50.鬼の雫は、勇者グスカスをあざ笑い続ける
ジュードがバイト少女たちと日々を過ごす、一方その頃。
鬼の少女・雫は、ネログーマとゲータニィガの国境付近の街、【ガオカナ】にいた。
観光地ではないものの、宿場町として栄えるこの町には、物も、そして人も集まっている。
雫はそんな、この町を訪れる【客】たち相手に【仕事】をしていた。
といっても幼く力の無い彼女だ、肉体労働はできない。
だから自分の【もっとも得意なこと】をして、日々金を得ているのだ。
さて今日もまた、観光客を相手に【仕事】をこなし、さて豚の待つ家に帰ろうとか……と思ったそのときだ。
【雫。聞こえますか?】
「キース様っ!」
帰路につくその途中、雫は上司であるキースから通信魔法が入った。
彼女はぱぁ……! と晴れやかな表情になる。
キョロキョロとあたりを見渡す。
あの醜い豚がいないことを確認してから、人影の少ない路地裏へと移動する。
「お疲れ様ですキース様っ!」
通信魔法を送ってきたのは、自分の上司であり、この国の第二王子・キースだ。
もっとも第一王子のあの豚が王家を追放されたので、現第一王子(次期国王)はキースということになるのだが……それはさておき。
【日々の業務、ご苦労様です。辛くはありませんか?】
日々の業務、とは、雫が、王子キースより与えられている【特別任務】のことだ。
キースとはこうして、定期的に任務の進捗具合を連絡し合っているのである。
「大丈夫です、気にしないでください、キース様」
あの豚……つまり勇者グスカスのことだ。否、正確に言えば元勇者か。
雫はキースの命で、王都を追放されたグスカスとともに一緒に行動しているのだ。
ある【目的】のために。
【それでアレの様子は?】
アレ、とはもちろん、グスカスのこと。
グスカスの弟であるキースもまた、兄を兄と思っていなかった。
英雄ジューダスを追放した、大罪人。それが、キースと雫が抱く、グスカスに対する認識だ。
「相変わらずです。日がな一日家でゴロゴロとしてます」
しずくは自分の感情・表情を、100%正確にコントロールできる。はらわたが煮えくりかえっていても笑える。
そんな彼女が今、浮かべている表情は、心の中の感情と合致していた。
「金がないくせに働きもせず、つれの女に働かせてその金で生きているとか。男としてどうかと思いますね」
【仕方ありませんよ。アレは生まれてこのかた、一度も労働なんてしたことがないのですからね。他人の好意と金でのうのうと生きてきて、感謝すらしない最底辺の人間ですから。哀れですね】
確かに、としずくはクスクスと笑う。
「勇者としてのプライドがあるから働けないとか、おかしなこと言ってましたよ、あの豚」
ならどうやって生活するのかと切り返したら、グスカスは黙りこくってしまった。
「それでぼくが働くといったら、あのクズなんて言ったかわかりますか?」
【何も言わなかった、でしょう? 感謝の言葉すらいわずに】
さすがキースだ。聡明でらっしゃる。そして、あの豚の性格を、よく理解していた。
【雫。本当に良いのですか? あなたは任務遂行中です。諸費用として、あなたの口座に金を振り込むことはできるのですが】
雫は首を振る。
「必要ありませんキース様。あんな豚のために、国民の税金を無駄に使うことありませんよ。必要な分は現地で調達できますから」
【さすがは雫。僕の一番頼りになる部下です】
「そ、そんな……頼りになるなんてぇ……♡」
雫が心からの笑みを浮かべる。
【それで雫、今後の方針ですが】
「わかってます。【処分】の話ですよね?」
ええ、とキースが返す。
【どうやらジュードさんは近々、ネログーマへ行く予定らしいです】
「そうなると必然的に、この街を訪れる可能性が出てきますね」
【はい。なので日程がわかり次第連絡しますが、なるべくアレを外に出さないでおいてもらえますか?】
「そうですね。英雄様とあの豚がバッティングしたら大変です」
【理想を言えばジュードさんがこの町を訪れる前に処分したかったのですが】
「ああ、それは難しいですね」
だって……と雫が続ける。
「もっともっと、あの豚を苦しめてから殺さないと、いけませんからね」
あの豚は恐れ多くも、未来の英雄王ジューダス様に、無実の罪をきせやがった極悪人だ。死んで当然だ。
しかしただ殺すだけでは許されない。
あの愚か者には、死よりも苦しい目に遭わせてからの処分でないと、許されない。
【ああ雫……あなたは本当によくできた部下です。きっと英雄王も、あなたの働きぶりにご満足していただけることでしょう……】
すすり泣く声が、通信越しに聞こえてくる。
きっとキースが感涙にむせているのだろう。
英雄王のために行動する部下に、感動しているのだ。
雫もまた眼に涙を浮かべ、感動に打ち震えていた。
「キース様……ぼく、頑張ります!」
雫の目には強固な意志の光が宿っていた。
全身全霊をかけて、あの愚か者に制裁を加えるんだと。
雫は決意を新たにするのだった。
☆
キースとの連絡を終えた雫は、仮住まいであるぼろ宿まで、帰ってきた。
「ただいま帰りました、グスカス様っ!」
雫は先ほど、キース相手に浮かべていた。
親愛なる人物を前にした、純粋で無垢な少女の笑みだ。
だが内心では、豚小屋に帰ってきてしまったと……不快に思っている。
それでも感情が表に出ることは決してない。鬼少女・雫は、自分の感情と表情を、完璧に制御できるのだから。
「おっせーぞ雫! 何やってんだよ!」
豚がフゴフゴと、醜く鳴いていた。
家畜に笑みを向けるなど意味の無いこと……とは思いつつも、最高の笑顔で迎える。
「申し訳ありませんグスカス様。お仕事が長引いちゃいまして。けど今日はたっくさんお金もらえましたよっ。えっへん!」
愛しい人に褒めてもらいた少女の笑みを浮かべながら、雫が言う。
「だからなんだよ。おまえ昼前には帰るって言ったのに遅れやがって。遅れてすいませんだろうが」
この豚は、どうしてここまで、偉そうにできるのだろうか……?
「す、すみません! 遅れてすみません……!」
雫は純粋に、不思議に思った。
このクズカス野郎は、自分では働いていない。雫に食わせてもらっている立場なのに……なぜここまで……?
「ったく、謝るのもおせーっつの。かえりもおせーし」
まあ、今までさんざん偉そうにしてきた人間なのだ。昨日今日でその性格がガラッと変わるわけ無いか。
しかしすべてを剥奪されて、何ももってない男のくせに、ほんと態度改めないよな、こいつ……。
もはや王子でも勇者でもないただの男が、まるで王子や勇者のように傲慢に振る舞っている様が、滑稽で仕方なかった。
「おい雫。なにぼさっとしてんだよ。さっさと昼飯作れよ」
豚が嬉しそうに、そう命令する。それを見て雫は心の中で嗤った。
この男、もはや奴隷である自分にしか、偉そうな態度が取れないのだろう。
ほんと、哀れな男だ……。
雫は昼食にパスタを作り、グスカスの前に出す。
「ちっ……! しけたパスタだ。具がほとんどねえじゃねえか」
「すみません……まだお金に余裕がなくて節約しないと……でもでもっ、その代わりに愛情をたっぷりに入れておきましたからっ!」
えへへっ、と無邪気に笑ってみせる雫。
「ば、バカなこと言ってんじゃあねえよ……ったく。バカだなおまえ……」
そう言いつつも、豚は表情を赤らめながら、パスタをつつく。
雫はすぐに、グスカスがまんざらでもないと思っている、と察せられた。
雫はかつて娼婦だった頃から、多くの男たちを見てきた。
男が喜ぶ術、言葉を知っている。
何を言って何をしてあげれば、喜んで心を開いてくれるか、知っている。
それはつまり技術だ。雫はその技術を使い、哀れな男を喜ばせているだけに過ぎない。
雫にグスカスへの愛情はない。だが逆は違う。
「し、雫……おめーガリガリなんだから。ほら、俺の分も食えよ」
豚が、すっ……と雫に、パスタの入った皿を向けてくる。
「いいえっ! グスカス様。ぼくなんかはいいですから、グスカス様がたくさん食べてください!」
「う、うるせえ。俺に命令するな。俺が食えって言ってんだから食え。それ以上余計なこと言うな馬鹿野郎が」
……なんとも、お粗末で稚拙な愛情表現だ。雫は心であざ笑う。
「ありがとうございます! グスカス様に大事してもらえて……ぼく嬉しいです!」
「ば、バカが……さっさと食え」
ここでもう一歩踏み込んでおくか。雫はすっ……とグスカスに手を伸ばす。
「グスカス様♡ お口にソースがついてますよ」
雫はグスカスの頬に、顔を近づける。チュッ……とキスをして、ソースをなめ取る。
「なっ……!!!」
グスカスが顔を真っ赤にして慌てふためいた。子どもかよ。体はでかいくせに、精神年齢はほんとガキだよな。
「えへへ♡ キスしちゃいました♡」
「………………雫ぅ!」
ガバッ……! とグスカスが雫を押し倒して、覆い被さってくる。
ほんと、単純な男だ。食欲を満たした後は、性欲を満たそうとするなんて。
理性のない、自制心もない。まるで獣だなと思いながら、雫はグスカスに身を委ねた。
やがて夕日が差し込む頃になって、ようやく高ぶった気が静まったのだろう。
グスカスは雫と並んで、粗末なベッドに横になっていた。
「そろそろお夕飯つくらなきゃですね。明日も早いので、さっさとご飯食べて寝ちゃいましょうっ」
雫が起き上がろうとする。
ぐいっ、とグスカスが、雫の腕を引っ張ってきた。
その汚い手で触れるなと、払いのけられたらどれだけ楽だろうか。そう思いながら、
「どうしたんですか、グスカス様?」
心に一点の陰りもない、無垢なる少女のように、雫が小首をかしげる。
「その……なんだ。もう少しこうしてろ」
そっぽ向きながらグスカスが言う。
気持ち悪い。
純粋に、雫はそう思った。
先ほどまで、この豚に体をむさぼられ、いま体中は汚れきっている。
一秒でも早く身を清めたかった。
だのにこの豚はもっとそばにいろという。拷問も良いところだ。
……いっそ、ここで始末してしまおうか。
そんな思考が頭をよぎる。だがここで殺してはいけない。それでは目標が達成されない。
「えへへっ♡ じゃあもう少しだけっ♡」
雫はニコニコした笑みを浮かべながら、グスカスの腕にぎゅーっとしがみつく。
雫が笑みを浮かべると、グスカスが照れくさそうに目をそらす。
「その……雫よ。前から気になってたんだが……おまえの仕事って、何なんだ?」
今更かよ。ここで働き出してから、どんだけ時間が経っているんだと思ってんだよ……。
まあいいか。別に教えたところでミッションに支障はない。
「娼婦ですよ」
雫が何気なくそう答えると、ガバッ……! と勢いよく、グスカスが体を起こす。
「はっ、はぁああああ? おまっ……おまえ今なんつった!」
グスカスが怒気をあらわにする。雫は最初、意味がわからなかった。
なぜこの男が……と思ってから、すぐに理由を察する。
そして心の中でグスカスを嗤いながら、【演技】を続けることにした。
「だから娼婦ですよ」
「娼婦って……おいお前! よそで俺以外の男に抱かれて金をもらってんのかよ!」
「ええ、まあ」
「ええまあって……恥ずかしくねえのかよ! そんな仕事してよぉ……!」
グスカスが声を荒げる。怒っているのか、焦っているのか。いや、どっちもだろう。
「恥ずかしいも何も……職業も技能もない女が、働こうと思ったら、体を売るくらいしかできませんよ?」
むしろそんなこともわからないのか。頭がゆるいなと前から思っていたが、どこまで頭がお花畑なのだろうか。
グスカスは子どものようにだんだんっ! と壁をたたく。
「うるせえ! もう娼婦は辞めろ! 良いなっ!」
グスカスが顔を真っ赤にしながら、ビシッと雫に指さす。
「おまえは俺の女だ! 俺以外の男に抱かれるな!」
……そう。つまりはこの豚、女を独占したいのである。
もう自分には雫しかいない。その女を、他の男に抱かせるなんて……言語道断!
……とでも思っているのだろう。わかりやすい男だ。そして、バカな男。
「他に職を探せ。いいなっ!?」
「そんな……、無理です。僕は奴隷の身分なんですよ? それに体も弱いですし……働き口なんて限られてます」
「うるせえ! いいからお前は俺の言葉にはいはいってしたがってりゃいいんだ! 娼婦は辞めろ!」
「無茶です……娼婦を辞めたら、明日からどうやって生活すれば良いんですか? お金を稼がないと生きていけません」
「そ、それは……」
もごもご、とグスカスが口ごもる。なんともおかしな話だ。
自分は働かず、奴隷に働かせ、そして今度は仕事を辞めろという。身勝手な奴だ。
そして辞めろと言ったはいいが、じゃあどうすると聞かれて答えられない。バカとしか言い様がない。
さてどう説得するか……と考えていた、そのときだ。
「……ったく、わかったよ。俺がやるしかねえのかねえのか。……しゃあねえ」
グスカスが、雫を見て、こう言ったのだ。
「俺様が働いてやるよ」
遅れて大変申し訳ございませんでした。
忙しさがひと段落しまして、今日からまた更新を再開していきます。
今後とも「元英雄」をよろしくお願いします。




