【Ash Tale】
往々にして、人生というのは描いたままの道筋を進めない事の方が多い。
そんな誰しもが前提とさえしているお約束事を、神妙深く語った四時限目の教師の弁に、耳を塞ぐように頬杖をついて聞き流したのは何故だったのか。
言われるまでもないから。
馬鹿馬鹿しいから。
つまらないから。
どうだっていいから。
ぼんやりと並べた反論は、けれどすとんと腑に落ちてくれるには、どれもこれも引っ掛かってしまう形をしていて。
退屈そうに夜空で傾く三日月を見上げながら、どうしてだと音にせず放り投げた疑問はまるで当然の法則であるかのように、届きもせずに我が身へと落ちてくる。
どうしてか、だって?
そんなの、お前が一番分かってるはずだろう。
そう世界が言いたげに風が吹いて、座り込んだ土の上の草花達をあやす。
横に倒れた『立ち入り禁止』の看板が、こっちを嘲笑うかのようだった。
「……」
往々にして、人生というヤツは思い通りにいかない。
適当に日々を送っていても勝手気ままにすり寄って来る、そんな前提を──これ以上となく、実感してしまうから。
認めたくない。
認めれるはずがない。
自分が望んでいた些細な未来が、唐突に欠けてしまった事を、実感したくなかっただけ。
以上も以下もなく、ただそれだけの話。
いつの間にか当たり前の顔をしながらそこに居て、今はぽっかりと切り取られたように誰も居ない隣を見つめて。
「っ……、……」
"彼女"──"大河アキラ"は、唇の端を噛んだ。
────
──
【Ash Tale】
──
────
思い出を振り返るという行為自体を、嫌っている自覚はあった。
単純に思い返すまでもない過去というのもあるし、足を止めてまで通り過ぎた道々を振り返るのも何だか女々しいだろうからと、そんな可愛げのない理由。
だというのに、彼女はどうして此処に来るのだろうか。
痩せた枯れ木と低い草花と、だだっ広く陸へと腕を伸ばしている黒いだけの『沼』。
鳥さえも枝に止まらない、まるで世界ごと静止してしまったかのような『なにもない』場所に、今日もまた足を運んでいる。
「……」
なにもない。腰を下ろしてみたところで、何か面白い事が見付かるはずもない場所だった。
見付かるのはただ、思い出ばかり。
夜の闇に目を凝らさずとも、どこかの誰かみたいな気安さで、あっさりと瞼の裏へと入り込んでしまう。
『そもそも、なんだってテメェはそんなに都市伝説なんて下らねぇもんに熱中してんだか』
『はは、今更それ聞く?』
そうやって、興味のなさを装って、そもそもを尋ねたのもこの場所だった。
使い馴れた飄々さを貼り付けて『彼』がおどけたのも。
この場所こそが、そもそものきっかけだったという事も。
ヘラヘラとした微笑の裏にある感情の形を知ったのも。
細波 流という人間の奥に触れたのも。
彼が。アイツが、微笑みながら、涙を落としたのも。
────全部。全部、この場所だった。
だから、此処に来ればどうしたって思い出に触れてしまうのに。
思い出す事そのものを嫌っている自覚さえ、追想の中のうたかた一つに膨らんで、呆気なく空に溶けてしまう。
顎を乗せた片膝は、とうの昔に冷たくなっていた。
「……やっぱ此処に居たか」
「そんな薄着じゃ風邪引くよ、あっきー」
「……」
背後から投げかけられた声に、振り向く事はしなかった。
けれどそんな無反応などお構い無しに近付く二人分の足音がやがてすぐ傍らまで届く頃。
かすかな衣擦れと共に、身動ぎもしない背中に、そっとコートがかけられた。
二人の内、どちらのモノで、どちらの行動か。
予想をせずとも直ぐに答えが思い浮かぶくらいには、彼らとの付き合いも長い。
「んな薄いコート掛けたところであんまり変わらなくね?」
「全然違うってば。バカリョージは女子の冷えやすさ舐め過ぎ」
「へいへい。っと……ほいアキラ、微糖な」
「……」
板についたやり取りと共にリョージから手渡された缶コーヒーを受けとれば、アルミ越しに伝わる暖かさに、喜怒楽の浮かばない唇の隙間から吐息が漏れる。
そんな些細に、此処でこうしている内に、一体どれだけ時間が経ったのかという自覚が、今更になって追い付いたから。
苦い感情を吐き出してしまう前に、プルタブを爪先で引っ掻くけれど、血の気を失った指先では不快な音を鳴らすだけが関の山だった。
「ルー君って、此処には良く来てたんだっけ」
「……あぁ」
「いわくつきって割には……沼しかないな。辺鄙っつーか不気味っつーか」
「でもさ、いかにもルー君の好きそうな場所だよねぇ」
宵の中でもしっとりと色を持つ金色の髪を耳へとかけながら、浸るようにチアキが呟いた。
彼女しか呼ばないアダ名を付けられた件の彼は、確かにこういったいわくつきの場所を好む。
肝試し染みた探求に、幾度となく付き合わされたのもそう昔の話ではない。
「……それだけじゃねぇ」
「え?」
そう、昔の話なんかじゃない。
懐かしめるだけの思い出とは違う、確かに色づいた記憶なのだ、大河アキラにとって。
「此処は……アイツにとっても特別だったし、オレにとっても───そうだった」
『思い出』になんか、したくない。
彼を欠いた日々に慣れたくない。
小綺麗な過去になんか置いておきたくない。
此処に来る理由なんて、それだけだった。
それが全てだったから。
「じゃあ……じゃあさ。あっきーにとって、特別になってった理由ってヤツ、ウチにも教えてよ。あ、バカリョージが邪魔だったらどっか行かせるからさ」
「おーい除け者扱いすんなよ」
「るっさい。こっからはガールズトークなの、空気読めし」
全てを言葉にはしないでも、一人を欠いた日常に言い知れない空虚を抱いていた彼女らにとっては、それだけで充分だったのかも知れない。
「……いちいち話す訳ねぇだろ」
「あ、それってアレ? 二人だけの秘密にしときたいってゆー?」
「チアキ、いい加減ぶっ飛ばすぞ」
「つーか、肝心のアイツが居ないのにそういうこと聞こうとしていいのかねぇ」
「は? んなの良いに決まってるじゃん。聞かれて困るんなら、今すぐにでも……ウチらんとこに『顔を見せに来ればいい』だけでしょ」
「……ひっでぇ理屈。でも、まー……こちとら散々探し回ってんだ。そんくらいの恨みは買って貰わねぇと、割が合わないってのも確かだな」
「勝手に話進めんな」
細波 流が過去になる事を恐れているのは、彼女だけではない。
暗く沈み行く夜に反抗するかの様に、或いは思い出へと押していく摂理の風に立ち向かうように。
夜は更ける。
────それは、"細波 流が前触れもなく『行方不明』となって"、二ヶ月が過ぎた、宵の深い夜の頃。
「そういや此処、最近になって変な噂が出始めたらしいな」
「あ、ウチもそれ聞いた。底無し沼の新しい都市伝説だーって、なんかクラスの男子が盛り上がってたよ」
「…………何の話だ?」
「だから、新しい都市伝説だって。前のが【底無し沼の泥人間】…………あれ、【沼人形】だっけ?」
「どっちも微妙に違う」
「ま、細かい事は良いや。で、その新しい都市伝説の名前が……えっと、確か……
【異世界への入り口】だっけ?」
Holic.1 【STORY TELLER】 ─ Curtain call.
ここまでお読みいただきありがとうございました。
これにて、第一章終幕でございます。
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これからも本作を宜しくお願い致します。