十七 幼馴染が寄り道したがるので僕は、
本格的に夏休みの始まりが迫ってきた蒸し暑い放課後。
今日は部活が休みだったさゆりと一緒に、僕は帰路につくところだった。
「ねね、葉月、今日ちょっと寄り道していい?」
「寄り道? べつにいいけど、どこに?」
「なんか最近、新しいクレープ屋さんがここら辺にできたらしいの。そこに行ってみたい」
「へえ、クレープか。久しく食べてない気がする」
「たまにはいいでしょ?」
「悪くないね。口の中がもう甘くなってきたよ」
「それはフライングしすぎ」
少し髪が伸びてきたさゆりは、前髪を耳にかけるように手で梳くと、楽しそうに笑った。
クレープ屋さんなんて、僕一人だったらまず寄らない場所だ。
そもそも、この辺りに新しいクレープ屋ができたことに気づくことすらないだろう。
そういう意味では、僕はさゆりのおかげで、ありきたりな日常に新発見をさせて貰っているのだ。
「どこら辺にあるの?」
「そんなに遠くじゃないはず。たしか駅近くの商店街」
まだ日の明るい駅前は、それなりに人気が多く賑わっていた。
ちょっと距離をあければ、人の波に流されて、さゆりとはぐれてしまいそうだ。
手、繋ごうかな。
僕はさゆりの柔らかそうな手を見つめながら、自分の手をわきわきとさせる。
べつに手を繋ぐのだって初めてじゃないし、僕はもうただの幼馴染じゃなくて、恋人なんだ。
手の一つや二つ繋いだって、何も恥ずかしがることはない。
それにも関わらず、変に意識してしまって、僕はさゆりの手を繋げないでいた。
「なに? 葉月どうしたの?」
「へっ!? な、なにが!?」
「なにがって、あからさまに挙動不審だけど……葉月ってクレープ苦手だっけ? むしろ甘い物好きじゃなかった?」
「甘い物は全然好きだよ」
「だよね。なんか葉月って、つぶあんとマーガリンの甘いコッペパンいつも食べてるイメージあるし」
手を繋ぐタイミングを探して、きょどっていた僕を、さゆりは胡散臭そうに睨みつけてくる。
夏の暑さとは関係なしに、変な汗が出てきた。
「なに? じゃあ、またなんかいやらしいこと考えてたの?」
「考えてないよ! というかまたってなに!?」
さすが幼馴染。
微妙に鋭いさゆりの指摘に、僕は思わず声を半音裏返す。
もっとも、手を繋ぐくらいでは、いやらしいとまでは言わないはずだけど。
「ほんと?」
「ほんとだって」
「ふーん。ま、いいけどね。考えてても」
「え?」
「ほらほら、不審者に間違われないうちに、クレープ食べよ」
「あ」
すると、僕の気持ちを察してか、それとも天然なのか、さゆりは僕を急かすようにして手を引っ張る。
汗で少ししっとりとしている、女の子らしい華奢な手のひら。
色々な意味で救われた僕は、ぎゅっとさゆりの手を握り返す。
「……ちょっと、強すぎ」
「ご、ごめん」
焦りから僕が手に入れる力の配分を間違えると、さゆりは目を細めて笑う。
僕は力を緩めて、そっと握る。
「このくらい?」
「それはちょっと弱すぎ」
「難しいな」
「うふふ。そうだよ。だってもう、恋人だからね」
ふいに顔を近づけてくるさゆりは、悪戯気に笑う。
眼前に迫る、明るい茶色の瞳と艶やかな唇。
さゆりの口にする、だっての意味がわからない僕は、ただ閉口するだけ。
普段はイーブンだけど、時々僕はさゆりに全く敵わなくなる時があるのだった。
「……ほら葉月、きっとあれだよ。噂のクレープ屋さん」
「あ、本当だ。結構繁盛してるね」
そうやって、さゆりに連れられるようにして街中を歩くこと数分、すぐに目当てのクレープ屋さんは見つかった。
移動販売のような感じで、他校の学生にも人気があるようでうちとは違う制服を着た子が何人か並んでいた。
僕とさゆりはその最後尾に並んで、そこでやっと互いの手を離す。
「葉月はどれ食べるの?」
「うーん、キャラメルバナナチョコかな」
「えー、それ一番人気のやつじゃん。葉月、チャレンジ精神が足りないんじゃない?」
「そう言われると、なんか反発したくなるね。いいよ。じゃあ、豆乳ココナッツにする」
「豆乳ココナッツ? ふふっ、なにそれ。どこにあるのそれ」
「メニューの一番下にあるでしょ」
「葉月ってほんとに極端だよね。めっちゃ守りに入ってた思ったら、急に攻めるじゃん」
「やるときはやる男ってことさ。それでさゆりはどれにするの?」
「ロイヤルミルクティーってやつ」
「それ二番人気じゃんか。よくそれで僕のこと煽れたね?」
「いいの、私は女の子だから。もし豆乳ココナッツがあれで、私のもあれだったら逃げ場なくなるじゃん。葉月の逃げ道をつくってあげてるんだよ」
「あれっていうな。豆乳ココナッツ絶対美味しいから大丈夫だよ」
回転率がいいので、わりかしすぐに僕たちの順番が回ってくる。
事前に決めていた通りに、僕らは豆乳ココナッツ味とロイヤルミルクティー味のクレープを一つずつ注文する。
甘い香りの中で、二人並んでクレープを待っていると、そのうちお店の若いお兄さんがクレープを渡してくれた。
「お、きたね。見た目は美味しそうだ」
「わぁ! いい匂いする!」
店員のお兄さんにお礼を言うと、さっそくと言わんばかりに、僕とさゆりはそれぞれのクレープにかぶりつく。
たっぷりと使われた白いクリームは、まず豆の風味が最初にした。
薄くてもちもちとした生地の甘味を楽しんでいると、やがてクリームの奥にココナッツの味があることがわかってくる。
よくわからないけど、美味しい。
イメージとは裏腹に主張の激しい豆乳と、名前からしてでしゃばりそうで意外に控えめなココナッツの相性はそこまで悪くない。
「うぅ~ん! 美味しい! 葉月、これ、めっちゃ美味しいよ!」
「僕の方も、なかなかいけるよ」
「そうなの? よかったじゃん」
「大満足だね」
さゆりの方のクレープも、満足のいく味だったらしく、さゆりは嬉しそうに身体をふるふるとさせていた。
すると、僕はそんなさゆりの唇に白いクリームがついていることに気づく。
咄嗟に僕は、さゆりに唇に手を伸ばしてしまう。
「クリーム、ついてるよ」
「え? あ、うん」
指先でクリームを拭ったのはいいが、その後のことを考えていなかった僕は、所在なさげに手を宙ぶらりんさせる。
ティッシュか何か持ってたっけ。
僕はクリームのついた自分の手をぼんやり見つめる。
「……もしかして舐めるつもりじゃないわよね?」
「え? ああ、その発想はなかった。舐めていいなら舐めるよ」
「舐めていいわけ! もう! というかそれくらい自分で拭けたし!」
顔を真っ赤にして、さゆりはハンカチを取り出し、それで僕の指先を拭く。
指先を拭かれながら、そして僕はいやらしいことを考えてしまっていた。
さゆりの唇、柔らかかったな。
今さゆりに僕の頭の中を覗かれたら、間違いなく怒られるだろうなと思うのだった。