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2-4「契約」

 コルがその場所に着いた時、あたりは瓦礫まみれになっていた。一瞬、間に合わなかったのではないかと危惧したが、妖魔は近づいてきたコルに目もくれずに、引き続き家屋を破壊しようと態勢を整えつつある。ということは、まだ獲物に辿り着いていないのだ。


 路地の破壊に集中している妖魔に気付かれないように足音を忍ばせながら、コルは妖魔の後ろに回り込み、路地の状況を確認しようと試みる。心臓を高鳴らせ、嫌な汗をかきつつも何とか路地を覗ける場所まで移動できたが、路地が狭いせいで星の光も入りこまず、中にルエナがいるかどうかは見えなかった。


 ただ、代わりにあることに気付き、背筋を凍らせる。ルエナが逃げ込んだと思しき路地は、行き止まりになっていたのだ。ということは、他の状況証拠と合わせて考えても、ルエナが路地の奥に隠れ、それを襲おうと妖魔が周囲の建物を破壊している、と考えるのが妥当だ。言い換えれば、もうコルには一刻の猶予も許されないということだ。


 再び挫けそうになる膝をなんとか立てながら、コルは一瞬の逡巡の後行動を開始した。足元に転がっている瓦礫のうちで、コルに持てる範囲で最も大きなものを探し、右手に握る。そしてそれを、今にも石壁に牙を突き立てようとする妖魔の後頭部に力一杯投げつけた。


 石が蛇の頭に当たった音は思った以上に小さかったが、それによって与えた衝撃は妖魔の気を引くのには十分だった。妖魔は攻撃を中断し、振り向いてコルに目を向けた。蛇の顔なので当然表情は存在しないはずなのだが、爆発するばかりの怒りを滾らせていることはありありと分かった。ただでさえ獲物を捕食するのに手間取っている上に、あと少しのところで再び邪魔が入ったのだから、当然といえば当然だ。


 妖魔はもう、獲物をゆっくり追い詰めるような気持ちの余裕がなくなったのだろう。すぐさま牙を閃かせて、邪魔者であるコルに向かってくる。怒りに駆り立てられているせいか、その動きはこれまでが嘘のように俊敏だった。石壁を破壊する威力を見せつけた鋭い牙と強靭な顎を目の前にして、コルは自分がもう逃げられないことを覚った。もともと、妖魔を引き寄せてからどうするという作戦があったわけではない。ただ、ルエナを助けたくて土壇場で思いつく限りの行動を取っていただけだった。できる限りのことはしたんだ、あとはせめて、僕が襲われている隙にルエナが逃げ出してくれさえすれば——そんな思いで、コルは妖魔の牙が自分の体を貫く恐ろしい瞬間を待った。


 しかし、その瞬間がコルを訪うことはなかった。妖魔がコルを噛み砕こうとしたその刹那、どこからともなく朱色の閃光が流星のように飛来し、コルと妖魔の間に滑りこんだのだ。続いて、炎の燃えさかる音と共に、コルの目線くらいの高さに朱色の火球が浮かび、勢い余って突っ込んだ妖魔の鼻先を炙る。妖魔は空気を裂くような音のない悲鳴を上げ、首をのけぞらせる。


 火球はコルを守る盾となるように円盤状に変形する。なんらはっきりとした姿形を持っているわけではないが、コルにはその炎が生きていて、脈打つように胎動しているのが分かった。まるで生まれる直前の卵のように——


「——コル、急いで! その精霊に名前を付けるのよ! 生まれたばかりの絆が消えないうちに!」


 妖魔の背中越しに、ルエナがそう叫ぶのが聞こえた。コルはそれで我に返り、想定外の事態に停止しかけていた頭を働かせようと試みた。


 精霊は、精霊師と絆を結ばない限り、実体を持たないエネルギー体として一生を過ごす。本来、精霊に“個”はないからだ。しかし、精霊師がその精霊に名前を付けることで、精霊に“個”が生まれ、容姿も与えられる。名前が、精霊師と精霊の“絆”なのだ。今、コルの目の前に現れたのは、まさしくまだ“個”を持たない精霊だった。そしてそれがここにいるということは、コルと出会うために来てくれたということなのだ。


 ルエナの言うとおり、精霊が現れたらその場で名付けなければ、一度生まれかけた絆も消えてしまう。それに、今は妖魔に襲われている緊急事態なのだ。もたもたしている暇はない。しかしコルは緊張のあまり、『相棒と出会ったらこんな名前を付けよう』と考えてきた名前の候補が全て頭からすっ飛んでしまっていた。前後不覚に陥りかけたコルは、それでもなんとか名前を絞り出さないと、と必死で目の前にいる精霊を見つめた。すると、この異常な状況がどんな化学反応を起こしてしまったのか、朱色の炎の円盤を見たコルにある言葉が浮かんだ。


「クッキー……君の名前は、クッキー!」


 コルはそれをそのまま口に出し、叫んだ。この時のことを、ずっと後になってルエナに散々笑われることになるのだが、当然今はそれどころではない。


 コルに名付けられた精霊・クッキーは、その瞬間に火球から姿を変化させた。羽根のある二枚の翼をはためかせ、前後で形の違う四本足を伸ばす。後ろには先端に房のついた細長い尾を生やし、短い首の先には鋭角三角形の嘴を付けた頭が形作られる。これらの変化が、一瞬のうちに同時に行われた。変化が終わった後、そこにいたのはもはや炎の球ではなく、鷲の頭と翼と前脚、獅子の後脚と尾を持つ、小型犬程度の大きさのグリフォンだった。

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