Tales 45【魔王】
紫陽花に似た色彩の前髪は、羊の毛みたく柔らかそうであるのに、アメジストの両眼には読み取れるだけの感情が射し込んでいなかった。
見るからに重量のある棺。
腰を折りつつ進む彼女の動きは機械的とさえ思えて、どこか人間味の薄さを雰囲気だけでも感じ取らせる。
周りもまた、彼女の雰囲気に気圧されているのだろう。
少なく見積もって半数が、額から冷や汗を伝わせていた。
「遅くなった」
輪郭だけは柔らかく、少女の声は甘く幼い。
それでもその内側の芯は熱がまるで灯らず、その事実がより一層彼女を人形めいた何かに思わせた。
『事前連絡は受けておりましたので、構いませんよ。ただ進行の事情もありますので、トト選手の割り振りは此方で行わせていただきました』
「ん」
『ご理解感謝致します。さて、それでは仕切り直しといきましょう!』
ゴトンと立てた棺に背を預けた、黒そのものを身飾る少女、トト・フィンメル。
魔女の弟子であるらしき彼女とも、闘う時が来るんだろうか。
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──
【魔王】
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『まずは剣のブロック第一試合。1番──ピアニィメトロノーム選手 対 2番、サザナミナガレ選手!!』
「「!!」」
なんて、魔女の弟子らしき少女に思考を裂いてる場合じゃなかった。
番号の若さからして早い試合順なのは覚悟してたけど、まさか相手がピアとは。
……番号を引いた時、ピアがやたら挙動不審になってた理由はこれか。
「えっと……お、お手柔らかに……」
「あー……はい、此方こそ」
恐縮しがちな栗色の髪が、ペコペコと頭を下げる度に目の前を舞う。
いやうん、それより首の後ろからビシバシ刺さる様な視線感じるんだけど。
こう、若干殺気混じってる感じ。
……意外と妹想いのお兄ちゃんやってて何よりです。
にしても、いきなり初戦がエルディスト・ラ・ディー枠とは。どっちが勝ってもエース並びに俺達としては悩ましい所だ。
しかも、向かい風となる展開は更に続く。
『第二試合……ふふ、幸運を掴まれましたな。四番、マルス・イェンサークル選手!! シード枠です!』
「おっ、おぉっ、ラッキーじゃないの!! 流石俺様、幸運の女神様すら口説く二枚目は伊達じゃないってね! どーよハニー。見直したかい?」
「……チッ」
「舌打ち?!」
二つの内一つのシード枠を勝ち取ったのは、お嬢と一緒の予選ブロックを制したマルス。
トーナメント表を見るに、俺とピアのいずれか勝った方が次に当たる事になるけども。
「ついてない……」
トーナメント戦は観客を動員した闘技場で行われるらしく、参加選手も試合内容を観覧出来る。
となれば、俺とピアは手の内を晒した上で、手の内の計れないマルス相手に挑まなくちゃならない。
『第三試合──』
情報の上でのアドバンテージを覆そうにも、昨日の酔い話からしてお嬢もマルスの手の内を知らなそうだし。
早くも苦戦が予想されるなこれ。
『続いて第四試合! 七番、リキッド・ザキッド選手 対 セナト選手!!』
「……」
「え、ちょ、セナトって、あのヤバそうなのかよ……?! 七番ってハッピーセブンじゃないのか、クソッ!!」
……しかも何とかマルスを下せても、今度はあのセナトがスタンバってるってオイ。
洒落になんないよ。
俺もあのリキッドって武道家っぽい選手みたく膝をついて項垂れたい気分。
っていうかハッピーセブンってなに。
『……そして第八試合! 十五番、ビルズ・マニアック選手 対 十六番──トト・フィンメル選手!! 剣のブロックは以上の割り振りとなります!!』
「…………うっそ」
えー……つまり、あれですか。
全部勝ち星を得れたという前提で進めても、第一試合はピア。
第二試合は情報面で劣勢は確実なマルス。
第三試合にセナト、第四試合に魔女の弟子ないしそれに打ち勝つレベルの相手が待ち受けてると。
きっつ。
剣のブロックキツすぎるだろこれ。
いや本選だから予選より厳しい戦いになるのは見え透いてたけど、これはハード過ぎるって。
目に見えた強敵達の壁の列に、早くも乾いた吐息が落っこちた。
◆◇◆◇◆
けどまぁ、不幸中の幸いとも言える追い風を呼び込んでくれる辺りが、流石は黄金風を名乗るお嬢なだけはある。
『フフ、魔のブロック第二試合……二十番、ナナルゥ・グリーンセプテンバー選手!! シード枠でございます!』
「わ、わたくし!? あ、いや……オーホッホッホッホ!! ざーんねんですわぁ、ほんっっとざーんねんですわ! わたくしの華麗なる活躍をお見せする機会が遠退くなんて! でも仕方ないですわね、何故ならわたくしは主役! そして主役遅れて──」
「隣で一々喚くんじゃないわよ! そよかぜならそよかぜらしくシーンとしてなさい!」
「かなかぜですの!!」
滅茶苦茶ラッキーって思ってる癖に、相変わらずのスタンスを貫く辺り流石だよ。
小柄なエトエナの肩越しに、『どーですのわたくしの幸運は!』的な笑みを俺に向けてるとことかさ。
……色んな意味で可愛い人だね、全く。
そんな感じで我らがお嬢様がちゃっかりシード枠を勝ち取ってくれたお蔭で、暗雲立ち込めたエースとの契約に光明が射した。
『魔のブロック第四試合……二十三番、ユフィ・トランダム選手 対 二十四番、エトエナ・ゴールドオーガスト選手!!』
「チッ……遅いのよ。当たっても三回戦か……あんたの事だから、どうせ勝ち上がって来れないでしょーけど」
「なっ、どういう意味ですの!!」
「一々説明してやんないと分かんないの?」
「ぐっ、ぬぬぬ……このちんちくりんエルフ!! 必ずわたくしの手で直々ぶっ倒して差し上げますわよ!」
「ち、んちく……んのォ、上等じゃないの……たかが予選に勝った程度で調子付いてるあんたの鼻っ柱へし折ってやるわよ!」
「ハニー、やったじゃねぇかよ。シードでお揃いだなんて幸運の女神様も俺様達を祝福──」
「「色情魔は引っ込んでなさい!!」」
「………………はい」
いつぞやの風無き峠の下り道、アムソンさんが女性同士の揉め事の間に入るものじゃないとは言ってたけど。
その最たる例を見せられれば、流石は年季から来る的確なアドバイスだったと頷きつつ視線を逸らす。
飛び火を嫌うなら、見るからに祟り持ってそうな女神様達には触れぬが吉って事だろう。
そして、ラスト。
『そして魔のブロック第八試合……三十一番、スペンティオ・ジーラ選手 対 三十二番、フォルティ・メトロノーム選手!! 魔のブロックの割り振りは以上となります』
シード枠はランダムとはいえ、九番ブロックの両勝利者であるお嬢とマルスがその幸運をもぎ取った。
その上双子の妹は一番を引いて、兄は最後を引くなんて随分と運命か何かに弄ばれてる様だと、陰謀論に漕ぎ着けたくもなる。
『さて、如何でしたかな? 恵まれた相手か、絶望的な相手か。思う角度は各々違いましょうが、いずれにせよ栄光を掴むのは唯一人』
ま、ここで秘密結社とかに想いを馳せるのも悪くないけど、現実逃避は程ほどにしておくとして。
大盾と剣と杖のタペストリーを背にしたトーナメント表、そこに刻まれた名前を一通り眺めてみる。
『多少の運命は自らの鍛えた力、技、知恵によって覆していただきたい。そういう強者こそ──伝統ある闘魔祭の頂点に相応しいでしょう』
とりあえず知ってる名前が勝ち抜いた前提で、俺とお嬢のトーナメントの行き先を追ってみよう。
俺の場合は、ピア、マルス、セナト、トトに勝てば決勝へ。
お嬢の場合は、三回戦にエトエナ、準決勝戦にフォル。勝てば決勝って感じか。
『……それでは、本選トーナメントの開催時間まで一時解散と致します! 皆様、ご静聴ありがとうございました!』
恭しく腰を折るオルガナさんの言葉に見送られ、喜怒哀楽を十人十色に貼り付けた参加者達が踵を返す。
一時間の猶予が過ぎれば、遂に本選の幕が上がる。
予想よりも遥かに険しい道のりに、隠したがってる打たれ弱さが顔を出そうとするけども。
『下らない意地でも突っ張るのが男でしょーが』
『………バカよ、本当。けど……それも"今更"だったわね』
土妖精の石橋で切った啖呵を嘘にしない。
あの辛辣な頑固者に、物分かりの良い女を演って貰ったのだから。
ベストを尽くせるようには最低限しとかないとね。
「……」
「……出来たら三回戦に、また」
「期待しておこう」
例えば──三回戦での対戦相手。
わざわざ此方の傍まで歩み寄ってきたセナトとのすれ違い様は、緊張感は多少あれど、不思議と切迫したものはなかった。
俺の臆測がもし正しかったとしたら、『あの都市伝説』を再現出来るかも知れない。
メリーさんもその臆測に関しては、あながち間違ってなさそうとも言ってたし。
……その間違ってなさそうと思う根拠が、『女の勘』ってのは、色んな意味でどうかと思ったけど。
月を連れ添わない夜の色したセナトの瞳が、静かに細まる。
それをやんわりと逸らしながら、俺は小さく苦笑するのだった。
◆◇◆◇◆
「ねェ、聞いたわよ。『ベルゴ』のヤツがえらく張り切ってるってハナシじゃない。今頃北部でセントハイム軍と派手に火花散らしてるんでしょーねェ。それに西の指揮を取ってる『ファグナ』。アイツもベルゴに重要戦線任せるなんてって、苛ついてんじゃないのォ? あの早漏野郎のことだし、そのうち『待て』の命令さえ無視しかねないかもねェ」
「……」
「というより、今回の進軍はなーに? 他の魔将軍もほっとんど北に引きこもってるみたいだし。一体何をお考えなのかしらァ?」
「『情報屋』なら自分で調べろ」
「だァから、今調べてるんじゃないの」
青空の支配者が放つ紫外線から波打つアンバーの髪を守る様に、丘にひっそりと立つ肥えた木の影へと逃避する美意識こそ、この妖魔の持ち味とも言えた。
しなやかな身体を包む上半身の、所々にフリルがあしらわれた白い紳士服。
ルージュカラーのスカートが左半分を翻り、もう右半分は同じ色彩のスラックスが足首まで覆う。
その服装はまるで、性別などという枠組みなんてものに囚われないという挑発的な意志だった。
情報屋『チェシャマネキン』としての顔も持つ浅葱色の瞳は、好奇心を隠しもしない。
「それとも、『元』魔将軍のアタシには知る資格はないって事かしら?」
「…………チッ」
「あら、舌打ちなんて酷いわねェ」
「鬱陶しいヤツめ…………別に、そう大した事情じゃない」
「ふぅん?」
「……闘魔祭。いずれ滅ぼす国の、最後の祭儀だ。見届けてやるのも一興だと思ったまでだ」
どこまでが本心であるかは、妖魔シュレディンガーでさえ見抜けぬ事である。
ルークスの緋色の瞳に浮かぶ感情は、きっと一つのパレットには収まりきれないぐらいに複雑で、濃い。
「ところで……貴様はこれからどうするつもりだ」
「情報屋は一旦休業……ああ、違うわねェ。『あの坊や』の専門になっちゃおうかなァってところ。あはぁん、楽しみで疼いて仕方ないわねェ……久しぶりの未知のお・あ・じ」
「……気色悪いヤツめ。誰だか知らんが、貴様のようなヤツに目を付けられるとは不憫な事だ」
「経験者は語るってやつゥ? あら、それともヤキモチ?」
「……灰に還すぞ」
「冗談よ、冗談。ふふ、でもなかなかに良い男前な顔をしてたから、貴女にも逢わせてやりたかったわねェ……────ナガレの坊やに」
「……──ナガレ、だと?」
もしかしたら、この日はじめて冷徹と苛立ち以外の感情を、ルークスは浮かべたのかもしれない。
彼女の珍しい反応に、釣られるようにしてシュレディンガーは浅葱色の瞳を猫みたいに丸めた。
「あらあら……もしかして、ナガレの坊やと顔見知りだったのォ?」
「…………別に」
「なによ、気になるじゃない。ねェ、良かったら教えて下さらない? 情報料ならたっぷり支払ってあげるからァ」
「……断る」
取り付く島もないルークスの拒絶に、この問答を『予測』していたシュレディンガーはさして落ち込む事はなかった。
金などで釣られるはずもない。金銀財宝などルークスからして見ればガラクタと変わらない。
灰に還してしまえば一緒なだけだと、冷美な緋色が物語っていたのだから。
──無論、予測出来た最大の理由は……もっと別。
「顔見知り…………フン。今頃は、もうとっくに……赤の他人になってる頃だろうよ」
「…………えェ、そうねェ。彼、"人間"だものね」
「……あぁ」
丘に散らばる草花の穂先を、淡く吹いた秋風が撫でれば、奏でられるのはただ静かな哀愁だけ。
まるで感情の一切が抜け落ちたかの様なルークスの相槌は、まるで灰色の様に、無垢で鈍い。
淡く、儚く、後を"濁せず"──それがいつもの事だから。
『そか。悪かったね、邪魔して。今度お詫びする』
ルークスは、人の間では生きられない。
魔の間でしか生きられない。
「そろそろ行くわね」
「フン、さっさとどこぞでくたばれば良い……【見境なし】」
「あらお上手な皮肉」
「チッ」
何かが燃え尽き、灰になったのなら。
後は風に還るだけ。
今までも、これからも。
「それじゃあね、ルークス……ふふ、いいえ。またいずれかで御逢いしましょう。ねェ?
【魔王様】────?」
人の記憶に残れない。
故に、己は人の間で生きられない。
ただそれだけの事だと。
【魔王ルークス】は、かく語りき。