表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
92/127

Tales 83【人の形、心のカタチ】

 他人事の面構えのまま、方々で沸く熱気が酷く(うら)寒かった。



「あの暴れっぷり見ろよ……まだ小さい子どもなのに、どこにそんな力が」


「ガキでも魔物憑きさ。俺達とは違うんだよ」


「恐ろしい……」



 恐いという寒色の形容。

 そう口にしながらも血気盛んにヤジを飛ばす観客達の中には、足を沈め始めた斜陽の茜に負けないほどに赤い顔の者も居た。

 隣で苛々と爪を噛んでいる男など、今にも喉を張り上げそうなくらいに。


 魔物憑き。赦されない存在と。

 何がそうまで排他に駆り立てるのか。 

 答えはとうに知っているのに、いちいち疑問が浮かぶ度に、黒々と熟成した感情がチーズのように溶けていく。



『トトの邪魔ッ……! 邪魔しないでぇ!』


『禍々しいな。だがっ!』


「……なにしてんだあいつ? なに急に石なんか持ってボケーっと突っ立ってんだよ!」


(……石? いや。あれは……アイツの言っていた、すまほとかいう代物か)



 けれど、状況に整理がつかないのは同じだった。

 全てを拒絶する様に岩槍を乱れ飛ばすトトと、主を護る騎士が如く槍を切り払う景虎。

 

 だが、彼女が護る漆髪の青年だけが、動かない。

 スマートフォンを握り締めたまま、まるで時の中に取り残されたかの様に、静か。



「折角化け物が苦しんでるんだ、さっさと倒しちまえば良いのによ!」



 自由なようで、隙間が大きいだけの籠に過ぎない。

 世界というものの狭量さを、彼女は知っている。


 人が見たがる夢は、いつも決まって色違い。

 黒と白に狭めればもう、間に在る『灰色』は存在自体が眉を潜められるのだと、知っている。


 屈しろと度々圧するその理屈を、散々思い知っていたはず、なのに。



「……」



 倒すべき相手を前に、穏やかに瞼を閉じて佇むその姿に。

 どうしてか、微かにでも、透明な期待をしてしまう灰色の魔王が居た。






────

──


【人の形、心のカタチ】


──

────






 深々と沈んでいく。黒い暗泥へと。

 何もかもが絶えていく世界の中で、闇雲に響く耳鳴りが、彼女の心を壊していく。



【自らの行いによって、きっとまた捨てられる。あぁでも、それが『お前』だものねェ?】



(…………やっぱり、間違ってたのかな)



 否定は絶え間なく溢れるのに、言い訳にしかならないと囁く冷めた声が、否定が形になる前に崩れていった。


 ブギーマンの言葉を鵜呑みにしたくはない。

 けれど、心当たりがない訳ではなかった。

 気持ちのままに喜怒哀楽を表す自分に、躊躇っているような、ほんの僅かな隔たりを感じさせる仕草を、ナガレに見つけた事も確かにあったから。



(人形のままで居ようとしてれば、もっと大事にされてたのかな)



 ナガレにあんなメッセージを送ったのも、その仄かな一片の積み重ねが大きな不安になってしまったから。

 だから、彼女の方から逃げたのだ。



(……寒いの)



 本当は。

 それでも必死に求めて欲しかった。

 迷子になった時、誰かが探してくれるかと。

 大切な人に、探しに来て欲しかった。 


 煤に塗れながら、大切な人を探した、いつかのように。



(此処は……寒いの。暗くて、冷たくて)



 幼い願いで振る舞った身勝手に、首を絞められているのかも知れないと。


 後悔に覆われた冬が訪れて、翠の瞳が枯れていく。

 スノウフレークのように、跡も形もなくなりそう。

 あまねく温度を奪うだけの底無しの闇に耐えかねて、メリーは震えながら自らの身体を抱き締める。



(……助けて、ナガレ……)



 だが横たわる拍子に、くすんだ金糸の髪がほつれて、サラサラとせせらげば。




──カチャリと。



(……?)



 耳元で、蝶の羽ばたきが聞こえた。



「……ぁ……ブローチ……」



 耳を澄ませずとも響く金鳴りに誘われて、メリーは髪に留めていたそれを掌に収めた。

 エメラルドに映ったのは、片羽根の蝶の金細工。

 髪に留めていた蝶は、暗闇の中でも滑らかな光沢が、持つ筈のない命の息吹きさえ感じさせる。



「……」



 忘れるはずもない。

 セントハイムに訪れたばかりの頃、それとなく惹かれた双子の蝶のヘアブローチ。

 闘ってくれてるお礼だと、ナガレが自分に与えてくれた大切なプレゼント。



《私、メリーさん。これはメアリーさんへのお土産なの。メリーさん用とメアリーさん用とで、お揃い!》


「ナガレ……」



 沸き上がる嬉しさを抑えきれなくて、似合ってるかと何度も聞いた。

 柔らかく微笑みながら、頷いてくれた事が嬉しくて。

 肌身離さず。離せず。



「メリーさんみたいなお人形は……やっぱり……」



 今もこの小さな掌にある、確かな形。

 けれど、それさえも無くしてしまうものなのかと、臆病な心がまたも暗雲を纏おうとする。



 だからだろうか。



「……?」


【んン?】



 瑠璃色の羽根がぼんやりと煌めいたのを、メリーは自身の弱った心が見せた、刹那の優しい夢とさえ思った。


 けれど、違う。

 細部の装飾まで浮かび上がる仄かな光は、泡沫のように儚いものではない。

 一秒、二秒と掌の中の蝶に見蕩(みと)れていても、片羽根の瑠璃色は星みたく光り続けて。

 そして、彼女は気付いた。



『邪魔なはずないだろ』



 光っていたのは、蝶のブローチじゃなく。

 目の前に浮かび上がった、蜂蜜色に輝く文字だった。



「ナガ、レ……なの?」



 霞みがかった羅列はあまりに突然過ぎて。

 呆然と呟きながら手を伸ばせば、フッと息を吹かれた蝋燭の火みたく立ち消える。

 その消失にメリーのエメラルドが再び濃い陰を纏おうとするが、それよりも早く次のメッセージが浮かび上がった。



『他に誰が居んのさ。あとメリーさん、ちゃんとスマホの中に居る? リンクの感覚がいつもと全然違って朧気でさ』


「い、居る! 居るの! 此処に居るの!」


『あぁ、みたいだな。まぁそれはそれとしてメリーさん。邪魔ってどういうこと?』


「え……ぁ……」



 飴玉を与えられた子供みたいに矢継ぎ早に声を上げるメリー。

 だが再び浮かんだ文字の内容に、彼女は思わず口ごもってしまった。



『……景虎は確かに強いし頼りになるけど、だからって俺がメリーさんを邪険にするって事にはなんないだろ?』


「でも……ナガレはメリーさんのことが……恐い、んじゃないの? メリーさん、ナガレともっと仲良くなりたくて……大事にして欲しくって。でも、そういうのが……"気味が悪い"って思ってるんじゃ……」


『いや待て。待って。恐いってのはともかく、気味が悪いってなんだよ』


「だ、だって……ブギーマンが……」



 ぽつぽつと降る小雨にも負けそうなほど萎んだ呟きは、袋小路に迷い込んだまま途方に暮れている子供の様で。

 恐くて、気味が悪い。

 自分は、必要じゃない。


 真偽を聞くことだけでも、彼女自身に関わる恐怖が纏わりついて、彼女は顔が上げられない。

 掌の中の蝶を、離すまいと握り締めるのが関の山。



『……ブギーマンか。なるほど、恐怖の化身の面目躍如ってとこか』


【クヒヒ、あァそうですともマイマスター様。語り継がれるままに、そう在れかし、だろォ?】



 しかし、ナガレはメリーの異変を過剰にしている悪魔の指紋に気付いたのだろう。

 気味が悪いだとか、不要だとか。

 いかにも、弱い心を虐げるに適した言葉だったから。


 音にならない溜め息すら聞こえそうな文面に、闇に溶け込んだ怪人は隠れる気もなく嘲笑を響かせた。



『ん、この声……なんだ、ブギーマンも一緒だったのか』


【当ッ然ですネ! なにせこのお人形が恐い恐いって震えてるもんだからさァ? "子供もどき"なんて趣味じゃないけど、暇潰しには丁度良いって思ってェ? デヘペロォ】


『そっか。悪いね。俺があんまり喚ばないもんだから、鬱憤が貯まってたんだろ? そこに関しては素直に詫びとく』


【いやだねェ、鬱憤だなんて。僕私俺我様にとっちゃ、朝飯前々前のライフワークさ。呼吸と一緒だよ】


『そう在れって再現したのは他でもない俺だ。だからこそ、こうなったのも俺の責任だろ。女々しい言い訳をするつもりもない』


【……チッ】



 神経を逆撫でる挑発も、心構えを固められては通じない。

 潮時を感じて、ブギーマンが舌を打つ。

 どうやら、怪物の愉快で下らなく甘美な時間は、ここまでらしい。



『けど。俺の大切な相棒が苛められたとあっちゃ、黙ってられる訳ないよな?』


【……相棒、ね。ハイハイ。分かりましたヨ】



 あーあ、といかにも適当かつ残念そうに、引き下がったブギーマン。

 反対に、ブギーマンの相棒という呟きに、俯いていたエメラルドがゆっくりと顔を上げた。



「……相、棒? メリーさんが?」


『え、なにその反応。他に居ないでしょーが。そもそも言い出したのメリーさんだし、今さら撤回する気?』


「ナガレはメリーさんのこと、恐がってないの?」


『確かにメリーさんが段々と人間染みて来て、恐いって想いがよぎったこともある。ひょっとしたら、今もまだ払拭出来てないかも知れない』


「……やっぱり」


『つってもこれは、俺の中途半端な覚悟のせいだから』


「……覚、悟?」



 光っては消えて、繋いで途切れての繰り返し。

 積み重ねと形容するにはあまりに短いけれど、伝わる想いはある。

 少女の幼い心でも次第に、理解出来た。

 メリーが思うナガレの『恐い』と、ナガレ自身の抱える『恐い』は、もしかしたら違うのかも知れないと。



『上手く言えないけど……今闘ってるのだって、俺のエゴで挑む事を決めたからだ。その為には皆の力を頼らなくちゃならないし、手段として用いなきゃならない。少なくともこの大会中は、そう割り切って闘うつもりだった』


「……」


『けど、頭が割り切ってるつもりでも、心が納得してくれなかった。俺は皆を……闘う為の手段として再現したかったんじゃない。単純に都市伝説が好きだからってのが根底にあった、はずなんだよ。

だから闘ってくうちに、これで良いのかって……俺の為に傷付いてるメリーさんが段々と普通の女の子に見えてきたのだって、中途半端な覚悟で闘うからだって、思い知らされてる気がして。


俺は、それが恐かったんだ』


「……ぁ」



 単純なことだった。

 自分がこうと決めた事に対して、迷ったり戸惑ったりしない訳ではなかった。

 貫き通したい想いがあっても、為し通すことは簡単ではない。

 今進んでる道を信じ切れず、ときどき月を見上げては立ち止まるだけの、当たり前の弱さ。

 細波 流は大層な変わり者であっても、その人間らしい弱さを捨ててる訳じゃない。



『けど、この恐怖は、これからも俺がずっと付き合っていかなきゃいけないものだ。また性懲りもなく迷ったりするかも知れない。その度に、メリーさんや他の皆を傷付けたりするかも知れない。


 でも。それでも、俺はちっぽけな人間だから。

 やりたい事があっても、やり通せるだけの力は、俺だけじゃ無理だから。


……俺の相棒になってくれる様な物好きが、必要だ』



 仄苦い彼の迷いを、メリーは自分への拒絶だと掛け違えてしまったのだと。

 知りたいけれども恐れていたナガレの本心を、朧気な輪郭だけでも理解出来て。



「……ほんとに、メリーさんで……いいの?」


『はは、他に居ないでしょーが。そもそも言い出したのメリーさんだし、今更撤回されるとすっごい傷付くね』


「でも、メリーさん……こんな風にナガレに迷惑かけちゃったし」


『馬鹿言ってんじゃない。この程度の迷惑で関わっちゃいけないってんなら、俺は生涯独りだろうよ』


「……メリーさんは、カゲトラみたいに強くないの」


『強い弱いの話じゃない。そもそも、んなこと都市伝説に関係ないんだよ。俺が都市伝説を好きな理由って、不合理さとか摩訶不思議さで、"都市伝説の強さ"についてとか、語ってたことないでしょ?』


「…………ふふ。

 そうなの。そうだったの。そんな簡単なこと。

 どうしてメリーさんは、忘れちゃってたんだろう」





 必要、だと。

 不安に沈む中でずっと欲しかった、願い続けた言葉を貰えたから。





『だからさ、俺の相棒だってんなら何時までも、んなとこで膝を付いてないで……早くおいで。


 ゆっくり歩くくらいの速さで良いから。俺の傍に居なよ、メリーさん』

 





 その日、その時、月も星も居ない闇のなか。


 人の形をした少女の、頬に流れる雫の本当の温度は。

 月だけが照らすゴミ捨て場で、茫然と流したものよりも、ずっと暖かかった。







◆◇◆





 無音だった世界に、色が戻ってくる。

 寝惚け眼子に、眩い朝日が射し込んでいるような感じ。

 無理矢理にでもリンクを繋ごうと必死に呼び掛けてたら、気付けばああなってた訳だが、まるで白昼夢でも見てたみたいだ。

 心地に引き摺られて、欠伸でも噛みたくなかったけれど。



「……少々時を掛け過ぎだぞ、ナガレ殿。信頼の証と受け取るほど、我が身を安く見積もったつもりはないが、如何か?」


「ごめん。年甲斐もなく本心晒すのって、やっぱり恥ずかしくってさ」


「フッ、若人が戯けた言を」



 無防備な俺を、ずっと護ってくれたんだろう。

 足元に積み重なった石の破片と塵の山。

 少し解れた髪と汗。微かに漏れる息遣い。

 随分と見晴らしが良くなった景色を背に、景虎が微笑んだ。

 


「では、此度の勝鬨は譲るとしよう。舞台は整ったというのに、またそなたに膝を付かれては敵わない」


「悪いね。ずっと護ってくれたのに」


「構わぬさ。私は、私を貫いたまでのこと」


「……あぁ。ありがとう、景虎……【プレスクリプション(お大事にね)】」



 光に薄れて、気高き将星が、瞬きの中に還る。

 最後の最後までこっちに気遣って貰って、足を向けて寝れないね、これは。 

 残されたのは、頼りっぱなしの苦味と。



「あ、ア、ァ……マダ、トトの邪魔、すル……」


「……あぁ。今、"助けてやる"」



 根元から折れた石槍の彼方で、未だに凶想に囚われているトト。

 景虎の言葉を借りるなら、舞台は整った。


 なら後は。

 倒す為じゃなく、泣いてる子供の涙を、掬ってやる為に。



「来てくれ、相棒」



 喚ぼう、彼女を。

 祝福(marry)の名を持つ少女を。




「【World Holic】」







 そして、白金の奔流を纏いながら、彼女は現れる。





「わたし、メリーさん。

 今、ナガレの隣に居るの」




 俺の隣に。




「あぁ。おかえり」


「っ、ただいま!」






◆◇◆




「メリーさんだー!!」


「来たぁー!」



 純真な目には、満を辞して、とも映ったんだろうか。

 エプロンドレスをひらつかせて登場した蜂蜜色の髪を持つ少女に、一際黄色い声援が湧く。


 もしかしたら、魔物憑きに対する排他的な空気が、子供達の心を押さえ付けていたのかも知れない。

 歓迎の声に驚いた様にエメラルドを丸めたメリーさんが、深く目を閉じ唇を噛んだ。



「また、増エタ……今度は、ハサミ、の子……」


「ナガレ、あの子……」


「トト・フィンメル。そういやメリーさんに興味あるっぽかったけど……色々あってあんな風になってる。彼女を助けてやりたい、力を貸してくれないか」


「私、メリーさん。勿論、協力するの。相棒だもん!」


「あぁ、頼むよ」


「オマエも……邪魔スル、ナラ!」



 反動の積み重ねか、トトも相当消耗してるらしい。

 一歩足りとも動いていないのに肩で息をしてるし、爪先から伸びる魔力糸の光と太さは、以前とは比べるまでもなく弱っている。



「……どうするの?」


「正面突破で」


「わお、シンプルなの」


「小細工してる余裕もないからな」



 あちらもこちらも、互いに余力は残ってない。

 ならもう、一気に正面から行く。

 俺なりのやり方で、この闘いを終わらせる為に。

 


「──行くよ、メリーさん!」


「うん!」



 地を、蹴る。並んで走る。手に持つのは、形ばかりの剣と鋏。

 噛み締めた奥歯が鈍く鳴る。

 度重なる疲労に膝があげる悲鳴ごと、置いてきぼりにしてやればいい。

 靴底を跳ねさせて、紅にまみれた槍の丘を駆け抜けろ。



「イアァァ!!」



 人を感じさせない獰猛な叫び。

 禍に光満ちるトトの角と、翻る魔力糸。


 ライトパープルの五本線が、しなる鞭みたく。

 ヒュンと遠くから風を切り音が聞こえた時には、こっちの足を刈ろうと迫っていた。



「跳べ!」


「うん!」



 意識するのは大なわとびの要領。

 魔力糸を走り飛ぶことで越えれば、真後ろの石槍が派手に音立てて壊れた。


 遊戯とするにはあまりに殺伐過ぎんだろ、と。

 げんなりと肩を落としたくなるが、そんな暇はない。

 


(メリーさん、正面左の槍! 警戒して!)



「【グランノーム(土の精霊よ)】!」



 メリーさんから見て正面左側の、まだ折れてない石槍。

 そこに一本だけ繋げられた糸が途端に光を放てば、石槍の根元が爆ぜた。



「これくらい」



 ぐらりと傾いて、石槍がメリーさんに向かって倒れ込む。

 手の込んだトラップ。だが不意を打つ形じゃなければそんなもの、メリーさんには通用しない。



「なんってことないの!」



 銀閃一蹴。

 横一文字に払われた銀鋏の一撃で、石槍はあえなく払い飛ばされた。



「【グランノーム(土の精霊よ)】」


(っ、今度はこっちか!)



 しかし攻撃の手は緩められず、今度は俺の前方に聳える左右の槍が、『X』の形に交差しながら倒れてくる。

 視認していたとはいえ、余力のない俺にメリーさんみたいな防ぎ方は出来ない。

 無論、余力があっても無理だけど。


 なら、避けるしかない。

 グラリと揺れて倒れ込む石槍のクロスを睨みつつ、俺は脚に目一杯の力を込めて……より"前"へと突っ込んだ。



(っし、ギリギリ!)



 全力のスライディングで、『X』の下を掻い潜る。

 ズシャァッと土砂を撒き散らしながら滑れば、紅色の岩肌がすぐ真上を通り過ぎた。

 これで、やり過ごした魔力糸は合計八本。



(チッ、やっぱり──来るよな!)



 なら残りは、と思考を巡らせるまでもなく。

 スライディングから態勢を戻そうとする俺に向けて、残り二本の糸が迫っていた。


 このタイミング。

 回避は、間に合わない。



「メリーさん、ヘールプ!」


「お任せなの!」



 なかなかに情けない台詞だが、この際気にしてられない。

 切羽詰まった助力要請に、待ってましたとエメラルドを輝かせながらメリーさんが鋏を振るう。

 銀に阻まれた淡藤色の糸は、力なく霧散した。



「流石」


「えへへ」



 手短な褒め言葉に、甘い笑顔でメリーさんが応える。

 少し緊張感が抜けるが、でもこれでトトの元まで、後もう少し。


 しかし、まだ油断出来ない。

 消耗してるとはいえ、やっぱりトトの糸は厄介だ。

 こんだけ避けてみせても、糸はまた直ぐに繋ぎ直される。


 ならより安全性を求めて、彼女の手数を減らしておきたい。

 せめて、半分に。その機は熟した。



「今だナイン! 【一尾ノ風陣】!」


「キュイィィ!」


「!?」



 今の今まで、ずっと客席で待たせていたナインが高らかに鳴きながら、宙を翔ぶ。

 意識外からいきなり届いたその鳴き声にトトが顔を上げれば、銀色の影は彼女の真上にあった。



「何処かラ……?!」



 驚愕に歪むトトの表情。

 けれどそれ以上を待たず、そのまま体躯を一転して放つ、風の刃。

 天から地へと。三日月の風刃が堕ちる。



「【エレメントシールド(精霊壁)】!」



 紐解かれたギロチンみたいに落下する刃を、片手で受け止めるように障壁を展開するトト。

 あの消耗状態でも、ナインの風刃を防ぎ切るか。



(つくづく、とんでもないヤツだよ、アンタは)



 だが、それでいい。

 予想通り。いや、むしろそうじゃなくては困る。

 ナインの奇襲は、手傷を負わせるのが目的じゃない。

 トトの片手を塞ぐ、それに尽きる。



「こんのぉぉぉォォ!!!」


「ッッ────来ルナァァ!!」



 一気呵成に特攻を仕掛ける俺に向けられるのは、残る片手の五本線。

 勢い任せに振るわれた五本は、悪あがきと云わんばかりに力強く風を切る。


 もう、トトはすぐ其処だ。

 ここが最後の正念場なんだから。


 集中しろ。目を凝らせ。



「ッッ」



 淡藤色の軌道。まるで巨人の大きな掌。

 迫る俺を景色ごと裂こうとする五本線。

 けど、下から二番目の狭間が僅かに大きい。

 そこだ。身体ごと滑り込め。 

 エイダの御株を奪ってやるぐらいの気持ちで。行け。



「づあっ!」



 飛び潜る。火の輪を潜るライオンみたいに。

 微かに糸に触れた右肩から、血飛沫が舞った。

 流石に、人間風情がそう上手くは飛び越せるもんじゃないらしい、けど。



「────へへ」



 血が出て痛い程度なら、充分儲けもんだ。

 なにせ、(ようや)く。


 ようやく、アンタの前に来れたんだ。

 トト・フィンメル。



「やっと、届いたぞ」


「……」



 これで、王手だと。

 右手に持ったショートソードを突き付けて、不敵に笑ってやった。





◆◇◆◇◆





「追い詰めたぞ!」


「サモナーの勝ちだ!」


「さぁ、とどめをさしてやれ!」


「魔物憑きを倒せ!」


 

 ようやく、やっと。

 そう思ったのは俺だけじゃなかったらしく、観客席の彼方此方でわぁっと明るい歓声が沸く。

 差し詰め、長きに渡る悪い魔物の戦いに打たれる終止符を、無邪気に心踊らせてるってとこか。



「なンで……」


「ん?」



 こういう湧き方をするのも分かってたとはいえ、辟易とする気持ちを抑えられない。

 ぜぇ、はぁ、と乱した息に混じって溜め息すら落としそうになっていれば、トトが力なく口を開いた。



「なンデ……ドウシテ。トトの、邪魔、するノ……トト、は勝たないと……雫、が……必要、ナノニ」


(……)



 懇願か。或いは、怨み言か。

 度重なる魔力の消費でついに角の光すら途絶えた彼女の、光のない、暗い瞳。


 けれどその端からは、音もなく伝う水脈がある。


 化物と謗られた少女が流す、儚い涙だった。




「必要、ね。アンタの事情を、俺は深くは知らない」


「──?」



 向けていた剣を無造作に放り投げた。


 敵を前に、武器を捨てる。

 その有り得ない行動に、目の前のトトの瞳にくっきりと疑問が上がる。



「はぁぁ?! な、なんで剣を捨てた?!」


「おい、どういうつもりだサモナー!」


「倒せよ!」



 無論、それは客席にとっても。

 彼らからすれば、恐るべき魔物憑きを前に、なんたる暴挙ってくらいの狼狽っぷりだろう。


 知ったことじゃない。

 つまんない同情だとしても、俺はもう決めている。


 身勝手な感情のままに、衝動のままに。

 何としても、この娘を止めてやるって。





「けど、『同じ目をしてた先輩』として、一つだけ。あんまり一つの事にかまけ過ぎると、それだけの為にしか生きれなくなる。もっと落ち着いて、視野を広く、色んな物を見つめれる様になることを……お薦めしとく」



「なに……それ…………トトには、関係ない。トトには……ママ、さえいれば……」



「だろうね。ま、これは勝手に親近感持った俺のエゴだし、今のアンタにそんな余裕もないだろうから、受け取るも聞き流すも好きにしていい──でも」



 でも、所詮は対戦相手に過ぎない俺なんかの言葉で、どうにかなってくれるとは思えなかった。

 身勝手な近しさを覚えてるだけの俺じゃ、きっと彼女の心に届かせることは出来ないから。


 だから……俺に出来たのは、必要なモノを揃える事だけだった。






──保有技能【依存少女】





「『これ』で少しでも余裕を取り戻せたら……ちょっとずつ、周りを見渡してみなよ。


 そしたら……窮屈なアンタの世界も、少しは広がって見えるだろうから」




「………………え?」




 静かに、影が覆う。

 止まっていた時計の針が動き始めるかのように。


 母親の名を冠するひとのカタチが、少女を腕に抱いた。


 それはいつかの。

 父親に叱られた女の子(メアリー)を、精一杯慰めようとする誰かの腕と、同じ。





「──ぁ、あぁ……! ママ……ママ!」




 孤独に泣く子供に必要なのは。


 剣ではない。


 真新しい物語でもない。




「ママ……マ、マ……トト。トト、ね……頑張っ、たよ……」




 ずっと。

 彼女の近くにあり続けた、母の温もりと『子守唄(マザーグース)』。


 泣き止ませる為に必要なモノは、最初からすぐそこにあったのだ。




「で、も…………ごめん、ね……ママ…………ごめん、なさい…………マザー、グース……」



【──おやすみなさい】



「……マ、マ…………」




 例え偽善的な、"仮初めの嘘"だとしても。

 

 せめて、依存するしかなかった少女を、休ませてあげられるなら。

 自己満足だとしても、精一杯胸を張ってやる。

 だからこれは、優しさとかじゃなくて。



「…………お疲れ様、メリーさん」


「……優しいね、ナガレ」


「……そんなんじゃない。こういうのは、お節介って云うんだよ」



 何度も窮地に追い込まれた、魔女の弟子、トト・フィンメル。

 マザーグースに取り憑いたメリーさんから手渡されたその強敵の身体は、あまりにも軽い。





「トト・フィンメル選手…………戦闘不能と見なします。よって、決勝戦へと進出するのは、勝者────」




 けれど、フードを被せてやる前に見えた寝顔は、年相応に……無垢で、安らかだった。



「──サザナミ・ナガレ選手!」



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
現在参加中です!応援宜しくお願いします! cont_access.php?citi_cont_id=568290005&s 小説家になろうSNSシェアツール
― 新着の感想 ―
[一言] メリーさん、復活! & 試合決着!! とはいえ、アフタフォローは大変そう?どう、落着させるのか、はらはら、楽しみにさせていただきます~ あ、妄想の方はハズレましたー。 この先出ないとも限ら…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ