85.勇者グスカスは、イジメの対象となる
指導者ジューダスが、竜王と謁見をしている、一方その頃。
元勇者グスカスは、奴隷として、貴族の屋敷で強制労働をしていた。
早朝。
「おら! 起きろ奴隷ども! 仕事の時間だ!」
ガンガンガンガン!
鉄のバケツをたたく音で、グスカスは目覚める。
床同然の硬いベッドに、ぺらぺらの毛布1枚。
これで快適な睡眠がとれるわけもない。
「……はぁ。だりぃ。仕事したくねえ」
とは言いつつも、グスカスは半身を起こす。
「あ……」
「ちっ……」
ちょうど、同室の奴隷である魔族の少女【ティミス】と目が合う。
「おはようございます、グスカスさん」
「……ちっ。気安く話しかけてくんじゃあねえよゴミカスが」
ぺっ! とグスカスはつばを吐いて立ち上がる。
ティミス。
先日奴隷としてこの屋敷へやってきた少女だ。
すらりとした体型に、銀の髪。
長い耳が特徴的である。
……銀の髪の女を見るたび、鬼の少女・雫を思い出す。
だからグスカスは、ティミスが嫌いだった。
「あの、このあとはどうすれば良いのでしょう……?」
ティミスは昨日きたばかりで、勝手がわからないようだ。
「しらねーよ。自分で判断しろよそんくらい」
グスカスは立ち上がって、ストレッチをする。
固い寝床のせいで、あちこち体が痛いのだ。
「で、でも……奴隷統括のかたは、グスカスさんについて仕事を覚えろって……」
「仕事なんて見て覚えるもんなんだよ。すぐ人に聞くんじゃあねえ。ったく、そんなこともわからねえのかよ。低脳が」
グスカスはティミスを無視して、部屋の外に出る。
彼女はその後ろをついてきた。
部屋を出ると、長い廊下が続いている。
奴隷達がぞろぞろと外に出て、壁際に立っている。
「あ、あの……グスカスさん。今からなにを……」
「あーもう! うっせえ!」
グスカスはティミスの腰を、ガンッ! と思い切り蹴飛ばした。
「きゃっ……!」
どさっ、とティミスが床に倒れる。
「おれに声かけんなっつただろうが!」
雫に裏切られた過去もあって、グスカスは女、特に自分に近づいてくる女に対しては、強い警戒心と嫌悪感を抱くようになっていたのだ。
「ご、ごめんなさい……」
弱々しく謝るティミスに、グスカスは今までたまっていたフラストレーションを爆発させる。
ティミスに近づいて、彼女の顔を蹴飛ばす。
「うるせえ! 黙れ! むかつくんだよおまえ!」
がんっ! がんっ! がんっ!
「死ねクソが!」
「ちょっと、おやめな!」
ぐいっ、と誰かに襟首をつかまれ、ブンッ……! と乱暴に投げ飛ばされる。
「ぶべっ!」
グスカスは地面に、顔から着地する。
鼻を強打し、ぐきっ、と嫌な音がした。
「大丈夫かい、お嬢ちゃん」
「は、はい……」
ティミスのそばに、大柄の獣人の女がいた。
女性というより、おばちゃんといったような見た目だ。
ふくよかで、顔にしわが刻まれた、年齢を感じさせる。
「新人かい? 酷い目に遭ったね。だいじょうぶ、おばちゃんに任せときな。なにせここでは、アタイが一番が最年長だからね」
ばちんっ、とおばちゃんがウインクをする。
「ありがとう、ございます。あの……お名前は……?」
「アタイは【マリア】。あんたは?」
「わたしは【ティミス】です」
「ティミスか。良い名前さね! よろしく!」
マリアが快活に笑うと、ティミスは少しだけ明るく笑った。
「やいババア! なにすんだよてめえ!」
グスカスはティミスたちのもとへ駆け寄る。
その前に、マリアが立ち塞がる。
「新人をいじめるンじゃあないよグスカス」
「うるせえ! 獣人の分際で、おれに命令すんじゃねえ!」
「ここでは獣人だろうと人間だろうと関係ない。アタイもあんたも等しく奴隷だろうが」
「おまえとおれを一緒にすんじゃねえよ畜生風情が!」
ギロリ……とマリアがグスカスをにらみつける。
「な、なんだよ……!」
「前からあんたのことは気にくわなかった。が……今日ハッキリわかった。アタイはアンタが嫌いだ」
「はんっ! てめえみたいなブスに嫌われようがどうでもいいっつーの!」
グスカスはマリアを馬鹿にする。
心の底から、こんなおばさんひとりに嫌われようと、自分には何も関係ないと思っていた。
……これが、間違いだった。
「……そうかい。痛い目みても、知らないからね」
マリアはドスのきいた声でつぶやく。
その迫力に気圧され、グスカスは腰を抜かしそうになる。
「へ、へんっ! 犬っころが何か言ってら。これが負け犬の遠吠えってやつだな!」
マリアはため息をつくと、ティミスの肩に、優しく手を置く。
「ティミスちゃん。こんなクズと同じ部屋、いやだろ? 監視役に頼んで部屋を変えてあげるよ」
「え……? そんなこと、できるんですか?」
「おうとも。なにせおばちゃん、ここで厄介になってから長いからね。ま、いろいろと融通が利くのさ。うわさをすればさっそく。おーい!」
廊下の奥から、監視役の男が、こちらへやってくる。
マリアが手を振ると、向こうも笑って手を返す。
「どうした、マリア?」
「お願いがあるんだけどね、この子の部屋変えてくれないかい?」
「なんだそんなことか。別に良いぞ。なにかあったのか?」
マリアはグスカスを一瞥する。
「そこのクズがこの子に酷いことをするそうさね」
「……なんだと?」
監視役がグスカスをにらみつけて、こちらへとやってくる。
「てめえゴミカス。誰の許可を得て、なに奴隷に手を上げてるんだ? ああ?」
先ほどの笑顔から一転、監視役は怒りをあらわにし、グスカスの腹に蹴りを入れてくる。
「ぐぇえ……!」
グスカスは地面に倒れる。
監視役は、なんらかの【職業】を持っているのだろう。
そのケリは通常の物とは思えないほど強烈だった。
「いいかクズゴミ。てめえも含めて、奴隷はみなご主人さまの所有物だ。それに手を上げるってことはすなわち、ご主人さまに楯突くってことなんだよ……」
監視役はグスカスのそばにしゃがみ込み、懐からタバコの箱を取り出す。
「ゲホッ……! ゴホッ! ぐ、ぐぇえ……」
グスカスは腹部に受けたケリの痛みで、その場から動けないでいた。
その間に監視役はタバコに火をつけて、ふぅ……と吐き出す。
「言っておくがてめえの首輪は爆弾だ。ご主人さまの命令で爆発し死ぬ。長生きしたきゃ、あんま調子に乗らないことだな」
監視役は吸い終わったタバコを、グスカスの眉間に押しつける。
じゅぅう……!
「うぎゃあああ!」
熱さと痛みで、グスカスはのたうち回る。
ぺっ……! とつばを吐かれる。
「今回のことは不問にしておいてやるよ。けど次マリアさんの手を煩わせたら、ご主人さまに報告しててめえを殺処分してもらうからな」
監視役は吐き捨てるように言うと、グスカスのそばを離れる。
「手間かけさせたね」
マリアの前までやってくると、監視役はまた笑顔になる。
「なに、こんなのたいしたことないさ。マリアさんには今日まで散々お世話になったからな」
……どうやら監視役にとって、マリアは、特別気にいられている様子だった。
というより、マリアに敬意を払っている節すらある。
「また何かあのゴミがやらかしたらすぐに言ってよ」
「悪いね。いつもありがと。愛してるさね」
「よせやい。ああ、ティミス。おまえの部屋はマリアさんと同室にしてもらうよう、進言しておくから」
「は、はい……ありがとう、ございます」
ティミスは戸惑いながらも、監視役にぺこりと頭を下げる。
「良いってことよ。それより、マリアさんの言うことをしっかり聞いておくように。彼女ここのボスみたいなものだから、怒らせると怖いぞぉ」
「もう、からかうのはおよしよ」
監視役は朗らかに手を振って、その場を後にした。
……じわじわと、グスカスは自分の失敗に気づきだす。
あのマリアという女は、奴隷達のボス。
そして監視役とも太いつながりがある。
……そんなマリアから、グスカスは嫌われてしまった。
となれば、どうなるか……?
「さぁて、みんな。今日も元気に働こうじゃあないかい!」
「「「おうっ」」」
奴隷達は、マリアの呼びかけに答える。
みなマリアに対して信頼を置いてる様子だった。
「ああ、そうそう。みんな、そこのゴミクズのこと、アタイ嫌いになったから」
奴隷達の視線が、いっせいに、グスカスに集中する。
そこにはグスカスに対して……にやり、と全員が笑っていた。
自分に向ける視線には、何かを期待する目や、同情、憐憫といった視線が混じっている。
「んじゃま、ちゃっちゃと仕事しようかね」
ボスであるマリアの言葉に、奴隷達がうなずく。
そして全員が、彼女の後に続いていく。
「かわいそ」
「マリアさんに嫌われてただですんだやつ、今までひとりも見たことないわ」
「新しいイジメの対象ができてラッキ~」
……奴隷達がグスカスの横を通り過ぎる際に、そんなことをつぶやく。
グスカスは、自分が敵にしてはいけない人物を、敵に回してしまったと……。
そう、後悔したときには、すべてがもう手遅れになった後だった。




