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Tales 32【口裂け女】

 厚い雲に隠れる細い月が、怯えている様にも見える夜だった。

 己にとっての価値観が崩壊する恐怖を知った、ある意味で革新的な夜の事。

 大貴族の嫡男、ロートン・アルバリーズは生涯忘れる事が出来ないだろう。


「ヒック……くぉ、っとと……飲み過ぎたか」


 セントハイム市街地区の繁華街はロートンにとって、もはや自分の庭と言っても過言ではない自負がある。

 慣れ親しんだ酒の味と女の香りに酔いしれた熱を、庭を流れる風で冷ます。

 浮遊感から地に足がついた途端、彼の赤ら顔に快楽とは違う赤色が差し込んだ。


「……ふん。何が『貴族であるならば貴族としての責務を果たしてはどうか』だ、あの骨董品の宰相め。僕を誰だと思ってる……」


 ロートンのドラ息子っぷりが問題視されていたのは以前もあったが、ここ数日の暴飲と女漁りの手荒さに、とうとう宰相からお小言をいただく羽目になった。

 どうせどこからか告げ口を挟んだ愚か者でも居たのだろう。

 自分はただ、美しい花を囲っておきたいだけなのに、それの何が間違いだと言うのか。


 大貴族である自分に重きを置かない老骨の説教など、彼にとっては馬の耳に念仏。

 だが、酒精や悦楽では癒しきれない苛立ちまでを無視する事は出来ず、その原因を探ればむしろ鼻息を荒くさせるだけだった。


「セナトもセナトだ。東方の果てから来た田舎者風情が、僕とビーナス達との一時に水を差してばかりで。無粋という言葉も知らないのか」


 自らが雇った男の、冷めた目付きが脳裏に過ぎる。


 東方では『黒椿』と呼ばれ、恐れられているらしき傭兵団の一人である彼を招いたのは、宰相自ら陣頭指揮をとる祭儀に対する子供染みた嫌がらせだった。

 ちなみに、何故だか今年の闘魔祭に熱を入れているらしいエルディスト・ラ・ディーに対する嫌がらせでもある。


 先週に対面した当初は、通り名に恥じない威容だと柏手を打ったものだが、蓋を開ければ自分の為す事に逐一不躾な視線を寄越す始末。

 遊楽の間は屋敷で藁でも編んでいろと追い払った時など、いっそ清々しいような顔をしていたのも気に入らない。


 寡黙さだけが取り柄かと思えば、融通も利かない。

 特に二日前……『土妖精の石橋』での時の事は、より一層、彼の煮えたぎる不満に油を注ぐ。


「……あの小僧。貧相極まりないくせに、よくも僕とセリアの間に入ってくれたな。クソッ、使者なんぞでなければ僕自ら鞭を取ってやったものを……!」


 フラフラと覚束ない足取りで、繁華街の路地を思うままにさ迷う。

 進路上の木箱を怒りに任せて蹴飛ばせば、商人らしき男が何やら口を開こうとする。

 だが、自分の顔を見るなりスゴスゴと引き下がった。

 良い気味だ、少しだけ気分が軽くなる。


「……あぁ、だが……セリア。彼女は実に美しい。肌の透明感、顔の造形、芸術の様な青い髪……何より、あの、サファイアの輝きをもった瞳……完璧だ」



 彼の視界には、もはや通行人の姿など入っていない。

 アリアを歌い上げたくなるような、彼の審美眼にこれ以上となく当てはまった女の顔を思い出す。

 あの反発的な態度すら好ましいと思えるほどに、ロートンは彼女を欲していた。


 同盟国の使者という手を出せない立場でなければ、今すぐにでも……と。



「なに、今は時期が悪かっただけさ。闘魔祭が終わる頃……に、は……」



 ロートンには、幸運の星の下に生まれたという自負がある。

 大貴族の嫡男として生まれ、思う通りに生きれるだけの権威と金。

 こちらが働きかけなくとも、それなりの権力を持った者が金と宝石を持ってすり寄って来る環境。

 最初から強者であるべき事を運命付けられているロートン・アルバリーズは、まさに幸運。

 いや……それこそ自分は運命の女神に愛されるべき存在なのだと。


──だから。



「……んん?……あ、あれは!?」



 何気なく映った視界の奥で彼女の姿を見つけたロートンの心臓が、大きく弾んだ。

 虫けらにも等しい者達の向こう側。

 建物の影から此方を見つめる青い瞳と青い髪。

 何やら口元を『布』で隠しているようだが、それでも彼女が誰であるかくらい分かる。


 噂をすれば影というやつか。いや違う。

 きっと彼女は自分に逢いに来てくれたのだと、ロートンは疑わなかった。


「む? ま、待ちたまえ!」



 だからこそ、目が合って数瞬。

 途端に身を翻して路地の闇へと去っていく彼女を、ロートンは疑いもせず追い掛けた。

 思う通りに生きて来られた者こそ、我慢が下手になる。

 もし彼が数秒、闘魔祭が終わった後にという自らの誓いを破らなければ、きっと。

 運命の女神とやらは、彼に大して甘い顔をし続けていたのかも知れない。



◆◇◆◇◆◇


 全くもって、憎たらしい演出じゃないかとロートンは沸き上がる歓喜を隠そうともしなかった。

 まるで恋人達の駆け引きのようだと浮かれ気分で追いかけた終着点が、あの土妖精の石橋であるのには彼女なりの演出としか思えない。

 ロマンチズムをくすぐる手並みに、ロートンは鼻の穴を大きくする。



「……情熱的じゃあないか、セリア。その……ドレス、いや形はともかく色が良い。薔薇の深紅……いや、僕達との縁を繋ぐ運命の赤い糸と捉えようか。青い君に良く映える」


「……」



 形状としては、ドレスというより『レインコート』に近いが、ロートンはその表現を知らない。

 だが、そんな事は些細だ。


 ぬっぺりとした紅一色の服装はロートンの好みではないが、それ以上に後ろに流したプラチナブルーの魅力が勝った。

 シニヨンを崩したからか、少し癖のついている部分がより光沢を際立たせる。



「こんな場所に誘って、いけない娘だね、セリア。けれど恥ずかしがらなくて良い。さぁ、君の美しい瞳の色を見せてくれないかい?」



 歌劇のように歯の浮く台詞を朗々と歌い上げる事に、歪んだフェミニストは恥じない。

 そう、ロートンからして見れば、これは彼女なりのアプローチなのだから。

 自分の様な崇高なる男の気を引きたいが為に姿を見せ、人の気配のない場所で愛を囁き合いたいというメッセージなのだと、信じて疑わない。



「ねぇ……私、キレイ?」


「んんん? どうしたんだい僕のセリア。いまさら自分の美しさに疑問を持つなんて」


「良いから答えて」


「……ふふ、やれやれ。仕方がないなぁ」



 ずっと背中を向けてばかりの彼女が、いきなり何をいうのかと思えば。

 しかし、ひょっとしたら彼女は自分の様な男には釣り合わないんじゃないかと、不安を抱いてしまったのかもしれない。


 そんな恥じらいは焦れったさもあるが、奥ゆかしい乙女の印象を際立せもする。

 では紳士役の自分は、恥じらいを受け止めてやりつつ、ダンスに誘うように手を差し伸べてやるべきだろう。



「────あぁ、勿論さ。君は紛れもなく美しい、僕の青い鳥さ!」



 しかし、彼に気付けるはずもない。

 その一言が、二人だけの舞踏会に水入りを許すトリガーとなる事に。



「【奇譚書を(アーカイブ)此処に(/Archive)】」


「……んん?」



──かくして舞台は演目を変えて、彼の知らない夜が来る──



「【噂話とは恐ろしいもの。時に人の営む社会すら揺らがしかねない】」


「…………な、何だ、どこから……?」



 どこからともなく響いた声に、ロートンは目を白黒とさせた。

念入りに整えた眉を潜め辺りを見回しても、黒々とした夜の闇しかない。

 唯一の青は、相変わらず背を向けたまま。



「【その語り草には今でも多くの憶測が飛び交う。情報拡散のレクリエーションを計る為の、CIAの陰謀とさえ囁かれたほど】」


「……??」



 ロートンは当初、演劇を好む自分の為に吟遊詩人でも招いたのかと検討外れな勘違いをした。

 だとしたら、それは大きな間違いだ。

 フェミニストの疑問を余所に、語り口は進んでいく。



「【彼女は、今や誰もが知る怪奇譚】」



 耳に覚えのない単語、内容の掴み取れないおとぎ話。

──だというのに、肌が粟立つのは何故か。


 得体の知れない怖じ気を振り払うように、橋から身を乗り出した所で、彼には語り主を見つける事は出来なかった。



「【道行く先でマスクをかけた女性に「私、キレイ?」と尋ねられたらご注意を。彼女にマスクを外させたら、口が裂けても綺麗だなんて言えなくなる】」


「ますく……?」



 そしてまた、間違いを二つ。



「【何故なら彼女は】」



 一つは、語り口に記されたささやかな注意喚起を聞き逃した事。



「【『    』なのだから】」



 そしてもう一つは──



「【World Holic】」



 セリアから目を離してしまった事だ。




◇◆◇◆◇



「……なんとも無粋なフクロウめ」



 どこからともなく響き渡った気味の悪い独白に、気分を削がれた。

 唾を吐き捨てるようなニュアンスで呟いた恨み言を川底へと放って、視線を戻すロートン。

 だがそれは、また一つ不可解を重ねるだけだった。


「──んんん?」



 セリアの姿は、そこにはなかった。

 いや、違う。

 正確には──セリアの代わりに、"誰か"が立っていた。



「……」



 彼女と同じ真っ赤なレインコート。

 だが、髪の色が違う。

 濡れ烏の様な漆黒の髪は、多少傷んではいるが美しい事には変わりない。


 顔も違う。

 整っているのは間違いないのだが、顔の下半分を大きな布のようなもので隠している。

 どこかくたびれた目元はいただけないが、黒真珠のような瞳は吸い込まれそうだった。


 背もセリアと同じくらいの、美人。

 見つめるだけで、思わずニヤけてしまいそうになるぐらいに。


「…………ねぇ」



 奇妙な間違い探しにピリオドを打つ、声も涼やかで透き通っている。



「な、なんだい、レディ?」


「……ねぇ、あたし、キレイ?」


「あ、あぁ、綺麗だ。出来ればその顔の全てを見てみたいものだがね。ところで君はセリアの──」



 知り合いか?

 そう尋ねようとしたロートンの脳裏に、まるで呪詛のように浮かんだフレーズが、フラッシュバックのように浮かぶ。


「──そう。じゃあ……」



【道行く先でマスクをかけた女性に「あたし、キレイ?」と尋ねられたらご注意を】


 フェミニストを履き違えたまま自称する彼からすれば、美人以外の言葉などまともに取り合う価値すらない。

 故に聞き逃してしまった事を、警告するようにリフレインが囁く。


【彼女にマスクを外させたら、口が裂けても綺麗だなんて言えなくなる】



 語り草をなぞるように、目の前の女の腕が、そっと耳元へと添えられて。

 愚かな男の望みを叶えて、愚かな男の欲望を殺す。

 後悔は先に立たぬもの。



【何故なら彼女は】


 ハラリと、落ちる布きれの行き先を追いかけていれば良かった。

 何故なら、彼の目の前には。



────

──


【口裂け女】


──

────



 そう、呼ばれる理由が立っていて。



「ねぇ?」


「──ひっ、い、あっ、あがっ」



 耳まで口が裂けた女が、実に可憐に、実に狂おしく、『口を開けて』笑っていて。



「あたし、綺麗よね?」


「ひ、ひッ、い───────ぎぃぃいやぁぁぁぁぁぁぁぁぁああ!!!!」



 恥も見聞もへったくれもなく、ロートン・アルバリーズは全力疾走で逃げ出した。



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