75.勇者グスカスは、すべてを失い不幸になる
指導者ジュードと賢者キャスコの協力により、阿修羅蟹は討伐された。
その後、ジュードはグスカスとボブを連れて、ダンジョンを出た。
キャスコの転移魔法で、全員無事に帰還。
場所はエバシマの街の入り口。
「ジュードさん……みなさん、本当にありがとうございました!」
ボブが深々と、ジュードたちに頭を下げる。
【うむ! おとーしゃん、よくがんばりましたっ!】
ジュードとの隣には、雷獣の姿のタイガがいた。
「なんのなんの。タイガもありがとな、協力してくれて」
【おとーしゃんのためだもん! がんばりますわな!】
えへへ~とタイガが笑う。
「ハルちゃんもありがとう。助かったよ」
「そ、そんな……おらなんて……特に何もしてないです……」
「そんなことないって。タイガと一緒に、冒険者たちを街まで誘導してくれたからな。本当にありがとう」
俺はハルコに頭を下げる。
ハルコははにかむと、うえへへと笑った。
「坊や……本当にごめんね……」
今度は、ネログーマ女王である玉藻が頭を下げる。
「巻き込むつもりはなかったのに……」
「いいって。俺が勝手に首突っ込んだだけだからさ」
「……ありがとう、心から感謝するわ」
さて、ひとしきり謝ったり何だったりした後。
「それじゃあ坊や。お姉さんはタイガちゃんを連れてくわね」
タイガは幼女の姿に戻ると、玉藻のもとへ駆けつける。
「後は任せなさい。しっかりね」
「おとーしゃん、しっかりね!」
ふたりの幼女は手をつないで、王城へと帰っていく。
「ジュード師匠……明日、ちょっとお時間いただけないでしょうか?」
ボブが俺を見上げて言う。
「おう、いいよ。なに?」
「それは明日話します! では!」
バビュンッ……! とボブが帰って行く。
「さて……と。グスカス」
「……ちっ」
グスカスはジュードから目をそらす。
「腕、すまなかったな。痛かっただろ?」
「けっ……! ほんとだよゴミカスが……」
「……【秘薬】を譲ってもらっておいて、なんですかその態度は?」
キャスコがグスカスをにらみつける。
「ひやく? キャスちゃん、なぁにそれ」
「……飲めば失った四肢を新しく生やすことのできる魔法薬です」
「昔錬金術師からもらったんだ。インベントリのなかに入ってて良かったよ」
「す、すごい……そんなものまで持っているなんて、ジュードさんすごいだに!」
まあでも運が良くて良かったよ。
だれも傷つくことがなくて。
「腕は生えるまで少し時間かかるらしいから、それまで不便かけてごめんな」
「ほんとだよ! ったく、そもそもおめえがさっさと助けに来ないのが悪ぃんだよ」
キャスコの目が、きゅっとつり上がる。
ハルコもまた、顔を不快にゆがめた。
「面目ねえ」
「ちっ……! まあ許してやんよ」
グスカスはぷいっ、とそっぽを向いて、歩き出す。
「おーい、グスカス。明日暇か? なら一緒に飯でもいかねえか?」
「い、いかねーよバカ!」
ずんずん、とグスカスは進んでいく。
「東側のホテルに泊まっているから、気が向いたら遊びにこいよなー」
「うっせえうっせえ! 誰がいくかバーカバーカ!」
グスカスは犬歯を向いて叫ぶと、ジュードをよそに歩き出すのだった。
☆
「……はぁ~~~~~~」
人気の少ない裏路地までやってきた。
脇には水路が流れている。
グスカスは、その場にしゃがみ込む。
「助かった……死ぬかと思った……」
もしもジュードが来なかったら、自分は死んでいただろう。
腕一本で命が助かったというのなら、安いものだ。
しかも腕も、後で生えるという。
「…………ちっ」
ジュードに命を救われたことを、心の片隅では感謝していた。
しかし素直に礼なんて言えなかった。
あの場にはジュード以外の人の目があったからだ。つい強がってしまったのだ。
「……まあ、明日会ったとき、礼でもいってやるかな」
グスカスは立ち上がり、歩き出す。
「…………」
不思議だった。
あれだけ憎んでいた相手。
しかし今日、普通に話せた。
また会いたいとさえ思っている。
不思議だ。
おまえのせいだと罵るつもりが、罵倒の言葉が全く出てこなかった。
むしろ、感謝の言葉が、喉元まで出かかっていたのだから。
「……明日あったらめちゃくちゃに罵ってやるぜ。今まであったことを話しながら、恨み辛みを全部ぶつけてやるぜ」
グスカスはポケットから、迷宮核を取り出す。
「それより金だ。やっと……まとまった金が手に入る……」
ダンジョンから脱出する際、ジュードがグスカスに手渡してきたのだ。
『もともと俺は依頼を受けた訳じゃあないからな。これはおまえのだ』
と。
「……ちっ。ほんと、妙なおっさんだぜ」
……グスカス自身は気づいていなかった。
自分が、笑っていることに。
ジュードを追放してから、彼は一度たりとも、うれしくて心から笑ったことはなかった。
だが今はどうだろう。
実に晴れ晴れとした表情を浮かべて居るではないか。
金が手に入ったことを喜んでいると彼自身は思っているようだが、実は違う。
ジュードと再会できたことがうれしかったのだ。
だが彼はそれを自覚することができなかったのだ。
……最期まで。
「グスカス様」
背後から誰かが、声をかけてきた。
声の主はよく知っている。
「雫! なぁおいすげえぞ! 迷宮核を手に入れたんだ! これでもう!」
……トスッ。
「……………………え?」
一瞬、思考が停止した。
自分の背中に、何かが突き刺さっていた。
「あ……? え……? ナイフ……?」
ごついナイフが深々と、グスカスの背中に突き刺さっている。
痛みが、後から遅れてくる。
ごふっ……! と血を吐いて、グスカスはその場に倒れた。
「な……なんで……? え……?」
訳がわからなかった。
ナイフを、一体誰が刺したというのか……?
「ぼくですよ」
「し……ずく……? な……んで……?」
鬼の雫は、這いつくばるグスカスを見下ろす。
その目は冷たく、まるで死にかけたネズミでも見るような目だった。
「最期まで気づかないんだ。ほんと、愚かですね。グズでカス。名前通りです」
雫は背中のナイフをずっ……ずっ……と抜く。
そのたび、激しい痛みが体に走る。
「は……ひっ……! こ……こえが……でねえ……からだが……うごかね……え……」
「麻痺毒を塗ってあります。下手に騒がれては困りますからね」
そこでようやく気づいた。
この鬼娘が、自分を殺そうとしていることに。
「どう……してぇ~……」
グスカスは、涙をボロボロとこぼす。
「おまえの……ために……こんなにがんばったのに……。腕を……なくしてまでも……がんばったのは……おまえのためなのに……」
「残念ですけど、ぼく。あなたのこと……これ~~~~~~~~ぽっちも、好きじゃなかったんですよ!」
雫がナイフを、グスカスの左目めがけて突き刺す。
「ひぎっ……!」
麻痺で痛みを全く感じなかった。
だが左目は、完全に潰された。
雫はグスカスに馬乗りになると、体中にナイフを突き刺す。
「ぼくはね! 魔王に家族を殺されたんです! それを救ってくださったのはジュード様! なのにおまえは! 追放しやがった!」
ザシュッ! ザシュッ! ザシュッ!
「恩人に酷い目にあわせたおまえのことを、どうして好きになれるって言うんだよ!」
「でも……でもぉ……おまえ……おれのことすきって……」
「演技だよば~~~~~~~~~か! てめえのことなんて1ミリたりとも好きじゃねえよ! 死ね! 死ね! 死ね!」
グスカスは……ぼろぼろと涙を流す。
愛する人のために、頑張っていたのに。
その愛は、偽物だった。
一方通行だったのだ。
自分だけが、好きだったのだ。
体の痛みよりも、心の痛みの方が強かった。
雫は、唯一の心の支えだったのに。
その少女は、グスカスを愛していなかった。
「どう……じでぇ……」
涙と鼻水、そして血だらけになったグスカスは、みっともない声を上げる。
「どうしてだよぉ……。おれは……なんもわるいこと……してないのにぃ~……。どうして、こんなひどいめに、あわなきゃいけないだよぉ~……」
グスカスは、すべてを失った。
王子としての地位も、勇者としての力も。
過去に愛した女も。
そしてたったひとつのこった、愛する女と彼女の心すらも。
……全部を、失ったのだ。
「……そんなこともわからないの?」
雫が冷たい目でグスカスを見下ろす。
「ジューダス様を、追放したからですよ。つまり……すべては自業自得です」
雫が近づいてくる。
ナイフを両手に持って、グスカスに馬乗りになる。
「あなたは哀れですね。ジューダス・オリオンという素晴らしい指導者から教えを受けたというのに。その教えに耳を貸さず、あまつさえ彼を拒んで追放した。そのツケが巡り巡って自分のみに災いとして降り注いでいるんですよ」
「おれが……ぜんぶ……わるかったのかよ……」
「ええ。すべてはあなたの身勝手な行動が招いた結果です。甘んじて受け入れなさい。……死を」
雫がナイフを持ち上げる。
そして……グスカスの心臓めがけて、振り下ろした。
ザシュッ……!
☆
すべてを終えた雫は、キースに連絡を取る。
『雫、首尾はどうなりましたか?』
「ええ、バッチリです。きっちりと、グスカスとどめを刺しました」
雫が見下ろす先には、ナイフが突き刺さったグスカスの姿があった。
『お疲れ様です。長い間、ご苦労様でした』
「いいえ! これくらいどうってことないです!」
雫はグスカスから目を離し、キースとの会話に集中する。
『辛いことも多かったでしょう。ですがあなたの素晴らしい行いは、きっと英雄王も評価してくださるはずです』
「そ、そうですかぁ……えへへ~……♡」
『さて、では死体の処理のことですが……』
と、そのときだ。
ドポーンッ!
「なっ!?」
『どうしたのですか、雫?』
「グスカスの死体が……消えました……」
雫は慌てて、死体のあった場所に近づく。
血だまりは水路まで延びていた。
じゅわ……っと川の水が赤く染まる。
『どういうことです?』
「わかりません。おそらくまだ息がかすかにあったのでしょう。逃げようとして……水路に落ちました……」
『……そうですか』
「すみません! ぼくのせいです! すみません!」
雫は何度も頭を下げる。
『いいえ、大丈夫ですよ雫。あのケガです。助かるわけがありません。心臓にナイフまで刺さっていたんでしょう?』
「ええ……」
『なら問題は無いでしょう。よしんば生きていたとして、出血多量の状態でこの冬の水のなかに落ちたら、ショックで死んでいるはずです』
「そ、そうですよね! うん! 絶対死んでますよね!」
そういうことにした。
『では、速やかにその場から待避してください。事後処理はこちらがやっておきます』
「わかりました!」
だっ……! と雫が走り出す。
背後に人影があった。おそらくキースが手配した作業員たちだろう。
走りながら、しかし雫は不愉快に顔をしかめる。
「くそが……ちゃんと死ねよな。……まあ、あのケガで生きてるわけ無いか。うん」
雫は立ち止まり、グスカスがいた場所を見て、ぺっ……とつばを吐く。
「あばよ、クズ勇者。地獄に落ちて自分の罪をわびるんだな」




