七話 すれ違う者
行動に移すなら早いほうが良いということで、メイから相談を受けた翌日。俺は学校の帰りにメイの実家である木津宮神社に足を伸ばしていた。
周りを木々で囲まれたその神社は、広い敷地の中に佇んでいる。広大な森林地帯の真ん中をくり抜いているようなイメージ。入り口から神社の拝殿までの一本道は舗装されているが、左右は自然そのものの姿だ。これもまた、木津宮神社が人気である理由なのだが。
間もなく、お賽銭箱が置いてある拝殿に着く。するとそこには、箒で掃除をしている一人の男性が居た。メイに目配せをすると、ひとつ頷き、歩み寄った。
「お、お父さん……。連れてきたよ。昨日話した……」
父親はそれだけを娘の口から聞くと、言い終わらない内に手で制した。
反論もせずに押し黙るメイ。これだけのやり取りでわかる。話が通じる相手だとありがたいのだが……。
変な汗が、額を滑るのがわかった。言葉では言い表せない圧力が俺の周りを包み込んでいるようだ。
いよいよ覚悟を決め、言葉を発しようとしたそのときだった。メイの父親は右手を差し出してきた。な、なにが起こっているんだ?
「君が、娘のクラスメートの……オミ君だったね。よく来てくれたね」
穏やかな声と、人の良さそうな笑顔を見せる男性。握手に応じると、予想より一回り大きな手が俺の右手を包み込む。
「さて、大体の話は娘から聞いているが……。せっかくだ。家にお招きしよう」
そういうと、左に持っていた箒を外にある用具入れに片付け、敷地の更に奥へと進んでいった。メイの「友達の口から説得させよう作戦」は案外、上手く行っているのかもしれないな。
木津宮神社の大きな拝殿と本殿を外から半周すると、再び舗装された道が出てきた。こんなところに道があったなんて
「この先に、私が住んでいる家があるんだよ」
「そうなんですね、神社の裏まではなかなか回ることがないので、初めて知りました」
それもそうだと言わんばかりに、メイの父親は再び笑顔を見せる。しかし、上手く行き過ぎているからか……それとも、俺が変に構えすぎていたのか、妙な違和感を拭いきれない。
道が開けると、そこには一軒家が建っていた。現代風のどこにでもありそうな普通の家。
「妻はちょうど出かけていてね。何もない家だけどゆっくりしていってくれ」
そう言うと、来客用の部屋らしきところに通された。遠慮なく机の前に座ると、隣にメイも腰を下ろした。
良い話し合いは出来そうだと思っているのだが、メイの横顔は思いの外、晴れてはいなかった。
何となく2人で沈黙を保っていると、メイの父親が入ってきた。俺の前にお茶を差し出すと、向かい側に座った。
「おまたせしたね。それで、君から相談があると聞いているのだが」
俺から、というよりは、メイの相談だし、厳密には2人からのお願いなんだけどなぁ。と反射的に思ったところで、自分が思ったより緊張していないことに気付く。気になる点はたくさんあるが、話を切り出さないことには始まらない。
「まず、お尋ねしたいのですが。メイさんが修学旅行に行くのに反対なさっているんですか?」
俺は、メイから口伝えにしか聞いていない。しかも、「行くことを許してもらえないかもしれない」というようなニュアンスで言っていた。
つまり。まだお互いにきちんと向き合って話してはいないのではないだろうか? メイはメイで、勝手に自分で判断をし、諦めているのではないか。そう思った。
「俺も、この地域の住人なので臨龍祭が近いことは知っています。準備も大変だとは思います。でも、俺達にとって、最初で最後の修学旅行なんです」
決して威圧的になってはいけない。感情を込めすぎるのも逆効果だ。なるべく静かに、落ち着いて言葉を発する。向こうはただ黙って俺の話を聞いてくれている。
メイ本人からも、何か言ってやれとばかりに目配せをする。膝の上に置かれた両拳に力を込め、メイはその口をようやく開く
「わ、私……!」
「わかった」
両者がほぼ同時に声を出した。
「言いたいことは、よくわかった。私も闇雲に反対しているのではない。先程、君が言ったように臨龍祭の影響が大きくてな」
俺の予想より遥かに準備が忙しいのか、よく見ると、その顔には疲れが浮き出てきている。
「追い込みの時期に娘がいないのは、正直かなり困る」
やはり反対はしているようだ。
「しかし、そうだな。ふたつの条件を提案しよう」
「じょ、条件ですか?」
「そうだ。1つ目は、君が今年の臨龍祭の後片付けを手伝うこと」
若い男手が欲しいからね、と例の笑顔で付け加える。
なるほど。準備の段階では、素人に任せられることは少ないが、後片付けなら俺でも出来ることはあるだろう。神社や自治体も会社と同じで、人手不足なのかなぁ。
「わかりました。その件、俺で良いなら是非。もうひとつは?」
「もうひとつは」
その一瞬。空気が変わったような気がした。周りの何かが動いたような。曖昧で不確かな感情。しかし、不思議と嫌な気分ではない。変わらない声のトーンと、微笑みで彼は言った。
「修学旅行を楽しんで、一生の思い出を作ってくること」
話し合いを終え、メイが神社の出口まで送ってくれた。
「話せば分かってくれるじゃないか。お前の親父さんも」
実際、俺がちょっと手伝うことで丸く収まったのだ。喜ばしいことなのにメイの表情は明るくならない。
「どうしたんだよ。まだ何か気になることがあるのか?」
問いかけると、メイはその不安そうな顔をこちらに向けて言う。
「なんだか上手く行き過ぎているっていうか……。もう少し話も、もつれるかと思っていたから……」
確かに、俺もこんなに上手く説得できるとは思っていなかった。厳しい噂を聞いていたから、なおさらだ。
でも、悪い方へ行かなくて良かったじゃないか。とメイに言おうとしたところで、前から歩いてくる一人の女性が見えた。参拝客かと思ったが、手には大きなデパートの紙袋が下げられている。
「あ、お母さん」
隣からの声。あの人がメイの母親か。って、また母親世代にしては、若く見える人だな。ナコの母親もそうだけれど、美しさが子供にしっかり遺伝しているなぁ。
「あら、メイ。と、こちらの方は?」
母親を見た瞬間に、メイの曇っていた顔は明るくなる。父親の前では決して見せなかった表情だ。
「もしかして、オミ君?」
「え、あ。はい。そうですけど……」
初対面のはずなのに名前を呼ばれて、どもってしまう。
「昨晩、メイが言っていましたから。相談に乗ってくれた男の子が来るって」
あぁ、そういうことか。父親の説得の話を知っていたなら、俺の名前を聞いていても何ら不思議はない。
「その様子だと、良いお話が出来たみたいですね」
神社という神秘的な場所に相応しい、凛として、落ち着いている声色で話す女性。
「えぇ。最初は不安でしたけど、ちゃんと理解してくれる方で良かったです」
素直に言うとメイの母は、少し何かを考えた後に持っていた紙袋をメイに渡した。
「メイ。悪いけど先にこれを家に運んでくれる?」
「あ、うん。わかった。ってこれ結構重いね!?」
手渡された紙袋が、メイの手を地面へと引っ張る。よろめきながらも、なんとか持ちこたえる。
危なっかしい足取りで家の方へ戻って行ったけれど、大丈夫だろうか。
「じゃあ、俺も失礼します」
「少し待っていただけるかしら」
帰ろうとしたところを、メイの母親に呼び止められる。
「あなたは、とても人が良い様子ですけれど、簡単に物事を信じ過ぎてはいけませんよ」
今はまだ、頭の片隅に置いておくだけで良いので。と加えると軽く会釈をしてメイの歩いていった方へと自らも歩を進めていった。
「な、なんの忠告だろう……」
気にはなったが、昔からお人好しと言われ続けた俺だ。こういった忠告は受け慣れている。
日が傾き、薄暗く不気味な雰囲気を醸し出す一本道を、俺は何となく急ぎ足で後にした。
読んで頂き、ありがとうございます!
どこにでもいますよね、頑固な父親。しかしこれも愛娘のため……。