14
『信者直人とその姉を引き渡せ』
「おい、この後ろはどうなっている」
飯塚は親指を背後に送るように仕草をして、朱美に訊ねる。
「ムラノ・リゾートの境界に壁があって、その先は急な斜面の山になっています」
「その壁は人間が登れる?」
朱美は首を振る。
「無理だと思います」
「どうすんだよ。リゾート内の客も、警備員もゾンビ化して…… さらに信者とライフル部隊、おまけに装甲車もある。もう無理だ。せっかくスクープ映像を撮ったというのに!」
和泉がヒステリックな感じに捲したてた。
「そうだ」
田所が言った。
自らの首にあった懐中時計型の爆弾を持ち出した。
「これ、もっとないの?」
朱美は服のポケットからいくつか取り出した。
「これだけです」
「……」
「無理だな。死者は噛みついて増殖する。こんな小さな爆弾じゃ、何個あっても追いつかない」
和泉はそう言った。
「すぐ起動出来る? 起動できるように準備はできる?」
田所は朱美に懐中時計のような爆弾使えるようにしてくれと言う。
「だから、こんなもんが」
「脅しだよ。はったりに使うんだ」
田所は説明を続ける。
「例えば、いくつか同時に爆発させれば、それなりに目を引く。同じかそれ以上の火力を仕掛けた、と言えば近づけないだろう。時間を稼げば、何かいいアイディアが浮かぶかも」
「死者にハッタリは効かないぞ」
「……けど、時間稼ぎにはなる」
「もうおしまいだ…… スクープを手にしながら、僕の人生はここで終わるんだ」
和泉は両手で自らのカールした髪の毛を掻きむしった。
「準備できました」
「言ったやつだけを爆発させることも出来るよね」
田所の問いに朱美は静かにうなずいた。
「武、任せた」
飯塚はそう言うと、奥へ走っていった。
「あっ、に、逃げやがった」
和泉が飯塚に向かってそう言った。
田所は全く
「俺が合図したら爆破。いい?」
「はい」
返事をする朱美のキリっとした表情をみて、田所はニヤけそうになるのをこらえる。美しい。この表情をこんな間近で見られるなんて、と田所は思った。
「また出てきた」
ホテルの方を見ている直人がそう言った。リゾート内から出てきて、宗教施設との境の壁を隠す林と、ホテルの間。つまりこの通路におけるゾンビ密度をどんどん上げていく。
田所たちはジリジリと後退していた。
入口にいた信者の歩みは遅いが、ホテルからゾンビが漏れ出てきて隙間を埋めてしまい前には進めない。自然と後ろに下がっていくしかないのだ。
「……」
田所は決意したようにゾンビの群れに向かって走りだした。
「何を!」
直人が驚いたように叫んだ。
田所は宿泊客の首に向けて、鞭のようにして懐中時計のような時限爆弾を巻き、言った。
「一番っ!」
朱美はスマフォ画面を素早くタップする。
チッ、と音がすると田所の手の先にある懐中時計型の爆弾が爆発した。
飛び散る皮膚と、体液。
田所の手の先には、鎖だけがぶら下がっている。
その宿泊客は、突然動きが停止した。
ゆらっと頭が左右に揺れたかと思うと、ガクンと落ちるように正面を向いたまま頭が左肩に付いた。
「何っ!」
遠くの装甲車の屋根から、声が聞こえた。
麻森は、装甲車の屋根の上で、小指で鼻をほじっている。どうやら、声を上げたのは麻森ではないようだ。
パッと、短髪の頭が出てきたと思うと、双眼鏡でその様子を確認した。
双眼鏡をもつてには、薄手の手袋がはめられていた。中林だった。
「止まれ。奴らにも手持ちの火力があるようだ」
ゆっくりと進んでいた装甲車が止まる。
反動で前のめりになった麻森は、小指を中林の頭に擦り付けるように触れた。
「どーした、中林。慌てるな」
「しかし、まずは状況の確認が必要かと」
「慎重なのはいい。しかし、慎重すぎたからここまで逃げられたんだぞ」
「……」
中林は田所たちの方をみたまま、歯ぎしりした。
田所は、その様子をなんとなく感じ取って、自らの狙いがうまく行ったことを喜んでいた。
麻森は装甲車の屋根を、バンと手でたたいて合図する。
「もう一度要求しろ」
『繰り返す。信者直人とその姉を引き渡せ。ひき渡せば装甲車も、ゾンビも引き上げる』
拡声器からそう聞こえてくる。
「!」
背後に近づいていた警備員が、田所の右腕をつかんだ。
「うわぁっ!」
突然のことに驚き、動揺して叫んでしまう。
不器用な左手で必死に対中時計を取り出すと、背面に手を伸ばすようにして警備員の首に巻き付ける。
「さ、三番!」
朱美は一瞬戸惑ってから、スマフォの画面をタップする。
パン、と軽い爆発音がして、皮膚と体液が飛び散ると、警備員の頭がおじぎする。
動きは止まったが、つかまれている腕が離れない。
「は、はずれないっ!」
ゆら、ゆらっ、とゾンビは肩を水平にねじるようにして進んでくる。
「だ、誰か…… 助けて」
田所が泣きそうになりがらそう言うが、朱美も直人も助けにいくどころではなかった。
「そうか、お前らが麻森のところに行けば、この話はおわるんじゃないか」
和泉が朱美の腕を引っ張って、装甲車の方へ連れて行こうしていた。
「いやよ、絶対に嫌っ!」
直人は逆に朱美を引っ張った。
「ねぇちゃんは渡さない」
和泉が諦めて、朱美の手を放す。
引っ張っていた直人の方に動くと、朱美は転んでしまう。
転んだ朱美を手を離したせいで、直人は勢いあまって、従業員の群れに突っ込んでしまう。
「直人!」
直人は従業員の輪の中心にいた。立ち上がって、隙間から抜けようとすると、ジリッと従業員達が間を詰める。
前、後ろ、右、左、少しずつ輪の直径が狭まってくる。
「田所さん、直人に爆弾を渡してっ!」
朱美の声が聞こえる。田所は腕をつかまれたままで動けない。
「投げるけど、いい? 衝撃で爆発しない?」
田所は叫ぶ。
「いいから、早く!」
利き腕をつかまれている田所は、無理な姿勢からポケットの中を探って、放り投げる。
「はいっ、これ七番!」
フラフラと力ない投法で宙を舞う懐中時計型の爆弾を、走り込んできた朱美がジャンプしてキャッチする。
「……」
田所はその姿に見惚れていた。
バレエのプリマドンナが舞台の中央でリフトアップされたかのようなジャンプ。世界がスローモーションで動き出したようにも思えた。
着地すると同時に足を踏ん張って真後ろの方向へダッシュする。
強靭な肉体をもつアスリートのそれのようだった。
「直人、こっちよ!」
言いながら投げつけた懐中時計型の爆弾は、正確に一人の従業員の首に絡まった。
そしてそのまま、タップ、爆発。
動かない従業員の脇を抜けて直人が生還する。
「す、すげぇ……」
田所は息を吐くようにそう言うと、視野の隅で何かが動くのを感じた
振り向くと、つかまれた腕に向かって、別の宿泊客が大きく口を開いていた。
「だ、だめだ……」
ガッ、と蹴り込むような音が聞こえると、その宿泊客は尻を突いて倒れていた。
「鹿島さん?」
「こんなの振り切れないの?」
そう言いながら、動かなくなった警備員がつかんでいる腕を引きはがすのを手伝い始める。ゾンビの指を指でめくるように引っ張るのだが、固くて動かない。
「なにこの握力……」
「武!、皆、頭を下げろっ!」
「?」
飯塚の声だった。
田所も、來山姉弟も、鹿島も、そして和泉も、その飯塚の声に、その場で腰を下ろした。だが、その意味は分からなかった。
「いけぇ!」
『パンパンパンパン……』
ムラノ・リゾート内に、連続する爆裂音が響き渡った。
「な、なんだ?」
田所達にも何が起こっているか分からなかった。
装甲車の屋根上で胡坐をかいている麻森も、その前で双眼鏡を除いている中林にも、何が始まったか分かっていなかった。
「何なに、なんなの?」
硝煙の臭いが立ち上っている。
装甲車の方向から、信者が動かなくなっていく。
「!」
田所は、ゾンビの隙間から入口から入って来た者がいることに気付いた。
パン、と音がするたび、信者の頭が吹き飛び、動きが停止する。
拳銃を使う連中が、助けに来ていた。けど、誰がそんなことを……
田所はムラノ・リゾートの入り口側を凝視する。
「天野! 天野だ! 天野が警官隊を呼んだんだ!」
田所は振り返って、飯塚を探す。
飯塚は親指を立てて笑っている。
「もっと早く気付いてやれよ」
天野が、おどおどしながら、銃を左右に振りながら移動しているのが見える。
「警察、警官隊が入ってきました」
「……チッ」
麻森は閉じたような目の左側だけを少し開くと、舌打ちした。そして、屋根を開けると車内に飛び込んだ。
「行け!」
麻森の声を受けて中森が言う。
「引き返せ、つかまる訳にはいかん」
すると装甲車は周囲の信者を蹴散らし、引き倒しながらUターンすると、タイヤを鳴らしながら加速して、警官隊の正面に突っ込んだ。
蜘蛛の子を散らすように警官隊が散開する。装甲車は二、三台のパトカーにぶち当たりながらも、あっという間にムラノ・リゾートから走り去ってしまう。
「い、今の、今のヤツを止めないと……」
天野が部長に言うと、お腹の出た警察官は言った。
「ゾンビ連中の一掃、鎮静化が最優先だ。これ以上被害を広げてはいかん」
周囲の警察官はうなずいた。
外のゾンビを一通り処理すると、警官隊は宿泊施設内へ踏み込んでいく。
ゾンビの処理が進んでいく中、鹿島の助力もあって、ようやく田所をつかんでいた警備員の手が外れた。
「……た、助かった」
「ありがとうは?」
鹿島が威張ったように胸を張って、体を反らせていた。田所は鹿島の手を取り握手すると、
「ありがとう」
「どういたしまして」
そう言う鹿島の笑顔に、汗が光っていた。




