表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/32

3-2「戦いの終わり」

 その炎の矢が妖魔に直撃する光景を、コルは自分の目とクッキーの目の両方から見ていた。それは妖魔の上顎に命中し、鮮やかな火花を散らしたが、流石に初心者の限界か、ヴィーナの火球と同じく妖魔に大きな痛手を負わせた手応えはない。それでも、初めて見る攻撃で妖魔を怯ませることはできたようだ。


「さあ、コル、この隙に逃げましょ!」


 この程度で妖魔は倒せないと身を以て知っていたルエナは、もともとそのつもりだったのか、すかさず言った。コルも薄々分かってはいたので、クッキーにも逃げることを心で伝えつつ、踵を返す。しかし自分の感覚とクッキーの感覚が混ざり合っているので、思うように体が動かせない。今感じている触感が、今動かしている手足が自分のものなのかクッキーのものなのか、俄に判別ができないのだ。


 よろめきながら進もうとするコルの様子を見て、ルエナはすぐに右手でコルの左手首を掴んだ。そして転びそうになるコルを容赦なく引っ張っていく。コルはバランスを取ることだけにひたすら集中して、なんとか転倒は免れる。


 一度走り始めると、次第に自分の境界線がはっきりとし始めた。確かなものとして伝わってくる地面や風、ルエナの手の感触が、コルにどこまでが自らの体であるかを意識させてくれるのだ。まだ夢うつつのような状態ではあるが、辛うじて走り続けられる。頭上ではクッキーが二人の上を旋回し、時折コルの体力を使って炎の羽根矢を飛ばし、後ろから追いかけてくる妖魔を牽制している。


「……ルエナ、北に向かうならこっちだよ!」


 少しずつ正常に戻り始めた頭をできる限り回転させながら、コルは右側の道を指差した。ルエナは振り返ってコルが指し示す方向を確認し、すばやく方向転換する。そのあまりに急角度なターンに、まだ手首を掴まれたままのコルは大回りに振り回されながらついていった。一瞬目が回りそうになりながら、コルはルエナに呼びかける。


「ね、ねえ、もう手を離しても大丈夫……」

「まだよ。あなた、初めての“交感”だから、まだ加減ができてないのよ。今手を離したら、また走れなくなるわよ」


 しかしルエナはきっぱりと言い放つ。そしてそれはおそらく図星なので、コルも反論は諦めてルエナに従う。その間も、頭の半分ではクッキーが送ってくる様々な情報が渦巻いていたのだ。


 クッキーは、後を追ってくる妖魔に対してヒットアンドアウェイを繰り返していた。クッキー自身は高く飛び上がれば安全に逃げられるが、コルとルエナを守るために敢えて妖魔を引きつけ続けてくれているのだ。


 いっそ別々の方向へ逃げられれば一番いいのだが、精霊師と精霊は離れすぎると力を発揮できなくなってしまう。熟達すればより遠くまで離れることができるようになるが、出会ったばかりのコルとクッキーでは五リード(十メートル)が精々だった。クッキーが高く飛び退いた時の感覚から、コルはその限界距離を本能的に把握していた。


 逃走劇はしばらくの間順調に進んでいたが、コルは次第に自分の体が重くなるのを感じた。ただ走っただけの疲れではない。クッキーが炎の矢を発射するためにコルの体力を消費し続けているせいだ。


 やがて頻繁に目眩が起きるようになり、コルはクッキーに攻撃の頻度を減らすように心の中で伝えようとするが、まだうまく意志が通じないのか、あるいはすでに限界まで節約している状態なのか、クッキーはその要望に応えてくれなかった。


 そしてついに、コルの体力の限界が訪れた。コルは酸欠に陥ったように目の前がぐらぐらし始め、ルエナが引っ張ろうとする力に逆らってその場で膝をついた。そこでルエナもコルの異常に気がつき、しゃがみこむとコルの顔を覗き込んで名前を呼ぶ。しかしコルにはそれも、隣の町で鳴る鐘の音のように遠く、くぐもって聞こえた。


 後ろからは妖魔が迫ってくる。コルにはそれは見えなかったが、クッキーが焦りの感情とともに送ってくる視覚情報からそれが分かる。コルは歯を食いしばり、なんとか立ち上がろうと心の中でもがいたが、体はまるで別の物体ででもあるかのように無反応だった。


 ここまで頑張ったのに。やっと精霊とも出会えたのに。僕はここで終わるのか。ルエナのことも助けられないまま……。無力感がとめどなく溢れてくる。


 しかしその時、ぼやける視界の片隅に、何かが映った。眩く輝く、群青色の光。それは揺らめきながらも、確かな存在感を放っていた。激しい力を感じさせながらも、見ていると不思議と安心に包まれるそれは、人間と同じくらいの四本脚の獣の姿をしていた。そして、その傍に照らされているのは、見慣れた制服の男性。


 灯護院の精霊師が助けに来てくれたのだ。コルは錆びついたように動きの遅い頭で理解した。コル達のような見習いではなく、一人前の精霊師が。もう大丈夫なんだ。そう感じた瞬間、それまでコルをぎりぎりのところで現実に繋ぎ止めていた糸がプツリと切れ、コルの意識を眠りへと誘った。



 コルは最後に残った意識で、何かが哀しげに鳴くのを聞いたような気がした——

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ