1-4「コルの災難」
「……ねえ、コル、そこの店で売ってる食べ物、美味しそうじゃない?」
ニコニコと笑顔を湛えて、ルエナがコルの方を見る。それを見て、コルはなんとなしに不安を感じた。
これまでのルエナに似ず、やけに愛想のいい笑顔だ。まだ二回しか会ったことのない相手だが、これが良くない兆候だということは分かる。
「……ああ、レクニュだね。すごく美味しいよ。一度食べてみたらいいんじゃないかな?」
コルは平静を装って答える。そこの店で売っている料理、レクニュは、野菜と牛肉をソースにつけたものを、小麦粉の生地で包んで揚げる、春巻きの一種だ。
屋台で売るときは、出来上がったものを木串に刺して売るのが一般的だ。甘辛いソースと火の通った肉の芳ばしい香りがコルのいるところまで漂ってきて、慣れない夜更かしで小腹の空いたコルの鼻孔を快く刺激している。
「ところでね、コル、私、今まで灯護院の外に出て行ったことないって行ってたでしょ? で、灯護院の中じゃお金使うことなんてないじゃない? つまり……」
ルエナはそこでわざとらしく溜めを作って遠慮がち(に見える)視線でコルを窺った。
「私、お金持ってないのよ……」
端からルエナの魂胆に気付いていたコルはふーん、と相槌を打ち、視線を逸らして受け流そうと試みた。
しかしルエナはそんなことで諦めたりはしなかった。じぃーーっと、コルがそわそわして落ち着かなくなっても構わずまっすぐ見つめ続けてくる。
いや、見つめているように偽装して睨んでいる、と言ったほうが正しいかもしれない。
暫時の無言の攻防は、やはりというか予想通りというか、ルエナに軍配が上がった。
「分かったよ、買ってあげるよ、買ってあげればいいんでしょ……」
コルは半分呻くような声で言った。
「私、別に何もお願いしてないわよ?」
白々しく訊き返すルエナの表情は、町に連れてくる約束を取り付けた時と同じくご満悦だ。
「はいはい、分かってますよ、ルエナお嬢様」
コルはやれやれといった感じで答えつつ、バンダナを頭に巻いた、いかにも人の良さそうな屋台のお兄さんに二人分のレクニュ代を支払うのだった。
二人は各々串レクニュを片手に、またしばらく夜市をぶらぶらと歩きまわった。ただし、夜市を純粋に楽しんでいたのはルエナだけで、コルはといえばルエナが店の商品に目をつけるたびに、また強請られるんじゃないかとハラハラしどおしだった。
幸い、レクニュ以降はまだ何も強請られていないが、商品と値札を真剣な眼差しで見較べて歩くルエナの様子からは、コルの所持金を予想しつつこれぞという品を見定めようと意気込んでいる心情がありありと読み取れた。
しかしあまりに多い店と商品にルエナが拘っている間に、気がつけば随分と時間が経っていた。ルエナもコルも育ち盛りの子どもである。灯護院の脱走という冒険の興奮の余韻が薄れてくると、今度はじわじわと強い眠気に襲われてきた。
正確な時間は分からないが、恐らくもう深夜は超えているはずだ。それに灯護院を抜け出したことを隠し通さなければならない二人にとって、あまり夜更かしをして翌日に疲労を残すことは危険でもある。
そういった諸々の事情を鑑みて、コルがルエナに「そろそろ帰ろう」と進言しようとした、その時。
どこか遠くから、地響きのような音が聞こえた。コル達がなんだろうと顔を見合わせている間に、今度は人々の間に悲鳴の波が広がる。
これまでのお祭の賑やかさから打って変わって恐慌に包まれた大通りを、男の吠えるような呼び声が貫いた。
「急げッ! みんな、丘の方へ逃げろッ!!……妖魔が町に侵入したぞ!!」
それを聞いたコルとルエナは、再び、今度はすっかり青ざめた表情で、顔を見合わせた。
一章・完