二十三 幼馴染同士でも簡単にすれ違ってしまうので僕は、
「ほら、ゆちょぱ! たこ焼きあ~ん!」
「い、いや、いいですよ、そんなことしなくて。恥ずかしいんでむしろやめてください……」
「きゃわわ! ゆちょぱ照れんなって! ういうい!」
「なんですかそのノリ。しんどいですよ」
「優ちゃんって、けっこう可愛いよね。優ちゃんも同じクラスだったらよかったのに」
「あの、白鳥さん、そんな微笑ましいものをみるような顔してないで、榎本さんのこと止めてくれませんか……?」
顔を紅潮させる蕪木さんは、執拗に榎本さんに絡まれていて、それを横でさゆりがにこやかに見守っている。
なんだかんだ打ち解けられたようで、何よりだ。
「……優、楽しそうだな」
「うん? そうだね。美少女同士のいちゃこらはどうしてこんなに僕らの心を和ませるのだろう」
「同感だ、佐藤。あれ、動画にしたら怒られるかな。心が弱った時に見直したい」
「気持ちはわかるけど、やめておいた方がいい。たぶん、沈められるよ」
「沈められるの、スマホが、だよな!?」
「ははっ、葉月と蓮は本当に面白いな。俺もお前らと同じクラスだったらよかったわ」
一瞬、風間くんが切ない表情を見せた気がしたが、今は僕らの馬鹿な会話で笑っている。
気のせい、かな。
さゆり達とじゃれ合う蕪木さんは、言葉とは裏腹に本当に楽しそうだった。
「うっわ、というか人混みヤバすぎ。座る場所なくない?」
そして河川敷の方までやってきたはいいが、そこはすでに眩暈がしてくるほどの人で埋め尽くされていて、ゆっくり腰を落ち着けられそうな場所は見つからなかった。
ここに来るまでの途中で屋台で買ったタコ焼きをつつきながら、僕はどうしようかと考える。
「どうすんだよ? どこか隠れスポットとか知ってる奴いないのか?」
「ごめん。私はあんまり詳しくないや。葉月はあてとかある?」
「僕もとくにいい場所は思いつかないかな」
あまりの人の多さに立ち止まることもできず、人波にひたすらに流されている。
何度か僕は前を歩いている人の踵を踏んでしまったり、逆に僕の踵も何回も踏まれた。
「うちもう歩き疲れたんだけどぉ。休みたーい」
「……ほんとうに人多いですね。イライラしてきました」
「浴衣ってやっぱり歩きにくいなぁ……」
特に女性陣に疲れが溜まり始めているようで、さゆりも足下を気にし始めていた。
だいぶ長いこと花火大会になんて来なかったので、油断していた。
完全に都内の花火大会を舐めていた。
一旦河川敷を離れて、作戦を練り直した方がいいかもしれない。
「女子たちがけっこうしんどうそうだし、一回俺ら男子チームで場所探ししようか。その間女子三人は休んでるといいよ」
すると前の方を歩いていた風間くんが後ろを振りかえり、男子勢だけで場所を確保することを提案する。
わりとスマートな案だと思った。
こういう提案をすっとできるような男前に僕もなりたい。
「え? マジ? さっすがじゅんじゅん。心もイケメン」
「それは悪いよ。私たちも一緒に探すって」
「いや、僕も風間くんの案に賛成だな。大丈夫だよ、さゆり。それに男三人の方が動きやすくて効率良いし」
「俺もいけるぜ。それに榎本みたいな奴がピーピー近くで騒いでると余計に疲れるしな」
「あ、井浦はそのままどこかに消えてオケだから、よろ」
僕も井浦も風間くんの案に異論はなく、とりあえずの方向性は決まった。
さゆりだけが申し訳なさそうな顔で僕を見ていたので、気を遣いすぎだよと軽く肩を叩いておいた。
「……でも、潤たちが場所を見つけたとして、どうやって合流すればいい?」
「それはどうにでもなるっしょ。スマホに位置情報送れるし、それでもわからなそうだったら俺が迎え行くよ」
「ごめんね。ありがと、三人とも」
「気にしなくいいっすよ、白鳥さん。汗かいて動き回るのは美少女の仕事じゃないっすから」
河川敷から離れて、人通りの少ない小道のようなところ奥に進んでいくと、寂れた小さな神社につく。
建物の影になっていて、花火が上がる方向が全く見えないおかげか、そこでやっと喧騒から抜け出せた。
「じゃあ、俺らは行ってくるから」
「でも、なんかここちょっと薄気味悪くない? うちら女子だけだし、若干不安かも」
早速いい花火スポットを探しに行こうと思ったら、意外に乙女らしい感覚を持っているのか榎本さんが、女子だけでじっとしていることを不安がり出した。
たしかにここは河川敷周辺と違って、人の目につかない。
風間くんも思案気に形の良い眉をひそませていた。
「たしかに女子だけ残すのも、問題あるかもな。どうしようか」
「じゃあ、井浦は残りなよ。僕と風間くんで場所探ししてくるから」
「え? まじか? 俺はべつにいいけど」
「は? なんでこいつなの? むしろ不安増すんだけど」
「おい! なんでだよ!」
「わがまま言うなよ、綾。大丈夫だって、蓮はけっこう頼りになるぜ。たぶん」
「井浦はこう見えて水泳部だからね。実は隠れ細マッチョなんだよ。そんな気がする」
「おい! 二人とも! 擁護が息切れしてるぞ!」
男三人で探そうが、男二人で探そうが大して変わりはないということで、井浦を女子三人のボディーガード役として残すことにした。
若干頼りない気はするけれど、いないよりはましだろう。
それに風間くんに比べたら安心感がないけれど、僕よりは断然期待できる。
そして僕と井浦だけでスポット探しは、それでそれで能力的に怪しいので、これがベストな配置だと思った。
「決まりだな。行こう、葉月」
「うん、いこっか」
「二人とも、見つからなそうだったら言ってね! 全然大丈夫だから!」
少し寂しそうな顔をするさゆりに手を振って、僕は風間くんと共に花火をよく見れそうな場所を探しに向かうのだった。
再び大通りの方に戻りながら、僕は風間くんと隣り合ってスポット探しを再開させる。
夜が近づいてきたおかげか、少しは温度が下がったかもしれない。
夏の風が街路樹を揺らす中、路上でひっくり返っている蝉を避けて歩く。
「もういっこ奥の方の橋近くなら空いてるかもしれないな。帰り道は違う駅を使うことになるかもだけどさ」
「そうだね。わりとすでに流れで結構距離歩いちゃってるし、こっちの方でもありかもね」
劇的にというほどではないけれど、じわじと人の数が少なくなってきている。
同時に屋台の数も減っているのだけれど、その辺りはもう気にしなくていいだろう。
「……今日、優のこと呼んだの、葉月だろ? 仲良いのか?」
「え?」
唐突に、風間くんは僕の瞳を真っ直ぐに覗き込んでくる。
運動部らしく小麦色に焼けた肌も相まって、精悍な印象抱かせる顔。
力強い視線は、僕を離さない。
「仲良いってほどじゃないんだけどね。ちょっと縁があって」
「縁があるくらいの仲で、よく花火誘えたな。顔に似合わず、そういうの得意なのか?」
「得意ってなに。顔に似合う、ちゃんとヘタレ野郎だよ僕は」
「嘘つけ。そんなヘタレ野郎が白鳥さんと付き合えるわけないだろ」
「まあ、えと、そうだね。ありがと。褒め言葉として受け取っておくよ」
「心配しなくても、褒めてるよ」
嫌味のないからからとした笑い声を上げながら、風間くんは自分の肩で僕の肩に軽くタックルしてくる。
根明の人間特有のボディコミュニケーションだ。
少し触れただけで、明らかな筋肉量の差を感じて、僕は若干へこんだ。
「話しを戻すけどさ、優の方からか? 優の方から頼んできたのか?」
「いや、違うよ。僕が誘ったんだ」
「そっか」
風間くんはそこで言葉を切ると、一旦僕から視線を外す。
彼は今、なにを考えているのだろう。
幼馴染と恋人を、同時に失ったのは蕪木さんだけじゃない。
僕に似ているようで全く似ていない立場の風間くんは、今度は僕に視線を向けないまままた喋り出す。
「どこまで聞いたんだ? 俺と優のこと」
「……幼馴染で、もう別れたってことまで」
「理由は?」
「聞いてないよ」
「そっか。まあ、あいつ、そういうの言わなそうだしな」
蕪木さんは、風間くんと昔と同じようにまた仲の良い幼馴染に戻りたいと言っていた。
そしておそらく、これは僕の勝手な予想にしか過ぎないし、蕪木さん本人は明言していないけれど、可能ならそれ以上の関係に戻りたいと思っている気がする。
でも、風間くんはどうなのだろう。
蕪木さんのことを、どう思っているのかな。
変わらぬ思いを抱いているのは、片方だけなのだろうか。
「俺と優が付き合い出したのはさ、中学卒業の時からなんだ」
「もしかして卒業式で?」
「卒業式の帰りで」
「わお。ベタだね。風間くんから?」
「いや、あいつから」
「ほんとの? 意外だな。蕪木さん、そういうの素直に言えるんだ」
「俺も驚いたよ。まあ、けっこう遠回しな告白の仕方だったけど。優らしい告白の仕方だった。だけど今はちょっと後悔してるよ。俺の方から告白するべきだったなって」
どうやら風間くんに告白したのは蕪木さんの方だったらしい。
あまりそういった類のことは苦手そうなイメージだったけれど、やる時はやる女ということみたいだ。
それに自分から告白したかったという台詞から考えるに、風間くんと蕪木さんも両想いだったというわけだ。
それなら、なおさら。
今の二人は、本当はどっちも。
僕は余計な邪推を、どうしてもしてしまう。
「葉月の方はどうなんだよ? そっちも幼馴染同士なんだろ?」
「こっちは僕から告白したよ」
「……まあ、だよな。そんな感じするわ」
「そう?」
風間くんはやっぱりな、と言いながらくすりと笑う。
その横顔はどこか寂しそうで、醒めた目をしていた。
「正直言って、今でも思い出すよ。……楽しかった。あんまり長くは続かなかったけど、優と恋人として過ごした日々は、本当に楽しかった」
僕には見えない過去の影を見返しているのか、風間くんの歩く速度が少し落ちる。
「俺は高校でサッカー部に入って、優もサッカー部にマネージャーとして入部した。それも中学と一緒だった。でも、二つ違うことがあった。それは俺と優が恋人同士だってこと。そしてもう一つが、高校のサッカー部は暗黙の了解で、マネージャーと部員同士が付き合っちゃいけないっていうルールがあったんだ」
そして唐突に、風間くんは蕪木さんとの破局の理由を教えてくれる。
暗黙の了解。
戻りたくても、戻れない。
蕪木さんが今もなお、遠くからサッカー部の練習風景を眺めている理由が、分かった気がした。
「俺らは知らなかったんだ。その暗黙の了解をさ。それでなんとなく俺と優は部内で浮いた存在になった。俺はわりと大丈夫だったけど、優はほら、ちょっと気難しいところあるだろ?」
「まあ、たしかに」
「俺みたいに曖昧に誤魔化して、上手くやり過ごせなくてさ、部活の女子マネージャーの先輩と喧嘩になって、俺がやめるか優がやめるかみたいなことを言われたらしい」
「そんな。ひどい」
「俺も後から聞いた時、ありえないなって思った。さすがに抗議しようと思った。でも、遅かったんだ」
「遅かった? どういうこと?」
「俺がその話を聞いた時には、もうすでに優は部活をやめてたんだ」
その時、初めて風間くんは苛立ちを口調に滲ませた。
最初は、理不尽な要求をしてきて、蕪木さんを退部に追い込んだ部内の人々に対する苛立ちから思ったけれど、僕は遅れて気づく。
違う。風間くんが怒っている相手は、部内の人じゃない。
もっと近くの、彼が一番信じていた相手だ。
「初めて喧嘩したよ、優と。俺は相談して欲しかったんだ。一緒に戦いたかった。でも、あいつは全部一人で勝手に決めちまった。俺らはもうただ幼馴染じゃなくて、恋人同士だったのに」
――別れよう、って言ってきたのは、優の方なんだぜ。
風間くんは、退屈そうに笑う。
幼馴染同士なら、恋人同士なら、もっと分かり合えると思っていた。
だけど、違う。
風間くんと蕪木さんの心は、決定的にすれ違ってしまっている。
こんなに簡単に、人と人は、すれ違ってしまう。
僕はそれが、たまらなく怖かった。
「たぶん、俺と優が恋人同士に戻ることは、もうないと思う。仲の良い幼馴染同士には、時間をかければ戻れるかもしれないけど、恋人には、戻れない。きっと俺たちは、仲の良い幼馴染っていう距離感に慣れ過ぎたんだ」
僕が間違っていて、蕪木さんが正しかったのだろうか。
憂うような眼差しを僕へ向ける風間くんは、それこそ顔に似合わない、羨望の視線を僕に向けていた。
「俺は葉月が羨ましいよ。さっき葉月は自分から告った聞いた時、俺、負けた気がした。きっと優が俺に相談してくれなかったのは、俺のせいだ。いつも走るのは優の方だった。俺は、追いつけなかったんだ。そして俺にとっては、走るより、歩く方が楽だった」
夏より熱を帯びた想いを乗せて、風間くんは言葉を紡ぐ。
それがエールなのか、憂いなのか、僕は判断ができない。
「だから正直、心配なのは葉月じゃなくて、白鳥さんの方だよ。……葉月、もしこの先、白鳥さんがお前に追いつけなくなっても、見捨てないでくれよ。お前はお前が思っている以上に強い。でもたぶん、白鳥さんはお前が思っているほど強くはない」
僕がさゆりを見捨てることなんて、絶対にない。
そう僕は言い切ることができる。
だけど、さゆりはどうだろう。
僕がさゆりのことを絶対に見捨てないと、信じてくれているだろうか。
花火が上がる前に、僕は考える。
風間くんと蕪木さん。
そして僕とさゆり。
風間くんと蕪木さんも、互いに両想いで、きっと僕らのように信じ合っていた。
それなのに風間くんは、走るより歩く方が楽だと、恋人同士でいるより仲の良い幼馴染の関係の方が楽だと言う。
いったい僕らと、何が違うんだろう。
さゆりは一緒に走ってくれると、追いかけてくれると言ってくれた。
二人でなら、どこまででも行けると思った。
でも本当に僕は、このまま走り続けていいのだろうか。
僕にはまだその問いの答えが、出せないでいた。