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Tales 19【風も無いこの空の下で】

 月を背負って吠えるのは何も狼だけじゃない。


 インクみたいな真っ黒な体毛が覆ってる筋骨隆々とした巨体は、その背の後ろに並ぶ岩山よりも硬質に見える。

 鼻息を荒々しく鳴らして、足元の岩盤を脚の(ひづめ)でゴリゴリと削る、人の形をした闘牛。



 その額に鉤爪みたくひん曲がった鋭い角を持つソイツの、血液みたいなべっとりとした赤い大きな両目が、物言わぬ怒りを宿して俺達を見下ろしていた。



  討伐難易度Bランク──魔牛ミノタウロス。



【食べてすぐ寝ると牛になる】という現象再現を引き起こしたワールドホリックがもたらしたのは、翼竜を魔牛に変化させたという事なんだろうけど。



「対象のワイバーンが魔物だから、牛は牛でも牛の魔物に……ってことか。いやーこれはちょっと予想外」


「な、なにをいけしゃあしゃあと(のたま)ってやがりますの! 良いから逃げますわよ!」


「……いいえ、大人しく逃がしてくれる様な相手じゃないわ。ミノタウロスの異名は『執念深き追跡者』……獲物と定めた相手をどこまでも追いかけるほどしつこいヤツよ」


「……ミノタウロスはスタミナも無増尽と聞きますし、退却しようにもあの橋が重量に耐えられるかどうか。あのワイバーンよりは幾分かやり易い相手とはいえ、厄介なのには変わりませんぞ」



 峠の向こうへと続く橋の近くに仁王立ちしながら、俺達を睨み付けるミノタウロス。

 アムソンさんとセリアの弁からして、逃げた所で執拗に追い掛け回されるのは間違いなさそうだ。


 というか、素人目からでも簡単に逃がしてくれる相手じゃないのは分かる。

 一撃で岩盤すら砕きそうな巨躯と、濃密な気配はあのアークデーモンよりも危機感を煽るほど。


 これでワイバーンよりマシって言われても、何の慰めにもならない。

 かといって今の再現を解けば、恐らく飛竜に元通り。

 そうなれば全滅はまず間違いない。


 となれば、倒すしかなさそうなんだけども。

 見た目だけでも、めちゃくちゃ強そうなんだよなコイツ。




「──来るわ、下がって!」


「グモオォス!!」



 俺の考えが浅はかだったと反省する暇すら与えてくれない魔牛は、愚かな人間を蹴散らすべく、おぞましい咆哮と共にこちらへと突進して来た。




────

──


【風も無いこの空の下で】


──

────




 ワイバーンが巣を作るだけあって、道中の不安定だったり狭かったりする足場とは違い、この荒野みたいな円場はそれなりに自由に動ける。

 だがこの場合、俺達に有利になるというよりも、巨腕巨脚を存分に発揮出来るミノタウロスの脅威さがより目立つ。



「【アイシクルバレット(爪弾く氷柱)!】」



  鉄槌を下ろすかのような叩き付けを横に転がりながら避けて、カウンターとばかりに氷の弾丸をミノタウロスの横っ腹に放つセリア。

 コボルトを破った威力の氷精魔法ではあるものの、やはりFランクとBランクでは生き物としての土台が違いすぎるのか、ノーガードでも多少よろめかせるぐらいにしか効果がない。



「ハッ!」



 ジャキ、と鉄臭い音を立てて追撃の一閃を食らわせるけど、それもまた強靭なミノタウロスの身体に阻まれる。

 黒い剛毛の上からでも分かるくらいの筋肉ムキムキだからって、そこいらの岩より硬い肉体って反則だろ。

 むしろセリアが斬撃を放ったショートソードの方が刃こぼれしてるってどういう事。


 それに加えて、さらに厄介なのが──



「くっ、なんて硬さ……」


「セリア様、お下がり下さい──ムン!!」



 自分の剣が有効打になり得ないことに歯噛みするセリアの横から豹みたいにすり抜けたアムソンが、続けざまに叩き込んだ鋭い回し蹴り。


 そのまま土手っ腹に風穴すら空きそうな凶器的なキックに、流石のミノタウロスもズササッと土煙を立てて後退る。

 けど、それはあくまでキックの勢いが強すぎるまでであって、これもまた有効打になり得なかった。



「そんなっ……アムソンの体術も効かないんですの!?」


「……アムソンさんの体術って、やっぱ相当凄いのか」


「グリーンセプテンバーに長年遣えてる功労者ですもの。魔法が使えない代わりにと磨き続けた武道の技の冴えは、達人の域にも及ぶほどですわ……」


「……どおりで、あんな動き出来る訳だよ」



 けど、それでもミノタウロスに効果的なダメージが届いていないようにも見える。

 何かカラクリがあるんじゃないのかと、再び咆哮を上げるミノタウロスを注意深く観察してみて……もしや、と一つ思い付く。



「……あの分厚い体毛のせいじゃない? なんか微妙にダブついてる感じ……あれが衝撃とかを吸収して分散させてる、とか」


「……確かに、ミノタウロスには物理的な攻撃が通じにくいとは聞いた覚えがありますけど……」



 昔テレビか何かで見た、熊みたいなイタチの存在を思い出す。

 分厚くて伸縮性に優れた体毛のおかげで、鋭い爪とか牙が通らない一種の鎧になってる生き物が居るとかって話。

 多分、ミノタウロスのあの黒い剛毛も同じような役割を果たしているんだろう。




「ギオォォ!!」


「むうっ」


「……っ」


「不味いなこれ……」



 近接戦闘の技術に優れた二人でさえ、そのタフネスさと豪腕を前に圧され始めてる光景に、口端に苦い唾液が溜まる。

 戦線の膠着すらままならないとか、やっぱりBランクは半端じゃない。



「【奇譚書を(アーカイブ)此処に(/Archive)】」


 ガートリアム防衛戦の時に、メリーさんから忠告されたこともあって一抹の不安が霞めるけど、このままじゃ俺のせいで全滅だ。



「【World Holic】。頼む、メリーさん!」


「──私、メリーさん。ナガレ、同時再現は……」


「……大丈夫……それより二人の加勢を!」


「……うん。メリーさんにお任せなの」



 同時再現は危険。

 ブギーマンを初再現する時にもメリーさんにそう忠告されたけど、確かにこれは負荷が段違いにしんどい。

 不幸中の幸いなのは、このワールドホリックの親和性は日本発祥であるだけに、メリーさんほどではないにしろ相性が良いみたいで。


 これが例えばブギーマンとか親和性の悪い都市伝説にもなれば、直ぐにでも俺の意識はぶっ飛んでしまうことは簡単に想像出来た。



「な、ナガレ……? 大丈夫ですの?」


「っ……お嬢様の癖に意外と心配症だな、ナナルゥさんって。俺は大丈夫。それより、魔法で二人の援護を!」


「なっ、あ、貴方に言われなくても分かってますわ!」



 反骨心って訳じゃないけど、心配させるのもアレだし、実際俺なんかよりミノタウロス相手に前線で戦ってる二人の方がよっぽど危険な目にあってる。


 だってのに俺一人しんどいなんて言ってられない。

 メリーさんも加われば、多少は戦況を打開出来るはず。



「ブモォォ!!」


「うっ……この牛さんの毛、ハサミの刃が通らないの」


「【エアスラッシュ(空裂く三日月)】!」


「グモオゥ!」


「ぬぐぐ……このっ、せめて吹き飛ぶなり膝をつくなりしたらどうなんですの! 知性の乏しい牛の分際で!」


「……やっぱ魔法も通りにくいのかよ」



 だが、戦況はなんとか一進一退の膠着(こうちゃく)にまで繋ぎ止めるのが精一杯だった。

 あの厚い体毛の前にはメリーさんのハサミも通りにくく、ナナルゥさんの魔法に至っては先程のセリアと同じく仰け反らせるのが限界。



……ん、あれ。仰け反らせるくらいが限界なのか、エルフの魔法が?


 確かエルフの魔法って人間とは比べものにならないくらいの火力が出るはずなんじゃなかったか?

 あの威力、リコルの森ん時と同じくらい、だよな……



「グモオォォァァ!!!」



 ふとよぎったナナルゥさんの魔法の威力に対する疑問を吹き飛ばすようなミノタウロスの咆哮に意識を奪われると、豪腕の一撃を大きなバックステップで回避した蒼騎士の後ろ姿が目に入る。


 そこから更なる反撃を繰り出すかに思われたが、そこでセリアはこちらへと振り返りながら叫んだ。



「っ、思い出した。ナナルゥ、ミノタウロスの角を狙って! ミノタウロスは角が弱点だったはず」


「つ、角ですの?」


「そう。正直隊長から聞いた話だから不確かではあるんだけれど、ミノタウロスは角から魔力を身体に通わせてる魔物らしいの。だから、角はミノタウロスにとってのもう一つの心臓とも言えるわ」


「じゃ、メリーさんのハサミで狙えば……」



 手詰まりな状況なだけに、セリアからもたらされた情報はありがたかった。

 多分、確証がない情報にあまり信を置かない生真面目さが今になるまで忘れさせていたんだろうけど、弱点にまつわる情報は非常に大きい。



「ただ、ミノタウロスの角自体もかなり硬質に出来ているから生半可な攻撃じゃ通用しない。でも、エルフの魔法の威力なら……」


「ミノタウロスの角を、折れるかもってこと?」


「……自信はないけれど、現状で有効な手段はそれしか──」


「…………っ、"威力"…………」


「……ナナルゥさん?」


「……?」



 だが、有効手段についてセリアが構築し始めると共に、ナナルゥさんの表情が一変した。

 ここへ来る道中は常に自信家っぽくキリッとつり上がっていたワインレッドの瞳が、あからさまな狼狽(ろうばい)を宿して揺れている。


 それはさながら、唐突に現れた巨大な壁の前に膝をつく敗者のような、怯えとも焦りとも似ているけれどどこか異なる、負の色合い。



 一番近いのは、多分。

 何かしらの──トラウマのようなもの。




「ブモォォ!!」


「ぬおっ! むぅ、流石はミノタウロス……その有り余る体力を、このアムソンにも分けて欲しいものですな」


「くぅ……私メリーさん。牛さん、手強いの」


「っ、時間を稼ぐわ。ナガレ、ナナルゥを!」



 突然……いや、思い返せばちょくちょく様子がおかしい素振りはあったけど、ここまでハッキリと動揺するナナルゥさんに、セリアも気を取られた。

 だが、セリアが抜けることで再び圧され始めた前線の苦渋の声を聞いて、この場を託すとばかりに蒼い騎士が魔牛の元へと駆けていく。



「ナガレ……」


「……あの、なんかマズいのか? さっき威力がどうとかって──」



──威力。



 待てよ、そう言えばリコルの森で、コボルト達との戦闘が終わった後も、ナナルゥさんの様子がおかしくなかったか。


 確か、セリアに器用だって誉められたのに、ナナルゥさんはどっか気まずそうで。

 あの時は慌てて再出発の先陣を切ってたけど、どう見てもあれは追求から逃れようとしていた。

 そして、その後のアムソンさんの、どこか申し訳なさそうな静かな微笑み。


 器用、つまりは手加減。


……手加減?


 いやそもそも、さっきのミノタウロスに放ったエアスラッシュも、コボルトに放った時とほとんど変わらなかった。


──まさか。



「……ナナルゥ、さん。ひとつ聞くけど」


「っ!」



 あぁ、そうか。

 もう分かった、そういう事か。


 だとすれば、なんか所々腑に落ちなかったナナルゥさんの態度にも納得がいく。


 例えば、ワールドホリックがない俺なんてまるで戦力にならないって説明した時、どこか慰めるように気遣ったり。

 例えば、アムソンさんが落ちこぼれって自己評価を下した時、フォローするみたく口数を増やしたり。



 今こうして俺を見上げる彼女の表情が、まるで気付かないでと請い願うかの様に、怯えてる。

 初対面の時の勢いなんてどこにもない、揺れるワインレッドを覗き込めば、もう。



「……コボルトとの戦いの時に使った下級魔法。あれが、ナナルゥさんにとっての──全力、だったりしない?」


「……ぁ、ぅ……ッッ」



 悔しさの余りに噛んだ唇の端から、一筋伝う紅い色。



「……その通りですわ」



 答えは、紡がれるまでもなく。



「……わたくしも……落ちこぼれなんですの。笑いたければ……笑ってくださいまし」



 ただ、風が無き峠で。


 卑屈に吐き出した、彼女の泣き事。


 その『余計』な一言が、『余計なところ』に火をつけた。



【魔物紹介】


『ミノタウロス』


討伐難易度『B』



豪腕、巨体、狂暴と危険な三拍子揃ったモンスターで、

執念深き追跡者と呼ばれるほどにしつこい魔物。


低ランクの魔物とは比べ物にならない圧倒的な攻撃力を有している。

岩よりも硬い身体と、衝撃を流す特異な組織体毛により近接戦闘を仕掛けるのは自殺行為。

ミノタウロスを倒すには、高い威力の魔法攻撃によって彼の角を破壊するのが一番楽とされる。



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