二十一 幼馴染も彼氏を友達に紹介したがっているので僕は、
「もう駄目だ。俺はもう駄目だ。今日で終わりだ。終わっちまったんだよ」
「ううん。終わりじゃないよ。また明日もあるよ。僕は自主参加だけど、井浦は強制参加だからね。明日も補講だよ」
「うわあああ! もういやだああ! 俺の夏休みはいつになったら来るんだああああ!」
井浦が頭をがしがしと掻きむしりながら絶叫する。
この光景もそれなりに見慣れたものなので、僕はただそれを溜め息混じりに見守るだけだ。
僕の高校では夏季休暇中に、特別講習というものが開かれている。
成績に問題がある生徒は呼び出しを受けて、この特別講習を受けなくてはならない。
そして、我がトウコウを代表する成績不良者である井浦は当然のように呼び出されてしまったらしい。
僕はというと、井浦に寂しいから一緒に講習を受けてくれてと頼まれて、仕方なくこうやって週に一度くらい顔を出しているのだった。
もっとも、僕は帰宅部で特にやることもないので、井浦とくだらないお喋りをしながら、勉強をするのはそれなりに有意義な時間だったのだけれど。
「中休憩だし、なんか飲み物でも買ってこようか? 井浦は朝からだし、疲れてるでしょ」
「え? 佐藤、お前まさか神か? それとも幼馴染か?」
「その並列なんだよ。どっちでもないから」
普段使っていない頭を使い過ぎたせいで、燃え尽きたように机に突っ伏す井浦に、僕は情けをかける。
そこまで地頭が悪いわけではないので、講習に出される課題を井浦はどれもほぼ完璧に回答している。
そういうわけで僕が勉強で手伝えることは特にない。
飲み物を奢ってあげるくらいしか、井浦の助けになることはできないというだけだ。
「ああ~佐藤ありがと~。愛してる~。俺、お前のなら幼馴染になってもいい~」
「わあっ! く、くっつくなよ! 二度と僕に愛を囁かないでくれ!」
僕の腕にしがみつくようにして、またいつものように意味のわからないことを井浦は言っている。
それを必死で振り払うと、僕は講習用の教室を出て、一階にある自動販売機に向かう。
人生の中で三度しかない高校の夏を皆満喫しているのか、学校は人気が少なくとても静かだった。
そんなどこか寂しさを感じさせる校内を歩いていれば、やがてお目当ての自動販売機の前につく。
僕は財布を出すついでに、なんとなくスマホも一緒に撮り出す。
すると新着のメッセージが来ていることに気づく。
それは僕の幼馴染で恋人のさゆりからのもので、僕は画面に視線を落とす。
『友達の綾に花火大会誘われたんだけど、一緒にいかない? なんか葉月のこと紹介して欲しいんだって』
なんだこれ。
さゆりと花火大会に行くのは満更でもないというか、むしろ是非行きたいですって感じだけど、どうやらこのデートプランには主催者が別にいるみたいだ。
彼氏を友達に紹介するというイベント。
風の噂にはなんとなく聞いたことがあったけれど、ついに僕にもやってきたか。
不安だ。すごい不安だ。
さゆりは昔とは違い、学校中が認めるトップカーストなので、いつの日かこのような試練がやってくることは覚悟していたけれど、とうとうか。
僕は緊張に若干気分が悪くなりながらも、了承の返事を打とうとする。
「どうも、こんにちは。またあたしのストーカーですか? 白鳥さんに言いつけますよ」
その時、聞き覚えのある気だるげな声が聴こえて、僕はスマホの画面から顔を上げる。
振り返ってみれば、そこには僕と同じように財布を持って立つ蕪木さんの姿があった。
「……こんにちは。むしろこの状況、どちらかといえば、蕪木さんが僕のストーカーなんじゃない?」
「自惚れないでください。ちょっと学年一の美少女と付き合ってるからって調子乗り過ぎですよ」
「挨拶もそこそこに、中々の言葉のハードパンチャーしてくるね君は」
「どうしてあたしみたいな美少女が、佐藤君みたいなぼんくらをストーカーするんですか。ふざけないでください」
「死体蹴りやめて。もう僕は息してないよ」
「すいません。言い過ぎましたね。ちょっと嫉妬が入ってしまって。リア充は滅べ」
「言い過ぎを反省してからの追い打ちまでの切り替え速度すごいね」
そこまで僕を言葉でいたぶると、蕪木さんはくすっと笑った。
その笑顔は本人の言う美少女という台詞に違わず可愛らしいものだったけれど、そこにいたるまでの過程がいかんせんハードコア過ぎる。
「それで、佐藤君はせっかくの夏休みに学校でなにしてるんですか? 彼女とイチャイチャせずにこんなところであぶらうって」
「さゆりは今日友達とショッピングだからね。真面目な模範的生徒である僕は、講習に自主的に参加しにきたんだよ。そういう蕪木さんは? 部活に復帰でもしたの?」
「嫌味ですか? 中々鋭い反撃ですね。今のは効きましたよ。あたしも講習です」
「授業はサボるのに、講習には出るの?」
「授業をサボるから、講習に出るんですよ」
「あ、なるほど。僕とは違って、蕪木さんも強制組か」
「佐藤君は不思議と殴りたくなる人ですね」
井浦みたいに試験で下手をこくようなタイプでもないし、自主的に特別講習に出るような勤勉な性格でもなさそうなのにと思ったら、そういうことか。
試験の点数だけでなく、どうやら授業のサボタージュし過ぎでも、特別講習に呼び出し受けるシステムになっているらしい。
「この前、さゆりと喫茶店に行ったんだけど、その時に聞いたんだけど」
「なんですか? 惚気なら要らないです。ほんとに殴りますよ。右足首を重点的に」
「の、惚気じゃないって! 右足首を殴るのってそっちも体勢キツイでしょ! やめてよ!」
なぜかファイティングポーズを取る蕪木さんを、僕を慌てて宥める。
このエネルギーを友達作りの方に活かせばいいのに。
「この前言ってた、幼馴染と恋人を失ったっていう話。あれ、風間くんって人のことなの?」
「……そういえば潤と白鳥さんは同じ一年五組でしたね。それに仲良さそうに喋っているところも見たことがあります。知っていても不思議はないですね」
「風間くんとなんで別れたのかとかはさ、さすがに言いにくいと思うから訊かないけど、一つ教えて欲しいんだ」
「……なんですか」
風間くんの名前を出すと、目に見えて蕪木さんは雰囲気を変える。
でも彼女が纏う空気は、苛立ちとか怒りとかではなくて、どちらかというと哀しくて、寂しそうな気配だった。
「蕪木さんは、風間くんのことが、嫌いになったの?」
「それは……」
僕が訊きたかったのは、蕪木さんの気持ちだった。
幼馴染で恋人。
それはまさに僕とさゆりの関係性と全く同じもの。
僕からすれば、不変で、一生変わらないと思えるこの気持ち。
きっと蕪木さんと風間くんも同じだったはずだ。
それなのに、どうして彼女たちは道を違えてしまったのか。
信じるだけでは足りないのか。
僕はそれが知りたかった。
「……嫌いになったり、しませんよ。潤は、あたしの幼馴染で、好きだった人です。もう仲の良い幼馴染でも、恋人でもなくても、それは変わりません」
蕪木さんは、少しだけ頬を朱に染めながらも、はっきりと言い切る。
僕はそれに、心から安心した。
よかった。僕が変わらないと信じているものは、やっぱり信じていいものだった。
きっと様々な理由があるのだろう。
好きというだけじゃ、足りないこともある。
でも、好きという気持ちだけは、信じていい。
「もし仲直りできるなら、したい?」
「ずけずけとうるさい人ですね。そりゃしたいですよ。恋人とは言わなくても、せめて仲の良い幼馴染に戻れたらって。だけど、そんなに簡単じゃないんですよ。一度壊れてしまったものを元通りにするのは、簡単じゃないです」
蕪木さんは目を伏せて、彼女にしては小さな声量で囁くように言う。
そんな蕪木さんを見て、僕はいいことを思いつく。
自動販売機で、セブンアップを二つとココアを一つ買う。
飲み物を一つ奢るのも二つ奢るのも変わらないように、花火を観る客が一人増えても二人増えても変わらないだろう。
僕は返信途中のメッセージに、新たな文言を加える。
「よし。蕪木さん、右足首の恩を返してあげるよ」