序-3「本音」
「……つまり、『院長の娘』って言われるのが嫌なんだね?」
またルエナがいきなり爆発しやしないかと内心ひやひやしながら、コルはなだめるような口調で聞いた。
「そうなの。私が何かいいことをしたら『さすが院長の娘』、悪いことをすれば『院長の娘なのに』……周りにいる人たちみんな、私のこと『院長の娘』としてしか見てくれないのよ。誰も私自身のことを見てくれない。私のこと、お父様の分身かなんかだと思ってるんだわ。お父様が完璧なんだから、娘の私も完璧に違いない、みたいな顔して……ほんと、嫌になっちゃう」
ルエナはそう言ってあからさまに頬っぺたを膨らませた。そういう表情をすると、割と大人びて見えるルエナの顔立ちが、一気に歳相応に幼く見えた。
「院長の子どもも、いろいろ大変なんだね……それで、授業を抜け出して来ちゃったの?」
コルは、先ほどルエナが「『あなたも』授業から抜け出してきたの?」と言っていたのを聞き逃してはいなかった。
「ふふん、そうよ。メティオ先生ったら、私のこと『院長の娘なんだから学年一の優等生に違いない』って、難しい問題は必ず私を当てるのよ。それで、うまく答えられても当たり前って顔しかしないし、間違えたら冷めた目でぼそっと『院長は失望なさるでしょうね』とだけ言うのよ。そんな言い方ないと思わない? だから、ちょっと出し抜いてみたくなったの。どうやって抜け出したか、知りたい?」
ルエナはいたずらに成功した子どもらしい嬉々とした無邪気な様子で言ったが、コルにはなんとなく、その声の裏に言いようのない寂しさが込められているような気がした。しかしルエナは、コルが「知りたい」かどうかの答えを待ちもせず、話し続けた。
「……それでね、私が授業の直前に先生の教科書を隠したものだから、先生ったら慌てちゃって。ほら、メティオ先生ってプライドが高いから、生徒の前で自分が教科書を忘れたなんて言えないでしょ? だから何も起きてないふりして記憶を頼りに授業しようとするのよ。
でもさすがの先生も教科書を全部暗記なんてしてないから、たどたどしちゃって。だから私、聞きたいことがあるふりして先生を呼んで、周りに聞こえないようにこっそり言ったのよ。『もし教科書をお忘れなら、私が腹痛を起こしたふりをして、取ってきて差し上げましょうか?』って。
それを聞いた時の先生の地獄から救われたような顔と来たら、私が犯人だなんて知りもしないで……今思い出しても笑っちゃうわ」
そう言ってルエナはまたふふんと鼻で笑ったが、その目がまったく笑っていないことに、コルはもう気づいていた。
「でも……それじゃあ、メティオ先生は今も、君が教科書を持ってきてくれるのを待ってるんじゃないの?」
コルはおずおずと尋ねた。
「そうよ、私がそもそもの犯人だなんて露知らずにね。だから私、たっぷりじらしてあげてるの。いい気味だわ」
「でも、そりゃ、気持ちはわかるけど……そんな復讐のしかたって、良くないんじゃないかな……」
コルは臆病で多感な十一歳の少年としては最大限の勇気を振り絞って、ルエナをたしなめようとした。
「……分かるの? あなたに? どんなに頑張って一番の成績をとっても誰にもほめてもらえなくて、ちょっとの失敗も許してもらえなくて、みんなから敬遠されて頼れる友達もできない人の気持ちが、あなたに分かるっていうの?」
詰問するような言葉遣いだったが、ルエナの声は怒ってはいなかった。その真剣な様子に、コルは中途半端な同情ではルエナの心には響かないことを直感的に悟った。
ルエナに見据えられたまましばらく躊躇した後、コルは先ほどから避けていた自分の話題を切り出すことを決心した。
「君の言いたいこと、全部は分からないと思う……けど、頑張っても報われない辛さなら、知ってる。僕は、まだ自分の精霊と出会えてないんだ。あと残り半年の間に精霊と出会えなかったら、僕は、この学院にいられなくなる……
ずっと、精霊師になるために、努力してきたのに……何年も勉強してきたことが、全部無駄になるかもしれないんだ。どうして精霊と出会うことができないのかも、分からないまま……」
コルは、訥々と、自分の胸の裡を話した。それは、これまで誰にも打ち明けたことのない思いだった。
「それに……それだけじゃないんだ。今までは、クラスの中にたくさん友達がいて、悩み事があればなんでも相談できた……でも、みんな自分の精霊と出会ってからは、精霊と心を通わせることに夢中になって、ひとり、またひとりと離れていったんだ……
僕は気づいたら、クラスの中で一人ぼっちになってた。僕、知ってるんだ。みんなが僕のいないところで僕のことを『できそこない』って馬鹿にしてることも……」
誰にも言ったことのない本音を、初めて会ったばかりの少女に打ち明けているのは、なんだか妙な気もしたが、不思議と思ったより違和感がなかった。逆に、初めて会ったから相手だからこそ、素直に打ち明けられたのかも知れない。
そう思ったとき、ふとコルにはルエナのずけずけした態度が腑に落ちたような気がした。もしかしたら、ルエナも同じなのかもしれない……