4-3「修練場」
クロハの執務室を辞した後、コルはその足で灯護院祓魔棟にある修練場に向かった。朝はご飯が終わればすぐにそこで汗を流すのがコル達見習い精霊師の日課であったが、今朝は用事が入ったためいつもより遅くなってしまった。
中央階段から二階に上がり、西側の広い廊下を進んでいく。その廊下を中程まで進んだ左手、つまり北を上にして灯護院の間取を見たときの左下側に、修練場はあった。
開放感のある、悪く言えばだだっ広い修練場では、あちらこちらで精霊師達——見習いもいれば上級精霊師もいる——が各々の必要に応じた訓練に励んでいた。木剣での素振りや模擬戦、柔軟体操に筋トレなど、その内容は様々だった。特に模擬戦のような動きの大きい訓練などでは周りとぶつからないかとひやひやものだが、毎日の習慣でそれぞれが無意識に引いている縄張りを把握し合っているので、事故は滅多に起こらない。そのせいかそれらの光景は、一見雑然としているようでいて一定のルールに則った劇のようにも見えた。
コルもいつもであればその中に混じってクロハから教わった基礎訓練を始めるところなのだが、今日は違った。もちろん素振りのような基礎訓練も軽んじていいものではないが、今日はいつもと違う事をしようとコルは考えていた。
コルは人々の間をうまくすり抜けるようにして、修練場を横切っていった。時々人とぶつかりそうになってひやひやしながらも、なんとか無事に反対の縁までたどり着く。その先には、修練場のさらに奥につながる扉があった。普段は一人で潜ることのないその扉を、コルは意を決したように開いた。
「……ん、おはよう、コル君。君がこの時間にここに来るのは珍しいな」
扉の先の部屋の、左側から声が聞こえた。見ると、そこに設置されたカウンターの先で、茶色の肌を持つ、無表情なひょろ長の壮年男性がコルを見ていた。
「おはようございます。今日の当番はメティオ先生だったんですね」
コルは礼儀正しく頭を下げて挨拶した。最近はファグイにクロハといったおちゃらけた方々に囲まれて生活しているせいで率直な態度も板についてきてしまっているが、コルは基本的には大人しい質の少年だった。ましてメティオ先生は厳しい性格で、授業を受けていた頃は散々しごかれていたのだ。そんな人に悪戯を仕掛けていたルエナの肝っ玉の据わりようについては、改めて述べるまでもない。
「君もついに街の外に出られるようになったのだな?」
メティオ先生は表情は少しも変えず、眉をちょっとだけ上げて尋ねてきた。いかにも無愛想な対応だが、メティオ先生に眉を上げさせるというのは、かなりの高評価を得た証だというのが、学院生の中ではもっぱらの定説だ。メティオ先生が表情を顔に表すほどの感心を得ようと試み、斃れていった学院生は数知れない。
「ご存知だったんですね。クロハ師から聞いたんですか?」
「いや。当て推量だ。今まで来なかったのにいきなりここに来る見習いの九割九分はそうだからな。さて……」
訊き返したコルになんでもない風に答えながら、メティオ先生は手元の机に置かれている書類を確認し、カウンターの奥にある扉に入っていく。数十秒後、メティオ先生はその手に六十ディミ(百二十センチ)ほどの細長い布袋を持って戻ってきた。
「三番の部屋が空いてる。そこを使ってくれ」
メティオ先生はカウンター越しにその包みを差し出しながら言った。コルは礼を言うと、その包みを手に取る。布の柔らかい感触を挟んで、中に入っているものの重く硬質な手応えを感じる。その重さに、コルは自分がついに実戦に向けた一歩を踏み出していることを噛み締めた。




