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Tales 84【Swallow Tail】

 いつからソレを眺めているのかすら、あやふやだった。

 全身が地に足付かない、ぼやけた浮遊感。

 立ってるのか。寝そべってるのか。歩いてるのか。もしかしたら飛んでるのかも知れない。


 でも脳裏を占めているのは、不確かな自分の『現在』より、眺めている『過去』だった。




《落としたランドセルと、立ち尽くす俺。目の前には、首に紐を巻いた父親がぶら下がっていた》




 セピア色に薄れたかつての光景が、スライド写真みたいに流れていく。

 過去の傷。どんな魔法でも癒える事のない痕。

 今更見せ付けて、なんになるんだ。



《葬儀の場。親父の遺影を胸に抱いて、立ち尽くしている俺。焦点の失せた、空っぽの瞳》



 なんたってこんなものを、見せられてるのかと思ったけども。

 もしかしたら、これ、かもなと。


 空っぽの目。伽藍堂の瞳。

 ついさっきお節介をかました泣いてる子供と同じ、寂しい目をしていた『かつて』。


 セピアが流れる。




《泣いてる子供の俺と。あやす様に皺だらけの掌で頭を撫でてくれる、爺ちゃんの姿》



 あぁ、そうだ。

 親父がもう居なくて、母親が居なくなって、そんな俺に、一番世話を焼いてくれた人。

 爺ちゃん。細波 一聖(さざなみ いっせい)

 きっと俺も、この人みたいに……空っぽの目を、何とかしてやりたかったんだろう、って。


 そして、セピアが、流れた。



《都市伝説を求めて、目を輝かせて廃墟に突入する俺と。そんな俺に呆れながらも、付き合ってくれる……、──》





────

──


【Swallow Tail】


──

────




「はへっ?!」


「?」



 目の前の色彩は途端に、セピアから鮮やかな真紅へと。

 ついでにどっから出したと疑いたくなるような素頓狂(すっとんきょう)な女の声。



「ほぬわぁ?! い、いいいきなり目を覚ますんじゃありませんわよ!」


「んなこと言われても……なにやってんの、お嬢」


「な、なにって、別になんでも! 男なら細かい事を気にすんじゃありませんわ!」


「起き抜けに、んな至近距離に居られて細かいも何も……ってここ、控え室じゃん。あれ、試合は」


「え、試合って……ちょっと貴方、寝惚けてますの?」


「それだけ力を使い果たした、って事なんでしょうね。おはよう、ナガレ」


「ほっほ。おはようございますナガレ様。といっても、もう夕食時でございますが」


「セリアとアムソンさんも……」



 色褪せた眠りの世界から一転の、騒がしさと人の気配。主に騒いでるのはお嬢だけど。

 見渡すまでもなく見付けられた顔触れ。

 けれどもぽっかりとあいた空白の時間に首を捻れば、背を離したベッドの端に、セリアがゆっくりと腰掛けた。



「どこまで覚えてる?」


「……試合終わったとこまでは」


「じゃあ、貴方があの娘を相手側の控え室まで運んで、そのまま倒れた事は覚えてないのね」


「……ん。なんかそれっぽい記憶はあるな」


「ふん。普段はわたくしをおちょくってばかりなのに、淑女の支え方だけはそれっぽく出来ますのね。ナガレの癖に」


「は?」


「ほっほ、お気になさらず。これみよがしに『見せ付けられた』と妬いているだけの事です」


「アムソン!」


(……支え方。あー、もしかしてトトをお姫様抱っこしてたから? いやナガレの癖にってさ)



 お嬢の反応はともかく、記憶の空欄も少しずつ埋まっていく。

 まぁつまり、トトを運んで、そのまま倒れて。

 んで俺もまた、ここ数日で常連となったいつもの控え室に運ばれたって訳か。



「で、そのトトは?」


「魔力の過剰消費で衰弱してるけれど、治療士も派遣されていたようだし、しばらくすれば意識は戻ると思うわ」


「治療士、か」


「貴方が今考えてる心配も問題ないわよ、きっと。試合中にああいう状況になったとはいえ、トトは魔女の弟子。彼女に害なす行為はヴィジスタ老が許さないでしょうから」


「……」



 尋ね先を手早く記されて、思わず押し黙る。

 参ったな、そんなに分かり易い顔したのか俺。

 照れとも恥とも違う居心地の悪さに口を真横に引き結べば。

 複雑な色を浮かべたお嬢の瞳が、揺れた。



「そんなに気になりますの?」


「お嬢?」


「わたくしだって、別にあんな小さい娘を相手にこぞって罵声を挙げるほどじゃありませんけど。それでも、魔物憑き、というのは……エルフのわたくしから見ても、こう、抵抗感がないとは言えません」


「……」


「だから、その。あの子の何が、ナガレに、あんな危ない橋を渡るまでのことをさせたのかと……」


「……危ない橋か。自爆特攻かましたお嬢に言われるとはね」


「ちゃ、茶化すんじゃありませんわよ!」



 魔物憑きか。

 確かに列記としたこの世界の住人からすれば、俺の行動は不可思議に等しいんだろう。

 でも正直、異世界人の俺からすれば本当に、魔物憑きだろう何だろうが、んな事は知ったことじゃなくて。

 だからこだわった理由は、もっと別。



「あいつの目が、気に入らなかったってだけ」


「目が?」


「そそ。前を向いてるってより、前に付いてるってだけの……そんな、虚しい色した目が、気に入らなかった。そんだけ」


「…………そう、ですの」



 本当に、それだけの理屈。それだけの身勝手だったから。

 身勝手な感傷の糸が尾を引いて、舌先を苦くする。

 納得したような、そうでないような。

 お嬢にしては曖昧な相槌が、やはり異なる世界の考え方という線引きを浮かび上がらせた。



(けどアムソンさんは兎も角、あれだけ魔物に容赦がないセリアは、何も言って来ない……)



 てっきり、俺の行動に真っ先に噛みついても不思議ではなかっただけに。

 静かに壁をみつめる寡黙な横顔は、青髪のカーテンに遮られて表情が読めない。

 けれどわざわざ尋ねる訳にもいかず、胸中に奇妙な後味だけが沸いた。



「……」



 無理矢理に打ち切った言葉のバトンを、繋ごうとする手は伸びず。

 シンと、形容しがたい静寂に包まれた空気は、しかし勢い良く入室してきた存在に呆気なく破られた。



「やーやーやー! ナガレくん、おっつかーれーさーん!」


「あ、エース」


「ちょ、ノックぐらいなさいな! マナーがなってないですわね」


「すいません皆さん、お邪魔してしまって」


「し、失礼します」


「ジャックとピアも。いらっしゃい、どしたの?」


「どしたのーって。功労者がすっとぼけるんやから、隅に置けんなぁ」



 陽気な救いの神来たる。

 しかし、功労者って何だ。

 結構テーマの重い話をしてただけに、直ぐにピンと来ない。



「ボクらとの契約の交換条件、これでめでたく達成っちゅー事やね。いやぁ、よー頑張ってくれたね」


「……あ、そか。精霊樹の雫」


「はい。ナガレさんがトト・フィンメルを降してくれたお蔭で、私達に雫が渡る事が確定しましたから。ですので、そのお礼と、お見舞いに」


「えっと……どうぞ。中身は『リフラハーブ』っていう薬草で、煎じて飲むと、疲れが直ぐに取れるそうです」


「ほっほ、エシュティナで採れる希少品でございますな。此方で御目にかかれるとは……ふむ。扱いは心得ておりますので、今宵辺りこのアムソンが茶薬に煎れましょうぞ」


「へぇ……ありがとう。んな高いモノをわざわざ」


「なっはっは! ええんよええんよ。受けた恩に比べれば、これくらい全然安上がりっちゅう話やし」



 いつもの笑みと饒舌に拍車が掛かってるエースは、相当に機嫌が良いらしい。

 いや、機嫌が良いというよりも、肩の重荷が降りた様な安堵ってのが近いか。

 付き合いも浅いとはいえ濃い時間を過ごして来ただけに、飄々とした笑顔の裏に潜めた情感も少しは計れた。



「……あ、あの」


「ん、どしたの?」



 深めた思考にそこまでと区切りを付けたのは、此方をじっと見つめていたピアの控えめな声だった。

 上機嫌なエースとは対照的に、赤縁眼鏡のレンズの奥で、躊躇いを溶かしたグレーが揺れている。


 首を傾げながらも急かさずに続きを促せば、小動物的な仕草を奥に仕舞って。

 意を決したように、俊敏な動きで俺の手を握った。



「す、少しだけ! 少しだけ、お時間貰えませんか?

 お話、したい事があって……ナガレさんと、二人だけで」



「────へっ?」



 控えめな性格のピアに似合わない思い切りに、間の抜けた声が漏れた。

 俺のじゃなく、お嬢のだけど。





◆◇◆





 苦しむ吐息が、一際強かった。

 直接鼓膜を打つくらいの大雨のオーケストラ。

 遠くで走る雷の悲鳴。

 濡れ歪んだ泥を走る、ぐちゃっとした不協和音。


 曖昧な世界に幾つもある音の中。

 傍で聞こえる荒い呼吸が、不思議と世界で一番強かった。



『……あまねく世に満ちる精霊様。お願いします。どうか、慈悲を』



 吐息が、救いを請う願いごとに変わる。

 鼻も目も、動いてる唇さえもあやふや。

 濡れた髪、の"金糸雀色"の輪郭だけが辛うじて映る。



『この子に罪はありません。裁かれるべきは──ですから……ただ、生まれ落ちただけの無垢な命を、お救いください』



 だからこの頼りない世界で、知るべきなのは。

 頼るべきは、安心させてくれるのは、きっとこの人なんだと。



『トト……ごめんなさい。どうか、健やかに』



 泣きながら、それでも綺麗なその女性を。

 純白のシルクを修道女の様に被った泣き顔を。 

 抱かれていた腕と、額に落とされた暖かい滴を。


 角を持つ、幼い赤子は求めている。

 それは蛹に育った今でも、ずっと。




◆◇◆





 光を眩しいと目を細めることが、酷く懐かしい。

 だからぼやけた靄を払う事を優先して、届くはずのない天井に向かって手を伸ばしてる自分に疑問を持つのが遅れたのだろう。



「……」



 身を起こせば、包んでいた絹布が剥がれる。

 ゆったりと風景を追いかける大きな紫水の瞳が、パチパチと瞬いた。



「?」



 室内。控え室。いつの間に。なんで此処に。


 途切れた散文みたいな、確認と疑問。

 夢に降った大雨が生んだ霧に隠されてしまったのか、いくら考えてみても結論は出ない。



「……!」



 しかし、部屋の隅に物静かに置かれた『ソレ』を少女が目にした途端。

 身を包んでいた暖かな布が床に落ちるのを気にも留めず、彼女はソレの直ぐ傍に歩み寄り、立ち尽くした。



「マザーグース……」



 それは棺であり少女にとっての、母の在処で、求めている全て。

 詠われない子守唄。繋ぎ手がなければ動かない、ヒトの形。

 渇いた黒板の蓋を前に、立ち尽くす。



「……ごめんなさい」



 うわの空で、彼女は呟いた。

 棺の中の母親。

 唯一辿れる面影を象り、少女自身が作り上げた、少女にとっての母親。

 繋ぐ糸無くしては、動く事はないカタチ。

 


「トト、負けた。負けちゃった……」



 それでも、命を吹き込められる神秘があれば。

 例えば、万病を癒す神秘の雫を使えば、もしかしたら。

 そう願い、請い、すがり、求めるままに身を投じた彼女の闘いは……もう幕が降りてしまったから。 


 目の奥から足の爪先へと、見えない何かが流れ落ちていく喪失感に、抵抗する術もない。

 身を包む厚い殻が少し剥がれる様な、小さな手が寒気に(かじか)む。

 少女の。トトの願いは、叶わなかった。




『"これ"で少しでも余裕を取り戻せたら……ちょっとずつ、周りを見渡してみなよ。そしたら……窮屈なアンタの世界も、少しは広がって見えるだろうから』




 なのに。

 残ってる。空っぽじゃない。

 耳の奥に、細い背中に、無垢な心に。



【──おやすみなさい】




 蛹の殻の内側の世界に。

 腕さえ広げれない窮屈な世界に。

 何かが響いている。暖かい何かが。



「……ママ」



 少女は棺に額をつけて、目を閉じた。

 殻の内側は途方もなく暗かったはずのに、仄かに温かな光が灯って。

 蝶の羽ばたきみたく、ささやかに揺れる。



「……」



 呆気なく差し出された優しさを前に、戸惑う。

 優しさなのかどうかさえ、分からないまま。

 仄かな温度に脅えて、それでも心を逸らせなくて。


 ほつれた跡から零れる涙が一粒、音無く落ちた。



「……、──」




 蛹は殻をまだ破れず、腕を畳んで、棺に寄りかかるトト・フィンメルの姿は……


 暖かい腕に抱き締められるのを、ただ待つ子供の様だった。








◆◇◆





『そうか……負けたか。しかも、角の力にまで頼って』



「……ごめんなさい」



『……それで、マザーグースは? まさか滅茶苦茶に壊されたとかじゃないじゃろう? 直すにしても、素材集めからしてめっさメンドイんじゃが……』



「ううん、無事。トトだけでも直せる」



『へぇ。そうかそうか……愉快よのう。お前を負かせるだけでも中々に手こずるだろうに。その精霊奏者もどき、名前は? いくら人の名前を覚えるのが苦手なお前でも、流石に負かされた相手の名前は覚えとるじゃろ?』





「うん。サザナミ ナガレ…………覚えた」



 

『……ほぉう。サザナミ・ナガレ。随分変わった響きの名前じゃ。愉快愉快、いとおかし。


 ふむ……可愛い弟子を負かした、噂の精霊奏者の小僧じゃ。


 どんな面構えか、直接会うてみるのも一興、よのう?』






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