67.勇者グスカスは、ボブから見放される
ジュードがバイト少女たちと楽しくプールで遊んでいる、一方その頃。
元勇者グスカスは、エバシマ行きの馬車に乗っていた。
「もー! グスカスさん、同じ方向に行くならいってくださいよ! 水くさいじゃないですかぁ」
グスカスの正面に座るのは、小柄で黒髪の【ボブ】だ。
太陽のように明るく無邪気な笑みを向ける。
「ありがとうございます、ボブ様。グスカス様だけでなく、わたしの分まで馬車代を貸してくださって」
銀髪の鬼娘、雫が、グスカスに頭を下げる。
「気にしないでください! 困っている人がいたら助ける! ジュード師匠の教えです!」
ピクッ……! とグスカスの眉間にしわが寄る。
「ジュード……師匠だぁ……?」
ジュードとは、指導者のジューダスの偽名だ。
彼はパーティ追放された後、名前を変えている。
「まぁ、素晴らしい教えですね」
「でしょう! ジュード師匠は最高なんです! 強くてかっこよくて、でもでも、ぜんぜんえらぶらなくて!」
「すごいですね。そんな素敵な方が師匠なんて、羨ましいです」
「…………ちっ! あんなのに賛同してんじゃねーぞ」
グスカスは苛立った。
ボブはおろか、雫すらも、あの憎たらしいおっさんに対して好感情を向けていた。
それが、グスカスは許せなかった。
「あんなの……って、あれ? グスカスさん、もしかしてジュードさんとお知り合いなんですか?」
ボブが目を丸くする。
「……まあ、古い知り合いだ」
「そうなのですか! いいなぁ。いいなぁ。ジュードさんみたいな素晴らしい人と知り合いだったなんてぇ~」
かちんっ、と頭にきた。
「あんなののどこが素晴らしいんだよ。雑魚のくせに偉そうなことばっかいいやがる、最低のおっさんだったぜ」
むっ、とボブが顔をしかめる。
「グスカスさん、人の悪口はよくないですよ!」
ボブはどうやら、ジュードに心酔しているようだ。
何があったかは知らないが、自分が嫌っている相手がほめられると、良い気分ではない。
「っせーよ! 俺様に命令すんじゃあねえ!」
グスカスはそっぽ向いて、目を閉じる。
「ごめんなさい、ボブ様。グスカス様は少し虫の居所が悪いみたいです。あなたのお師匠様のことを悪く言ってしまい、申し訳ございませんでした」
「い、いえ……雫さんが謝ることじゃないですよ。ただ……」
ちらっ、とボブがグスカスを見やる。
「グスカスさんって、そういうこと言う人だったんですね。なんか……がっかりです」
落胆した様子で、ボブがグスカスを見やる。
今までグスカスに好意的に接してくれたボブが、初めて向けた悪感情。
「……うっ、うるせえ! てめえにどう思わようと関係ねえ! 俺様はあのくそジュードが嫌いなんだよ!」
グスカスは知らず、謝ろうとして……しかし反射的に意地を張ってしまった。
……それを見た雫が、実に楽しそうに笑っていることに、誰も気づいていなかった。
☆
ガオカナを出て数時間後。
グスカスは、エバシマ付近までやってきていた。
徒歩ではきついこの道のりも、馬車だとそんなに時間がかからない。
「うわぁ! 海ですよグスカス様! きれいですねぇ!」
街道横の海をみながら、雫が目を輝かせて言う。
「ちっ……! はしゃいでるんじゃあねえぞゴミが」
「……グスカスさん。女性にゴミとかいうの、よくないですよ」
ボブがグスカスに注意する。
その目は、以前のものとはまるで違った。
汚物を見つけたときのような、さげすみのこもった目だ。
「ジュード師匠の知り合いのくせに、そんなふうに女の人を悪く言うなんて」
「ジュードジュードうっせえんだよホモ野郎!」
「ホモ……? よくわかりませんけど、ジュー師匠の知り合いであるあなたが、そんなふうな態度を取ることは、弟子であるぼくが許せません」
「てめえの許可なんてもとめてねえんだよ! 話しかけるなホモが!」
と、言い合いしていたそのときだ。
「大変だ! さ、魚人の大群が、漁師を襲っているぞ!」
御者が声を張り上げる。
グスカスは窓の外を見やる。
海辺に魚人の群れがいた。
漁師たちは必死になって船を操作し、逃げようとしている。
だが捕まるのは時間の問題に思えた。
「ンだよ。魚人ごときにびびってんじゃねーっつの」
グスカスは興味なさげにつぶやき、窓から顔を戻す。
「た、大変だ! 御者のおじさん、馬車を止めてください!」
「わかった!」
御者が馬車を止める。
「おい! 何止めてんだよ!」
グスカスは御者めがけて叫ぶ。
「とっとと馬車動かせや! 到着が遅れるだろうがよぉ!」
すると御者も、そしてボブも、グスカスに対して侮蔑の表情を向ける。
「んだよその顔!」
「……グスカスさん。本気で言ってるんですか? 今あの人たち、襲われてるんですよ? 死ぬかもしれないんですよ?」
「あんな奴らがどうなろうと知ったことか! 俺様の知ったことじゃあねーぜ!」
ボブが深々とため息をついた。
「……ほんと、こんな人とは思ってませんでしたよ」
「うっせえうっせえ! おら御者てめえ足止めてんじゃあねえぞ! 予定通り街に着かなかったら金払わねえし! てめのせいで遅れたってクレーム入れるからな!」
御者がギリ……っと歯がみする。
「……御者さん。行ってください。彼らは、ぼくが対処します」
「し、しかし……」
「良いんです。あなたは自分の仕事を全うしてください」
ボブは馬車から降りる。
「さっさと行けよホモガキ。近寄るんじゃねえ。ホモが移る」
「……あなたって、ほんと、最低ですね」
だっ……! とボブが烈風のごとく駆けていく。
あの調子ならすぐに、魚人たちのもとへゆけるだろう。
「おいこら御者ぁ! さっさと出せやごらぁ!」
「…………」
御者は深々とため息をつき、「……くそ野郎だな、こいつ」と小さくつぶやく。
そして馬車が動き出す。
「グスカス様、よろしいのですか……?」
雫が恐る恐る尋ねてくる。
「よろしいのですかって何だよ」
「グスカス様は、あの方々を助けなくて良いんですか?」
「いいんだよ。ほっとけ。俺様は忙しいんだ」
グスカスはゴロンと横になる。
「でも……グスカス様は勇者様なのに……」
雫は知らない。
グスカスの職業は、すでに失われていることを。
ステータスが下がっていることも知らない。
「グスカス様のお力は、困っている人のために、女神様からもらったのではないのですか……?」
……雫の言葉が、ジュードの言葉と重なる。
あのおっさんも、同じことを言っていた。
「うるせええ!」
グスカスは立ち上がると、雫を殴りつける。
「ちげえよ! 勇者の力は! 俺様のためにあった力なんだよ!」
がしっ! げしっ! ごすっ!
「俺様の力だったんだ! それなのに! くそ! くそ! くそがぁ!」
グスカスは憤慨した。
勇者の力はグスカスのものだった。
なのに、まるで女神から取り上げられるように、消えてしまった。
まるで、他人のために使わなかったことに対する、罰のように感じていた。
……ジュードや雫の言っていることが、正しかったのか?
「認めねえ! 俺様の力は俺様だけのために使ってよかったんだよぉ!」
グスカスが思い切り、雫を殴り飛ばそうとした……そのときだ。
どがぁあああああああああああん!
「うわぁあ!」「な、なんだぁ!?」
突如として、激しい揺れを感じた。
馬車の天地がひっくり返る。
グスカスは馬車の天井に、尻餅をついた。
「い、いてて……なんなんだよ……?」
「グスカス様! モンスターです!」
グスカスは慌てて窓の外を見やる。
「なっ!? り、リヴァイアサンだと!?」
海から顔を出していたのは、水竜リヴァイアサンだ。
「ば、馬鹿な!? なんでこんなランクの高いモンスターが、浅瀬にいるんだよ!?」
馬車の荷台に、リヴァイアサンの尾が絡みついてる。
リヴァイアサンは長い尾を馬車に巻き付け、そして海へと引っ張ってきたようだ。
荷台にはグスカスと雫だけがいる。
御者は途中で振り落とされたようだ。
「グスカス様!」
「う、うろたえるんじゃあねえ!」
グスカスは剣を抜く。
がくがく……と膝が震える。
「こ、こんな雑魚……俺様がぶっころしてやんよ!」
……脳裏に、ゴブリンにボコボコにされた記憶がよみがえる。
だがグスカスはかぶりを振る。
「アレは何かの間違いだった! 今度こそ! 覚醒のときだ!」
グスカスは窓から踊りでて、リヴァイアサンの尾上に立つ。
「お、おらぁ! し、し、死ねごらぁ!」
グスカスはリヴァイアサンの顔めがけて、走ろうとした。
つるっ……!
「あっ!」
足を滑らせたグスカスは、海面へとたたきつけられる。
どぽーーーーーーーーーん!
「っつぅ。って、あ……?」
「GISHAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!」
海面から顔をのぞかせると、そこには。
見上げるほどの巨大なリヴァイアサンが、グスカスを見下ろしていた。
「ひぎぃ……!!! く、来るなぁ!」
グスカスが情けない声でさけび、ぶんぶんと剣を振る。
スポンッ……!
「け、剣が!」
だがこの時期の海は寒かった。
手がかじかんでしまい、剣がすっぽぬけてしまったのである。
「GISHAAAAAAAAAAAAAAA!!!!」
「あ……ああ……あ……」
リヴァイアサンが、グスカスをロックオンする。
餌を食おうと、顔を近づけてきた。
「う、うわぁあああああああああああ!」
グスカスは惨めに泣き叫びながら、泳いで逃げようとする。
だが水で暮らすモンスターに、泳ぎで勝てるわけもない。
「も、もう駄目だぁああああああああ!」
と、そのときだ。
「てりゃぁあああああああああ!」
どがぁあああああああああああん!
突如として、リヴァイアサンが吹っ飛んだ。
グスカスの目には、何者かに蹴り飛ばされたように見えた。
「なんだ……って、ボブ!」
空中に、ボブがいた。
どういう原理かわからないが、ボブが宙に浮いている。
「大丈夫ですか、雫さん?」
「え、ええ……。たすけてくださり、ありがとうございます」
ボブは雫を、お姫様抱っこしている。
どうやらこいつが、リヴァイアサンを蹴り飛ばし、雫を救出したようだ。
「気になさらず! 師匠に教わったことを実践しているだけです!」
ギリ……っとグスカスは歯がみする。
ジュードの教えを守っているボブが大活躍して。
ジューダスの教えに背いているグスカスが、惨めな思いをしている。
……ジュードが正しかったように思えて、それがむかついた。
「さ、雫さん。陸地までお届けしますよ。闘気操作を応用した天駆術なら、街まであっという間です!」
どうやらボブは、雫をとんで街まで届けるようだった。
「お、おいボブ! てめえ! 俺様も助けやがれ!」
ガチガチ……と震えながら、グスカスが叫び声を張り上げる。
二月の海は、容赦なくグスカスから体温を奪っていく。
ボブはグスカスをちらっ、と一瞥し、吐き捨てるように言う。
「……自分で泳いで帰れば?」
「なんだと!?」
「……あいにく、ぼく、あなたのような最低な人間を、助ける気はさらさらありません」
ボブのグスカスを見る目は、あきらかに、こちらをさげすんでいた。
「あなた、自分の恋人がモンスターに捕まっているのに、自分だけ逃げようとしましたよね?」
「だ、だからなんだよ! 一番大事なのは自分の命だろ!? 優先して何が悪いんだよ!」
「……まあ、あなたのような【弱い】人間には、他人を助けることなど不可能でしょうけど。でも普通だったら、助けようとしますよ」
「弱い……だと?」
グスカスが震える声で言う。
「俺様のどこが弱いんだよ! 俺様は選ばれた存在なんだぞ!? 弱いわけねえだろ!?」
「……もういいです。これ以上話してると、気分が悪くなります」
ボブは雫を抱きかかえると、グスカスのそばから離れていく。
「砂浜までそこまで離れてません。泳いで十分に帰れますよ。それでは」
「お、おい! 待てよ! おい! おいってば!」
ボブはあっという間に、見えなくなった。
ただ一人、逃げようとしたグスカスだけが、冷たい海に残された。
「く、くそが……! くそくそくそ! なんだよ……! 俺様の何が悪いんだよ! みんなして俺様を否定しやがって!」
ぽた……ぽた……と涙がこぼれ落ちる。
「どうしてみんな俺様を否定するんだ! どうして誰もが俺様のもとから離れてくんだよ! くそ! くそ! くそぉおおおおおおおおおおおおおお!」
誰も居ない海に、グスカスの叫び声が響くのだった。




