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十六 妹が幼馴染と変わらないというので僕は、



 まるでやることのない日曜日の昼。

 冷房の風を浴びながら、僕はベッドの上で毛布にくるまっていた。

 

 少し、寒いかな。

 

 僕は冷房のリモコンを手に取り、温度をやや上げる。

 それから、無意味に天井の染みを数えて過ごす。

 

 いや、これだと暑いか。

 

 仰向けのまま、手探りの感触だけでリモコンを取ると、僕は再び冷房の温度を下げる。

 昔から僕は温度の調整がすこぶる苦手だった。



「いま、入って大丈夫?」



 こんこん、とその時、扉を控えめにノックする音が聞こえてくる。

 女子にしてはやや低めの声は、僕がこの家で普段からよく耳にするものだ。


「うん。大丈夫だよ」


「おじゃましまーす……うわっ、お兄ちゃん、この部屋寒すぎなんだけど」


「あ、やっぱり? 僕もちょっと寒いかなって思ってた」


 ジャージ姿で頭をお団子にした妹の弥生やよいだった。

 この部屋に唯一ある椅子に座ると、弥生は態度大きく足を組んだ。


「それで、何の用?」


「特に用はなーい。暇だったから遊びに来ただけ。今、パソコンがアップデート中なんだけどさ、全然アップデート終わらなくて」


「あー、たまにあるよね、全然終わらないアップデート。あれ、なんなんだろうね。そんなに容量の大きくないソフトの更新とかでもなるよね」


「ほんとそれな。まじぴえん」


「ぴえんぴえん」


「え。二回連続で使うとかまじないんだけど。お兄ちゃん、きついよ」


「きつい言うな。弥生の想像以上に驚くほど傷ついたよ今僕は」


 完全に兄を音の鳴る玩具だと思っている弥生は、うける、とけらけらと笑う。

 最近の女子中学生に、慈悲という概念はないらしい。


「だいたい、弥生が家にいるなんて珍しいね。部活は休み?」


「今日は休み。というか風邪で休みにした」


「え? 風邪引いてんの? 大丈夫?」


「大丈夫だよ。厳密に言えばまだ引いてないから」


「は?」


「戦略的休息ってやつ。なんか今日、部活行ったら風邪引く気がして」


「なるほど。予防だね」


「まあそんなとこ」


 悪びれもなく部活をサボったという弥生は、わりと昔からこんな風に適当な性格をしていた。

 僕もわりとずぼらな方だけど、弥生の奔放さは僕の比なんかではない。

 顔はわりと似ているけれど、性格は結構違うのが僕たち佐藤兄妹だった。


「それで? お兄ちゃんはどう? 高校生活は順調?」


「順調過ぎて怖いくらいだね。たぶんそろそろ五感の一つくらい失うんじゃないかっていう勢いだよ」


「よっぽどだね、それは。もう人生に悔いなしってレベルに順調じゃないと、そんな考えにはならないと思うけど」


 僕の頭の中に浮かぶのは、さゆりのことばかりだ。

 これまでも僕らは一緒にいることが多かったけれど、今はそれ以上にコミュニケーションを取っている。

 一日中というわけではないけど、スマホで連絡も最低一往復はしてるし、電話も週に一回はしてる。

 これまで以上に、僕は幼馴染を近くに感じていた。


「というかさゆりちゃんは元気なの? あんまりうちに来なくなったけど、元気?」


「さゆりは元気だよ。うるさいくらいだね」


「へえ。二人の関係も早くアップデートできればいいのにね」


「ん? どういう意味?」


「そのままの意味だよ、お兄ちゃん。たまにさゆりちゃん見かけるけど、めっちゃ可愛くなったじゃん。まあもともと素材はあったけど、より女子っぽくなったみたいな」


「あー、なるほど。そういえば、弥生にもまだ言ってなかったね」


「へ? なにを?」


「僕、さゆりと付き合ってるよ」


「……は? なには?」


「だからもう、僕とさゆりの関係はアップデート済みってわけ」


 すぐに弥生の思い違いというか、古い認識に気づいた僕は、べつにもったいぶるのもあれなので、さっさと弥生の認識もアップデートしてあげることにする。

 僕はわりと目の前のことに夢中になると、周囲が見えなくなるタイプだったみたいだ。

 さゆりとも幼い頃から面識のある妹の弥生にも、僕らの関係性が一歩前に進んだことを伝えてなかったと今更に気づく。


「えぇえええええ!? それマジ!? 超大ニュースじゃん! ヤバくない! え、え、どっちから!? どっちから告ったの!?」


「僕からだよ」


「うわぁああああ! 意外! そっちかああ! あまりにも鈍すぎてさゆりちゃんから行くかなって思ったけど、さゆりちゃんも奥手だもんなああ! くぅうう! 激アツの展開なんですけど! 興奮してきた!」


「なんで弥生がそんな興奮してるの? ちょっと怖いんだけど」


 いきなりテンションを跳ね上げた弥生は椅子から立ち上がり、胸の前で両手を組ませてきゃあきゃあ言い出した。

 最近の女子中学生はよくわからない。


「いつ! いつから付き合ってんの!?」


「そろそろ一ヵ月経つよ」


「なああああ!? なんでもっと先に言ってくれないわけ!? ありえないんだけど! 兄!? それでもほんとにうちの兄なの!? 兄としての自覚足りなくない!?!?」


「べつに秘密にしてたわけじゃないんだけどね。うっかり忘れてて」


「マジない! かあああ! 大好きなドラマの最終回ラスト三話で、二話連続で録画ミスするくらいあり得ないんだけど!」


「僕はドラマはレンタル派だからそのたとえはよくわからないけど、なんかごめん」


 いまだ興奮冷めやらぬ弥生は、ベッドの上に飛び乗ると、ぴょんぴょんと謎にジャンプする。


「はぁっ……はぁっ……でもよかった。ちゃんと二人、くっつけたんだね。このまま現状維持で三十路まで行って、もう待ちくたびれたってさゆりちゃんが言って、適当なイケメン外資系リーマン捕まえて幸せな家庭つくるんだけど、いつまでもお兄ちゃんのこと忘れきれずに、夫ともすれ違いが増えていって、そのうちその家庭のストレスを晴らすために、お兄ちゃん似の別の若い男捕まえて不倫しちゃって、それも夫にバレて……」


「待て待て。弥生、ちょっとドラマの見過ぎじゃない? 妄想が止まらないし、しかも中身がドロドロで悲しくなるからやめてよ。さゆりの未来をそんな勝手に泥沼にしないで」


 なぜか息切れしている弥生は、意味不明な妄想を垂れ流しにしているが、それを僕はやめさせる。

 目が完全にハイそのもので、僕は鳥肌が立つ。


「安心したよ。もしさゆりちゃんがこの先、幸せになれなかったら、それ全部お兄ちゃんのせいだったからね」


「わお。驚いたね。僕は告白する前から、知らない間にさゆりの人生を背負ってたんだ」


「そうだよ? 知らなかった? もしさゆりちゃんを幸せにできなかったら、お兄ちゃんの五感は半分くらい奪われると思っておいてね」


「はは、は。……それ、弥生に奪われるわけじゃないよね?」


「ん?」


「いやなんの、ん? なの! 怖いよ!」


 微笑む弥生は、もはや小悪魔を超えて大サタンだった。

 エアコン以外の寒さを感じた僕は、身を守るように毛布を被った。


「だ、大丈夫だよ。ちゃんとさゆりのことは幸せにするって」


「当たり前。そうじゃなくちゃ困る。それで、今のところ、どこまでいったの?」


「どこまで? なにが?」


「なにがって。それ、現役JCに言わせるの? お兄ちゃんの変態」


「お兄ちゃんの変態って台詞やばいね。さゆりに聞かれたら、早くも僕の五感が失われる危機に瀕しそうだ」


「キスくらいもうした?」


「……え?」


「だから接吻せっぷんだって。口づけでもいい」


「いや! 別の言葉で言い直さなくてもいいから!」


 真顔で問い掛ける弥生は、挑戦的な視線で僕を見つめている。

 頭がフリーズした僕は、口をぱくぱくとさせ、陸に上がった魚のように酸素を求めていた。

 

「そ、それは、ぼ、僕は、ま、まだ、そういうのは……」


「なに口ぱくぱくさせてんの? 魚のきすの物真似? 面白くないよ」


「してないよ! そんな伝わりづらくてつまらないモノマネをするわけないだろ!」


「えー、その反応。まだキスもしてないの? こりゃだめだね、お兄ちゃんは。それじゃあただの幼馴染だった時と変わらないじゃん」


「……え? そうなの? でも、手とか繋いだよ?」


「手くらい。小学校の頃は、いつだってさゆりちゃんと繋いでたじゃん。やっぱり恋人になったんだから、一歩先に進まないと」


 訳知り顔で、弥生はニヤニヤと笑っている。

 他人事だと思って、完全に楽しんでいるのは明らか。

 いつからこんないやらしい性格に育ってしまったのだろう。


「もう幼馴染じゃなくて、恋人なんだからさ、ちゃんとお兄ちゃんもその自覚を持たなきゃだめだよ?」


 恋人としての自覚。

 僕は改めて考えてみる。

 付き合う前と比べて、僕はきちんと変われているのだろうかと。

 さゆりの彼氏として、僕に足りないものはなんだろうと。


 考えるだけで、胸がどきどきして、身体中が熱くなった。


 僕はリモコンを手に取り、冷房の温度を下げる。



「だからお兄ちゃん、寒いんだけど」



 弥生の言葉を無視して、僕は思い浮かべる。

 ほんのりピンクで、薄めの唇。

 

 ……もっと冷房の温度を下げてもいいかもしれない。




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