Tales 111【ブラックシュック】
「私、メリーさん。なんだか久しぶりな気がするの」
久しぶり。
発現するや、そうのたまうメリーさんは、どうにも不服そうだった。
自慢の金糸色の髪も、気分に引きずられてシャドーがかっているような気もする。いや、太陽が隠れてるからだろうが。
「あぁ、そういえば魔物と闘うのって結構前だもんな」
「違う違うのそうじゃないの」
「え?」
「メリーさんの登場が、お久しぶりなのよ」
「⋯⋯そだっけ」
「そうなの。むぅ」
(頻繁にトークアプリで会話してるから、全然そんな気しねーけど)
どうやら再現が久々である事に、彼女は唇を尖らしているらしい。
むしろ以前の再現から、まだ三日が経つか経たないかってくらいなのに。働き屋というか、寂しがり屋というか。
「悪いが、お前達の仲睦まじさを見せ付けるには、理性足らずの獣が相手だぞ?」
「あっ、セナト! またナガレの背後狙って!」
「今のはそういうつもりじゃなかったんだがな」
「⋯⋯ここの仲の悪さも相変わらずか」
といってもメリーさんが一方的にセナトに噛み付いてるだけなんだけど。
俺の背中はメリーさんのもの、というアイデンティティ。そういう理屈だ。実に怪奇メリーさんらしいこだわり。
だが、今は背後よりも前に意識を向けないと。
【グルルル⋯⋯】
「さて、久々の戯れもここまでだ。向こうも痺れを切らしているらしい」
「だな。頼むよ、ナイン、メリーさん!」
「キュイ」
俺達なりの気の引き締めを終えて、飢えに光る金眼達と睨み合う。
不吉を冠するリカオンの群れとの、狩り合いが始まった。
「私、メリーさん。ワンちゃん達は、どんなお遊戯がお好きかしら?」
────
──
【ブラックシュック】
──
────
考えてもみれば、1ヶ月に及ぶ異世界生活において、"群体"との本格的な戦闘は始めてだった。
ガードリアムへ向かう途中でのゴブリン達との戦いも、メリーさんが一人で蹴散らしたし。強いてあげるならリコル森林でのコボルト達との遭遇戦くらいか。
そして今回の相手は、ランクCのハウンドリカオン。
漆黒の群体から成る未知の牙は容赦なく俺達へと向けられている訳だが。
「ナイン、右!」
「キュイッ!」
「メリーさん、ひだ⋯⋯いや、左右から! 挟撃!」
「纏めて切り裂いてあげるのっ! たぁぁぁぁぁっ!」
やはり個としての強固さは、未知なる狼達より、既知たる恐怖の方に軍配が上がっていた。
舞い飛ぶハサミと鎌の銀閃は、迫る黒牙に脅かされない。
狼の見た目だけあって、リカオン達の動きは非常に俊敏だ。
目で追って指示を出すのも一苦労。忙しなさの余り、目薬が欲しくなる。
【ギャウン!?】
「残念。私はメリーさん。赤ずきんみたいに、美味しく召し上がられると思わないで」
しかし脅威となるのは一見、リカオンの爪と牙。
リーチが非常に短く、彼らの顎が届くよりも、メリーさんの振るう銀鋏が食い破る方が早い。
では、その尾を武器とするナインは苦戦を強いられているのかといえば、そんなことはない。
【グォォォン!!】
「ナイン、【一尾ノ風陣】!」
「キュイイイッ!!」
鎌鼬の名を冠するに相応しい、烈閃風。
切り傷どころでは済まない風の刃を持つナインは、ともすればメリーさんよりも攻撃範囲が広い。
連続で跳びかかったリカオンの二匹が、敢え無く真昼の塵と消えて行った。
【グルルル⋯⋯】
「あら、もうお終い? 数々の死闘を潜り抜けてぱわーあっぷしたメリーさんに、ワンちゃん達も恐れをなしてしまったのかしら」
「キュキュ」
(お嬢の影響か、妙に自信家っぽくなっちゃって)
でも彼女が今まで対峙し、矛を交わした強敵達を考えれば自信家になる気持ちも分かる。
メトロノーム兄妹に、マルス、トト。いずれも一筋縄には行かない相手ばかりだったし。
何よりメリーさんの腕前を磨かせた"強敵"はと云えば。
【シャオオ!】
「⋯⋯」
【アウン!】
「シッ」
【ギィオオォ⋯⋯!】
「喧しい。お座り」
【ギャウン!?】
向かい来る一匹目の胴体を、すれ違い様に両断。
回り込んだ二匹目の眉間に、見向きもしないまま黒小刀を投擲。
食い破らんと飛びかかる三匹目の頭頂に、容赦のない踵落とし。
目にも止まらない俊敏な動きで、あっという間に三体ものリカオンを葬ってみせていた。
(相変わらず強過ぎだよアイツ⋯⋯あんな規格外と刃を交わせば、そりゃ自信の一つでも付くよな)
たった一人でリカオン達を相手していたのに、当然のように無傷。獣に影を掴める術などないと体現するかのように、砂埃一つ被ってないかも知れない。
あまりの敵わなさからか、蛇に睨まれた蛙の如く、ジリジリと後退するリカオンすら居た。
とはいえ、攻めあぐねさせているのはこっちも同じ。
メリーさんとナインの奮闘のお蔭で目に見えて数を減らしたリカオン達が、喉を怒らせながら俺達を見据えている。
この調子で行けば問題なく全滅させられるだろうか。
そんな風に戦況を見守っていた時だった。
【ワォォォォォン⋯⋯!】
「っ、なんだ⋯⋯?」
一糸乱れぬ遠吠えが響くと同時に、リカオン達の体躯から"漆黒のオーラ"が溢れ出す。
異変はそれだけに留まらず、一匹一匹が纏うオーラが意思を持つかのように、一箇所の空中に集まっていく。
やがてリカオン達のオーラは、キィィィンという金属音めいた耳鳴りを連れ添って、大きな一個の球体へと姿を変えていた。
(巨大な玉⋯⋯いや、違う! あのいかにも大技な感じ、ってことはあれは──弾丸か!)
「ナイン! 【二尾ノ太刀】!」
狼ではなく魔物。
その証左を示すかのような魔の法を前に、呑気に構えてなんかられない。
こっちも最大火力で迎え打つべく、決勝でのアレを再び披露するべく、ナインに形態変化の指示を出した。
アレとは無論、死神メリー。
大鎌と化したナインを手に取るや、メリーさんはコンパスみたく片足を軸に、グルングルンと振り回す。
「てぇぇぇぇぇい!!」
【アオォォォォォォォォンッ!!!】
満を持して俺達に放たれた漆黒の球体と、渾身の力によって振るわれた巨大なソニックブームが衝突する。
群の力を結集した弾丸と、個々の力を合わせた風刃。
例え数に差はあれど、質は劣らない。
その確信を見事に証明するかのように、球体はあえなく虚空へと霧散した。
「愉しいボール遊びだったの。でもオイタは駄目。ワンちゃん達は投げられる側でしょう?」
『キュイキュイ』
「遊びなんて生易しい代物じゃなかったけどね」
俺からすれば肝を冷やす魔物の技も、メリーさんからすれば遊戯に等しいのか。
緊張感に欠けた物言いだけれど、頼りになる事この上ないな。
なんて。
そんな油断は、魔物相手であろうが獣相手であろうが抱いちゃいけないのに。
「ナガレ、気を抜くな!!」
「っ!?」
【ルルォ!!】
遠くからのセナトの鋭い声に気付いた時には、側面から黒い影が飛びかかって来ていた。
視界に過ぎると同時に迫る、白光りの牙。
セナトの指摘により咄嗟に剣で防ぐことは出来た。
だが、飛来したリカオンに押し倒されて、背中を強打した痛みで息が詰まった。
【ウガゥゥ!!】
「づぁっ⋯⋯!(こいつ、回り込んでいたのかよ!)」
さっきのは囮だったのか。
派手な大技で目を引いて本命を獲る。お株を奪われたみたいで癪だが、悔しがってる余裕はない。
刃を咥えながらも勢い止まらず、リカオンの牙が俺の喉笛へと迫っていた。
「ナガレ!」
『キュイー!』
【グォォォォン!!】
「くっ、邪魔しないで!」
助けを求めたいのは山々だが、図ったようにメリーさん達をリカオンの群れが阻む。
盤面を見事にひっくり返す、急所一点狙いの連携技。まさに狩猟種の面目躍如。手際は鮮やかだが、おかげで状況は最悪だ。
「く、そ⋯⋯」
間近のリカオンも、痩せた身体とは思えない力で剣を押してくる。
ギラついた眼光。圧も尋常じゃない。
押し留める腕さえへし折れそうだ。
このままじゃ、牙が、喉に届く。命の危機。死ぬ。冗談抜きに。
もはや周囲の状況すら目に入らず、支えである腕に限界が迫ろうという時だった。
【グル⋯⋯ギャオン!?】
「んな────っ、とぉ!?」
覆い被さる黒い影が、文字通り吹っ飛んだ。
真横に。それこそ神隠しってぐらいに、凄まじい速度で。
あっという間に去った危機に呆然としてしまう。
だが思考の整理を行う間もなく視界がグラッと大きく揺らいだかと思えば、気付けば目の前にライの背中があった。
「手が掛かるなぁ、スケコマシよぉ!」
「え、あ⋯⋯ライ!?」
「ったく、野郎同士で相乗りなんざ気色悪ぃ。俺っちに感謝しろよ? 大陸一の俊馬、本来なら大金積まれたって乗せてやらねぇんだからな!」
どうやらあの一瞬の合間に、俺の危機を救ってくれたと同時に、掬い上げてもくれたらしい。
「お蔭で助かった。ついでに貴重な体験どーも!」
「素直で結構! なら謝礼代わりだ、後ろの連中相手にもう一働きしてくれや!」
「後ろのって⋯⋯」
本気でヤバかっただけに、スケコマシ呼ばわりも甘んじて受け入れておくとして。
ライの言葉に振り向いてみれば、当初から今の今まで、一心不乱にこちらを猛追するリカオンの群れが目に入った。
しかも足では追いつけないと理解してるのか、それぞれ黒いオーラを小さな衝撃波みたくこっちに放って来ている。
先程の圧縮して放つ球体が大砲なら、個々に放つ衝撃波はさながらマシンガンだった。
「スケコマシ! 当たる気はしねーが、正味避け続けんのはメンドっちい! 打つ手あっか!?」
「⋯⋯ある! そのまま走っててくれ!」
乱れ打たれる弾丸の雨は、けれどライの鮮やかな手綱捌きにより掠る気配すらしない。
だが、危機を救って貰って更に他人任せってのは、スケコマシ以下だ。
それに、リカオン達に食わせられっぱなしってのは⋯⋯癪だし。
「【奇譚書を此処に】」
そして、何より、何よりもだ。
黒い犬種、人並みの体躯、不吉の兆し。
脳裏に浮かべた伝説をなぞるのに、こんなにも相応しい"お膳立て"はない。
だったら、俺がやるべきは一つだろう。
「【名は体を表し、体が齎すものは、承く説によって変わるが定め。時に人は、それを子への教訓とした】」
クルッと反対を向いて、追い立てるリカオン達と馬上にて相対する。
さながら彼らに謳い聞かせるかの如く。
「【イギリスにも古くから犬に纏わる諺がある。人ならずとも家族足る、命は命と、尊さを説いた言葉だ。けれど尊びに反して、恐怖として囁かれし亡霊犬も存在した】」
何もかもを置き去りにするほどに、風景は高速で過ぎ行く。
けれど目に捉えたリカオンの陰影が、スロウモーションに流れるような。
再現するとき特有の、独特な感覚。
「【黒い体毛、赤い単眼。不吉の象徴。死を告げる犬。黒い悪魔。幽霊犬。光と共に現れる、死の先駆者。古くより伝わる、イーストアングリアの冥き伝説】」
まるで走馬灯に似た、長い一瞬の中。
ドクンと心臓が強く鳴る。鮮明な高揚感。
堰き止めた血液が一気に流れるみたいに、心が昂る。
「【その犬の名は、ブラックシュック】」
これはきっと。
思い描いた不可思議を、既知にする──熱病なんだろう。
「【World Holic】⋯⋯再現開始」
◆◇◆
疾走する黒き影の群れ。
けれど彼らの前に、雨も降らさぬ曇り空が落としたのは、一条の稲妻。
響き渡るは、狼の咆哮に似た轟音。
舞い上がるは、土色さえ飲み込むほどの黒煙。
起こり得ぬ災禍を前に、リカオン達の本能が足を止めさせた。
【ギャウン!? ガウッ!】
【グルル⋯⋯!】
【バウッ! ガウウッ!】
驚嘆。当惑。警戒。威嚇。
身の丈を存分に屈めながら、不吉なる獣達が吠える。
いくつもの尖った金眼が睨む、焦げた硝煙の向こう側。
彼らの獣性が。本能が、警鐘を鳴らしているのだろう。
見据える先に居る生き物が。
自分達とは、似て非なるイキモノであることを。
『────ギ、ィ』
黒煙を風が晴らす。
けれど現れたる影は、より濃く、より黒い。
ニメートルにも及ぶ体躯には、尖った漆黒の体毛を厚く多く身に纏う。
牙を光らす口からは、インクのような真っ黒なよだれを垂らしながら、耳障りな唸り声を挙げている。
黒。暗闇。漆黒。
闇より濃く深き"黒い犬"。
その様相は、まるでこの世ならざぬものであろう。
だが、その姿を何よりも異端的にさせるのは。
夜であれば悪魔とさえ見紛うほどの、赤く紅い──両の眼だった。
『ギィ、ヤォォォォォ──!!!』
黒妖犬、ブラックシャック。
古きより伝わるイギリスの悪夢が、月も居ない空を見上げて。
禍々しき産声を轟かせた。
【魔物紹介】
『ハウンドリカオン』
討伐難易度ランク『C』
普段は森の奥深くや湿地帯、洞窟など、暗がりを住処にし、群れで狩りを行う。
背を向ける者を真っ先に狙う習性を持つ。
だが基本的に人の住む街などには寄り付かない為、ハウンドリカオンが人里に姿を現すと、不吉の証、または天変地異の前触れだと言われている。
牙や爪を使った獣本来の闘い方のみならず、魔力を衝撃波状に放つことが出来る。
また個々の魔力を一箇所に収束させて、強力な魔力砲弾として放つことも可能。