二十七 幼馴染の兄が邪魔はしたくないというので僕は、
キキキキと、ひぐらしが鳴く夕暮れ時。
僕は地元の駅前のベンチで彼女を待っていた。
日々が過ぎるのは早いもので、あっという間に夏休みも終わりだ。
昼間はまだまだ暑いけれど、日が沈み始めると少しはマシになる。
ましと言っても、大粒の汗が小粒に変わるくらいで、涼しいとまでは言えないけれど。
『あと十分くらいでつく』
胸ポケットに入ったスマホが振動して、新着メッセージを見てみれば、それは僕の幼馴染で恋人のさゆりからの連絡だった。
『りょーかい。こちらはスタンバイ完了です。いつでもいけます』
『ありがと。どこにもいかずにあと少しだけ待ってて』
相変わらずの可愛らしい文面に、僕は頬を緩める。
僕とさゆりの関係は穏やかに変わらないままで、あといくら季節が変わっても一緒にいられる気しかしなかった。
もはや僕の人生に彼女がいなくなることは考えられない。
惚気のレパートリーばかりが増えていく毎日だった。
「……あれ、もしかして、葉月か?」
そんな風に、ヒグラシの演奏会をBGMに彼女のことをぼんやりと考えていると、ふいに声をかけられる。
どこか聞き覚えのある声の方に顔を向けてみれば、小麦色に日焼けをした背の高い好青年が立っていた。
旅行帰りなのかキャリーケースを横に置き、背中には山籠りでもできそうな大きなリュックサックを背負っている。
整った相貌に筋肉質な体格。
俗に言うイケメン細マッチョだ。
そして僕はそのイケメン細マッチョの顔を数秒見つめて、やっと思い出す。
「……もしかして、リョウタくん?」
「おー、やっぱ葉月か。こうやって話すのは、けっこう久しぶりだな」
お前は変わらないな、と爽やかに笑う彼の名は白鳥亮太。
さゆりの五個上の兄で、つまりだいぶ調子に乗ったことを言わせてもらえば将来の僕の兄でもある。
「帰省?」
「ああ、大学生の夏休みは長いからな。たまには顔出さないと」
「親孝行息子だね。誇らしいよ」
「誰目線だよ。相変わらず面白いな、葉月は」
顔をくしゃっとさせて、リョウタくんは笑う。
さゆりの兄ということもあって、僕もそれなりに仲良くさせてもらっている。
つまりはさゆりを除いた、数少ない幼馴染の一人というわけだ。
「葉月はこんなところでなにしてんだよ」
「ちょうどリョウタくんの可愛い妹さんを待ってるところだよ」
「さゆりを? 変わらず仲良しだな、お前ら」
「まあね、否定はしないよ」
リョウタくんは僕らより五つ上だから、今年で大学三年生か。
時々帰省はしていて、ちょこちょこ顔を合わせていたつもりだったけれど、こうやってちゃんと話すのはたしかにわりと久しぶりな気がする。
どこか懐かしい気持ちになって、僕は自然と顔が綻ぶのがわかった。
「そっちはどう? 大学生活エンジョイしまくり?」
「……まあ、ぼちぼちだよ。人並みに楽しんでる」
「大学生活は人生の夏休みっていうもんね」
「人によっては、そうかもな。大学は自由だから。何をしてもいいし、何もしなくてもいい」
「ああ、そっか。リョウタくんは部活で忙しいのか。さゆりも夏休みだっていうのに部活ばっかりしてたし」
「……そういやあいつも運動始めたんだっけか。小さい頃は内向的というか、文化系だったのに変わることもあるってわけか」
「けっこう上手いらしいよ、テニス」
「俺の妹だからな。ポテンシャルはあるさ」
「さすがシスコン」
「うるせぇ」
「でもわかる。僕が兄でもシスコンになる」
「もっとうるせぇ」
高校の頃からスポーツ推薦で他県で寮暮らしをしているだけあって、リョウタくんの運動神経は僕やさゆりとはまた別次元だ。
僕からすれば、軽い憧れというか、ヒーローみたいな存在でもあった。
「それで、葉月の方はどうなんだよ」
「なにが?」
「変わったこと、あるのか?」
そして少しにやにやしながら、リョウタくんは僕の横に座る。
おっと、この感じ、覚えがあるぞ。
妹の弥生も少し前、こんな顔をしていた。
まさかさゆり、まだ教えてないのかな?
「俺の妹は、高校でずいぶんと人気者みたいじゃんか。なんかSNSで微妙にバズったらしいし」
「よくご存知で。なんか軽くアイドルみたいになってるよ。元々僕にとってはアイドルだったけど、ついに世間にバレ始めたよ」
「はははっ。らしいな。ついにバレちまったみたいだな。どうすんだよ、葉月。うかうかしてると、もう手の届かないところにいっちまうぞ?」
「大丈夫。掴んで離さないよ」
「お、言うねぇ? それ、本人に伝えなくていいのか?」
「伝えたよ。なんなら、毎日伝えてる」
「……え?」
すると、そこでリョウタくんの表情が固まる。
瞳孔が一度大きく開き、さっきまでの笑みが引っ込む。
この反応、やっぱりか。
どうやら僕の幼馴染の兄は、僕とさゆりの関係性に変化が起きていることを知らなかったらしい。
「僕とさゆり、付き合ってるよ。さゆりから聞いてないの?」
「……そう、なのか。いや、今初めて知った」
べつに隠すようなことでもないので、僕は素直に伝える。
元々、僕のさゆりへの好意はリョウタくんにもバレバレだったし、今更という感じだろう。
でも、なんか、反応が思ったより鈍いな。
リョウタくんは僕から視線を外すと、数秒黙り込んだ後、静かに立ち上がった。
「……よかったじゃんか。まあ、高校生だしな。恋の一つや二つするよな。まあ、楽しめよ。楽しめるうちに」
「あんま、驚かないんだね。僕の妹なんか、すごい騒ぎようだったのに」
「ああ、弥生ちゃんだっけか? あの子まだ中学生だろ? 俺はもう大学生で、二十歳超えてるからな。一緒にすんなよ」
「さすが。これが大人の余裕ってやつか」
「……ま、そんなところ。じゃあ、俺は行くわ」
「え? もうすぐさゆり来るよ?」
「二人の邪魔はしたくないからな。二人でいられる時間は貴重だし」
「べつに僕たちいつも一緒だから、たまにはお義兄さんもどうです?」
「おい、やめろやめろ。変な呼び方するなって」
リョウタくんは苦笑しながらも、わりと本気で嫌がっているような気もして、僕はそれ以上なにも言えない。
そして、どことなく気まずい沈黙が数秒流れた後、リョウタくんは白鳥家がある方へ向かっていく。
なんだか、想像とは少し違う反応だったな。
僕は遠のいていく幼馴染の兄の背中を見つめながら、ヒグラシが秋の訪れを知らせる声に一人耳を澄ますのだった。