三十三 幼馴染のその態度が問題なので私は、
まだ残暑残る九月の夜。
私は家の近くの川沿いのベンチで、葉月を待っているところだ。
せっかくの打ち上げだったのに、帰り際のあの事件のせいで、いまいち集中できなかった。
雪篠塚琴音。
なぜか私の彼氏に弟子入りすることになった、その三年生のことは名前だけなら聞いたことはある。
直接の面識はなかったけれど、それなりに有名人だ。
なんでもこの付近の大地主の一人娘で、つまりはお金持ちのお嬢さん。
それでもって成績が超がつくほど優秀で、同じ高校に通えているのが不思議なくらいに頭が良いらしい。
どうしてそんな、ある意味殿上人みたいな人が、葉月と関わりを持つことになったのか。
直接一度話をした感じだと、浮気とかそういう感じじゃなかったけど、一旦きちんと話し合う必要があると私は感じていた。
朽織先輩のこともそうだけど、ある程度葉月の方も自衛をしてもらわないと。
「あ、えーと、さゆり、おつかれ」
暗闇をゆらゆらと揺れる川面を眺めていると、あの穏やかな声が聞こえてくる。
振り返れば、そこにはどこか気まずそうに頬をぽりぽりと掻く私の幼馴染で彼氏がいた。
「……遅い」
「え? まだ、待ち合わせ時間の十分前だけど……」
「だけど、なに?」
「あ、はい。すいませんでした」
ほぼ八つ当たりに近い私の言葉に、葉月は素直に謝る。
どうやら、私は自分で自覚している以上に機嫌が悪くなっているようだ。
「あの、これ、つまらないものですが……」
「え?」
すると、葉月はおずおずと何かを私に差し出してくる。
受け取ると、ふわりと香る甘い匂い。
もらった袋の中身を覗き込むと、美味しそうなクレープが入っていた。
「うわっ! これ新作クレープの宇治抹茶味じゃん! これちょうど今度食べにいこうと思ってたんだよね!」
「そうなの? 喜んでもらえたみたいでよかった!」
「すごい嬉しい! ありがと——ってはっ!? うわ! 危ない危ない! まさかこれで全部チャラにしようとしてないよね!?」
バレたか、なんて半分冗談で半分本気のような声色で、葉月は小さく舌を出す。
なんて策士なんだろうか。
さっきまでご機嫌45度だった私の気分が、瞬く間に緩和されてしまっている。
私は自分の幼馴染をこんな悪い男に育て覚えはないぞ。
「まったく、これだから葉月は。油断も隙もないね。クレープはありがたく受け取るけど」
「まあ、今回の件は、なんとなく僕が悪い気がしてるからさ。もっとも、言い訳はいっぱい用意してきたけど」
「ふふっ、なにそれ。言っておくけど、私、今日から葉月の異性関係は厳しくいくことにしたから」
「言うほど厳しくされる異性関係ないけどね」
「でた! それだよ! それ!」
「ひゃっ!? なに急に大声だして!?」
「葉月のその態度が問題なんだよ。僕、女子とか、縁ないですぅ〜、みたいなその態度! 油断だよ油断!」
「す、すいません」
やっぱり、これだ。
もちろん、朽織先輩とか蕪木優ちゃんとか雪篠塚先輩に、葉月の方から近づいたとは全く思っていない。
でも、逆に葉月は絶対に相手を拒否するということをしない。
ガードが弱すぎるんだ。
相手の全てを、すぐに受け入れてしまう。
良い風に言えば優しすぎる。
でも悪く言えば、八方美人。
しかも、狭く深くタイプの八方美人だからタチが悪い。
人によっては深入りさせてしまう、危うさがある。
「葉月は自分の魅力をもっと慎重に取り扱わないとだめだよ」
「僕の魅力って、さゆり以外に伝わるの?」
「う、うるさい! 今日はそうやって私をおだてても、誤魔化されないから!」
「べつにおだてたつもりはないんだけど……」
困惑した表情で、葉月は首を傾げている。
これは重症だ。
想像以上に自覚がない。
なんでこう変なところで、葉月は自分に自信がないんだろう。
他の人の恋バナで、束縛のしすぎで喧嘩になったとか話を聞いてる時は、他人事だと思って聞き流してたけど、今になって気持ちがわかる。
油断したら私も束縛系メンヘラ彼女になってしまうかもしれない。
「これはもしかすると、どちらかというと私の方に修行が必要なのかもしれないわね」
「なに修行って。さゆりまで僕に弟子入りするとか言い出さないでよ?」
弟子入り。
改めてその言葉の意味を考えてみる。
雪篠塚先輩が具体的に、葉月から何を学ぼうとしているのか。
たしかにそれは少し、興味が湧かないこともない。
あれほど賢くて、なんでも知ってる雪篠塚先輩は葉月に何を求めているのか。
「それ、悪くないかも」
「え?」
葉月の意識改革が必要なのは間違いないけれど、実際どうすればいいのか、その手段は今のところ思いつかない。
これはたしかに良い機会かもしれない。
私はこれまで、自分の目から見た佐藤葉月という男の子しか意識してこなかった。
他の女子にとって、葉月はどんな風に見えているのか。
それを今一度、改めて正しく認識する必要があるのかもしれない。
「決めた。私も葉月の弟子になる。雪篠塚先輩が葉月に会いにくる時は、教えて。私も同席する」
「は? ちょ、ちょっと待って? だからその弟子入りってなに? ずっと謎なんだけど。いったい僕は何をすればいいの? もしかしてJKの中で今流行ってる? クラスの冴えない男子に弟子入りしてみた、的なこと?」
「葉月のこともっとよく知れるし、雪篠塚先輩を監視できるし、一石二鳥。いいよね?」
「あれ? ナチュラルに無視されてる?」
私は宇治抹茶味の新作クレープを一口頬張る。
頭の中が幸せで埋め尽くされるような甘みの中に、ほんのわずかに香り高い苦味が混じる。
この甘みは葉月で、この香り高い苦味はきっと、雪篠塚先輩。
私は口元についたホイップクリームを舐めながら、秋はまだまだ遠そうだと溜め息を吐くのだった。