Tales 63【グローゼム大公】
多分俺は、人の縁ってモノには恵まれてるんだと思う。
だってそうだろう。
遅くなって悪かった、その一言さえ喉の奥にひっこむこの膨れっ面を前にすれば、確信は一層濃くなる。
「良いですことナガレ! 不安だの何だのに足を取られるべからずですわよ! 短い間とはいえ、このわたくしの傍に侍り、豪華絢爛にして勇猛果敢なわたくしの姿を近くで見てきた男が、あんな見るからに野蛮な輩の言葉に引き下がるんじゃありませんわ!」
「……」
「闘う理由だとか、今後の事とか、そういうモノはまず勝ってから考えれば宜しいんですのよ! だ、だからですわね、ほら、とらぬ狸の皮算用と……ってなんでそこで狸が出てくるんですの!」
「あーもう……落ち着きなって。ホントにお嬢はもう」
気遣い過ぎてたたら足を踏んでしまう俺みたいなのには、お嬢ぐらいの遠慮なさがむしろ心地良い。
尖らせた唇を突き出し怒るお嬢の肩の向こう、苦笑がちに肩をすくめながら、少しスッキリとしてるセリアの顔を見れば、きっと彼女も同感ってところだろうか。
何故だか、それが大きな安堵に繋がって、笑みが零れる。
「何笑ってやがりますの!」
「お嬢が面白いから以外にないでしょ、はははは!」
「むっきぃぃい!!」
「精一杯の励ましの肝心な部分を定められず、つい照れ隠しも混ぜて憤慨したくなるお気持ちは察しますが、声を荒げるのは少々はしたないですぞ、お嬢様」
「んえっ?! なぁっ、んなっ、あ、あああ、アムソンーーー!!!」
「ほっほ」
アムソンさんからの意地悪い忠告に、分かりやすく狼狽するお嬢の微笑ましさ。
けれどもやがて此方にも被害が来そうなほどの台風の目に育ち兼ねないので、そそくさと撤退を開始すると。
「ナガレ」
「ん?」
「明日……の相手は、セナトと魔女の弟子ね。対策とかは考えているの?」
「んー……まぁ、セナトに関しては、一応。トト・フィンメルの方は……ま、正直出たとこ勝負だな」
「……そう」
連れ添って並び歩きながら、声をかけてきたセリアは、どこか選ぶように言葉を紡ぐ。
棲んだ青色の瞳は、こちらを向いていない。
多分、本題は別なんだろう。
「無茶、は──、……いいえ」
「?」
けれど前置きの背に隠した本題は、繋がる糸を切るように途中で引っ込んで。
思わず足を止めて窺えば、フゥ、と甘く唇を滴らせる凛とした美貌が、オーロラの輪郭みたいな柔らかさを伴った。
「貴方は、貴方のやりたいように。私も、私でやるべき事を。だからね、ナガレ」
「……」
「無茶を叱るのも、お礼を言うのも……全部終わってからにするわ」
「──っ」
普段の素っ気なさを捨てた言葉は、流水のように滑り込んで、水面を人差し指でつつくように波紋を広げる。
要は、目先の事を好きなように、っていう事なんだろうけどさぁ。
「戻るわ。お休み、ナガレ」
「……はいよ」
こっちの頬を両手で包みながら、伝える事かよ。
完全に想像外の行動だし、息がかかるくらいに顔を近付けるもんだから、流石に狼狽えるって。
心臓に悪い。鏡見て自分の顔の造形を把握してからやってくれ、そういうのは。
そんな幼稚な悪態を、結局口には出せず。
拗ねたように応じれば、クスッと微笑みひとつ残してセリアが去っていく。
『からかいやがった』よ、アイツ。
初めて見せたセリアの茶目っ気が堂に入っていた事が、なんか悔しかった。
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──
【グローゼム大公】
──
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人の噂も七十五日と言うけれども、逆に噂が広まる二日目や三日目は全盛期と取れる。
闘魔祭二日目の闘技場への道のりは、初日とは比べ物にならないくらいの人々とざわめきで溢れていた。
大通りの両脇を埋め尽くすくらいの人波を見れば、老若男女の偏りがない。
まだ陽が昇り切らない午前にこうも集まる理由は、闘技場へと向かう選手達を、より近くで眺めれるチャンスだからだろう。
ってなれば、昨日派手に立ち回った人間に向けられる視線の量は凄まじい事になる訳で。
「きた! 精霊奏者の……!」
「本当か? まだあんなに若いぞ」
「あらあら、近くで見たら綺麗な顔してるわね~。女の子みたい」
「噂のミステリアス!」
「メリーさんの人だぁ!」
ってな具合に、そりゃもうパンダかってくらいに好奇の視線がビシバシと伝わって来る。
精霊奏者、ミステリアス、メリーさんの人。
これが全部自分を指した代名詞なんだと考えれば、思わず苦笑だって浮かぶ。
バラエティーに富みすぎて、かえって闇鍋みたいになってるし。
というか箒片手にうっとりしてるそこの奥さん、何言ってくれてんの。
皆が皆、熱気に当てられてる。まさにお祭り気分ってヤツか。
「す、すげぇ美人だなあの人」
「他国の騎士様か? 良いなぁ……」
「あのエルフ、ナイスミドルねぇ」
「……出来るな、あの執事」
仕方のない事とはいえ、道すがらを共にしてくれてるアムソンさんとセリアには、申し訳なさを抱いてしまう。
本人達は気にしてないみたいだけども、二次被害喰らってるようなもんだし。
まぁ、もっとも。
俺達三人を除いた残りの一名にとっては、テンションを最高潮に押し上げる要素でしかないんだろうな。
「オーッホッホッホ!!! この注目のされようと言ったら……良いではありませんの、良いではありませんの!! さしずめ昨日のわたくしの活躍っぷり、しかと目に焼き付けていたようですわね。たった一度の闘いでこうまで観衆を惹き付ける……そう、それは無理のないこと! むしろこの黄金風のナナルゥからしてみれば当ッ然の摂理ですわ!! 宜しくてよ、皆の衆! 今日の闘魔祭も、わたくしの活躍をご覧あそばせ!」
「……全開だなぁ、お嬢」
「いつもの事でしょう」
「お嬢様が楽しそうで何よりでございます」
流石を通り越してもう安心感すら与えてくれる快笑っぷりを見せてくれるお嬢も、エルフということでやっぱり注目されていた。
昨日の闘いっぷりもある意味語り草になるだろうし、それにまぁ、お嬢の容姿も目立ってる要因だろう。
自分で言うだけあって、実際外見は気品のある美少女って評価に異は挟めない。
ただ、やっぱりスタイルの一部の自己主張が激しいからね、うん。
人波の中には朝早くからお盛んな男衆も居るようで。
「調子乗ってるのは良いけどさ。お嬢も今日はあのエトエナと対戦でしょ。ちゃんと対策とか考えてんの?」
「うぐっ……も、勿論万事問題休止ですわよ!」
「それを言うなら万事問題なし、な。大丈夫かホント」
「うぅうるさいですわね! わたくしが大丈夫と言ったら大丈夫なんですのよ! 全く、ナガレにまでアムソンのお小言癖が移ってるじゃありませんの」
「おや、その言い様は心外でありますな、お嬢様。このアムソン、おこがましくも小言を挟ませていただく理由はひとえにお嬢様の為にと」
「あぁもう、ナガレのせいでまた始まったじゃないですの……折角良い気分でしたのにぃ」
「はいはいごめんって」
「誠意がちっとも籠ってませんわよ!」
レッドアイに怒りの焔を灯しながらポコスカ叩いてくるお嬢を苦笑がちに宥める。
大衆の面前だろうがブレる事のない"らしさ"は、見習いたいとこだな。
強敵が待ち受けているのはお嬢だけじゃない。
黒椿のセナト、魔女の弟子のトト。
下馬評での優勝候補ツートップ。俺がしのぎを削る事になる相手もまた、文句なしに強敵なのだから。
お嬢に絡まれつつも改めて気を引き締めた、そんな折。
そろそろコロッセオの入り口が見え始めたという頃に、周囲が蜂の巣をつついたかの様にざわめきだした。
「お、おいあれ……あの馬車」
「銀あしらいの竜頭の家紋」
「大貴族の……」
「アルバリーズ家……」
ざわめきの種火ば、どうやら人垣の向こう。
雑踏を越えて届く馬の嘶きが数秒を数えれば、コロッセオの入り口に一台の豪奢な馬車が停まった。
周囲の反応やその馬車から察するに、よっぽどの人物が乗ってるんだろうけれども。
「セリア」
「……」
過ったのは、あまり良いとは言えない記憶。
セントハイムに来て以降、俺達と関わった貴族といえば、彼しかいない。
思わずひきつりそうな喉が、嫌な生唾を飲み込む間に、衆目を浴びた馬車の扉が開かれる。
けれども、姿を表したのは予想していたあの『ドラ息子』ではなかった。
「(ロートンじゃ、ない。けど……)」
馬車に負けず劣らず豪奢なガウンコートを身に纏ってはいるものの、伸びた背筋と大柄な体格が放つ傑出した風格を包むには、それすら物足りない。
近くでなくともそう思えるほどの、上品に整えられた髭と老いを感じさせない精悍さ。
逆立つ短い金髪と、とてつもない眼力の瞳も加われば、残る印象は。
傑物。その一言で全てのカタが着く。現れたのは、そんな印象を抱かせる人物だった。
「あの御方は……グローゼム大公だわ」
「グローゼム大公?」
「えぇ。アルバリーズ家の、現当主」
「……!」
セリアの忠告に、驚きと納得が同時に去来する。
あれが、あのロートンの親父さんなのかっていうのと、流石に大貴族の頭領なだけあって存在感が違う。
恭しい付き人達を側に侍らすその大人物の姿は、まさにというべきか。
「おぉ、ほんとオーラとか遠目でも凄いな。こりゃ同じ貴族でもお嬢じゃ分が悪い」
「んなっ! ぬぁに勝手に比べてやがりますのナガレ! というかわたくしの方が見劣りするってんですの?!」
「どわっ、ちょ、ちょっとした冗談だって! ジョークジョーク!」
「ナ~ガ~レ~……最近ちょくちょく小生意気さが目に余ると思っていたんですの! よろしくってよ。今日という今日はこの黄金風のナナルゥがいかに麗しく絢爛で眩い存在であるかをじっくりコトコト煮込む様に、その骨身に沁み込ませて差し上げますわ!」
「あ、まずい結構本気の眼だ。セリア、アムソンさん、助けて」
「自業自得でしょう」
「ほっほ。最近腰を痛めましてな。老いた身に無理は禁物でございますゆえ」
ついポロっと口をついて出た災いが、物の見事に暴風災害を招いてしまった。
首根っこを掴まれて、細腕とは思えないパワーでズルズルと闘技場へと連れ込まれる俺を、薄情ながら妥当にも見捨てるセリアとアムソンさん。
もはや様式美になりつつある一幕に、身から出た錆びとはいえガックリと落とした肩が──ビクッと跳ねた。
「っ!」
「こら、暴れるんじゃありませんの。抵抗したって今更許しませんわよ」
「……ぁ、そう。執念深いねお嬢は」
「誰のせいだと思ってんですの!」
ガーッと注がれた油を忠実に燃やすお嬢に再び引き摺られながら、黙り込む。
さっきの、背筋が凍り付くほどに強烈な『視線』。
あれは、一体……なんだったんだろうか。
たった刹那。
けれど今も肌に纏わりつく濃厚な誰かの意志に、表情を強張るのを避けられなかった。
◆◇◆
「……いかがなされましたか、閣下」
「なに、少々珍妙なモノを見付けてな」
「珍妙……と言いますと?」
「貴様が気にする事ではない」
「ハッ、出過ぎた真似を。失礼致しました」
「……」
「……アレが例の、奇術使いか。さて、さて……余にとってのその価値は、どちらへどう、転ぶか」