一話 新たな朝
ぼんやりとしながらも、徐々に、確実に、意識が覚醒していく。暖かくも寒くもない。まさに『ちょうど良い』。
良い目覚め。しかし、そんな直後に、相応しくない痛みが俺の頭の中を襲った。
「……いってぇ」
体を起こそうとした途端に、鈍い、不快な痛みを感じて、つい声を出してしまった。ゆっくりと痛むが、暫く布団の上で、じっとしていると痛みは嘘のように消え去った。
そうだ。昨日は夜更かしをしてしまったのだ。と、昨晩の自分の愚行を思い出す。
後悔しても仕方がないのだが、あの痛みを経験した直後ではなかなか、切り替えるのは難しい。
その時、家のインターホンが鳴った。宅配かと思ったが、玄関の鍵が回る音と、扉が開く音が聞こえてきた。その上に煩いくらい廊下に響く足音。
足音は俺の寝室の前で止まり、数瞬の内に、部屋の扉の悲鳴が聞こえてきそうな程、勢いよく開け放たれた。
「おっはや~! 良い朝だよ! ご近所の皆様!!」
何からツッコミを入れたら良いものか。いや、これは、ツッコんだら負け、という類いのものだ。そう決めると、起きた時より別の意味で痛む頭に手を置きながら、無駄にでかい声の持ち主の方を向く。
「朝から頭痛の種を持ってくるな、ナコ」
高鷲奈子。昔から近所に住んでおり、いわゆる幼馴染というやつ。
と、いう話をすると羨ましがられるのだが、良いことばかりではない。今のように勝手に部屋へ入ってくるわ、物を持ち込んで人の家を自分色に染めようとするわ、プライベートなんてあったもんじゃない。
こちらの苦労を知ってもらおうと、勝手にナコの部屋へ入れば、やれデリカシーだの、犯罪だのと言われ、翌朝にはご近所さん達から後ろ指を指されるのだろう。
「早く着替えて! 学校行こうよ~!」
再び被ろうとした布団を、強引に奪われる。
「……まだ、全然余裕じゃないか。なにそんなに慌ててるんだよ」
学校は逃げませんよ。むしろ学校から逃げたい日の方が多いくらいだ。
時計の針は、登校するには、まだかなり早い時間を表していた。
このうるさい小娘の説得を試みるが、ナコは更に近づいてくる。近い近い。寝起きなんだからそんなに寄るな。
「なーに言ってんの。今日から3年生だよ!! ギリギリで行くよりは、早く行ったほうが良くない?」
学年を表す胸元のリボンを嬉しそうに弄るナコ。その色は、赤から青に変わっている。オレンジ色がかかった髪のアホ毛も、ナコの気分に乗せられてピョコンと跳ねたように見え、俺は目を擦る。
この元気いっぱいアホ毛少女が言う通り、今日から俺たちは高校3年生。
これからの行事は、だいたい『高校最後の』という名目を付けられ、俺達は良いように踊らされるのだ。
「わかった。わかったから離れろ。そして着替えるから出て行け」
今から寝たら、それこそ本気で遅刻してしまいそうだったので起きることにした。
そういうと、ナコは「先に降りてくね!」と言いながら走って退出していった。
その後姿を見送り、カーテンを開ける。すると、暖かな光が差し込む。優しい1日の始まりだ。
着替えを終え、リビングへ入ると、ナコが朝食のトーストを頬張りながら新聞を読んでいた。
「お前、またそれ読んでるのか……」
「ん~。面白いよ? オミ君も好き嫌いせずに読めばいいのに」
声を掛けると、よほど興味深い記事があるのか、顔も上げずに勧めてくる。
もちろん、俺も新聞は読んでいる。しかし普通の新聞だ。
こいつが熱心に読んでいるのは、俺達が在籍する学園の新聞。学生新聞というやつだ。男子の間では、たまに校内の掲示板に貼り出してあるなぁ、くらいの認知度だが、女生徒の間では、かなりの人気があるらしい。
それに伴い新聞部の方も、女生徒が好みそうなジャンルを重点的に紹介している。
占い、近くに出来た新しい店に行ってみた、オススメのアクセサリーショップ等のネタから、根も葉もない噂の真相を推理してみた、誰々の恋愛事情、学校の怪談等の週刊誌みたいなネタまで扱っているらしい。
更に、かなり最近は好き勝手に記事を掲載しているらしく、一部の生徒から顰蹙を買っているとの話もある。
「まぁ、私は、ここだけ読めれば良いんだけどねっ!」
勢いよく、ある記事を指差すナコ。既に置いてあったコーヒーを飲みながら俺も目をやる。
そこには『遂に発見!? 学園内のUMA!!』と大きく書かれていた。
UMA。未確認生物。雪男とか、宇宙人とか。そんな類いのものだろう。ナコは昔からこういったオカルト的な話が大好きで、UMAの特集番組があると必ず録画している。
すると興味津々に、その記事を見つめ、おもむろにカバンから手帳を取り出し、慣れた手付きでメモを書き始めた。
水色の女の子らしい手帳。日付の横にスペースがあり、一行ほどなら日記を付けられるタイプ。
小さい頃から同じメーカーの、同じ色の、この日記手帳を使い続けている。そして、気になったこと、大切なこと、興味があることを見つけると、どんどん書き込んで行く。
本人曰く、アイデンティティなのだとか。
「相変わらず好きだなぁ。そもそも何だ。学園内って」
薄暗い校舎で誰かが、教頭でも見たとかいうオチだろ。
「旧校舎の裏手にあるじゃん! 大きな森。あそこから出たんだって!」
「出たって……。教頭が?」
「教頭先生の話ししてないでしょ!」
しまった。つい脳内と混ざってしまった。
「あぁ。そうだな。あいつはUMAというより、妖怪だな」
UMAと妖怪の違いがあるのかは、知らんけど。
まだ何か反論しているナコは放っておいて、準備を進めよう。
何だかんだで、結局だらだらと過ごしてしまったので、少し急がなければ。
登校中はいつも、ナコのマシンガントークを適当に受け流しながら歩くのが、俺の決まったスタイルになってしまっている。
良く言えば、話し上手で、悪く言えば……うるさい。
しかし、こんな状況も今では、すっかり心地よくなっている。
何も特別ではない普通の時間。何に怯えるでもなく、昔からの友人のコロコロと豊かに変わる表情を見ながら、笑ったり驚いたり。
学園までは徒歩20分程で着く。話をしていたらあっという間だ。
新しい学年になるということで周りを歩く生徒達も、どこかテンションが高い。
学園に着くと二人で昇降口へ向かう。すると、再びナコが口を開いた。
「でもさ。せっかく学年が変わっても、クラス替え無しなんて、ちょっとドキドキが足りないよね」
口を尖らせ、眉を吊り上げ、不満アピール全開。
「言っても仕方がないだろ。クラス替えも何も、1クラスしか無いわけだし」
俺達の学年は人数が少なく、35人。これも少子化の影響なのか、単に田舎なので住んでいる人が少ないのか、定かではないが1クラスで十分な人数しか在籍していない。
「でも、1階に教室があるのは便利だよな。登り降り面倒だし」
「えー、私は、窓から校庭とか、見下ろしたかったなぁ」
何を言っても不満があるらしいナコを上手くなだめつつ、もうすっかり慣れた校舎を歩いていく。
本編スタートです。