26.勇者グスカスは、牢屋の中で惨めに泣く
ジュードが隣国フォティアトゥーヤァにて、少女たちと一泊している、ちょうどその頃。夜。
勇者グスカスは、人間国ゲータニィガ、その王都。
王城の牢獄にて、収監されていた。
「…………」
牢屋にはベッド、そしてトイレ用のバケツしかない。
グスカスがいるのは、牢屋のベッドの上だ。ここへ来て数日が経過しているが、グスカスはここから動こうとしない。
トイレの時だけ、仕方なくバケツに向かうが、基本的にベッドに横になって動かない。
「…………」
今のグスカスは、酷い有様だ。髪はボサボサ、ひげは伸び放題。栄養が足りてないので、頬はこけている。
硬いベッドでは眠るに眠れず、目もとには濃い隈ができている。
「…………」
牢屋に入り、たった数日でここまで憔悴するものだろうか。いや、それほどまでに、精神的ダメージが大きかったのだろう。
グスカスは横になり、鉄格子の向こうがわをじぃっと見つめていると、外から声が聞こえてきた。
「聞いたかあのカス王子、ついに牢屋に入れられたんだってさ」
「聞いた聞いた。俺たちをクビにしたあのバカ、自分が王子をクビになってやがんの。いい気味だぜ!」
牢屋の外から……若い男の声がする。文脈から察するに、以前グスカスがクビにした文官たちだろう。
牢屋の外には、見張りのような人間はいない。そもそもグスカス以外、牢屋に収監されている人間はいない。
グスカスも、別に罪を犯してここへ来ているわけではないということで、看守的な人間は、ここにはいないのだ。
文官たちは、牢屋部屋の外を、たまたま通りかかったのか。あるいは、わざとか。
「飯を運んでいる召使いから聞いたんだが、あのクズカスの野郎、ベッドから一歩も動かないで、死人みたいにぐったりしているらしいぜ」
もはや名前の違いを指摘する元気も、グスカスにはない。
「なんでだろうな?【出せー! 俺様は勇者だぞー! こんなところいれるなんて死刑だー!】 みたいなこと言って暴れるんじゃないかと思ってたけど」
「たぶんだけど、相当ショックだったんだろ」
グスカスは横になったままだ。彼らの否定も反論しない。そんな元気がないから。
「ショックって?」
「考えても見ろ、今まで唯一自分の味方だった国王陛下から、見放されたんだぞ?」
「あー……なるほどなぁ。そりゃショックだ。息子としても、王子としても、見捨てられたんじゃあなぁ」
そう……。
今まで父グォールは、どんなことがあっても、グスカスのことを見捨てることはなかった。
自分が何をしでかしても、許した。自分のわがままに、すべて答えてくれた。
そんな父から、見捨てられた。そのショックは測りきれない物だった。
グスカスは父に見放され、牢屋に収監されて、気づいたのだ。
自分は、この世界で本当に、ひとりぼっちになってしまったのだと。
「あのバカ王子、父親以外にかまってくれる人間いないしなぁ」
「な。牢屋に入れられたってなっても、誰も国王陛下に異議を唱えるやつはおろか、心配して様子を見にくるやつも皆無らしいぜ」
「だっせ! ざまぁ……! 今までさんざん非道なことしてっからだよ! 人望皆無のカス王子!」
「ほんとほんと! いやぁ、キース様が正式に、あのバカの座っていたイスに座ってくれて良かったよ!」
「ほんとほんと! あのクズと違って仕事できるし優しいし! クズには牢屋がお似合いだよ! 一生そこに入ってろってんだよ!」
文官たちの悪口に、しかしグスカスは何も言い返せなかった。言い返す元気もないし、それに……納得している部分も、あったからだ。
今まで、自分は人望があると思っていた。魔王を倒した(実際は倒してないけど)勇者として、国民たちから好かれているとばかり思っていた。
しかし現実は違った。この二日間、嫌と言うほど思い知らされた。
「ち、くしょぉ~…………」
ベッドに横たわりながら、グスカスが涙混じりに言う。
惨めだ。こんな汚い場所で、ひとり横になっている自分が惨めだ。
惨めだ。外の悪口に対して、何一つ言い返せない自分が惨めだ。
誰も、誰も……自分をかまってくれない。誰も自分を心配してくれない。
「誰かぁ……誰か俺を……誰かぁ……」
だがしかし、誰もやってはこない。ここに来る者は、誰も……。
と、思っていたそのときだった。
こつ……こつ……こつ……。
何者かが、こちらに向かって歩いてくる。誰だろうか。
誰かが心配してやってきてくれたのかっ! と期待する。しかし……。
「ぐ、グスカス様……。お、お食事を持ってきました……」
やってきた人物を見て、グスカスは落胆した。召使いだった。
「…………」
落胆し、グスカスはベッドに体を再び投げ出す。
「ぐ、グスカス様……。お食事をおたべになったほうがいいです。体が持ちませんよ?」
「…………」
グスカスは無視する。召使いをちらっとみる。
彼女は以前、グスカスがボコった召使いだ。
褐色の肌をした少女だ。黒髪と、そして額から生える角が特徴的である。
こいつは鬼族といって、【大穴】を通してこの世界へとやってきた【異世界人】のひとりだ。
鬼族少女がなぜ、グスカスの召使いに任命されているかというと、理由はひとつだけしかない。
彼女には他にない、再生能力を持っているからだ。
以前召使いを、グスカスがボコボコにして殺したことがある。
それ以降、グスカスの暴力に耐えられるよう、再生能力を持ったこの鬼の少女が、グスカスの召使いに任命されたのだ。
「ぐ、グスカス様……。昨日も何もお召し上がりにならなかったではないですか。それじゃあ死んじゃいますよ……」
「……るせえ」
ムクムク、とグスカスは怒りがこみ上げてきた。
「しっかり食事を食べて、英気を養ってください。体が元気になれば心も元気になります。そうすれば、以前のような勇猛果敢の素晴らしいお姿に……」
「……る、せえよ」
グスカスは、立ち上がった。無気力だった体に、【怒り】というガソリンが注がれる。
目を妖しく光らせながら、グスカスは鉄格子に近づく。
褐色の鬼少女の顔が、見える。
みすぼらしい女だ。体は細く、首には【奴隷の証】である、首輪がつけられている。
こいつは……奴隷だ。
奴隷の分際で、こいつは俺を……。
「ぐ、グスカス様?」
「うるせえええええええええええええ!」
グスカスは衝動に駆られ、鉄格子を蹴りつける。
「ひっ……!」
鬼少女の持っていたお盆が、手からこぼれ落ち、大きな音を立てる。
「馬鹿にしやがってバカにしやがって馬鹿にしやがってええええええええええええええええええええ!!!!!」
ガンガンガンガンッ……!
グスカスは鉄格子を蹴りまくる。鬼少女はおびえた表情を浮かべる。
グスカスはにゅっ……と鉄格子の間から、腕を伸ばす。
「ひぐっ……!!!」
鬼少女の首をつかんで、締める。
「奴隷ごときが! 俺様を下に見てバカにしてんじゃねえ!!!」
ぎゅーっとグスカスは少女の首を絞める。
「じ、じでまぜん……。バカになんで……」
「してるだろうがよぉ……! 奴隷のくせに! 人間以下の家畜のくせに! いっちょ前に勇者である俺様に同情してるんじゃあねえぉごらぁあああああああああああああああああ!!!!」
この女の、グスカスを見る目が。自分を哀れむような、目をしていた。同情してやがった。
それがむかついてならなかった。
「いいきになんて……なって……」
「なってるだろうが! くそっ! 家畜のくせに! 異世界の野蛮人のくせに! 救国の勇者を哀れんでんじゃねえぞごらぶっ殺すぞ!!!」
少女が白目をむいて、ぴくぴくしだす。
「ず、ずびばぜん……。ごべんなざい……。ゆるじで……」
「許す訳ねえぇえええええだろ! 殺す! 殺してやる! 人間以下の下等生物のくせに、この世で一番偉い勇者を見下しやがって! 殺す!! 殺してやる!! ぶっ殺してやるよぉおおおおおおおおおおおおおお!!!!」
グスカスは渾身の力を込めて、首を絞める。勇者の強化された身体能力はない。成人男性程度の腕力しか無い。
それでも狂気に駆られ、リミッターのはずれたグスカスの腕力では、この細い少女の首など、容易く折れてしまうだろう。
「や、べで……じ、にだぐない……」
「うるせえ死ねーーーーー!!!!」
と、叫んだ、そのときだ。
「何をしておるのじゃ! グスカス!」
☆
牢屋の外に、見知った顔がいた。
銀髪の幼女だ。10歳くらい。見た目にそぐわぬ古風なしゃべり方に、グスカスは心当たりがあった。
「ミラピリカてめえ! 兄である俺様に命令してんじゃねえ!!」
そこにいたのは、自分の妹。第三王女ミラピリカだった。
「うるさい! その手を離せ下郎が!!」
すると背後に控えていた、ピリカの従者がすぐさまやってくる。
従者がグスカスの手をひねりあげる。召使いの鬼少女を解放させる。
「かは……! はぁ……はぁ……はぁ……げほっ、ごほっ、おげぇえ!」
鬼少女はその場で跪いて、ゲロを吐いた。
ピリカは気遣わしげに彼女の隣に座り、背中をさする。
「おぬし、大丈夫か?」
「は、はい……」
「愚兄が失礼なことをした。もうよい。下がりなさい」
ピリカが召使いの少女を立ち上がらせる。
「もうおぬしはここへ来ずとも良い。こやつには食事など無用だ。そもそも食べておらぬようだしな」
「で、でも……」
鬼少女は、ちらとグスカスを見やる。また下等生物のくせに、あの同情するような目を向けてきた。
グスカスはむかついた。
「とっとと失せろ! この化け物ゲロ女が!」
グスカスの罵倒を浴びせられ、召使いの少女は悲しそうに顔をしかめた。
泣きそうな顔になった後、ぺこっと頭を下げ、召使いの鬼少女は、去って行ったのだった。
「…………」
「まったく……少しは反省したかと思ったら、まるで反省の色が見えぬな、おぬし」
妹が侮蔑の表情を、兄に向けてくる。
「ピリカてめぇ……。兄に向かってなんだその口の利きかたはぁ……!!!」
吠えるグスカス。しかしピリカはおびえるどころか、むしろにらみ返してくる。
「ふんっ! 兄はキース兄様ただひとりだ。おぬしのことを、兄と思ったことは一度たりともないわ!」
「なんだとぉ!? 不敬だぞ貴様ぁ……! 妹のくせに! 女のくせに偉そうにしやがって!!!!」
グスカスは叫ぶ。
「さっきの鬼女もそうだ! 俺は男だ! 女よりも偉いんだ! 女のくせに男に意見したり同情したりしてるんじゃねえ!」
心からのグスカスの叫び。
それに対してミラピリカはというと……。
「…………」
「なんだそのゴミを見るような目はよぉおおおおおおおお!!!」
少なくとも、兄に向ける顔ではなかった。冷たく、それでいて下等なものをみるような、哀れみきった目だった。
「……もうよい。おぬしと同じ空気を吸っているだけで、気分が悪くなる。要件だけさっさと済ませよう」
「あ゛? んだよ偉そうに!」
そういえばこの女、どうしてここへやってきたのだろうか……?
それに今要件と言っていたのは……?
「おぬしに届け物じゃ」
そう言って、ピリカは【ステェタスの窓】を開き、【インベントリ】を選択。
インベントリの中には、物体を収納しておくことができる。
しかも入れておけば、その中での時間は止まっているため、物体が劣化することはない。
ピリカはインベントリの中から、紙袋を取り出す。
「ほれ」
そう言って、ピリカはグスカスに、紙袋を向けてくる。
「んだよそれ……?」
グスカスが受け取らないで居ると、ピリカが鉄格子のそばに、紙袋を置く。
「この間出かけた際、ジューダス様からおぬしへと預かっていたものじゃ」
「! あのクソ野郎から?」
ピリカは不快そうに顔をしかめると、きびすを返す。
「渡したぞ。さらばじゃ」
「あ! おい! ピリカ!! 待てよ!」
グスカスは妹に声をかける。
「何かねえのかよ! 俺様がこんな酷い目にあってるんだぞ!? 父上に掛け合って俺様を助けるとかさぁ……!」
しかしピリカは立ち止まることはない。振り返らず、外へ出ていく。
「おい待てよ! おい! おいってばぁああああああああ!!!」
ピリカは一度だけ立ち止まり、ちらっとグスカスを見やる。しかし何も言わず、正面に顔を戻して、出て行った。
あとには、グスカスだけが残される。
「…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………クソが」
グスカスが、絞り出すようにして叫ぶ。
「クソがクソがクソがぁあああああああああああああああああああああああああああああ!!!」
グスカスは鉄格子を、何度も何度も、素手でたたく。
「どいつもこいつも俺様を馬鹿にしやがって! ないがしろにしやがって! 俺様は! 勇者だぞ! 俺様が! 一番偉いんだぞおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」
だがその叫びは、むなしく牢屋に響き渡るだけだった。
グスカスの主張に、賛同する者はおろか、否定するものさえも、いなかった。
グスカスは、ひとりだった。
冷たい牢屋に、ただひとりだった。一人で叫び、わめき散らしているだけの……さみしい男だった。
やがてわめき散らしたあと、つかれてその場にしゃがみ込む。
「ぢくじょぉ……。ばかにしやがってぇ~………………」
口では強がっているものの、心は疲弊していた。
誰からも厄介者扱いされて、グスカスの精神は摩耗しきり、ボロボロだった。
妹からむけられた、負の感情。侮蔑の表情が、地味にこたえた。
「くそ…………クソ親父も……クソキースも……あのバカ女どもも……俺を、俺をないがしろにして……ばかにしやがって……ちくしょう…………」
誰一人として、グスカスに優しい言葉を投げかけるものはいなかった。
「………………」
むなしさに押しつぶされそうになっていた、そのときだ。
ぐぅ~~~~……………………。
と腹の音が鳴った。
「な、なんだ……? 急に腹が減ったぞ……?」
今まで怒りやら惨めな気持ちやらで、食事をしたいという欲求は一度も生まれなかったのに。
今はなぜだろう、急に腹が空いたのだ。
「……この紙袋から、いいにおいがするぞ」
たったいま、ミラピリカからもらった紙袋だ。
ジューダス。あのクソ野郎から、ピリカが預かっていたもの。
「いったい何が入ってるんだ……?」
グスカスは紙袋を開ける。すると中には……。
「これは……葡萄パンじゃねえか」
ふわふわとした、白いパンに、干した葡萄がまぶされたパンだ。
これは、グスカスの好物だ。
昔、まだジューダスが仲間に居た頃。
訓練の途中で、ジューダスがよく、焼いてくれたパンだった。
旅の途中、休憩の合間に、よく渡してくれたパン。グスカスの、好物のパン。
「…………」
紙袋にはパンと、ボトル、そしてメッセージカードのようなものが入っていた。
ボトルを手に取る。蓋を開けると、中にはコーヒーが入っていた。
すすると……甘みが口の中に広がる。これも、よく好んで自分が飲んでいた、甘いコーヒーだ。
休憩になると、ジューダスが、このパンと一緒に、この甘いコーヒーを出してくれたのだ。
「…………」
グスカスは、それらを脇に置く。最後に、一緒に入っていたメッセージカードを手に取る。
そこには、【喫茶店ストレイキャット】と。名前と住所が書いてあった。
店の名刺だろうか。そしてその名刺の裏には、短いメッセージが書いてあった。
【なんか辛いことあったら、愚痴聞くからな。いつでも顔出せよ】
たったそれだけの、短い文章だった。
グスカスに対する、不満や怨嗟の言葉でも、書いてあるのかと思ったのに。
そうじゃなくて、グスカスを気遣うような、メッセージが書いてあった。
誰一人として、身を案じてくれなかったのに。
この追放された男だけが、自分の身を、心配してくれていた。
「…………」
それに対して、グスカスは……。
「うるせえ……」
小さく、そして……。
「うるせよぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!」
カードをビリビリに破く。入っていたパンを踏み潰し、ボトルを床にたたきつける。
「馬鹿にしやがって! どいつもこいつも! 俺様のことバカにしやがってぇええええええええええええええええええええええええええええ!!!!」
グスカスは、感情をごまかすかのように叫んだ。
その目からは、涙が流れている。だがそれが決して悲しいから、流れてる涙ではないと、グスカスはわかっていた。
けどそれを認めるわけにはいかなかった。だからグスカスは、感情をごまかすためにわめき散らした。
「畜生畜生畜生! ちくしょーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!」
グスカスの叫びは、牢屋の中をむなしく響き、やがて消えた。
後にはすすり泣く音だけが、暗い室内にいつまでもこだまするのだった。
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