4-2「コルの初任務」
「……さて、それじゃあ本題だが、ハイネルのおっさんから任務が入った。ティーア師とエルミオの奴がアグノスの町から西に二百ルグリード(四十キロメートル)ほど行ったところにあるエンシオ渓谷の龍脈調査をするんだそうだ。あそこは前々から新しい町の建設地になるんじゃないかって注目されてるからな。そんで、俺とナイトアが護衛役に任命されたわけだ。そこでなんだが……コル、今回はお前も連れて行こうと思う」
クロハがさりげない口調で言った最後の言葉は、コルに驚きと、ついにその時が来たかという感慨を同時に与えた。
灯護学院で精霊師を目指す子どもたちは、十歳で入学してから十二歳になる年までを教室での座学と精霊術の基礎となる精神のセルフコントロールの修行に費やす。その間に無事に精霊と出会うことができれば、今度は精霊との対話による相互理解の構築が主な課目となる。
そして十二歳になった次の年度からは、それぞれ上級精霊師に弟子入りし、十六歳になる年まで師匠の雑用係をしつつ精霊術と戦闘技術を学ぶ。その途中で師匠に能力を認められれば、実際に町の外に出ての実地研修に入ることができるのだが、そのタイミングは人によってまちまちだ。図抜けた才能を持つ学院生であれば一年目からいきなり許可される場合もあるが、いつまでも十分な実力が得られたと認められなければ最悪落第ということもありえる。
平均的には三年目の終わり頃から四年目の頭になることが多いため、今回は平均よりも少し早いことになる。ちなみにファグイはコルの一年先輩であり、すでに実地研修の許可を得ている。さっきファグイがエルミオ師に呼び出されていたのも、おそらくはファグイもこの任務に同行するためだろう。
「……なあに、緊張しなくてもお前の実力なら難しくない任務だよ。エンシオ渓谷までの地域は妖魔の生息域調査も十分に進んでいるからな。こっちがヘマさえしなければ、妖魔に遭遇することもなく終わるだろうよ。どうだ?」
コルが口に出さずとも緊張していることを察知したのか、クロハはコルを励ますように言った。コルはその言葉に小さく頷くが、心の中ではまだ納得し切れていなかった。たしかにコルの成績は灯護学院全体で見ても悪くはない。コルの同期の中でも、すでに実地研修に出ている人もいる。
しかしいざ自分が実際の妖魔と戦うことを想像すると、未だにそこはかとない不安を感じてしまうのだった。それはおそらく、三年前に蛇の妖魔——後になってペルティオという名前だということを知った——に襲われた時の記憶が脳裏に焼き付いているからだろう。あの時コルはギリギリで救援に来てくれたクロハのお陰でなんとか生き延びることができたが、そうでなければ力尽きたまま殺されていただろう。その経験が、コルに拭いきれない劣等感を植え付けているのだった。
必要以上に怖がっているだけだ、それに自分も今は修行を積んであの時より強くなっているはず、そういったことを理論上は理解できていても、心の奥底に刻まれた感情というのは理屈だけでは簡単に乗り越えられないものだ。
しかしそんな想念に取り憑かれそうになったコルを、心の内側から励ます感情があった。それはコルの胸元に下げられたペンダントから、朱色の暖かな光とともに響いてくる心の波動だった。精霊石の中に眠っているコルの精霊・クッキーが心で語りかけてきているのだと、コルは覚った。
そしてその光に包み込まれるにつれて、心の奥に刺さる三年前の記憶の棘が少しだけ小さくなったような気がした。
「……はい、やってみます。よろしくお願いします」
自分ではほとんど意識することもなく、コルはその言葉を口にしていた。クッキーと心を通わせながら人と話をしていると、時々自分の発した言葉が自分で考えたものなのかクッキーが自分を通して話しているのか分からなくなる瞬間がある。それはとても奇妙な感覚で、初めのうちはなかなか素直に受け入れられなかったが、三年も経った今はもう慣れっこになっていた。
つまりそれだけ、クッキーとの間に深い信頼関係を構築できたということなのだ。少なくとも、そのくらいの進歩はしていると自認していい、とコルは自分を励ました。
「いい返事だ。そう言ってくれると思ったよ。それじゃあ出発は明後日の朝八時だ。それまでに遠征の準備を整えておくように。いつも俺が一人で出る時の荷造りを手伝ってもらってるから、何を持っていけばいいかは分かるな?」
クロハの確認に、コルは「はい」と頷いて答える。
「よし、それじゃあもう行っていいぞ……ああ、それと」
クロハは土壇場でなにかを思い出したように、部屋を去りかけたコルを呼び止めた。
「何でしょうか?」
「……コルの初任務が無事に終わったら、一緒にアルベリーパイでも食べに行こう」
「いいですけど、僕は奢りませんからね」
コルはにこやかにそう言ってのけると、とやかく言われる前に部屋を出た。それでもドアの閉まり際にクロハが「ばれたか……」と独りごちる声が聞こえたような気がしないでもなかったが、温情をかけて聞こえなかったことにしておいた。




