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七 幼馴染が嫌な予感を抱いたので僕は、

 


 耳障りな甲高い音に誘われて目を開けた瞬間、なんだか嫌な予感がした。

 まず、いつ自分が目を閉じたのかが思い出せない。

 眼下には中途半端に書き散らかされたルーズリーフが広がっていて、椅子に座ったまま眠っていたせいで身体がみしみしと軋む。

 窓からは麗かな陽光が差し込んでいて、知らず知らずのうちに宵が終わっていることに今更気づく。

 

 ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン。


 ぼんやりと霞んでいた視界が形をくっきりとしだし、やっと自分の意識を浮上させた音の正体にも見当をつけることができる。

 どうやら、自宅のインターホンが鳴らされているらしい。

 こんな朝早くから、いったい誰だろう。


 ん、待てよ。朝早く? そもそも今は何時だ?


 じきにインターホンの音が鳴り止む。

 僕はここにきて、自分が中間考査のために一夜漬けで勉強をしていたことを思い出す。

 となると、つまり今日は試験の当日ということになる。

 つーっと、冷や汗が額に滲む。

 嫌な予感がした。


 ブブブッ、ブブブッ、ブブブッ。


 僕はおそるおそる震えている自分のスマホを手に取る。

 呼び出し画面に映し出される名前は“白鳥さゆり”。

 朝から可愛らしい幼馴染からのモーニングコールだ。

 普段だったら、さゆりからの電話だったらいつでも喜べるところだが、今回だけは違った。

 幼馴染の名前と一緒に画面に見えている、現在の時刻。

 それは完全に、いつもだったらとっくのとうに電車に乗っている時間帯を示していた。


「……うわああ! 寝過ごしたああああ!」


 大好きなさゆりからのコールを無視するのは大変忍びないが、今は電話に出ている場合じゃない。

 僕は椅子から跳ね上がると、適当に机の上にあるもの全てを鞄の中に放り込んで、ろくにインナーも着替えずに制服を着込むと、そのまま急いで家を出た。


「――きゃっ!?」


「うぉっとっ!? え? あれ、さゆり?」


 すると勢いよく空けた玄関扉の先には、予想外にもさゆりの姿があった。

 僕とは違って、紺のブレザーには変な折り目はどこにもなく、蒼白のネクタイは首元まで綺麗に締められている。


「もう! 葉月! やっと出てきた! いったい今まで何してたの!? はやく行かないと、テスト遅刻だよ!?」


「わ、わかってるって! 寝坊したんだよ! でもなんでさゆりがここに!?」


 目に皺を寄せて、珍しく怒っている様子のさゆりは、僕の肩に軽く頭突きすると、背中を叩いて強制的に走るよう促してくる。

 僕は駆けだしながら、ちらちらと横についてくる幼馴染の紅潮した横顔を見つめる。


「駅に着いてからさ、私、なんとなく胸騒ぎがして、葉月にメッセージ送ったの! 今日の試験の自信はどうって! というかスマホちゃんと見ろ!」


「ご、ごめん! ほんとうに起きたの数分前なんだって!」


 息を切らしながら、僕はスマホを今更ながらに確認してみる。

 たしかに、さゆりから幾つかのメッセージと、幾つもの不在着信が残っていた。


「それで全然既読つかないから、私、嫌な予感がして、葉月の家まで戻ってきたの!」


「わざわざなんで!? さゆりまで遅刻することなんてないのに!」


「だって! いつもさ! こ、これまでは試験ある日とか一緒に学校行ってたじゃん!」


「そ、それはそうだけど……」


 唇をきゅっと結んで、さゆりは若干涙ぐんでいる。

 そんなさゆりの様子を見て、僕は胸がかっと熱くなる。

 時間通り駅に着いていたのに、さゆりは僕のことを心配して家まで迎えに来てくれたのだ。

 僕なんて放っておいてさっさと一人、電車に乗ればよかったのに、そうしなかった。

 何度も鳴らされていた家のインターホンは、ずっとさゆりが諦めずに僕を呼んでくれていたということらしい。


「ほら、葉月の家って、共働きでしょ? 弥生ちゃんも朝練で葉月より先に家を出るの知ってたし、葉月が寝坊した時起こしにいくの、昔から私の役目だったから……」


「そういえばそうだったね。最近はあんまり寝坊とかしてなかったから、忘れてたよ」


「まったく、何歳になっても葉月は私離れできないんだから」


 かなりハイペースで走っているせいで、もうさゆりの顔は耳から顎先まで真っ赤に染まっていた。

 僕はそんな必死で走るさゆりの隣りで、本当に彼女が僕の幼馴染でよかったと改めて強く思った。


「さゆり」


「な、なによ」


「ありがとね」


「……うん。ほら、急ご。まだ、ぎりぎり間に合うかもしれないから」


 さゆりの前に進路をとって、彼女の代わりに風を切って僕は走る。

 久し振りの幼馴染と一緒の登校は、やけに息苦しかったけれど、気持ちはどこまでも軽やかだった。




――――――




 結論から言うと、私と葉月は一時限目に間に合うことができなかった。

 高校の最寄り駅に付く頃には、辺りに他の生徒の姿が全然ない状態になっていて、すでに試験が始まる直前になってしまっていた。


 それでも遅刻は五分程度に収まり、なんとか試験を受けさせてもらうことができた。

 試験勉強自体はしっかりとやっていたので、それなりに手応えもある。


 葉月の方はどうなったのかわからないけれど、一夜漬けをしたと言っていたし、ある程度の点数はあっちも取れていることだろう。

 前から、葉月はなんだかんだで要領が良く、本番に強いタイプなのだ。


「うぅっ! やっと終わったー! マジ解放って感じ」


「解放って。明日も試験だけどね」


「げぇー! さゆぴーほんと鬼畜ぅ。うちの解放感返してよぉ」


「返すもなにも、まだ解放されてないから」


 ぐぅーっと身体を伸ばす綾は、げんなりしたように項垂れる。

 ほら、帰るよ、まだ明日があるんだから、と綾の背中をとんとんと叩く。


 ――しかし、その時、私は何か鋭い視線というか、気配を感じる。


 急に動きを止めた私を不審に思ったのか、綾が不思議そうにこちらを窺うのが分かる。


「さゆぴー、どしたの?」


「あ、うん。ごめん。なんか今、視線を感じた気がして」


「うっわ、なにそれモテ自慢? たしかに色んな男子がさゆぴーのことをちらちらと見てるけど。そんなのいつもじゃーん」


「ち、違うって! そういうやつじゃなくて、もっと別な……」


「ふーん? よくわかんなーい。可愛すぎてちょっと疲れてるんじゃないーのっと」


「ちょっと、やめてってっば」


「えへへっ、やめないよーっ」


「こら待て」


 適当なことを言う綾は、私のおでこをツンツンとニ、三度つつくと、けらけら笑いながら走って逃げていく。

 まだ帰り支度を半端にしていた私は、鞄の中に教科書類を整理してしまい込むと、先に教室を出た綾を追って遅れて廊下に向かった。



「どうも初めまして、“白鳥さゆり”、さん」



 ――瞬間、心を氷で出来た手で鷲掴みにされたような感覚が、私を襲う。

 凍ったようにぴたりと止まった私の足。

 惹かれるままに視線を、横にずらす。

 廊下に出た私が隣りを見ると、そこには一人の女子生徒がいた。


 その人は、嘘みたいに綺麗・・・・・・・な人だった。


 形の良い二重の奥から、私を覗き込む透き通った碧眼。

 背中にかかる程度に伸ばされた長い髪は、絹のように滑らかで、吸い寄せられるような深い黒。

 私より頭一つ分は高い身長に見合う冷涼な風貌。

 どこかの王室を思わせる高貴な空気を全身に纏い、その人の周囲だけが不思議と静寂が満ちていた。


「わたしは朽織世利。あなたが白鳥さんで合ってるわよね?」


「……えと。はい。そうです」


「やっぱり。一目でわかったわ」


 朽織世利くちおりせり

 遠目から見かけたことや、名前は耳にしたことはあったけれど、こうやって間近できちんと見て話をするのは初めてだった。

 私の通う高校で一番の美女。

 去年、トウコウ選抜総選挙で当時二年生ながら、一年を通して一位の座を守り続けた絶対的な女王だ。

 

 うわあ。すごい。やっぱり近くでみると迫力がすごい。


 こんな綺麗な人がこの世にいるんだって感じ。


「なるほど。白鳥さんは、ホンツバとかガッキー系の、自然体親しみタイプの子ね。見た感じだと」


「えーと、その、朽織先輩は、私に何の用でしょうか?」


 そんな生きる伝説みたいな最上級生は、艶めかしく自分の唇に指を当てながら、私の全身を舐めるように見回す。

 こんな学校一の有名人が、どうして私に声をかけに来たのだろうか。


「ああ、そうそう。ちょっとあなたに訊きたいことがあって」


「はい。なんですか?」


「今朝、あなた、遅刻してきたわよね?」


「え? うわあ、恥ずかしいところをお見せしました。すいません」


「謝らなくていいのよ。遅刻してきたこと自体はどうでもいいの。ただ、少し、気になって」


 全てを見透かすような鋭い視線が、私に真っ直ぐと向けられる。

 朽織先輩の口角が僅かに上がり、白い八重歯が垣間見える。



「遅刻してきた時、男の子と一緒だったわよね? あれは、もしかして彼氏さん?」


「……へ? いやっ! ち、違います!」



 そして朽織先輩が口にした言葉は、あまりに予想だにしなかったもので、思わず私は固まってしまう。

 

「違うの? ずいぶんと仲睦まじく見えたけれど?」


「葉月は彼氏とかそんなんじゃなくて、ただの幼馴染で……」


「へえ。ただの幼馴染の葉月くん、ね」


 そこまで言うと朽織先輩は口を噤むと、整った自らの顎のラインを指でなぞる。


「……そう、わかったわ。ききたいことはそれだけだったから。それじゃあ、またね、白鳥さん」


「え? あ、はい。お疲れ様です」


 朽織先輩は踵を返すと、そのまま廊下の奥へ消えていった。


 その背中が見えなくなるまで、ずっと動けないままだった私は、本能的に感じる。


 なんだか、嫌な予感がすると。





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