2、事の発端-1
◆ 西暦2124年4月20日
「えぇぇぇ!?!? 光さんって…………男の人だったんですかぁぁぁ!?!?」
特務小隊の本部……という名の一軒家の一室からそんな叫び声が響く。
声の主は先ほどこの家に来たばかりの客人の女の子だ。
所々はねたクセのある深紅のショートヘアからサイドテールを垂らし、瞳は濃い藍色。
コロコロと変わる豊かな表情が特徴の美人というよりは可愛らしいと言った方が似合う少女である。
彼女は藍川彼岸。年齢は十五だ。
また光が今回受けた依頼の対象者でもある人物だ。
「……はぁ、悪かったな。女っぽい名前と見た目で。」
憮然とした中に諦めが混じった複雑な表情を浮かべて男である天崎光はそう返した。
正方形状のテーブルの右側にはもう一人、特務小隊のメンバーである朧夜雪の姿もあるが、半目で無表情状態の雪はもはや何も言わない。
それほどまでにこのやり取りは人を替え、言葉を変え、繰り返されているのである。
未だ茫然とした客人をさておき、光はこうなった全ての元凶に思いを馳せた。事の発端は昨日の午後にまで遡る。
◆ 西暦2124年4月19日
金曜日の夕方、学徒のみならず社会人も渇望する待望の時間である。
光の通う凰花学園でもそれは同様で、その日の授業とホームルームも終えた直後にはもう颯爽と帰る者や部活に行く者で一気に教室が閑散としていた。
光も周りに習ってそろそろ帰ろうかと席を立ったところ、ちょうどクラス担任である女教師からふと思い出したように呼び止められた。
彼女は灰織 穂斑。凰花学園にて高等化学を教えながら薬学医を兼任する人物である。
その容姿は、顔立ちは整っているしスタイルもそこそこに良いしで目立つ赤縁眼鏡と合わせて一見すると知的なクール系美人なのだが…………。
死んだ魚のような目と覇気の無い佇まい、ツヤの無い雑にまとめられた灰色の髪、加えて無精な性格故に白衣を纏いっぱなしという点が台無しにしている。
そのせいか一部では名前と絡めて"死んデレラ"なんて失礼な呼び方をされているとかいないとか……。
「あぁそうだったそうだった。天崎、お前、学園長から呼び出しされていたぞ。」
灰織がぶっきらぼうに言い放った"学園長からの呼び出し"という言葉。それに何か嫌な思いででもあるのか光はその言葉を聞いた瞬間、露骨に顔をしかめた。
「……それ無視して帰っていいですか?」
「ダメだ。」
にべもない即答。
ふてくされる光は灰織には聞こえないように小声で悪態をつく。
「ちっ、こんな時だけ余計なこと思い出しやがって……。」
ところが数メートルは離れているというのに灰織は耳聡く反応する。
「おい、聞こえてるぞ。…………まったく、諦めてさっと行ってさっと帰れば良いだろう。」
「はぁ……へいへい、わかりましたよ。」
呆れたような口調のアドバイスにそうなげやりな返事を残し、光は教室を出て学園長室へ向かった。
学園長室への移動中、光の脳裏には腹黒学園長の姿が思い描かれていた。
そこに浮かぶのは親しみやすい柔和な雰囲気を醸し出していながらとんでもない頼み事をしてくる、ニコリ……いや、ニタリと笑う老婆の顔である。
──無視して帰ってやりたい……本気で……
嫌々ながら学園長室の前に辿り着いた光は、どうせ今回の用件もまた何かのぶっ飛んだ依頼だろうと予想しつつ引き戸をガラリと開けた。
部屋に入った光はさっそく中央奥で大机を前に座る学園長がニコニコと微笑んでいるのを目にしてげんなりとした表情を見せる……が、しかし学園長の隣に立つ人物を目にするや否や大きく目を見張った。
長身にかっちりとしたスーツを着こなし、髪はオールバックで整え、堀の深い顔にはいつもの如く険しい表情を浮かべて立っているのはGRID極東第三支部の支部長……つまりは極東第三支部の特務小隊所属である光の上司にあたる檜山昌一だった。
なぜGRIDのお偉いさんが学園に?と驚いてはいけない。ミラージュの育成を行う学園とミラージュが所属するグリッドの二組織はある種連携している状態にあるため職員がもう一方の組織に出向くというのはあり得ないことではない……ないのだが、わざわざ今回の依頼の為だけに学園と第三支部のトップが揃っていることに、光は面倒ごとの予感をひしひしと感じていた。
「おや、来ましたね。」
柔らかそうな布張り椅子に深々と腰掛ける学園長が自分で呼び出しておいたくせしてとぼけたような口調で言う。
そんなのらりくらりとした学園長の言動を極力気にしないように努めつつ光はまず問う。
「……それで用件は? また馬鹿げた依頼か?」
以前あったのは、戦術級……つまりAランク禍の素材を持ってこい、荒野の奥地で調査をしてこい、果てには海中に落ちた隕石から鉱物を採取してこい、なんてのもあった。
「まず……今回は学園もグリッドも関係なく、私達二人からの個人的な頼みです。」
光にひとまず前提条件を伝えた後、学園長は一旦言葉を区切りこう続けた。
「学園に在籍している子のなかに一人、能力の詳細が分からない子がいます。それを調べて欲しいのです。」
今の発言だけでも色々聞きたいことが山ほどあるのだが、光はひとまず根本的なことから聞くことにした。
「調べろって言ってもなんで俺なんだ? そういうのは"バランス"の仕事だろ?」
「あぁ、それは私から答えよう」
光の疑問に口を開いたのは学園長ではなく、今まで沈黙を保ってきた檜山だった。