1.友人に生贄にされました。
後ろ手に縛られた手首が痛い。肩も痛い。助けてくれる人はいない。
どうしてこうなったと蝋燭の炎を見ながら思った。
◆◆◆
事の起こりは少し前。私、後藤美夏は幼稚園から高校まで同じという幼なじみ、鞆田千春の家に遊びに来ていた。
そうして、『ちょっと手後ろに回して?』と言われたので従った。何だろうと思いながら。すると千春は私の手をガムテープでぐるぐる巻きにしてしまったのだ。
何をするのか尋ねても千春は『すぐわかるから』と答えてくれなかった。そうして床に大きな紙を敷いたかと思うと私を転がしてその真ん中に置いた。
その紙には変な文様が描かれていた。多分、魔法陣。千春は魔術とか錬金術とか、そういうのに詳しい。だから多分これも彼女が描いたものなのだろう。
千春はその魔法陣の上に蝋燭を立て始めた。これ、何か儀式始めようとしてない?
「ね、ねぇ、千春……?」
「うん」
「いい加減何しようとしてるのか教えてくれてもよくないかなぁ……?」
「うーん。教えてもいいけど、逃げないでね?」
「逃げられる状態でもないわ……」
「それもそっか。あのね、美夏ちゃんよく『異世界に行きたい』って言ってるでしょ?」
「うん」
確かにそうだ。私はオタクな親の影響もあって、俗に言う“異世界モノ”であるラノベとかマンガが大好きだ。現代日本ではありえないファンタジーな世界。そこで出来れば最強主人公で無双したい。チート能力欲しい。
それが無理でもスローライフとかカフェとかそういう、本当よくあるラノベの主人公みたいな感じで暮らしたいと千春に語っている。けれどそれとこの状況と何の関係があるというのだろうか。
「だからね、魔王サタンにお願いしようかなって」
「……何て?」
あまりに意味のわからない言葉だったので聞き返した。今何て言ったこの子。
「美夏ちゃんが異世界に行きたいように、私は魔力が欲しいの。魔女に、魔法使いになりたい。これは美夏ちゃんも知ってるよね」
「うん……」
私がライトなオタクなら千春は割とガチのオタクだ。魔法使いとか魔女、悪魔関連の本が本棚にみっしり詰まっている。
表面上だけ魔法使いいいよね、という私とは次元が違って、どうやったら魔女になれるかをひたすらに調べ、勉強し、将来的にはイギリスに留学・移住しようとか考えている頭のいい馬鹿だ(ほめてる)。
「それでね、美夏ちゃんを生贄にしてサタンを召還したら美夏ちゃんは異世界に行ける。そして私は魔力が手に入る。win-winでしょ?」
「何で?」
思わずツッコんだ。何がどうwin-win?ていうか幼なじみ生贄にするってどういう料簡?さっきほめたけど前言撤回、ただの馬鹿だと思うこの子。
「魔界も異世界でしょ?生贄になったら連れてってもらえるよきっと」
「違うかなー。多分違うと思うなー。魔界ってあれじゃん?おどろおどろしいじゃん?私そういうんじゃなくて、あの、RPGでいうところの序盤の町くらいに行きたいんだー。青空が綺麗で畑で自給自足する系のさー」
「魔界にもあるかもよ?」
「無いわ!……多分」
「あるかもしれないじゃん」
軽い調子で言いながら千春は電気を消すと、魔法陣の上の蝋燭に火を点けた。すごく、本気です……。
「千春?ちょっと待って?本当話聞いて?」
紙の上でうごうごする私をスルーして千春は「これでいいかな。あんまり動くと魔法円が崩れちゃうから動かないでね」と冷静に言った。そんなこと言われましても。
とはいえどうせ何も起きないだろう。千春自身に魔力なんて無い(と思う。思いたい)し、悪魔の召還なんて現代日本で出来るわけがない。きっと子供だましの本でも見たのだろう。だから大丈夫。
そうやって必死に自分を落ち着かせていると千春は分厚い謎の本を手にした。
「それじゃあ始めるね」
「何その本」
素人目に見ても感じる歴史と禍々しさ。その本が普通ではないと直感で理解した。この子かなり本気だ……!
てかそれいつ買ったの。いつもなら「いい本買ったんだー」なんて見せびらかすのにそれ今初めて見たんだけど待って本当。どの辺まで本気なのそれ。
「詠唱中に邪魔が入ると何が起きるかわかんないから、静かにしててね」
「…………」
そんなこと言われたら黙るしかない。まぁ、どうせ何も無い。幼なじみの誼で付き合ってやろう。私だってよく荒唐無稽な話に付き合ってもらってるしね。
「――――」
千春が何やら唱え始める。それは日本語ではなく、英語でもないように聞こえた。
呪文が進むにつれて、ぱき、と空気が張りつめるのがわかる。部屋の温度が下がった気がする。ひやりとした空気に蝋燭の炎が揺らめいた。
何、これ。見知った幼なじみの部屋が違うものに見える。幼なじみすら別の存在に見える。
何も起きないとたかをくくっていたのにそうではないのだろうか。子供だましの本なんかじゃないのはわかっていたけれど。
不安と恐怖に心臓が破裂しそうだ。しかし千春は私の様子に気付くことなく詠唱を続ける。
長い長い呪文。千春がその最後の言葉を言い終えた瞬間、大きな光に包み込まれた。