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4-4「踏み出す勇気」

 コルが表札を頼りに見つけた三番の部屋に入ると、白木のフローリングであった修練場とは打って変わって、床も壁も天井も全面が重々しい石材に囲まれた光景が目に入ってきた。明り採りの天窓から光が射しているので暗くはないはずなのだが、石材の黒に近い灰色のせいで束の間夜になってしまったかのような錯覚に陥る。熱を留めない石造りの影響で温度がすっと下がったように感じたことも、その錯覚に拍車を掛けた。


 なんとなくその場にいるものに押し潰そうとするような威圧感を与えるその石材は、名を『封煉岩』と言う貴重な物だ。その名が意味する通り、精霊の火をほとんど完全に遮断する性質を持っている。つまりこの部屋は、精霊の火を使うようにできているのだ。


 コルは冷たい床に跪き、メティオ先生に渡された布袋の結び目を解いた。するすると袋が滑り落ち、中から鞘に収まった剣が姿を現す。柄には革が巻かれており、作りは質素だがしっかりしている。前後に伸びる鍔の中心には、不自然な窪みがあった。


「……行くよ、クッキー」


 そう囁きながら、コルは胸元のペンダントを手に取る。ランタンの形をした朱色のトップは、金具を適切に捻れば簡単に紐から取り外せるようになっている。コルは取り外したトップを、もう一方の手に持った剣の鍔の窪みに嵌め込んだ。そして外れないように再び金具を捻る。コルは立ち上がり、鞘に納めたままの剣を左手で腰に構え、右手を柄に添える。


 先ほどまではただの鉄の塊であった剣から、今はかすかに熱と、鼓動のようなあるかなしかの震えが感じられた。まるで剣そのものに生命が宿ったかのようだ。視界には映っていないが、鍔の精霊石が光を放ち始めているのを、コルは心を通して感じ取っていた。その光はコルの心の中に木漏れ灯のように降り注ぎ、コルの心にも熱を宿す。


 朱色の光が与える熱がコルの心の中で臨界点に達した瞬間を狙い澄まして、コルは一息に剣を抜き放った。剣からはシュッという抜刀音に加えて、炉に鞴で風を送った瞬間のようなゴウッという音が響く。その瞬間、灰色の部屋を眩しいほどの朱色が照らし出した。


 コルの右手に斜め下に向かって提げられた剣が、その真っ直ぐな刀身全体を覆うように炎に包まれていたのだ。同時に、抜刀の瞬間に放たれた炎が空中で寄り集まり、火の球を形成する。一瞬ののち、その火の球が弾けると、体長五十ディミ(一メートル)ほどのグリフォンが姿を現した。


「クッキー、やることは分かってるよね?」


 コルはあえて声に出して聞いたが、当然クッキーは先刻承知だった。師匠の立ち会いなしでやるのは初めてだが、この修行方法自体はすでに何度もやっている。それに何より、コルとクッキーは心で繋がっているのだ。クッキーもやる気十分という目でコルを見返してくる。それを見て取ったコルは剣を持ち上げ、ゆっくりと体の正中線中段に構える。


 その瞬間から、コルとクッキーの間に水を張ったような緊張感が広がる。心が研ぎ澄まされるような鋭利な時間が流れる。コルはじりじりと体を動かしながら、打ち込みのタイミングを見計らう。剣が纏う炎が、コルの体を暖かく撫でる。


 しかし今はその光を通じてクッキーの心が流れ込んでくることはない。修行のため、敢えて心を閉ざしているのだ。だからコルはクッキーの次の動きを、目で見て予測するしかない。


 二人の間に張り詰めた緊張の糸が、ふっと揺らいだのを感じたコルは、すかさず右足で地面を蹴り、剣をまっすぐ振り上げてクッキーに打ちかかった。しかしクッキーもその初動を予測していたらしく、翼を一打ちして右に回避する。振り下ろしたコルの剣は、クッキーの左翼の先端をほんの少し掠めた。


 クッキーは回避の勢いをそのまま利用して、コルの背後に回り込もうとした。コルはそれを迎え撃つように、体を右回りに反転させながら、剣を左下から右上へと斬り上げた。クッキーはその軌道を読み、回避は間に合わないと判断して、右前脚の鷲の鉤爪で剣を受ける。


 金属同士がぶつかり合うような鋭い音が鳴り響く。空中にいるクッキーは踏ん張りが効かないので大きく仰け反ったが、有効打は入っていない。


 今度はクッキーが攻める番だった。猛禽らしい甲高い鳴き声を上げながら、両前脚の鉤爪をくわっと広げて、空中からコルに襲いかかる。コルは剣を目線の高さに横に構えてその鉤爪を受ける。再び刃鳴りが響くが、今度はクッキーは吹っ飛ばされない。鉤爪で剣を掴み、鋭い嘴で突きを繰り出してきたのだ。コルはすんでのところで頭を下げてそれを躱し、同時に剣を振り抜いて鉤爪の拘束を振りほどく。


 クッキーがわずかに姿勢を崩した瞬間を見逃さず、コルは手首をひねって剣を返し、踏み込みながら右から水平に薙ぎ払う。今度の攻撃にクッキーは対応しきれずに、コルの剣がさらけ出されたクッキーの胴に痛烈な一撃を加える。……といってもクッキー自身の炎を纏った剣がクッキーに実際に傷を負わせることはないのだが、模擬戦なので有効打かどうかの判断さえできればそれでいいのだ。ちなみに、クッキーの炎もまたコルの心からできているので、クッキーがコルに攻撃を当てた場合も、同様に傷を負うことはない。


「……まずは一本」


 距離を取って仕切り直しながら、コルは柄にもなく挑戦的な言葉を放つ。精霊師と相棒の模擬戦は、お互い攻撃しても相手に傷を負わせることができないので、一切手加減することなく実戦さながらの試合ができる。それゆえの高揚感が、コルを大胆にさせているのだ。


 今度はクッキーが、反撃とばかりに先に攻撃を仕掛けてくる。コルはそれを躱し、次の攻撃を剣で防御して斬り返す。それに対してクッキーもまた躱し、身体を翻した勢いで鉤爪を振り下ろす……そんな鬩ぎ合いが続くうちに、コルとクッキーの心はさらに研ぎ澄まされていき、互いに先の動きを予見しているかのような流れるような動作を生み出していく。


 コルはそんなぎりぎりの攻防を続けながら、同時にクッキーとの絆を改めて感じ取っていた。たとえ今は意図的に心を閉ざしあっているとしても、日頃心を共有し合っている二人だからこそ、これだけ息の合った模擬戦ができるのだ。もしかしたら、この模擬戦の存在価値は、実戦技術の習得だけでなく精霊師と相棒の相互理解を深めるところにもあるのではないか、とコルは密かに思っていた。


 そう、一人じゃないんだ。コルはそのことをひしひしと感じていた。まだ実戦への不安が払拭された訳ではないが、少なくとも一人ぼっちで妖魔に立ち向かう訳ではない。その事実が、コルに先に進む勇気をくれるような気がした。


 クッキーも同じことを考えているのかどうかは、今は分からない。それでもコルは、きっとそうだという信頼に身を任せて、次の一合を刻んだ。



四章・完

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