十話 春の夜風に乗せて
その後は男性と別れ、山を下った。
シーナの体調が心配だったが、話している最中ずっと休んでいたし、下り終える頃にはすっかり良くなっていた。
本人も「突然気分が楽になった」と驚いていた。不思議な事もあるが、無理をしている様子も無いので良しとしよう。
お昼も近かったので、街へ出て食事をし、途中で出会うクラスメート達と雑談しながら周辺の観光施設を見て回り、あっという間に修学旅行二日目を終えた。
その夜。旅館の自慢という温泉に浸かり、俺は今日の疲れを癒やしていた。昨晩はあまり感じなかったが、疲れているとより一層、この温泉の良さが分かる。
心地よさについつい長湯してしまったので、友人たちには先に部屋に戻って貰い、俺は少し外の風に当たることにした。
「ふ~。いい風だな」
出入り口から外に出て、ぬるくも、冷たくもない春の風に当たる。家では、湯上がりに外に出ることなんて滅多に無いし、これはなかなか贅沢な時間だな。
「でも、普通に外に出られたな。うちの教師陣は甘いなぁ」
他の学校は知らないが、こういう修学旅行って時間や行動範囲、外出などの制限がされるものかと思っていたから驚きだ。
「それは、あなただから許されたんじゃない?」
声の方を向くと、そこにはシーナが立っていた。俺と同じ、風呂上がりなのだろう。
「ど、どういうことだよ?」
髪が僅かに濡れて、普段より色っぽい雰囲気に動揺してしまったが平静を装う為に質問をする。ちょっと声が上ずったけど。
シーナは無言で少し離れた出入り口の方を目で示す。そこには教師とナコが言い争っていた。なるほど、問題を起こしそうな生徒には見張りが付くってわけか。
「教師陣も大変だな」
「えぇ。先生方の手も足りないから、こうして私まで問題児の見張りに駆り出されているってわけ」
「おいおい……。俺は問題児じゃないぞ……」
「冗談よ」
いたずらっ子のような微笑みを見せるシーナ。なんだ……。こいつ今日はやけに機嫌が良いな。これも修学旅行の効果なのか??
グルグルと思考を巡らせていたが、ある違和感に気が付き、その思考を止めた。
「あれ? お前。メガネは?」
俺はメガネを掛けないので分からないが、てっきり風呂上がりなので外しているのかと思っていた。でも、よく考えたらコンタクトの人間が風呂上がりにメガネを掛けるのは分かるが、その逆は変な話だ。
一向にメガネを掛ける仕草も見せないし……。
「あぁ。これ?」
ポケットから、おもむろにいつものメガネを取り出す。そんな雑な扱いして大丈夫なんだろうか。
「だってこれ、伊達だし」
「……ん? 伊達?」
「そう、伊達メガネ」
伊達メガネ……って、レンズの入っていないファッションとかで掛けるやつだよな?
「お前、なんで伊達メガネなんてしてんだよ」
三年間一緒に居て、全く気づかなかった。いや、そもそも、あの生粋の真面目委員長が伊達メガネなんてしているとは誰も思わないだろう。
「だって、これ掛けた方が真面目に見えるし、それに」
「それに?」
「委員長って感じがするでしょ?」
またまたいたずらっ子のような微笑みを見せるシーナ。しかも理由がそんなものだったとは。こんな一面もあったなんて。
「……そういえば。メイのことなんだけれど。よく説得できたわね」
基本的にメイを含めた三人で行動をしていたので、改めてこの話をする機会を伺っていたのだろう。いや、むしろわざわざ俺と話すために外に出てきたのかもしれない。根拠はないが、俺はそんな風に感じた。
「まぁ。条件付きだけどな。全く話が通じない人でもなかったし」
「条件?」
シーナは俺の言葉に形の整った眉をひそめる。なんだかメイと父親の対立というより、メイを庇っているシーナと父親の対立みたいな構図だな。
「そ、そんなに難しいものでもないぞ? メイを修学旅行に行かせない理由が臨龍祭の人手不足だったから、俺がその後片付けを手伝うってだけだ」
俺に向けられたものでは無いが、シーナの威圧感に圧倒される。返答を聞くと、シーナは黙ってしまった。何かを考えているようだ。
数秒の沈黙の後。
「とりあえず、それが向こうの条件なら気を付けて。少なくとも臨龍祭の片付けが終わって数日間は」
思いもよらないシーナからの忠告。そういえば、話し合いの後に会ったメイの母親からも忠告を受けたっけ。
「なぁ。ずっと気になっていたんだが、なんでお前はそこまであの人を警戒するんだ? メイの母親からも忠告を受けたんだが」
この警戒の仕方は、明らかに友人の父親に向けられるようなものではない。俺の知らない過去に何かあったのかもしれないが。
「それは……。今は言えない」
メイの為にもね。と言い残し、シーナは旅館へと戻ってしまった。
先程まで心地良かった風は、いつしか感じられなくなっていた。
修学旅行最終日。それらしいことは、今思い返せばしなかったが、こういうものだろうと自分に言い聞かせ、帰りのバスに乗った。シーナとは特に喧嘩をしたわけではないが、何となく話しづらい空気が出来てしまっていた。
それより、俺は今後のことを考えていた。いよいよ臨龍祭が始まる。俺は俺のすべきことを全うしなければならない。
気負う必要は無いと思うが、迷惑はかけられないし、俺の行動次第でメイへの制限も多少変わってくるかもしれないからな。
『目に見えないものほど大切なの』
目の前の少女は顔を伏せながら呟いた。
『信用。信頼。友情。愛。絆。全部が大事』
身の丈に合わない言葉。それだけで言葉にできない恐怖を感じる。
『でも、人はそれを欲しがって、形に表したがる』
大切だからこそ、形に残したいんじゃないか?
『それを愚かしいと思ったことはない?』
そんなことは思ったこともない。
『じゃあ、なぜ、人は目に見えないものを形にしたがると思う?』
すぐに返答が口に出ることはなかった。
『目に見えない関係なんて、すぐに壊れてしまうからよ』
ガタンッと、ひとつ大きな振動を感じ、目が覚める。いつの間にか自分が寝てしまっていたことに気付く。何か嫌な夢を見ていた気がする……。首元に手をやると、汗が滲んでいた。
「大丈夫? 凄く険しい表情をしていたけど」
隣の座席のメイが心配して声をかけてくれる。
「あ、すまん。ちょっと嫌な夢でも見ていたみたいだ」
皆、疲れて寝ているのか、バスの中は静まり返っていた。メイの奥に座るシーナを見ると、窓の外をぼんやり眺めていた。その目元にはいつものメガネが掛けられている。
「そういえば、メイは帰ったらすぐに臨龍祭の準備に入るのか?」
夢の話はさておき、二人で話すとなるとどうしても臨龍祭の話題になる。修学旅行の二日後。今日を入れると開催まで三日間だ。
「ん~。それが去年までと今年とじゃ、私の立場っていうか、やることが変わるから……」
詳しいことは、私もわからないんだよね。と首をかしげる。一体どういうことだろう?
「立場って?」
「ほら、私達って今年18歳になるから。正式に木津宮の跡取りとして龍神様に認められる催しをやらなきゃいけなくて。これがあるからお父さんも必要以上に修学旅行を渋っていたんだと思うの」
そんなものがあるのか。と、なると割と違和感が無くなってくる。メイ自身が遠慮して父親に相談できなかったことと、その父親が修学旅行を拒否していたこと。この二つが説明できるしな。
すると、ちょうど窓から見慣れた景色が目に入ってきた。話し込んでいる内にもう学園の近くまで来ていたらしい。
こうして、俺達の修学旅行は終わりを告げたのだった。
読んで頂き、ありがとうございます!
短いとは言え、いつの間にか今回で十話目。ちょうど本編の修学旅行も終わり、展開が変わるには良い節目かなと思っています。
感想や評価、ブックマーク登録頂けたらとても嬉しいですが、その他のご指摘や意見なども今後に活かしたいと思っていますので、お気軽に宜しくお願い致します!!