Tales 8【魔王と呼ばれるもの】
陽射しは目に毒を与えるほど強いのに、不思議と肌寒い。
からりと乾いた初夏の早朝みたいな朝焼けの下で、風を切り裂く鋭利な音がまたひとつ空振る。
「精が出るね」
「……起こしてしまったかしら」
余計な一言が口を付いて出た。
ほんのりと上気した顔が此方を向けば、朝陽の後輪と藍色髪が重なっている。
一体いつから剣を振っていたのか、という質問が喉までせり上がるけれども、それより先に押し出たのは、我ながら呑気な欠伸がひとつ。
「単純に、環境の変化に身体がびっくりしてるだけだと思うけど。セリアは、もう身体は平気な訳?」
「万全とはいかないけれど、昨日よりは随分と良くなったわ」
昨日は途中まで歩くのも大変だったっていうのに、随分早い。
街の薬屋で治癒用の魔法薬が僅かながら残っていたからそれを使ったらしいけど、それでもここまでに快復するのだから、魔法って偉大。
「あ、それと『これ』……用意してくれてありがと」
「どう致しまして。少しは移動が楽になるかしらね」
「現時点でもかなり楽。流石セリア、出来る女は違う」
「……」
アーカイブを手に取って運ぶのも地味に苦労していた俺に気を遣ってくれていたらしいセリア。
彼女が昨日の探索の際に、ちょっとしたウエストポーチみたいなベルトを見付けて来てくれた。
これをホルスターみたいに使って、背中の腰辺りにアーカイブを取りつければ、歩くのも大分楽になる。
「んじゃ出発の準備しといた方が良いか」
「えぇ……けれど、その前に街の井戸で水浴びしてくるわね」
「あー昨日見つけたとこね、了解」
魔物が踏み入った後だから井戸とか水路に何かしらされてないかと警戒していたけど、主だった被害がなかったのは幸いだった。
やっぱり結構長いこと剣を振っていたらしく、汗を流してくると一度着替えを取りに宿屋へと向かった背中を歩いて追いかけながら、小さく息を吐く。
「…………」
修行の一環、朝のトレーニング。
端から見ればそんな所の、騎士であればやってて特別不思議に思わないことだろうけども。
一心に朝稽古を積んでいたセリアの、剣を振り下ろす端麗な横顔。
それはどこか、剥き出しの刃物みたいに鋭く、張り詰めた印象が色濃く残った。
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【魔王と呼ばれるもの】
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ラスタリアからガートリアムまでの道なりは歩き通しでも二日は掛かる。
という訳でえっちらおっちら二人旅……もとい、メリーさんを加えたプラスアルファな徒歩の旅は、利便性は少なくても、俺個人はそれなりに満足出来ていた。
というのも、異世界──セリアが語るに、レジェンディア大陸と呼ばれるこの地には現代に見られない幻想的な自然や生物に溢れている。
夜になると蕾が発光する花々だったりとか、粘着性のある蜂蜜飴を巣と張る蜘蛛だったり、移動1日目にしてお目にかかれた不思議生物を挙げていけば暇がない。
絵本の中の生き物達が目の前で生活していれば、都市伝説一筋を貫いてきた俺だって心が揺らぐ。
あの生き物はなにとか、あの花はなんだとか、目につくリアルな幻想の名を尋ねる度、セリアが仕方なさそうに説明してくれた。
まぁ、その代わりと言ってはなんだけど、俺の方も恩返しという名の善意の押し付けとして、色々語らしていただきました。
「…………ねぇ、ナガレ」
「なに?」
「貴方の話を聞けば聞くほど……その、『都市伝説』として語られる存在の定義が曖昧になって来ていると思うのだけど。極論で言ってしまえば、アークデーモンやゴブリンとかの魔物でさえ、都市伝説として解釈出来る気もするわ」
「……ま、所謂『都市伝説』っていうモノの定義に関してはよく討論されてるけど、こればっかりは個人の解釈が関与しちゃうものだから。一般には【口承される噂話のうち、現代に発祥した、根拠が曖昧かつ不明とされるもの】ってされてるけど」
「……つまり、地方に伝わる些細な噂も都市伝説として捉えれる、ということ?」
「……些細な噂だとしても、話し手の他にも同じ話を相当数知ってるんなら、都市伝説って言えるらしいね。例えば、田舎の【朝起きてすぐに鏡を見る生活を一ヶ月続けると、不幸になる】なんて噂が流れたとする。何の根拠も信憑性もないのに、国民の大半にそれが広まったら……もうそれは一種の都市伝説って考えても良いんじゃない」
都市伝説の定義。
それはそもそも『都市化の進んだ近代社会の側面として、まことしやかに囁かれる噂』という所から始まったのだが、最近ではそれすら曖昧になって来ている。
例えば『トイレの花子さん』とか、『座敷わらし』とかは、果たして都市伝説なのか妖怪なのか。
恐らくこれは意見が二分されるだろう。
どちらも都市伝説として扱ってる題材や創作もあれば、妖怪として扱われているものも存在する。
『現代を発祥としている』という定義にも、実はかなり曖昧だったりするし。
座敷わらしの発祥、つまりは元ネタとして民俗学の先駆けである『柳田国男』の『遠野物語』とかが挙げられる。
けれど、それが発行されたのは1910年。
今より百年も昔の話。
『トイレの花子さん』は、1950年代頃に流行った『三番目の花子さん』が原型である。
今より五十年前が発祥。
さて、ここまで来たら近代的、の定義からややこしくなって来るだろう。
「……なんとも微妙ね」
微妙だし面倒で定義もあやふや。
怖い話関連じゃなければ結構分かり易いのもあるけど、色んなものが混同して都市伝説という形に落ち着くケースすらある。
座敷わらしとか、実は河童なんじゃね?って説もあったりするし。
妖怪なのか、民話なのか、都市伝説なのか。
はっきりしない。
ややこしい。
だが……だからこそ、そこが面白いと思うのはおかしいだろうか。
「そこが魅力なんじゃないの何言ってんの! よくよく考えれば馬鹿らしい話かもしれないのに、時に人の手を加えられて全く別の一面が出てきたりするし、なんでもないちょっとした思い付きで生まれた嘘話や教訓が、ちょっとした伝説になって世に残る! 滅茶苦茶浪漫のある話だと思うだろ!!」
「また始まった……」
ガートリアムへの旅路、二日目の昼下がり。
綿菓子みたいな雲浮かぶ晴れやかな蒼穹とは裏腹に、同じグループの色合いを閉じ込めたセリアの瞳は曇っていた。
ほらそんなまたかよ、みたいな顔しないでって。
分からないかなーこの浪漫、この不可思議、この蓋を開ければとんでもなく高尚だったり、しょうもなかったりするワクワク感。
「特にメリーさんとかメジャーな都市伝説は色んな創作によって色んな解釈をされてる訳だ。元は単なる噂話だったり、誤解や妄想の産物が大なり小なりを惹き付ける。時には妖怪、ファンタジーすら巻き込んで語られるスナック感覚の神秘性! それだけのミステリアス! それだけのパトス! あぁ素晴らしき都市伝説、細波 流は都市伝説を応援し続けます」
「…………はぁ」
『私、メリーさん。いいぞーナガレ、もっとやれなのー』
「ありがとう、ありがとう!」
うーん、やっぱり合理的なモノの考えが主導的なセリアには上手く魅力が伝わらないか。
でも馬鹿馬鹿しいと切り捨てられないだけ、まだ温情な方かも知れない。
これがアキラ相手とかだったりすれば、あんまりしつこいと問答無用の右ストレートが飛んで来るし。
「ところで、俺からも質問あるんだけど」
「なにかしら?」
「いや、改めて思ったんだけど。ラスタリアに攻めて来た魔物って軍勢だった訳でしょ。つまり、それを率いてる将軍とかボスクラスのやつが居るって事になるよな」
「……あぁ、そういう事。そういえば、軍勢……もとい、【魔王軍】について説明していなかったわね」
「……『魔王』か」
「えぇ」
まぁ、ファンタジーに来て早々にアークデーモンとか魔物の存在を知れば、当然その頂点に立つものを想像する。
そして想像通り、魔王と呼ばれるものは存在しており、いわば人類にとっての脅威として君臨しているみたいなのだが。
「魔王……だなんて呼んでいるけれど、実態は殆ど分かってないの。いつ生まれたか、いつ現れたか、いつから魔王として呼ばれ、いつから魔物達を率いていたか。その全てが不明とされている」
「全てが不明って……名前とか実力とかすら分かってないのか?」
「……実力、ね。魔王の元には、魔将軍と呼ばれる魔物達が居るのだけど……どれも破格の力を持つと言われてる化け物揃い。そんな化け物達が付き従ってるだけでも、計り知れない実力を証明しているわ」
「……魔王に、魔将軍ねぇ」
あのアークデーモンですら、ソイツらを前にすれば平伏してしまうと続けば、どんだけヤバいやつらなんだよとジトリとした手汗が滲む。
願わくば相対したくない連中だと素直な感想を告げれば、至極当然の反応だと振り向かないままにセリアが答えた。
……聞いておいてなんだけど、あんまり振って良い話題じゃなかったな。
レジェンディアに住まう人類にとって、軽はずみにチョイスして良い内容じゃないってのは分かったけど。
「そういえば、ガートリアムって具体的にどんな国?」
「どんな……そうね、細かい政治形態とかはとりあえず置いておいて……この地域では一番の武器防具店だったり、ちょっとした簡易ギルドだったり……近辺流通の支柱とも言える国だから、とにかく色んな施設があるわね」
「……まず第一に武器とかが例に挙がる所が、セリアらしいと思う」
「……失礼ね。心配しなくても、貴族も利用する洋服店とか宝石店も並んでるわよ。貴方も寄っておめかしして来たらどうかしら?」
「……無一文なの知ってて言ってるだろ」
「勿論」
指摘されて怒るくらいなら、最初からもっと色気のあること言えば良いのに。
けど、ちょっとしただなんて形容が入ってるとはいえ、簡易ギルドなんてのもあるのか。
流通の支柱ってだけあって、色々賑わってるみたいだな。
少し楽しみ……となる前に、そういえば魔王とか魔将軍とかより俺が今一番問題視しなきゃいけない事を、セリアの発言によって気付かせられる。
「………………はぁ」
そうなんだよ、俺は金なんて持ってない。
これは由々しき事態であり、一刻でも早く改善しなくちゃいけない問題である。
当然といえば当然だが、このレジェンディア大陸に流通しているのは日本円ではなく、エンスという名前の貨幣らしい。
日頃御世話になっている偉人達が、ただの紙切れに成り下がったというのは地味に衝撃がデカかった辺り、俺は小市民だと思う。
ガートリアムに着いたら、何とかして稼ぐ手段を模索しなければ。
◆◇◆◇◆
なんて、世知辛い現実に打ちひしがれてる瞬間すらある種の余裕であったと思い知らされたのは、目の前に広がる幻想世界の現実の凄惨さから。
魔王軍と、ガートリアムの騎兵隊。
剣と魔法、そんな生易しい表現ではまるで物語るに足らない、まさに魔物達と人間達の戦争風景。
遍く広がる大地の上で。
剥き出しの生き死にが、口を広げて転がっていた。
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【設定補足】
『レジェンディア』
縦に長い、トランプのダイヤの形をした大陸で、この世界の総称でもある。
『ラスタリア』
レジェンディア大陸の西端に位置する小国。
小規模ながら騎士団を有している。
北西から南西にかけてアーチ状に広がる『スタリオ連峰』と呼ばれる山脈があり、西側の海域への道を塞いでいる。
山脈の一部が鉱山となっており、そこから採掘出来る鉱物が主な資源。
ラスタリア周辺の土は農業に適しておらず、食物の生産力が低い。
その為に他国との交易が盛んで、自国以上の規模を有する国との同盟関係もある。