1、プロローグ
◆西暦2124年4月18日
──この世界が変わったのはいつのことだったか。確か……1983年の9月20日……今からはもう140年ほど前のことになるのか……。
目の前でいくつもの椅子を占領しながらふにゃふにゃと弛緩した様子を晒す人竜種の少女の姿を見て、益体も無くふとそんなことを考える。
そう、昔はドラゴンなんて生き物は空想上の存在でしかなかった。魔法もだ。
過去、二度に渡る世界大戦を終えた人々が争いから立ち直り、ようやく前を向いて進み始めたちょうどその時。
それらが現れ、この世界は再び混乱に貶められることになった。
全くの未知なる生物、資源、文化、魔法と魔力を内包する世界……”荒野”と、その世界と地球とを繋げる”門”。
そして、かの世界に生息する常識外の存在たる”禍”と、時を同じくして地球上に現れ始めた異能の力を持つ”ミラージュ”と呼ばれる者たち。
それらの存在は科学の支配していた地球にかつてない変革期をもたらし、直接的にも間接的にも多くの国々に混乱と被害を与えることとなった。
やがて数年の時を経て……。
混乱を落ち着かせ、態勢を整え、地球の人々は団結・協力して新たな変革へ対応することを誓い、世界連合特殊機関『GRID』を結成した。
防衛部門が地球へ侵入する禍を排除し人々の命と財産を守護し……研究部門と調査部門が更なる技術の発展と未知の解明を担い……対処部門がそれらの統括的な対応と管理を行う……。
GRIDの結成により、効率的に荒野との対応・交流・探求が進められるようになり得られたものは数知れず。
竜や吸血鬼といった空想上の存在だと思われていた生物の実在や、未知の物質や組成を含み特異な特性を示す物質資源、等々。
中でも魔力と魔法というものは、地球にとっては世界の常識を根本から覆すような一種の爆弾的要素だった。
──そう考えると、まだたった140年ほどしか経っていないと言うべきなのかもしれない。
140年……それはおそらく、世界という単位で見れば恐ろしく短い時間でしかないのだろう。
荒野と地球が繋がった余波なのだろうか。
地球では現在も、イレギュラー的に生じるある種の”門”……”歪み”によって禍どもが時折、どこからともなく入り込んできている。
「防衛班第四部隊、各員へ通達! もうすぐ作戦区域に到着する。」
──おっと。いつの間にか作戦開始が迫ってきていたらしい。思考を切り替えることにする。
*
交戦開始から早くも数分が経つ。
再び、ドシュッ、ドシュッ、と鈍い破裂音が立て続けにいくつも響き、もう何度目かも分からない追加のエアレモラスの射出が行われる。
的外れな方向へ飛翔していく奴らは防衛班の面々に任せ、こちらはスカイキャリアーを守ろうと渦を巻く魚群の処理を優先する。
未だに”艦載機”が尽きないところは、さすが”滞空母艦”の名を持つだけはあるが、いい加減苦しくなってきたようだ。
最初と比べてエアレモラス達による障壁は所々で大きく損じ、その二十メートル級の母体を隠しきれなくなってきている。
このペースであればもうじきスカイキャリアー本体への攻撃に移れそうだ。
襲ってきたエアレモラスを両断しつつ、オペレーターに確認を取る。
「ところで、倒し方に指定は?」
『研究部門からは、できれば素材とコアをそれぞれを回収して欲しい、との事です。』
「……あ~~、蓮? 一応聞くけど、そっちの状況は……」
『ん~~? とりあえず邪魔なところ全部壊していってるけど?』
悪びれも無くそう言う彼女に頭が痛くなってくる。
どうせ何も考えずに、邪魔なエアレモラスを蹴散らしながら最初から本体を叩きに行ったのだろう。
この分だと向こうのスカイキャリアーに無事な部分を期待することはできなさそうだ。
調子に乗ってコアまで破壊しないように蓮にはキツく厳命しておき、こちらで素材の確保を担当することにした。
「さてと……雪、どう攻める?」
試しに前衛中の相方に聞いてみると。
全方位から近寄って来るエアレモラスを、流れるような拳打と足蹴を織り交ぜて片っ端から叩き落としながら「……コアを直接殴る。」との返答。
なるほど、シンプルで良い。
まぁスカイキャリアーはコアの位置もそれほど深くなかったはずなので彼女一人でも”透す”ことはできるだろう。
前に移動して彼女と合流しつつコアへの攻撃態勢を整える。
スカイキャリアーへの直接攻撃は任せても良いとはいえ、さすがにエアレモラスの肉壁までが邪魔をしてくるとなると面倒になるだろう。ならば道を切り開くとしよう。
雪の前面をしっかり覆えるような数点の座標を確認。
《偽装庫》から剣を選択し、指定座標地点に配置、そして生成。
紅色の透き通るような材質でできた幾本かの剣が空中に配置される。これで準備は完了。
後はタイミングを合わせて前方向への速度と回転を付与して解き放つだけだ。
「準備は?」
尋ねてみると首肯が返ってきた。
「よし。《偽装剣》展開──」
「──射出!!」
紅水晶の剣が光を乱反射させながら放たれたと同時に、雪の身体がそれらに追従するように動き出す。
向かう先は密集したエアレモラスの壁とその奥で鎮座するスカイキャリアーの土手っ腹。
《偽装剣》が壁に触れた瞬間、憐れな魚共はミキサーにかけられたように辺りに肉片と血煙が散らばせ、ひしめく群れの中にくっきりとした道を作り出した。
だがそこで当初の威力を失った紅水晶の剣達はスカイキャリアーの外皮にアッサリと弾かれ周囲の木々の中に四散する。
クオォォォン……と鯨が馬鹿にするような鳴き声を立てるが、しかし本命は今からの方である。
文字通り切り開いた道を、赤黒く汚れることを厭わず血煙の中を突っ切って雪が飛ぶように駆け抜ける。
慌てたように無事だったエアレモラスが穴を塞ごうと集まり始めるがもう遅い。
穴を抜けきって腹の下に滑り込み、空に浮かぶスカイキャリアーの無防備な腹を目掛けて跳躍、腰だめに捻った拳を叩き込む。
「……『壊撃』。」
瞬間、肉体的には何の外傷も見受けられないスカイキャリアーが断末魔の悲鳴を上げて崩れ落ち始める。
同時にエアレモラスらも動きがバラバラになり、互いに衝突や墜落を繰り返しどんどんと数を減らしてゆく。
『スカイキャリアーの魔力反応の完全消失を確認しました。残りは第四部隊が対処しますので特務小隊メンバーはそのまま帰投してください。本日はお疲れさまでした。』
*
「「……」」
予想はしていたことが、実際に現場を目の当たりにすると思わず無の表情になった。
地面はあちこちがベコベコに陥没し、周りの木々は何十メートルという範囲に渡ってなぎ倒され、スカイキャリアーはもはや原型が無いほどに無惨な姿を晒している。
実行犯たる蓮を睨むと、何食わぬ顔で目を逸らして下手糞な口笛を吹いていた。
『あ、そういえばなんですが──』
オペレーターに平謝りしつつ片手間に蓮を締め上げていると、ふとオペレーターが思い出したかのような声を出した。
『──特務小隊宛に第三支部からの通達が届いてまして……』
「通達……? 任務じゃなく?」
『はい、件名は”特務小隊の増員について”だそうです。端末に転送しておきますね。』
ぽーん、と通知音が鳴り、端末が震える。
送られてきたファイルを開くと、確かに人事部からの通達事項のようだ。
ただし、詳細は後日に改めて伝達、という一文が気になるところではあるが……。
「どう思う?」
ぬっと隣に現れた雪に画面を見せながら尋ねてみる。
「変。」
相も変わらず表情の変化も無く、簡潔な一言。だが彼女も同意見らしい。
──まぁ少なくとも、うちに配属される以上は只者じゃないに決まってる。