2.サタンに雇われました。
「……?」
光が消えた気がする。おそるおそる目を開けるとそこは千春の部屋ではなかった。
目の前に、知らない人がいた。不思議なオーラを放つその人は玉座というのだろうか、王様が座るような大きな椅子に、右肘をついてそこに頬を乗せている。長い銀の髪に透き通った青色の瞳。……そしてその頭には、黒い角が二本生えていた。
「……汝、我を召還せし者か」
低い声で問われた。唇は薄く笑っているくせにその瞳は欠片も笑っていない。射抜くような、そんな鋭い視線がこちらを見ていた。
召還、ということは、まさかこの人は。
私がその名を口にするより先に、千春の素っ頓狂な声が響いた。
「もしかしてサタン様ですか!?」
ていうか千春いたの?首を声の方に後ろの方に曲げて見ると確かに千春がいた。おかげで少しだけ安心した。一人でこんな人と対峙するとか、無理。
私とは対照的に千春は胸の前で手を組み、めちゃくちゃキラキラした目をしていた。……逆に不安かもしれない。変な事しないといいんだけども……。
「……いかにも。我は魔王サタン」
「やっぱり!私、プリムが貴方を召還致しました。そしてこちらが生贄です」
流れるように自己紹介をする千春。いや待ってそんなナチュラルに、This is a pen.みたいなノリでこちらが生贄ですなんて紹介やめて!?
このまま話を進められたらまずい、と慌てて口を開く。
「待って!?ていうかプリムって何!?どっから湧いた!?」
「魔術師名。待たない。サタン様をお待たせするなんて以ての外」
「嘘でしょ!?十年来の友人より初対面の魔王とるの!?」
「うん」
「正気かあんた!!」
「……ふふっ」
「え?」
サタンそっちのけで言い合っていたら笑い声がした。誰の?ん?とサタンの方を見れば、サタンは顔を背けるようにして肩を震わせていた。
「…………」
え、サタンって笑うの?つーか笑う要素あった今のやりとり?こっち割と必死だったんですけど。こっちっていうか私。
千春……プリム?いや千春でいいわ。千春も予想外だったようで、びっくりした顔でサタンを見つめている。
「……いや、失礼しました。なかなかに面白い娘逹ですね」
「…………」
顔を見せたサタンはさっきまでとは全然違う。不思議なオーラは消えて、射抜くような目だったのは、何とも楽しいというように細められていた。意外にも穏やかなその笑顔だけ見るとイケメンモデルとかにすら見える。
そんなサタンに千春は跪くと淀みなく説明を続けようとした。
「……楽しんでいただけたようで何よりでございますサタン様。さて、貴方様を召還したのは他でもなく」
「だから待ってってば!?何でこの状況に疑問を抱かないの!?」
「疑問?」
「ま、まずここ何処よ!それに本当に召還……?出来るって何!?」
「ここは魔界ですよ。生贄のお嬢さん」
サタンにえらく礼儀正しく言われた。最初のあの魔王オーラどこ行ったん。好青年にしか見えなくなってきたわ。
「だってあの魔術書本物だもん。中世の魔術師が使ってたのをネットオークションで、今まで貯めたお小遣い叩いて買ったの。だから出来るよ」
千春はそう言った。かなり本気だったのね、今回のあれこれ。だからって納得は出来ないけども!
「他に疑問はありますか?お嬢さん」
「サタン様に教えてもらえるなんてもう無いと思うから今の内にたくさん聞いたらいいと思うっていうか私が聞きたい」
「…………」
口々に言う二人。息合ってますね。何で?初対面でしょ?私の方が千春といた時間長かったはずですけど?とはいえ今の状況がわからないので説明はして欲しい。あとちょっとでも時間稼ぎたい。
しかしすぐには言葉が出て来なかった。なので代わりとばかりに千春が問い掛ける。
「サタン様、お伺いしてもよろしいでしょうか」
「何ですか?」
「私は召還の魔術を使ったはずなんですが」
「ああ、そうですね。本来ならば私がそちらに出向くものですが、年端もいかない者の召還のようだったので、あまり行く気になれず。なので君達をこちらに連れて来ました」
予想外の理由だった。要は小娘の召還めんどくせってことか。……わからんでもないけど。
千春は「左様でございましたか」とあっさり納得していた。それでいいのか。
「他には?」
「えぇーとぉー……」
まずい。話を終わらせると生贄にされてしまう。何か無いか何か。けれど今一つ出て来ない。誰も何処も何故も解決してしまった。
必死に考えていると千春がサタンに色々と聞いている。魔王ってことは一番偉いんですよねここお城ですか見て回ることは出来ますかってノリノリだなあんた。生贄にされたこっちの身にもなってくんないちょっと。
「生贄のお嬢さんはもう疑問は無いようですね。それでは私を召還した理由を聞きましょうか」
「はい」
「ちょ、ちょっと待っ……」
「何かあるの?」
「…………無いです」
千春が強かった。文句言えないわ……。いやでもこのサタン意外と話聞いてくれるタイプみたいだから頑張れば生贄にならずに済むんじゃないかしら。
多少の希望を持っていると、千春は言った。
「私がサタン様を召還しようとしたのは、魔術師になりたく、その為に魔力が欲しいのです」
「ふむ。力を得て何をしますか」
「世界を我が物にします」
きっぱりと言い切る千春。やべぇ奴と幼なじみやってたんだ私、と今知った。怖っ。この子怖っ。目がガチだよ据わってるよ……。
「成程。その為ならば友人を手に掛けてもいいと」
「彼女は異世界に行きたいと常々言っていました。なので、互いの利害が一致すると思いまして」
「生贄にする以上は殺しますよ」
「!?」
どうすんの、と千春を見れば、「……魔界で死ねば多分魔界に転生するから、それで手打ってくれる?」と言われた。
「やだよ!?何そのポジティブシンキング!?まだ見たいマンガとか新刊とかあるんだから!こんなとこで死にたくないから!!」
「……ふふ」
思わずツッコんだら笑われた。そちらを見ればまたサタンが顔を背けていた。もしかしなくてもこのサタン、笑いの沸点めちゃくちゃに低いな。漫才とか見せてみたい。腹筋筋肉痛になるまで笑ってそう。
「……いや、失礼。……そうですね。ではこうしましょう」
ぱちん、とサタンが指を鳴らす。すると腕の拘束が解けた。なのでとりあえず起き上がる。
「まず、召還者であるプリムとの契約です。生贄を対価に魔力を与えましょう。それでいいですね?」
「勿論ですサタン様!」
サタンが手を伸ばす。その手のひらには光る小さな丸い玉が乗っていた。その玉はふわりと浮かび、千春の方へ飛んで行った。
「魔力の塊です。――受け入れなさい」
玉は一瞬大きく光ると、千春の胸の辺りから千春の中に入っていった。これで千春に魔力が?
千春自身には特に感じるものは無いらしく、手を握ったり開いたりを繰り返している。
「とはいえ、その力が人間界でまともに作用するかどうかはわかりませんよ。こちらとそちらでは力の流れが異なりますから」
「……魔界では使えるんでしょうか」
「はい」
「…………」
千春は何かを考えている。よくあるラノベとかなら適当な呪文で小さい炎でも出すけどそれは出来ないんだろうか。
「どうやって使ったらいいんでしょうか」
「では、手をあちらに向けて、――――と唱えてみなさい」
聞き取れない言葉。多分呪文だろう。千春はそれが聞き取れたらしい、手を正面に向けてその言葉を口にした。と思ったらドゴッとすごい音がして、サタンの後ろの壁に罅が入っていた。
「本当だすごい!」
「待ってあんた何してんのマジで!大体あっちってサタン向こう指してたじゃん何でそっち向けた!?」
サタンが指したのは私達の背後だ。にもかかわらず千春はサタンの方を向いたまま、呪文を唱えていた。
「つい……」
「人間らしいですね」
何故か子供がイタズラをした時のような微笑ましい笑みを浮かべるサタン。寛大すぎない?
今気付いたけど横に衛兵がいたらしい。衛兵が二人、めちゃくちゃ慌てているし、槍を構えてこちらに向かって来ようとした。
「やめなさい」
サタンが手を上げれば二人とも止まる。そして壁もすぐに直ってしまった。サタンが直したのだろう。すごい。千春も同じことを思ったようで、感心したようにサタンを見ている。
「それでは生贄のお嬢さん。名前は?」
「あ、後藤美夏です」
「…………」
名乗るとサタンが何とも言えない顔をした。鳩が豆鉄砲をくらったような、そんな顔だ。聞かれたから答えたのにまずいのかと思えば、千春が「あ」と小さく言った。
「え?」
「……構いません。それでは美夏。君の願いは“こんなところで死にたくない”ですね?」
「……はい」
若干語弊がある気もするけどまぁそんなところだろう。とりあえず死ななければ何とかなる、と思いたい。
「君を我が城で雇いましょう」
「……はい?」
「君の願い、“こんなところで死にたくない”を叶える為に対価が必要です。本来なら生贄が要りますが君の命分、となると最低で人間一人です。用意出来ますか?」
「無理ですね……。あ、彼女を生贄に……」
千春を示すとサタンは首を振った。
「プラマイゼロになるので嫌です。何の得もしません。彼女を生贄にしたとしてももう一人くらいは人間を寄越してもらわないと割に合いません」
さすが悪魔。強欲である。まぁ私と千春をこっちの世界に呼んで千春に魔力あげただけってのは流石に割に合わないよな……。本当、何の得もしていない。
「となると君から貰えるものは“労働力”くらいかと。なので我が城で雇います」
「はぁ……?」
「そうすれば君はこんなところで死にません。断るのであれば今すぐに君の魂を頂きます」
「何すかその超理論!?鬼か悪魔ですかあんた!!」
「魔王です」
「本当だー!!」
「つくづく面白い娘ですね」
「美夏ちゃんツッコミ属性なんで」
「微笑ましく会話すんのやめてくんない!?元はと言えばあんたが私を生贄にするから!」
「だって美夏ちゃん異世界行きたがってたから」
「だからって……」
「……ごめんね?」
しょぼん、と千春が言った。昔からそうだ。千春は真っ直ぐで、私の誕生日にとお年玉を叩いて私が欲しいなぁ、と呟いたマンガを全巻買ってくれたことがある。いくら誕生日だからってそんなにしてくれるとは思わなくてとても感謝した。
だから、私が異世界に行きたい、と常々言っていて、それをどうにか叶えようとしてくれた結果なのだろう。そう思うと文句も言うに言えない。
「……もういいよ。悪気があったわけじゃないし。とりあえずは死なずに済みそうだし」
「美夏ちゃん……」
「でも雇われて、私何するんですか?」
「メイドでもやってもらいましょうか」
「は?」
「メイドをやってもらいましょう」
「何で言い換えた?決定になったんですか?」
「決定です」
「…………」
にこにことサタンは言った。嘘でしょ。メイドて。
「期間は一年。それが終われば契約終了です」
一年間、メイド。それで死なずに済むならいい、んだろうか。いやいいに決まってる死ぬよりマシ。多分。でもあれ、どうやって通うんだろう?
「…………あの」
「はい?」
「どうやってここに通うんですか?」
「通わずとも住めばいいでしょう?」
「それはちょっといやかなり困るというか……!」
何せ私は高校生だ。そんないきなり魔界でバイトするわけにもいかない。しかも住み込み。無理だ。異世界行きたいとか言った人間がそんなとこ気にするのも何だけど!
「無理、とは」
「いやあの、私高校生なんですよ。学生なんですよ。学校行かなきゃだしそもそも親に何て説明していいかさっぱりとわかんないし」
「そうですか…………」
ふむ、と顎に手を当ててサタンは何やら考えている。……それじゃあ殺しますとかそういうことにはならないですよねならないよね!?
「土日だけとか、ダメなんですか?」
千春が手を上げつつ首を傾げた。成程土日だけならまだマシかもしれない。
「週に二日ですか。……わかりました。そうしてあげましょう。但し期間を三年にします」
「…………はい」
ごねるわけにもいかんな、と受け入れる。というか意外と優しいな。サタン。最初のあの空気何だったんだ。
「それでは契約成立ですね」
サタンがこちらに手のひらを向ける。すると何かを吸い取られるような感じがした。見ればサタンの前に人魂のようなものがふわふわと浮いている。
「これが君の魂です」
「は?」
「これを、こうします」
「え、ちょ」
サタンはどこからともなく蝋燭の入った瓶を取り出した。そしてそこに人魂……私の魂を入れる。すぐに蝋燭に火が灯った。
「これで君は私の支配から逃れられません。逃れようとすれば死にます」
「な……」
「保険です。君が逃げ出さないように。それとこちらを」
「え……?」
ぽん、と私の前に鏡が出てきた。小さな手鏡で、銀色で細かな装飾がされている。
「家に鏡の一枚や二枚あるでしょう?それとその手鏡を使って合わせ鏡を作りなさい。そうすればこちらに来られます」
「はぁ……」
何ともてきぱき話が進められていく。合わせ鏡……姿見とやった方がいいかしら、と割と冷静に考える自分がいた。
「……いいなぁ美夏ちゃん」
横から千春が言った。そしてサタンの方を向く。
「私もここで働かせてもらえませんかサタン様」
「何言ってんのあんた」
「ほう?それは何故?」
「せっかく魔力を賜ったのですが、人間界で使えるかどうかわからないですし、出来ることなら魔界で色々勉強したいと思いました」
「…………ならば書庫で働きますか」
「書庫ですか……?」
「書庫は常に人が足りないので。それに様々な魔術の本があるから勉強にもなるでしょう」
「是非お願いします!」
きらきらとした目で千春は言った。適材適所って感じだな……。私も書庫でいいんじゃないかなって思ったけどダメなんだろうか。でも魔術書にはそこまで興味無いしなぁ……。私も魔力欲しいって言ったら五年とかに増やされそうだからやめよ。もしかしたら書庫に行かせてもらえるかもだし。
「それでは君にもこれを」
千春の手にも手鏡が乗せられた。千春はそれを大事そうに握り締める。
「ありがとうございます……!」
「それでは二人とも次の土曜に来なさい」
「はい!」
「……あれ、魂蝋燭にしたりしないんですか?」
この子のはしないの?と千春を指で示すとサタンは「彼女は逃げそうにないので」と言われた。そうだねむしろ志願してたもんね。それもそうか。
「それでは、待っていますよ」
ぱちん、とサタンが指を鳴らす。するとまた光に包まれて、目を開けたら千春の部屋に戻っていた。
「…………」
「…………」
ぽかん、と二人で顔を見合わせる。
一瞬全てが夢だったんじゃないかと思った。集団ヒステリーとか、そんなの。けれど私と千春の手には手鏡が乗っていて、紛れもなく今までのことが現実だと教えていた。
千春も同じことを思ったのだろう、きらきらと輝く目で言った。
「……すごかったね美夏ちゃん!」
「あ、うん……」
嬉しそうだな。まぁ嬉しいか。サタンなんて憧れの存在だろう。多分。それにしても本当にこの手鏡で行けるのだろうか。……行けなくてもいいか。あっダメ私死ぬ。
「早く土曜にならないかなぁ……」
うっとりと呟く千春。まるで遠足を楽しみにしている子供みたいだ。魔術書、それも魔界のものとなればこちらでは絶対に手に入らないものばかりだろう。ならそんな気分になるのも当然か。魔法使いになりたい千春にとっては願ったり叶ったりに違いない。
……そういえば魔術師名って何だったんだろう。何で急にそんな厨二っぽい設定出てきたんだろう。思い、聞いてみる。
「ねぇ千春」
「うん?」
「あの魔術師名って何?」
「あ、そうだ美夏ちゃん。言ってなかった私も悪いんだけど知らない美夏ちゃんも美夏ちゃんというか」
「だから何」
「悪魔に本名名乗ったらダメだよ」
「……は?」
「名前って、すごく重要なの。日本でも忌名とか真名とかあるでしょ?海外でも悪魔の名前を知ってどうこうする、みたいな話あるし」
「あー。…………え、じゃあ待って私とんでもないことした?」
「うーん……。普通の悪魔ならそうだけど、あのサタン様なら大丈夫な気がする」
「…………」
「だって、名前を知った上で殺さないでいてくれたもん。本当なら名前を知った段階で、美夏ちゃんを操って自分から『殺してください』って言うようにすることも出来たのに」
「さらっと怖いこと言わないで?」
「ごめんね?でも、ああやって普通に契約してくれたから大丈夫じゃないかな、と思うよ」
「うん…………」
千春がそう言うなら大丈夫だろうか。サタンの様子を思い返す。……最初は確かに怖かったけど後半は割といい人だった。あと笑いの沸点低かった。
あれならまぁ、大丈夫かな、と軽く考える。
「だから美夏ちゃん、あっちで私のことはプリムって呼んでね」
「わかった……」
「土曜が楽しみだね」
「そーですね……」
色々と思うところはあるが契約してしまった以上は仕方ない。逃げたら死ぬらしいし。
とにかく、死なないように頑張ろう、と思うのだった。