木霊
コーデルは石の上に立った。
どうやら、宙に浮いていた大きな石が、地面に触れたのだ。どしんと音を立てて、地面と石の上の三人を揺らし、空にくすぶる星の粒を振り落とした。
よしきはあぐらをかいて座ったまま、まだ足と股座の間に見える石を指でいじって眺めている、マルコは上を見ながら悦に浸っている。これでは、コーデルが初めに動くしかなかった。
コーデルは恐る恐る草原に足をつく。すると、丸っこい石の表面から腰と手を滑らせて、瞬く間に草原に両手をついて転んでしまった。
やわらかい草と茶色い土の感覚だった。
コーデルは、この世界はどうやら人間の住む環境であると悟った。
そして、
(マントの男が言う通り、この世界は現在広がっている。空はせりあがっていて、風の質や匂いも変わりつつある。まさに、世界が出来つつある)
コーデルは現実改変の装置を操作しようと試みたことがあるだけはあり、世界の様子に詳しかった。彼は、自分の世界の技術で確立されている現実改変の知識を持ってして、置かれている状況の把握を始めていた。
彼が予想するに、この世界は誰かの手によって、現在作られている途中である。さらに、その途中に、あえて三人が転送されてたのだ。そうでなければ、ありえない挙動をする世界に、わざわざ男三人を呼び出す必要はない。
コーデルの思考に無駄はない。どんなことを考えるにも原因があり結果があると知り、油断ない、かつ、尊敬のある判断で、先のことを予測していくのだ。
しかし——まだ現時点で結論を出しきることはできなかった。
そこで、コーデルはよしきが見つけた木を目指して歩いてみることにした。
そのまえに、よしきとマルコに声をかけていく。
「おい、君たちはまだそこにいるつもりかい?」
その問いかけに、誰も返事をしなかった。
いや、正確には、よしきは「ああ」と。マルコは「ははは」と虚ろったような返事をしていた。だが、コーデルの知る限り、見知らぬ場所で、見知らぬ仲間を単独行動させるとは考えにくい。こういう場合、心配してついていくものではないだろうか?
だが、『この世界の住人』にそんな甘えは通用しない。彼らは二人ともこう思っている。やけにせかせかしているなぁ、と。
マルコは、もっと悦に浸ろうと言わんばかりに、空に両手を広げて、いまにも後ろへと倒れこみそうなほどむねに空気を吸っていた。
よしきはずっと石を指でいじっている。
コーデル廃止の下だからその姿は見えてないが、どうせそんんなことだろうとどこかで察しており、呆れながら、よしきの見つけた木へと歩いて行った。
ふさふさと、白いスニーカーが草原の草を踏みならしていく。風が吹くたびに、彼の白髪は揺れて、白い服も襟がたなびいた。彼の瞳は白く白濁したものだが白内障ではなく、それでもすっきりと見える景色は、木がしっかり風にたなびいていた。
なぜか、コーデルが歩みを進めるたびに風が強くなり、いつの間にか彼が前のめりになる程の強風が吹いていた。彼が気づくと空に雲があり、まるで人の唇のように曲線を描いている。有名な童話に北風と太陽という話があるが、その物語の、旅人をのコートを風で吹き飛ばそうとする雲の姿の北風のようだった。
事実、コーデルは飛ばされそうになる。だが、幸いなことに彼の服はコートではなく白い紳士服だ。身に密着した服が、ボタンまで外れて吹き飛ぶことはそうそうありえない。
その考えは正しく、コーデルは吹き飛ばされるまえに木へとたどり着いた。
後ろを振り返ってみると、石に座るよしきと、隣に立つマルコの姿がある。
風は激しく吹いていたのだが、何事もなかったように草原は静まり返っている。
コーデルは夢の世界にいるのではないかと思い始めていた。なぜなら、彼のここに来るまえの最後の記憶は、暴走した装置を止めに入った幼なじみを助けに駆けつけたところだったからだ。そこから先は、装置の光に飲み込まれて定かではない。ただ、直近の記憶と現在がなんらかの現象を経て繋がっているのはわかった。
コーデルは辺りを見渡しながら、ようやく、木に触れてみた。たどり着いてから真っ先に触れても良かったのだが、彼にはそれが億劫だったのだ。小説をよく読む彼の知る限り、見知らぬ場所の木を触ると何かが起こるというのが定番なのだ。
しかし、何も起きない。
それどころか、コーデルは飽きて手を離してしまった。そしてとりあえずもう一度ふりかえって、よしきとマルコの姿を確認しようとしていた。
振り返りざまにこう思う。
(どうやら、装置が作動して、異世界に飛ばされてしまったようだな。みんなが無事ならいいんだけれど)
このとき、コーデルは装置が自分の世界を滅ぼしたとはまだ知らなかった。それもあり、こういう悠長なことも考えることができたのだ。実は、滅んでいる可能性も考えてはいたのだが、その推察をする前に、彼をハプニングが襲う。
「ばあ!」
「わあ!」
と、よしきが突然コーデルの振り返った目の前に立っていたのだ。別に驚かせようと変な顔をしていたわけでもなく、大きな声を出していたわけでもない、ただ立って『ばあ!』と言っただけだった。それでも、コーデルは驚いたのだ。
コーデルは慌てて後ずさった。しかし、木の幹に背をつく前に、何か別のものに背が触れる。
そこにはよしきがいた。
彼は言う。
「我々は何か巡り会わせたようだな」
「な、何だよ!」
いいながら、コーデルは尋ねる。だが、振り返ってもすでによしきはそこから移動していた。
「どこを見ている」よしきが木の枝の上に腰掛けて言った。
「きみこそ何をしている!」
コーデルは上を見て指差し、叫んだ。
「僕はまだ何もしていない」
と、よしきは上なら声を投げかける。一人称が俺から僕に変わった。
「してるじゃないか!」
「まだ、しゃべっているだけだ」
コーデルはよしきとの会話に呆れていた。してる、してない、の水掛け論だ、これでは何も意味がない、そう思った。
同時に、よしきが瞬時に移動する原理を考えている。
(どういうことだ? 瞬間移動? どうやって? 現実改変か? ワープを使うならもっとでかい装置がいる! それとも超速度での移動か? いいや、それならなんらかの衝撃が……)
コーデルが相手の行動をここまで分析するのには理由がある。それは、やはり彼が元いた世界で、装置を操作するために、いくつかの敵と戦う必要があったからだ。よって、彼は敵の行動を分析する癖を持つ。それが、よしきにも向けられていた。
だが——
「そんな分析に何の意味がある」
よしきは呆れてそう言った。「分析とは分析しないと同時にあるものなのさ。きみが分析をすればするほど、分析しないをしないほどになるの」
コーデルの思考がショートしたような、それほどよしきの言う意味が彼に理解できていない。まず、文法から間違っていると思われる言葉を、さも知性があるように言っている人間を、彼はまだ見たことがないのだ。
ここで、彼が真っ先に弾きだした結論は、よしきが話をはぐらかしているということである。真面目なことを言うつもりがないために、相手の理解しがたいことをあえて選んで発言したと、そう決め込んだ。
コーデルは尋ねる。
「何が言いたいんだい?」
よしきはその質問を無視して、木の枝を手でいじっている。
コーデルは前かがみになって、右手を前に構えた。
これは、彼が戦う時のポーズだ。彼は自らの世界を消滅させる前に、装置を巡って幾千もの戦いを制してきたのだ。時には一体多勢の数的には不利な場面もいく使ったが、その戦いをくぐり抜けてもなお、幼い顔は純粋無垢な綺麗な肌をしていて怪我ひとつない。それは、彼がそれだけ強いということだった。
右手を、よしきにかざす。
「吹き飛びたくなければ、僕にわかるように話してもらおうか——」
しかし、
「お前は何を勘違いしている」
よしきはそういって、木の枝を手に取り、上に放り投げた。
放り投げた枝葉、回転しながら、見事にコーデルの瞳めがけて飛んでいく。それは一瞬だった。コーデルが反射的に顔をそらしてかわして、木の枝が傷ひとつない頬をかすめながら通過しているのを、またいつの間にか移動したよしきが隣で見つめていた。
コーデルの視界には木の枝の次のよしきが入ってきたため、反応が遅れる。
その隙に、よしきは木の枝を受け取り、コーデルに自分の肩を組み付けていた。そして言う。
「俺も訳がわからんと言っている。それくらいわかるだろう」
コーデルの首もとに、木の枝が突き立てられる。
彼は初めての敗北を味わったのだ。とても信じられることではない。
だが、それでもコーデルは知的で冷静に会話をして見せた。
「じゃあ、何か心当たりはないか? 知ってる情報を集めようじゃないか」
「まあ、おそらくだが、時期にそうなる」
「なに?」コーデルは首をかしげる。
すると。
コーデルとよしきの前の木に林檎がなった。そしてそれがボトンと地面に落ちる。
その音が合図となり、木から声が聞こえてきた。
大きな木の幹を揺らしながら、草原全体に反響させるように、木霊する声で話すのだ。
「お聞きなさい、我が民の子よ。終末定理よ。あなたたちに頼みたいことがあるのです」