートの裾を持って一礼した。
「この魔王城でメイド長を勤めさせていただいております。マリーと申します」
「は、はい。……っ」
後藤美夏です。十六年言ってきた自己紹介の言葉を飲み込んだ。名前を言ってはいけない、って千春が言ってた。じゃあ、何て名乗ればいいの?
散々妄想していたはずのきらっきらした名前が一つも出て来ない。どうしよう、と思っているとサタンが言った。
「彼女の名はサクです」
「サク、ですね。今日からよろしくね」
「は、はい!」
助け船はありがたかったけど何でサク?とサタンの方を見ると、視線で理解したのかサタンは笑いながら「サクリファイスのサクです」と言ってのけた。そんな雑な……。
「それではマリー。サクを頼みましたよ」
「かしこまりました」
また、優雅に一礼するマリーさん。
「行きましょう」と言われたので慌ててついて行く。
部屋を出る前に振り向いたら、まるで頑張りなさいと言うように、サタンはひらりと手を振った。