十五 幼馴染がまだ慣れないというので僕は、
七月とは言っても、さすがに夜の七時を回ると辺りは暗くなる。
ガタンだかゴトンだかわからないけれど、やかましい音を立てる電車に揺られながら僕は、夜に染まっていく街を眺めるさゆりの横顔を眺めていた。
「わざわざ、部活終わる時間まで待ってくれなくてもよかったのに」
「なんとなく、今日はさゆりと一緒に帰りたかったんだよ。僕の都合だよ」
「……そっか。ありがと」
「なんで感謝? 僕の都合って言ってるのに」
「もう、うるさいな。素直にありがとって言ってるんだから、葉月も素直にどういたしましてでいいの」
「じゃあ、どういたしまして」
「その顔、ムカつく」
「さゆりは注文が多いなあ」
帰宅ラッシュの時間帯ということもあって、電車内はそれなりに混んでいる。
そのせいで扉近くに立つ僕とさゆりの間にも、ほとんど距離がない。
さゆりが僕の方を見る時は、身長差のせいで自然と上目遣いになって、いつも以上に可愛く見えた。
「私が部活してる間、葉月は何してたの?」
「さゆりのこと考えてた」
「はぁ、そういうのいいから」
「なんか最近、さゆり僕に冷たくない?」
「だって葉月、ちょっと調子乗ってる感じするし」
「そりゃ少しくらいは浮かれるよ。だってあの学年一の美少女で僕の大好きな幼馴染が、彼女になってくれたんだから」
「もう……葉月のばか」
照れたさゆりはまた僕から視線を逸らして、蒼い街に顔をのけぞらせる。
それでもさゆりの口角は緩んでいて、本当に怒っているわけではないと分かる。
たしかに僕は、少しばかり調子に乗りあそばされているかもしれない。
気を引き締めよう。
「さゆりはさ、僕と付き合ってること、周りに隠してるの?」
「なにが? 普通に言ってるよ。八組の佐藤葉月と付き合ってるって。なんか皆、誰それって感じだけど、まあ一年生だし他クラスの男子の顔なんてわからないよね」
なんてことのないように、さゆりはそう答える。
僕のクラスでは白鳥さゆりと言えば一発で全員が顔を思い浮かべられるので、やはり僕とさゆりではまだまだ差があるみたいだ。
もっとも、差があるからといって、特に僕が何をするというわけでもなく、世界で一番さゆりのことを好きだってことを示せばいいくらいにしか考えていないけれど。
「……なにその顔。今、いやらしいこと考えてたでしょ」
「まさか。どうすれば僕がさゆりのことを好きだって伝えられるか考えてた」
「また、そうやって適当なこと言って。なんか最近葉月、チャラいよ」
「チャラいのは嫌い?」
「……私にだけなら、いいけど」
「さゆりにだけだよ」
「うるさいばか」
こつんと、控えめにさゆりは僕の胸に頭突きをする。
さゆりと一緒にいる時、たしかに僕はとてもお馬鹿になっている気がする。
「そろそろ夏休みだね。葉月はどっか行きたいところとかある?」
「そうだなあ、ベタに海とか? 海、一緒に行ったことないよね?」
「あー、たしかに。意外にないかも。川とかだっけ? 行ったことあるの」
「それももう、小学校の頃じゃない? まだリョウタくんがいる頃だよ」
「もうそんな前だっけ。けっこう最近だと思ってたけど、知らない間に時間が経ったんだね」
懐かしいね、と言って微笑むさゆりはとても綺麗で、僕は少し恥ずかしくなって目を伏せる。
リョウタくんというのは、さゆりのお兄さんのことだ。
僕らより五つ年上で、スポーツが強い地方の高校に進学して大学は他県のところに行ったので、実家には中学卒業後からいない。
帰省はちょくちょくしてるらしく、たまに顔を合わせれば喋るけれど、会う頻度はあまり多くなかった。
「あの頃から、葉月、全然変わってないね」
「そう? まあ、さゆりはけっこう変わったもんね」
「私は女の子だから。女の子は目を離すとすぐに変わっちゃうんだぞ」
「僕、さゆりから目を離したことないけど」
「う、うるさいな! 揚げ足ばっかりとって!」
「あはは。ごめんって。ちょっとくらい、目は離した方がよかった?」
「それは……それで困る」
「なにそれ。さゆりは難しいなあ」
「もう慣れてるでしょ。ずっと一緒にいるんだから」
「まあね。慣れたよ。そういうところも好きだし」
「……なんか、葉月にそう言われるの、私はまだ慣れないや」
「僕もべつに慣れてないよ。照れずに言えるように僕も練習してるんだよ」
「そうなの? 葉月も照れてるの?」
「ま、まあ多少は」
「ふふふ、ほんとだ。葉月も、照れてるじゃん」
「だからそう言ってるでしょ。なんで得意気なんだよ」
「葉月、可愛いね」
「うるさいよ。さゆりの方が可愛いって」
「うわ。ちょっと止めてよ。その言い合いはほんとに恥ずかしいから」
僕とさゆりは、目を合わせると、どちらともなく笑い出す。
その時、電車がぐらりと大きく揺れて、体勢を崩したさゆりが僕の方へ抱き付いてくる。
柔らかな衝撃と、ふわりと香る石鹸のような匂い。
高鳴る鼓動に、僕は顔が熱くなる。
何を言えばいいかわからない僕は、無言でさゆりを見つめる。
「……もうすぐ、着くね」
「……そうだね。もう、着いちゃうなあ」
もう揺れは収まったけれど、さゆりはまだ離れない。
どこを見ればいいかどうしてか急に迷い出す僕は、見慣れた街の夜景に目を逸らす。
不思議と新鮮に見える住み慣れた街。
もう少しだけ、二人で、揺られていたいなって思った。