結話 幼馴染が恋心に気づいてしまったので私は、
ぎーこ、ぎーこ、と青いブランコを揺らしながら、私は暮れていく茜空を眺めていた。
結局体調不良で部活を早退してしまってから、家にも帰らず、見慣れた公園で一人過ごしている。
時代の流れか、それとも時間帯やタイミングの問題か、小さな子供たちが公園を走り回ることもない。
ここに来てからどれくらい時間が経ったのか、私にはもうわからなかった。
「あーあ、なんかもう、嫌になるなあ」
嫌になるのは、もちろん自分自身のこと。
葉月は何も悪くない。
私の幼馴染で、片想いの相手。
きっとまだ、葉月は朽織先輩と一緒にいることだろう。
でも、その事に、本当は嫉妬する資格すらないってこと、私はちゃんと分かってる。
だって、私はただの幼馴染。
これまでは、たまたま住んでいるところがご近所さんで、同じ学校に通って、似たような生活をしてきて、偶然一緒にいられただけ。
全部、結局、運任せ。
私はなにもしていない。
葉月に私のこと、見て欲しくて、追いかけて欲しくて、色々なことをしてみたけど、それだって私のエゴにしか過ぎない。
葉月は、もっと自由でいい。
私は感謝するべき。
満足するべきなんだ。
幼馴染っていう関係でいられることに。
「なんか、ここにいると、思い出しちゃうな」
私はこのブランコから、いつも皆のことを見ていた。
いつも、ただ見ているだけ。
どうすれば皆に近づけるのか、わからなかった。
だから何もせず、ただずっと見ていた。
あの頃と同じだ。
私は昔と、何も変わってない。
全然、成長してないじゃん。
見ているだけで、近づき方を知らないんだ。
あの時は、葉月が私の隣りに来てくれた。
だから、私は救われた。
葉月が来てくれないと、私は何もできなかったあの頃から、私は一歩も進んでいない。
ブランコをいくら漕いだって、前には進めないって分かってるのに、私は繰り返している。
葉月は、足が速い。
私なんかじゃ、到底追いつけない。
今はよくても、いつかその背中が見えない日がくる。
それなのに、まだ私はただブランコを漕いでいるだけ。
そんな自分が情けなくて、恥ずかしい。
ごめんね。葉月。
こんなダサくて、カッコ悪くて、冴えない幼馴染で、ほんとにごめん。
ブランコを漕ぐのをやめて、私は顔を両手で覆い、大粒の涙を流す。
溢れ出てくる涙を、止められなかった。
どうして泣いているのか、自分でもわからない。
でもやっぱり私は、自分の涙の止め方すらも、知らなかったんだ。
「……はぁ、はぁ、やっと見つけた。まさか、本当にここにいるとは思わなかったよ」
――その時、俯く私に、どこまでも優しい響きの声がかかる。
見なくても、誰の声なのかは分かる。
でも、どうして、この声が今、聴こえるのか、わからない。
とうとう幻聴でも聞こえ始めたのかな。
「……ぐずっ、え、はづぎ? な、なんで、はづぎがごごにいるの?」
「うわっ!? ど、どうしたのさゆり!? なんでそんな泣いてるの!? もしかしてお腹痛い?」
涙でぐしゃぐしゃになった顔をあげると、驚くことにそこには本当に私の幼馴染がいた。
ぽわぽわとした柔らかい顔に、女子みたいに綺麗な肌。
いつもは落ち着き払っているのに、今は珍しくあわあわと狼狽えている。
最悪だ。
今の私はきっとめちゃくちゃぶさいくだ。
こんな顔、葉月にだけは見せたくなかったのに。
「……ばか。そんなんじゃないし。うん、ごめん。大丈夫だから」
「本当に大丈夫? だって部活の人も、さゆりが体調不良で先に帰ったって言ってたし」
「部活の人? 学校まで来てたの?」
「そうだよ。あと家にも行ったよ。だけどまださゆり帰ってきてないって言われてさ、街中走り回ったよ。まったく。サボリだなんて、さゆりもずいぶん大物になったものだね」
「……なんで」
「ん? なにが?」
「なんで私を探してたの?」
「会いたくなったから」
「え?」
「僕の大好きな幼馴染に、さゆりに、会いたくなったんだ。それだけだよ」
葉月は、いつもと同じように、私にそう言って、微笑みかける。
大好きな幼馴染。
そんなのわかってる。
幼馴染として私のことを、葉月が大事にしてくれてることなんて、十分わかってる。
だから、改めて、大好きなんていうの、やめて。
やめてよ。もうやめて。そんな顔で、私を見ないで。
やっと諦められそうだったのに。
やっとただ幼馴染で、我慢するって決めたのに。
「……あっそ。葉月は本当に、私のことが大好きだもんね」
「まあね。否定しないよ」
「……でも、いいの? 今日は、朽織先輩とデートだったんでしょ? もうデートはいいの?」
「うん。許可は貰ってきたよ」
「そっか」
葉月は隣りのブランコに飛び乗ると、ゆらゆらと青を揺らし始める。
あの日と同じ様に、葉月は、まだ私の隣りにいる。
「でも、あんまりデートの終わりに、他の女に会ってきますとか言っちゃだめだよ? 私は幼馴染だから許すけどさ、他の女の子は私みたいに寛大じゃないからね。朽織先輩にも嫌われちゃうぞ」
「大丈夫だよ。世利さんは、そんなことで人のことを嫌いになったりしないから」
「……そっか。ならいいけどさ」
世利さん。
何気なく口にした葉月の言葉に、胸がズキズキと痛む。
なんで。なんで痛むの。
私はただの幼馴染。
痛みを覚える資格なんて、ない。
「それで、さゆりはなんで泣いてたの?」
「べつに泣いてない」
「え? いや、絶対泣いてたじゃん。なにそれどんな嘘? というか今も目赤いし」
「泣いてない」
「めっちゃ強情。なんか困ったことあるなら、言ってよ。僕が――」
「泣いてないから」
「……わかったよ。泣いてないってことにしておこう」
困ったように葉月は笑う。
嫌だ。本当に自分が嫌になる。
葉月を困らせてばっかりだ。
なにしてるんだろ、私。
「……それで? なんで私を探してたの?」
「え? だから、さっき言ったじゃん。さゆりに会いたくなったんだ」
「嘘。それだけの理由で、朽織先輩とのデート飛びだして、私のことを探したりしないでしょ」
「……さすが、さゆりは僕のことはなんでもお見通しだね」
「わかるよ。だって、幼馴染だもん」
「実さ、さゆりにちょっと伝えたいことがあって」
ああ、終わるのか。
照れたように頬をかく葉月を見て、私は少し眩暈がした。
私には、分かる。
ずっと一緒にいたんだ。
幼馴染だから、わかりたくなくても、わかってしまう。
葉月は今、恋をしている。
私の幼馴染は、恋心に気づいてしまったんだ。
いつかこんな日が来るって、わかってた。
だから、私なりに、あがいた。
でもきっと、方法も、タイミングも、全部間違ってた。
だから、こうなる。
たぶん葉月は、朽織先輩に、恋をしたんだ。
先輩とのデートの後に、伝えたいことがあるって言ったら、もうそれしかない。
もう付き合うところまで行ったのか、まだ片想いなのかわからないけど、どっちだって変わらない。
私の幼馴染は、自分がどれくらい魅力的なのか気づいていない。
葉月がその気になれば、朽織先輩だって、夢中にさせることができる。
また泣き出してしまいそうになる衝動を必死で抑え込みながら、私は葉月に笑いかける。
「なになに。伝えたいこと? 珍しいね、葉月がそんなこと言うの。というかメッセでよくない?」
「いや、これは、直接さゆりに言いたかった。言わなくちゃと思って」
「……そっか。うん。聞くよ」
そうだ。
私は、聞かなくちゃ、いけない。
本当は今すぐに耳を塞いで、逃げ出してしまいたい。
でも、だめ。
逃げないで、私。
心が苦しい。
胸が痛い。
張り裂けそう。
どこかに消えてしまいたい。
だけど、逃げちゃいけない。
葉月からだけは、逃げたくない。
だって私は、葉月の幼馴染だから。
だって私は、葉月のことが、幼馴染とかじゃなくて、一人の男の子として、大好きなんだから。
「あのさ、僕、実は……ってちょっと待って!? なんでさゆりまた泣いてるの!?」
「うぅ……泣いてない! 泣いてないから、言って! 泣いてないから早く言ってよぉおおお!」
「えぇ……なんか、すごい言いにくいんだけど」
「ぐずっ、ぐずっ、いいから、お願い、言って……」
朽織先輩のことが好きになった。
朽織先輩に告白された。
朽織先輩と付き合うことになった。
色んなパターンを思い浮かべて、私は衝撃に備える。
耐えられる気は、正直あんまりしない。
というかもう、耐え切れずに、零れ落ちちゃってる。
でも、私はもう逃げない。
これ以上近づくことがどうしてもできなくても、逃げることだけはしたくない。
涙で視界が滲んで、葉月の顔がよく見えなくなってきたけど、それでも目は逸らさない。
最後まで見ていたいから。
恋をした、幼馴染で、私の想い人の顔を。
「あのさ、さゆり、僕、君のことが好きだ。幼馴染とか、そういう意味じゃなくて、一人の女の子として好きなんだ。幼馴染としてじゃなくて、恋人としての君の隣りにいたい」
葉月は、思ったより恥ずいな、これ、なんて言いながら、また頬をかく。
茜空より真っ赤に染まった顔で、私の想い人は微笑んでいた。
「たぶんさ、ずっと僕は追いかけ続けてたんだ。初めてさゆりと会った時から、ずっと僕は君のことを追いかけてた。覚えてるかな? この公園でさ、いつもさゆり、今みたいに、一人でブランコを漕いでたんだ。僕は鬼で、足が速かったから、いつも他の子はすぐに捕まえることができた。でも、さゆりだけは、いつも最後まで、捕まえられなかった。なんとなく、遠くに感じたんだ。さゆりは昔から、可愛かったから」
え。ちょっと待って。
なんか想像していたやつと違うんだけど。
完全に思考停止した私は、馬鹿みたいに口を半開きにして、一人で喋り続ける葉月を見つめることしかできない
「僕はさ、幼馴染だからさゆりとずっと一緒にいたんじゃない。好きだから、一緒にいたかった。一緒にいたいから、幼馴染になった。僕にとっては、幼馴染でいることより、さゆりのことが好きな気持ちの方が先だし、大事だって、気づいたんだ」
頭が追いつかない。
幼馴染とかじゃなくて、一人の女の子として私のことが好き。
数分遅れで、葉月の言葉が私に届く。
もしかして、これ、夢?
青いブランコから降りて、葉月は私に一歩分近づく。
「僕、君のことが好きなんだよ、さゆり。幼馴染じゃなくて、恋人になりたいんだ。いつまでも、一緒にいたいんだ。どうかな?」
困るよね。ごめんね。
そう葉月は言って、目を伏せる。
返事をしないと。
なに葉月に謝らせてるのよ。
謝るのは私の方なのに。
早く言葉を出したいのに、上手く口が動かない。
もう、これが夢でも、なんでもいい。
追いかける必要なんてない。
私はとっくのとうに捕まってるんだって、はやく教えてあげないと。
「……うっ、うっ、うわああああああん! 私も! 私が葉月のことが大好き! 幼馴染とかじゃなくて! 男の子としてええええうわああああああん!」
「うぐっ!? なんで頭突きっ!?」
「頭突きじゃないいいい! 抱き付いてるのおおおお!」
私は思い切り葉月の胸に飛び込む。
思ったよりしっかりとしていて、知らない間に葉月が大人になっていることに気づく。
それなのに、私は子供みたいに泣きじゃくるばかり。
ほんとに恥ずかしい。
でも、葉月になら、どんな恥ずかしいところだって、見られてもいいって思った。
「あの、でも、というか、その、今の本当? なんかさゆりも、僕のこと、好きみたいなこと言った気がしたんだけど」
「……ぐずっ、そう言ったの。というかこの状況的に、どう見てもそうでしょ」
「たしかに。泣きながら僕に抱き付いてるもんね、さゆり」
「言葉にすんな」
「痛いっ!? ちょっとつねんないでよ!?」
嬉し過ぎて、頭がぼうっとしている。
葉月の鼓動が、とくん、とくん、と鼓膜に優しく響く。
もしこれが夢なら、いつまでも覚めないで欲しい。
また私は、葉月に救われてしまった。
だから、この先は、私が葉月に何かをしてあげたいと思う。
幼馴染じゃなくて、恋人として、葉月を今度は私が、捕まえて離さないでいられるように、努力する。
「……葉月、好きだよ」
「……うん。僕も好きだ。さゆりのことが好き」
葉月がそっと私の肩を抱き締めるのが分かる。
私たちはもう、ただの幼馴染じゃない。
恋人に、なったんだ。
まだ揺れ続ける、二つの青いブランコ。
そのまましばらく私たちは、茜空が蒼い夜に変わるまで、そうやって二人一緒に過ごした。
――――――
「おい、佐藤。ちょっとこれ見て見ろよ」
すっかり初夏が舞い込み、窓から差し込む光もずいぶん眩しくなった。
早くも冷房が入り始めた放課後の教室で、今日返却されたテスト結果を改めて見ていると、友人の井浦が話しかけてくる。
「なに? どうしたの? うっわ。井浦、酷いね。赤点ぎりぎりじゃん」
「違げぇよ。見て欲しいのはそっちじゃねぇっつうの。それはどうでもいいんだよ。こっちだよこっち」
「いや、どうでもよくはないと思うけど」
僕の点数の半分くらいしかない、あまりに悲惨なテスト用紙を脇によけて、井浦はスマホの画面を僕に見せてくる。
「ほら、今年度の第一回トウコウ選抜総選挙の最終結果が出たみたいだぞ」
「あ、ほんとだ。どれどれ」
まだ順位まで確認はしていないらしい井浦と一緒に、無駄に最新型で画面のでかい井浦のスマホの画面を覗き込む。
僕の想像した通り、そこには見覚えのある名前が二つ並んで表示されていて、口角が自然と緩んだ。
「あちゃー、ぎりぎりまくられたか。やっぱ女王の壁は分厚いな」
「まあ、仕方ないね。相手が悪いよ。それに、皆の一番になる必要もないさ」
「は? なんだそれ。誰目線だよお前」
笑う井浦に適当な返事をしながら、僕は思う。
関係ないさ。
僕にとっての一番だから、それでいい。
それに相手が悪いっていうのは、わりと本気でそう思ってるし。
“第17回トウコウ選抜総選挙 最終結果発表
第5位 蕪木優 一学年
第4位 鯨川咲葉 二学年
第3位 雪篠塚琴音 三学年
第2位 白鳥さゆり 一学年
第1位 朽織世利 三学年”
一位が世利さんで、さゆりが二位か。
わりと妥当な順位だ。
でも他人の評価なんて、どうだっていい。
大切なのは、僕がどう思ってるかだ。
「佐藤、なんかお前、嬉しそうだな」
「そう? まあ、嬉しいけどね」
なにが嬉しいんだ? と井浦が不思議そうな顔で僕のことを見てくる。
あー、そっか、そういえば井浦にはまだ言ってなかった気がする。
「にしてもなんか、お前、最近明るくなったよな。テスト結果がいいからって調子乗るなよ」
「むしろそのテスト結果で、普段とまるで様子の変わらない井浦に驚くよ。むしろもっと調子外した方がいいよ」
そんな馬鹿な会話をしていると、廊下の方からこっちの教室に歩いてくる音がする。
その足音はすぐ近くまで来るとピタリと止まる。
僕にはすぐに分かった。
その足音が誰のものか、僕にはわかるのだ。
そして、ひょっこりと廊下から、もう十年くらいすぐ近くで見続けてきた美少女が顔を出す。
僕にとっては世界で一番の美少女は、僕の方をじっと見つめている。
もう僕が、目を逸らすことはしない。
「ん? あれ、白鳥さんだよな? 何の用だ?」
「じゃあ、僕は帰るね。今日はソフトテニス部休みなんだ。井浦は水泳がんばって」
「は? いやお前はソフトテニス部関係ないだろ」
「今はもう、関係あるんだよ。それじゃね、井浦。お先です」
「おい、関係あるってそれどういう意味――」
机の上に出していたテスト用紙を鞄にしまうと、僕は耳たぶを指で弾く。
廊下の美少女はそれを見ると、嬉しそうな顔をして僕の方に駆け寄ってくる。
「葉月! 一緒に帰ろ!」
「うん。帰ろう、さゆり」
駆け寄ってくる幼馴染のさゆりの手を握って、僕は住み慣れた街への帰路につく。
唖然としている井浦の表情は、ここ最近は色んなところでよく見かけるものだ。
僕がさゆりと一緒にいると、よく通りかかった人々があんな顔をする。
でも、どうでもいい。
さゆりが気にしていないんだから、気にする必要はない。
それに僕も、いつか、あんな顔をさせないような冴えに冴えた男になるつもりだ。
幼馴染が自分のことを美少女だと気づいてしまったので僕は、自分もそんな美少女の隣りにいるのに相応しい男になろうと思う。
ああ、違うな。
厳密にいえば、もう幼馴染じゃなくて、恋人か。
ここまでお読み頂いた方には、心からの感謝を! ありがとうございます!
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物語はここでひと段落です! 少しでも楽しんで頂けたなら、これ以上の喜びはありません! 本当にありがとうございました!