78.勇者グスカスは、奴隷として働く
指導者ジュードが、恋人たちと穏やかな朝をおくっている、一方その頃。
勇者グスカスは、夢を見ていた。
それは2ヶ月前。
獣人国ネログーマでのこと。
海底ダンジョンを突破したグスカスは、やっとまともな金を手に入れた。
これで、ようやく自分の恋人である雫を養うことができる……。
そう思った、その夜。
グスカスはナイフで刺された。
……他でもない、愛する雫に。
『残念ですけど、ぼく、あなたのこと……これ~~~~~ぽっちも、好きじゃなかったんですよ!』
『恩人に酷い目にあわせたおまえのことを、どうして好きなれるって言うんだよ!』
『演技だよば~~~~~か! てめえのことなんて1ミリたりとも好きじゃねえよ! 死ね! 死ね! 死ね!』
ナイフとともに浴びせられた、酷い言葉の数々がグスカスの心をえぐる。
……どうして?
どうして、あんなに自分のことを、すきでいてくれたのに。
毎日のように肌を重ね、子犬のように慕ってきた雫が……偽物だったなんて。
本当はグスカスのこと、これっぽっちも好きじゃなかったのだ。
……なのに、グスカスへの態度に、そのそぶりはちっとも見せなかったのに。
その後雫に、ナイフでめった刺しにされた。
もう……死んだ。
いや……もう、死んでくれ。
頼むから……と思ったが、しかし、心臓が動いていた。
不思議なことに、ナイフで刺された心臓も、そして潰れたはずの左目も、元通りになったのだ。
グスカスは死の間際に思い出す。
ジュードからもらった【秘薬】。
飲めば、失った左手すらも生えてくると言う、脅威の再生能力を与える不思議な薬。
その効果は、四肢だけではなかったのだ。
だから、グスカスは潰れた心臓も失った血液も元に戻り、息を吹き返した。
仮死状態から復活したグスカス。
もう死にたいと思ってはずなのに……気づけばグスカスは這いつくばってその場から逃げた。
愛する女に、死ぬほど酷い目にあったというのに。
一度死にかけた体は、どうしようもないくらいに、生きることを渇望していた。
かくしてグスカスは、死をギリギリで逃れることに成功。
だがしかしネログーマの水路に堕ちてしまう。
精神的にも肉体的にボロボロになった彼は、そのまま川に流れて街を去った。
……そして、グスカスはたどり着いたのだ。
新しい、地獄へと。
☆
「おら! いつまで寝てるんだ! 起きろ!」
ガンッ! と誰かに頭を蹴られ、グスカスは目を覚ます。
うっすら目を開けると、そこにはガタイの良い、しかし柄の悪い男が立っていた。
「さっさと起きろ! 仕事だ!」
「…………」
グスカスはのろのろと起き上がる。
「1分で支度しろ。朝の掃除からだ。それと、今日は新しい奴隷が来るから部屋を綺麗に掃除しておけよ。いいな?」
男はグスカスに命令すると、部屋を出て行く。
「…………」
以前のグスカスなら、命令されたことにたいそう腹を立て、『おれに命令するんじゃねえ!』と返していただろう。
しかし今のグスカスに、そんな元気はない。
筋肉痛で痛む体を引きずりながら、グスカスは部屋の隅へと移動する。
そこは石造りの、小汚い部屋だ。
パイプのベッドが2つ。
洗面台が1つ。
ボットン式のトイレが1つ。以上。
ともすれば牢屋のなかとも思える部屋だ。
これで鉄格子があれば、だが。
粗末な内装だが、一応は個室だ。
グスカスは顔を洗うために、洗面台までやってくる。
鏡に映っているのは……酷い顔の男だった。
体は痩せ細っている。
目には酷い隈ができていた。
輝く金髪はバサバサのボサボサ。
以前のような、悪い意味で生命力に満ちていた元勇者グスカスは……もういない。
「…………」
グスカスは、自分の首元に触れる。
そこにはゴツい、黒い皮の【首輪】がしてあった。
首輪の正面には、錠前のようなものがついてる。
『それは【奴隷の首輪】だグスカス。おまえが奴隷であることの証拠でもあり、おまえを縛る文字通り首輪だ。はずそうと思うなよ? 爆発して死ぬからな』
……自分を拾った男が、最初にこれを、ご丁寧に説明してくれた。
「……奴隷の首輪、か」
グスカスは重くため息をつき、顔を洗う。
洗い終えたグスカスは、のろのろと部屋の外へと出る。
薄暗い地下が広がっていた。
周りを見やると、いくつも同じような部屋のドアがある。
部屋からはぞろぞろと、屋敷の奴隷たちが出てくる。
皆同じ顔をしている。
つまり、生きる気力を失ったやつら。
自分と同じ境遇。
すなわち……彼らもまた奴隷なのだ。
「おらちんたら歩いてるんじゃあねえ! まずは掃除からだ!」
先ほど自分を起こした男が、怒鳴り声を上げる。
奴隷たちは一瞬ビクッと体を萎縮させるが、しかし動きが改善されることはない。
仕方ないだろう。
奴隷に未来なんてない。
頑張って働いたところで給料が上がるわけでもない。
そもそも給料なんて上等なものはないけれども。
ぞろぞろと奴隷たちが部屋の奥にある階段を上っていく。
「おいグスカス。ちょっと待て」
先ほどの男がグスカスを呼び止める。
「おまえには新人の面倒を見てもらう。新人、挨拶しろ」
「は、はい……」
男に言われて出てきたのは、銀の髪をした少女だ。
少しとがった耳が特徴的である。
「……魔族か?」
一瞬ダークエルフかと思ったが、耳の長さが違う。
魔族。
それはこの世界に存在する種族の一つだ。
人間やエルフと違って、高い魔法に体する適性を持つ。
そして強力な能力を持っている。
魔王も魔族の出身だったことで、ずいぶんと魔族は肩身の狭い思いをしたと聞いたことがある。
……ジューダスにだ。
「【ティミス】です。よろしく……お願いします」
魔族の少女、ティミスは深々と頭を下げる。
奴隷の首輪をしていた。
こいつもまた、グスカスと同じ境遇なのだ。
「ティミスはグスカスについて仕事を教えてもらえ。グスカス、もうここへ来て2ヶ月なんだから、いい加減仕事は覚えただろ?」
「…………」
グスカスは返事をしない。
口にするのも、億劫だから。
「……ちっ! まあいい。ティミス。わからないことがあればグスカスに聞け。部屋も同室だ。あとで案内してもらえよ」
「は、はい……」
そう言って、男は立ち去っていく。
あとにはティミスとグスカスだけが残された。
「その……グスカスさん」
グスカスは、ティミスを見て……ちっ! と舌打ちをする。
そして彼女を無視して、先を歩く。
「あ、あの……私、何をすれば良いのでしょうか……?」
「……ついてくんじゃねえ」
憎しみを込めて、グスカスはティミスを見やる。
特に、その輝く銀髪をだ。
「そ、そんな……だって私、ここが初めてだし……」
「……良いか聞いてよく覚えておけ」
グスカスは立ち止まり、ティミスをにらみつける。
「……おれは人間が嫌いだ。誰も、誰一人として例外はない。誰も信じない。誰にも優しくしない。特に……」
ちらっ、とグスカスは彼女の銀髪を見て、吐き捨てるようにして言う。
「おれに近づいてくる……銀髪の女は、特段嫌いだ」
脳裏をよぎるのは、鬼の雫。
彼女に裏切られてからというもの、グスカスはすっかり人間不信になっていた。
あの女は笑顔でグスカスに近づき、しかしその腹の中には、煮えたぎるような憎悪を隠し持っていた。
人間、何を考えているかわからない。
だからもう、相手を一切信じないことにした。
「……仕事は教えてやる。だがそれ以外のときでおれに話しかけるな。おれに関わるな。いいな?」
「そ、そんな……同じ奴隷なんで、同じ部屋で暮らすんですから……少しは仲良くしましょうよ?」
「……同じ、だぁ?」
びきっ! とグスカスの額に青筋が立つ。
カラカラになったはずのグスカスの心に、怒りというガソリンが注ぎ込まれる。
「てめえと同じにするんじゃあねえ!」
ガッ! とグスカスはティミスにつかみかかる。
「ひっ……!」
「俺様はなぁ! 選ばれた人間だったんだよ! 今は金がなかったら仕方なく奴隷やってるけど、違うんだ! おれは特別な人間なんだよ! てめえみたいな薄汚い最底辺の奴隷と一緒にするんじゃあねえ!」
「す、すみません……すみません……」
グスカスはそのまま、殴りかかろうとする。
「おいグスカスてめえ! 何してやがる!」
さっきの男が騒ぎを聞きつけ、帰ってくる。
そしてグスカスのことを、思い切り殴り飛ばした。
「奴隷はご主人さまの所有物なんだぞ!? 誰の許可を得て傷物にしようとしてやがるんだ殺すぞ!?」
「ならおれを殴ったてめえはなんなんだよ!」
「おれはおまえたちの【管理者】! ご主人さまからおまえらをしつける権限も与えられてるんだよ!」
管理者はグスカスを殴り飛ばすと、ガンガン! とその頭を踏みつける。
「ち、ちくしょぉ……今に、見てやがれ……絶対に……返り咲いてやるからなぁ……」
そう、なんと言っても自分は女神に選ばれた特別な人間なんだから。
……全てを失ったグスカスにとって、それだけしか、残っていない。
だから、バカみたいに何度も何度も繰り返す。
これが、グスカスの現状だった。




