番外編その2『景虎スイーツ真剣勝負』
良好な関係性を築いていくには、当たり前の積み重ねが大事だと思う。
挨拶されたら挨拶で返すように。
受けた恩には、礼で報いるべき。
礼節と義を尊ぶ人が相手なら、尚更そういうのが大事なんだろう。
と、ビジネスの自己啓発本の冒頭にでも書いてそうなことを並べ立ててみるだけなら、誰でも出来る。
実行しなければ、どんな心掛けも机上に書いた落書きに過ぎない。
だからこそ今日、受けた大きな恩を返す、を実行しようとした訳だけど。
まさか、机上の落書きならぬ『椅子の上の正座』なんてものをお目にかかる事になるとは。
「ねぇ景虎」
「如何したか」
「正座……疲れない?」
「いいや。重心の在処を意識すればそう難しい事ではない。そなたもやってみるか?」
「いや、遠慮しとく」
「そうか」
俺の苦笑に揺らぐことなくピンと背を伸ばすのは、ご存じ上杉謙信。もとい景虎。
しかし、喫茶店のテラス席のお洒落なチェアに甲冑姿で正座する美少女。
字面だけでもインパクトが凄い。
勿論実際にも滅茶苦茶目立っており、他の客からの視線が凄く痛い。
まぁ、セントハイムの中でも若い女性達に人気な喫茶店だから、多分正座関係なく甲冑姿ってだけで周囲から浮いてただろう。
じゃあなんだって景虎を此処に連れて来たのかって話だが。
その理由は、三回戦後の控え室で交わした『甘味をご馳走する』って約束を果たす為だった。
「景虎、流石に目立つから足、崩したら?」
「む。しかし、仮にも馳走になる身。であれば相応の姿勢でもって礼節を示さねば」
「いやいや。むしろ逆に行儀悪いと思う」
「えっ……それ誠か?」
「誠だから。普通に座んなよ」
「う、うむ」
ん、あれ。
もしかして景虎、緊張してるのか。
形の良い眉を下げながら、いそいそと座り直す景虎の姿に、思わずそんな感想が浮かぶ。
清風似合う凛とした雰囲気が、今はどこか綻んでいるというか。
ちょっとそわそわしてる様にも見えなくもなかった。
「あのー……ご注文はお決まりでしょうかー?」
「あぁ、はい。すいません。そんじゃあアイスティー2つと……」
まぁ、周囲からの浮きっぷりなんて今更気にしたってしょうがない。
折角セントハイムで人気の甘味をリサーチしたんだし。
善は急げって事で、早速注文することにした。
◆◇◆
「って訳で、約束の甘味……なんですが……」
「……で、あるか」
前言撤回。
周囲に浮くどころじゃなくなった。
運ばれたデザートグラスの上で揺れる『ソレ』を見据えて、景虎から尋常ならざる気配が迸っていた。
腰元の刀に指先を添える景虎の瞳が、誉れ高き軍神、謙信公のそれになってらっしゃる。
「このぷるんぷるんとした動き……なんと、奇天烈か」
「ゼプリンってゆーデザートらしいよ。食感はプリンが近くて、味は……マスカットっぽいらしい。って言っても伝わんないか」
「ぷ、ぷりん? 軟弱な響きの名前だ。加えてこの見た目、面妖な……」
「んな構えなくとも……景虎はところてんとか、こんにゃくって食べた事ある?」
「心太と蒟蒻か。そう機会に恵まれた訳ではないが」
「あるって事ね。プリンってのは、その二つを更に柔らかくプルプルにした感じの食べ物なんだけど……」
「……左様か」
リサーチの結果たどり着いた、最近セントハイムの女性を騒がせてるらしき、このゼプリン。
透き通ったエメラルドがぷるぷると揺れる様はまさにゼリーとプリンを連想させるデザートであり、情報筋の感想からしても見た目通りの味と食感であるらしい。
「一見豆腐かとも見間違えたが……いや、海月……?」
(く、くらげ? 確かにゼリーフィッシュって言うけど)
「な、ナガレ殿」
「ん?」
「礼を失する事を承知で聞くが。これは、誠に食せるモノなのか……?」
「食べられない訳ないでしょ……(え、これもしかして景虎、ビビってね?)」
だが戦国時代に生きた武将である景虎からすれば、見た目通りもなにもないようで。
備え付けのスプーンを刀を握るように持ちながら、恐る恐る突っついてる聖将様。
でもその姿は、端から見たら未知の生き物を恐れる少女にしか見えない。
いや本人は真剣なんだろうけどね。
「じゃあ、俺が先に食べるから。それなら安全だろ?」
「う、うむ。斥候は肝要であるからな」
斥候って。
あの、ここ戦場じゃないんですけど。
ゼプリンをスプーンで掬う俺の一挙一動を、見逃すまいと菫色の瞳が追う。
「……」
「……」
なにこの緊張感。
下手な動きしたら真っ二つにされそうな感じ。
スプーンを持つ手が震えて、一口大のゼプリンがプルプル揺れる。
景虎の目も小刻みに揺れる。恐い。
「あむ」
「っ!」
「……ん、旨い。結構サッパリしてるし食べやすいなこれ」
「ま、誠か?」
まぁ勿論ガン見されてるからって味が悪くなる訳でもない。
つるんと口の中で溶けていくマスカットの味は爽やかな甘味と、口当たりの良さ。
洋菓子の様に甘さの強いデザートでもないし、景虎の口にも合うと思う。
「誠だってば。ほら、景虎も」
「……うむ」
実感と共にどーぞと促せば、景虎は神妙深く頷いた。
「……」
「……」
刀を持つには似合わない綺麗な手のひらが、スプーンを握り直す。
慎重な手つきで銀に掬われたゼリーは、時が止まったかの様に揺れ一つ起こらない。
見事な技。驚異的な集中力。
うん、なんか背後に毘沙門天像が見えてるけどこれ幻覚だよな。うん。
「──いざ。南無三!」
(南無三ってあんた)
大袈裟な。そんなツッコミを入れる刹那もなく。
心を決めた景虎は、ここぞとばかりに気炎を吐きながら、目にも止まらぬ速さでスプーンを口の中へと運んだ。
まさに早業。本気過ぎる。ほんと大袈裟。
しかし、彼女の変化は対照的に悠々と、そして劇的に現れた。
「…………」
(あ、固まった)
「……、──────~~~ッッ!」
(あ、無表情で悶え出した。ナイン撫でてる時のセリアじゃんこれ)
「──」
(なんか刀の鯉口をチャキチャキしだした……恐いってオイ)
思わず閉口してしまうほど、物騒極まりないリアクション。
喜色にも憂色にも変わらない無表情なのに、一部分だけ騒々しいという矛盾。
だが徐々に大きく見開かれていく目と、白い頬に差す朱色。
ごくんと、すっきりとした喉が口の中を飲み込んで。
フゥ、と恍惚の吐息を落とし、景虎はたっぷり余韻をもって、呟いた。
「──、…………至極、美味也」
「……はぁぁぁぁ……」
「む。どうしたナガレ殿。いきなり突っ伏したりなど。行儀が悪いぞ」
「誰のせいだと思ってんのさ……」
「?」
なんだか途方もなかったプレッシャーからやっと解放されて、謎の疲労感が一気に来た。
いやほんと、食事の席でなんでこんな緊迫感に苛まれなくちゃならないんだよ。
空気の抜けた風船みたく萎れてテーブルに突っ伏す俺を、プレッシャーの発生源は、至極不思議そうな目で見ているし。
……けど。
「ふふ。可笑しな人だな、そなたは」
(……でも、まぁ、いいか。こっちも貴重なもん見れたし)
目を細めて、頬を綻ばせ、再びゼプリンを食べ始めた景虎の表情は、喜色の感情がありありと浮かんでいて。
──そこには武者鎧を脱がすとも、年相応の笑顔が映える少女が居たのだった。
◆◇◆『景虎スイーツ真剣勝負』◆◇◆
【おまけ】
「ねぇ景虎」
「如何した」
「ちょっとさ、『腹wwwwいてぇwwww腹筋wwww壊れるwwww』って言ってみてくんない?」
「!? きゅ、急に笑って急に真顔になるな! 奇天烈だぞナガレ殿」
「あ、悪い悪い。で、言ってくれない?」
「い、いつになく強引だな……だが、しかし……」
「お願いします」
「……えぇ」
「……」
「……」
「…………」
「…………うぅ」
「………………は、腹、痛む……まっこと…………は、腹筋に候……」
「おぉー!」
「何故そこで目を輝かせる?! どういった意図があるのだこれは!」
「いやー実はね、現代社会でも爆笑することを腹筋崩壊って言うこともあってさ」
「それが如何したと」
「でも、随分前に見た何かの記事で『実は腹筋崩壊という言葉、戦国時代の武将も使っていた?!』みたいな感じで話題集めてて。その参考資料として『ある武将の手紙』が載っかってたんだよ」
「…………待て。そ、その手紙とはまさか……」
「そそ。その、『腹筋に候』を使ってた武将ってのが……【上杉謙信】その人でさー」
「あ、あぁぁぁ……」
「いやーマジで意味だったよね。聖将って呼ばれる謙信だっただけに、結構注目集めてたし。で、本当に使うのかなーって検証も兼ねてここは是非とも本人に……って」
「遊足庵淳相め……なぜ、何故あの手紙を残して……こ、後世にまで残ってしまっているとか………………」
「やっべ……か、景虎? ほらあれだゼプリンまた奢るから元気出し……
────ちょ、ちょっと落ち着け!
ごめん悪かったって! 待て待てだから脇差し抜くな辞世の句を歌うな! 待て待て待て!!!
俺が! 俺が悪かったってばぁぁぁぁ!!!!」