5、特務小隊の日常-1
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光が思考の海から現実に戻ってくると、目の前には椅子から立ち上がった状態でフリーズしている女の子がいる。
まぁいったん座れ、と光が手で示しながら言うと彼女はハッとして椅子に腰をおろした。
けれども完全に復活したわけではないようで、「いやいや、あり得ないでしょ。何で男の人なのにボクよりも綺麗なのさ。」と彼岸は死んだ目をした放心状態でそういったことをブツブツと呟いている。
こうなった連中は、自力で帰ってくるまで放置する方が良いと、今までの経験則から知っている二人は彼岸が正気に戻るのをひたすら待つ。
しばらくすると彼岸は現実に復帰した。と同時にそういえば、と質問してきた。
「あの……確かここにはもう一人いるのでは?」
席についた時から考えてはいたが、光の件が衝撃的過ぎて忘れていたらしい。
確かに特務小隊所属隊員は三人であると知らされたはずだが、現在、ここには二人しか居ない。外出中だろうか?と彼岸は首を傾げた。
光は顔に手を当て、この件をどう説明したものか、とうんうん唸る。
やがて説明がまとまったのか難しい顔で言葉を選びながら言う。
「蓮は……まぁアイツは基本的に居ないから気にするだけ無駄だ。無駄。」
「……はい?」
光の言った意味が分からないらしく、彼岸は。きょとんとした顔でまじまじと光の顔を見つめる。
理解不能といったその様子を見て雪はテーブルの横から補足をする。
「蓮は基本的には居ない。任務の時ぐらいは居ることもあるけど、それ以外は見つからない。」
雪は僅かに眉をひそめた困り顔での説明だ。その顔を見れば本当にどう説明するかで困っているのが良く分かる。そのせいか随分と謎めいた説明となってしまっているが……。
お陰で彼岸は未だ理解が及ばず困惑している。
光は自分の妹の説明しにくさに思わず手で顔を覆った。
「……まぁアイツのことは別に気にしなくても問題ない。どうせいずれ会う。それより現状の確認だ。」
そう言って光は彼岸に向き直った。
「俺たち……というより俺個人に対してお前の能力に関する調査依頼が来た。そっちで既にある程度の検証をしていたことは聞いてるから、調査はそれ以外の点からやっていく。」
光はそこで一旦言葉を区切ると彼岸を見据え、ここからが本題だとでも言うように真面目な顔になる。
「でだ……彼岸、お前自分の能力ランクは聞いているな?」
「あ、はい……S-は確実にあると言われました……。」
「それなんだがな……正直言うと俺はそれの正確なランクに予想がついている。」
「はぇ?」
彼岸の口からなんとも気の抜ける声が出た。ポカーンとした顔からは光の言葉が予想もしなかった事であると告げていた。
驚きで変な顔をしている彼岸を見ながら光は話を続ける。
「実はなぁ、それがちょっと一番の問題でな……詳しくは話せないんだが、可及的速やかに強くなってもらわないといけない。……というわけで特別訓練を受けてもらう。」
「特別……訓練……?」
とてつもなく急な話の展開に加えての"特別訓練"という単語。
その言葉が何を指し示すのか知らない彼岸は戸惑った様子を見せる。
「特別って言っても俺らで面倒見るだけだけどな。」
先程までの真剣さが嘘のように、光は肩をすくめて軽い感じで言った。
もし彼岸がその時、光の言う"面倒見る"の内容を知っていれば、全力で拒否したに違いない。
誠に無知とは恐ろしいものである。
光の説明で彼岸が実情と少しズレた理解をしたとき、横合いから雪が口を挟んだ。
「一応訓練は光がメイン、だけど私も多少は手伝うよ。」
"多少は"などとかなりの謙遜をする雪を見た光はニヤッと口角を上げると冗談めかして一つ爆弾を投げ込んだ。
「気をつけろよ。そいつ馬鹿みたいに謙遜してるけど巨蟹宮のくせして天蝎宮の資格持ってるからな。」
「え…………えぇ!?」
彼岸は驚きの余り再度椅子を蹴り飛ばしてガタンッと立ち上がった。
ミラージュの持つ能力はそれらの持つ特徴や性質を元に四種八系統で分類されている。
まず、能力やその使用方法の大まかな方向性で決めるのが四種。
●防御、防衛に関する『リオン』
●仲間の補助に適する『フィメル』
●高い攻撃力を備える『スコーピオ』
●長い射程距離を持つ『ケンタウロス』
続いてその方向性を実現するにあたって、実際に何ができるのか、あるいはどんな手段を用いるのか、で決定される八系統。
・現象の操作を行う『シープ』
・物質や現象の"発生"を行う『ケトル』
・概念存在への干渉が可能な『ダブル』
・隠蔽隠密に特化した『クラブ』
・情報を得ることに特化した『バランス』
・精神への干渉能力に関する『ゴート』
・物質の操作を行える『ボトル』
・身体強化全般の『フィッシュ』
以上、四種と八系統からひとつずつ分類を決定するのである。
例えば『筋力を一瞬だけ超強化する能力』ならば、おそらくは近接戦闘での用法が主であろうからスコーピオ―フィッシュ。
『集中すると数百キロ先の音が聞こえる能力』ならば、フィメル―バランス。(ケンタウロス―バランスも有り得ない訳では無いが、その射程距離に害を及ぼせるわけではないので補助方面だと判断されることが多いだろう。)
といった具合である。
本題はここからで、これらの四種八系統……計十二枠それぞれで頂点に立つ者はGRID上層部から直々にとある称号が渡されることになる。
『白羊宮』
『金牛宮』
『双子宮』
『巨蟹宮』
『獅子宮』
『乙女宮』
『天秤宮』
『天蠍宮』
『人馬宮』
『磨羯宮』
『宝瓶宮』
『双魚宮』
これらの称号を持つ十二人らは天導十二宮と呼ばれ、GRIDの持ちうる最高戦力として扱われている。
要は人類の英雄的な立ち位置の人達であり、そんな天上の人物の一人が間近に居れば彼岸でなくとも驚くだろう。
「あれ? でも確か……巨蟹宮は隠密系で、逆に天蠍宮は戦闘面での頂点でした……よね?」
光の言葉に引っ掛かりを覚えた彼岸が疑問を呈すると、チョイチョイと手招きした光がずいと身をのりだし耳打ちする。
「ここの噂知ってるか? その中に『天蠍宮』完封した、ってのあるんだけど、あれやったのアイツなんだよ。」
ピッと雪を指差して光は噂の真相を伝えた。
彼岸の位置から見て左側では無表情の雪が押し黙って彼岸を見ている。
その表情は初めから一貫して変わっていない、にも関わらず先ほどの話を聞いた後では、その無表情がどことなく恐ろしいものに感じられる。なんというか……冷酷に獲物を狙う目というか、油断すれば狩りに来る目というか。…………何とも言いようが無いが、感覚的には……アイツ元殺人鬼だったんだ、と言われた輩がジッと見つめてきている。そんな感じである。
結局、彼岸の怯える初々しい反応を面白がった雪があえて黙ったままでいたことを光がばらすまで、彼岸は縮こまったままだった。