Tales 109【音越えのライ】
昨日と打って代わった薄暗い雲の絨毯が、俺の心のどんより模様を映したかのようだった。
「全くお前というやつは、つくづく騒乱を招く男らしいな。何故その場に居合わせられなかったのかと、いっそ悔しさすら抱くほどだよ」
「笑い事じゃないっての。こっちは招きたくって招いてる訳じゃないってのに」
「だから愉快なんじゃないか」
「傍から見たらの話だろ。当事者としちゃたまったもんじゃないぞ。エース達に弁明してた時とか、ずっと針の筵って気分だったんだからな」
「だろうな。敵襲騒ぎの蓋を開ければ夜這いとは。色男は辛いなぁ、ナーくん。セリア殿の呆れ顔が目に浮かぶさ。私との"偵察の誘い"に応じたのは、よもや彼女と顔合わせ難いから、というのが理由ではあるまいな?」
「⋯⋯せめて馬の後ろにぐらいは乗れるよーになりたかっただけだよ」
「そうかそうか」
あれだけ騒ぎ立ててしまっただけあって、すわ敵襲か、と誤解も招いてしまった面もあり、昨晩は冷たい視線に晒されながら事情説明をするのに必死だった。
おかげでもうクッタクタ。パカラパカラと馬の蹄が地を打つ音が、労りの言葉にさえ聴こえて来る。
そんな幻聴も、小気味よさげにクツクツと笑うセナトの声に、あっさりと掻き消されているのだが。
こうして一頭の馬に相乗りしていれば、皮肉からの逃げ場も作れない。
いっそ目の前の細い腰を思いっ切りくすぐってやろうか。
まぁ落馬するのがオチだけど。しかも俺だけ。
「しかし、命の作り方とは。無知というのは時に大胆を許すものだな。ククク、いっそ手ほどきしてやったら良かったんじゃないのか?」
「質の悪い冗談ばっか得意だな、あんたは」
「それほどでもないさ。では、今後は」
「⋯⋯一応、手は打ってるよ」
「ほう」
流石に色んな意味でも危機的状況。何も手を打たない訳にはいかない。
かといってセリアに負担をかけるのも、って話。
なので、ここは一番良識が富んでいる人物を頼ることにした。
したんだけれども。
『だ、だからね、女の子が男の人の寝床に入るのはよくない事なの。ほら、男女七歳にして席を同じゅうせずとも言うし⋯⋯命の作り方⋯⋯とか、そういうのは、トトちゃんにはまだ早いというか⋯⋯ね?』
『不可解。未知の探求に、年齢は重要?』
『え、ええと⋯⋯ど、どうしよう。なんて説明したら⋯⋯⋯⋯と、とにかく。良くないことなの。ナガレくんのことだから間違いなんて起こらないと思うけど、周りからもよくない風に見られるし。良くないことだらけなの、ナガレくんにとっても、トトちゃんにとっても』
『⋯⋯益々不可解。よくない風とは? 具体例が欲しい』
『ぐ、具体例?! そ、それは⋯⋯⋯⋯ナガレくんが、オオカミに見られる、からかな』
『ナガレがウルフ? 魔物化? ワーウルフ? もっともっと不可解』
『え? ワーウルフって狼男? そ、そういうことじゃなくてね』
『でもそれ以上に興味深い。種だけでなく、血と体毛の採取もすべき⋯⋯⋯⋯トト、把握した』
『あれ? あ、あぁぁ⋯⋯どうしよう、なんだか益々ややこしい事に⋯⋯や、やっぱり私に情操教育なんて無理だったんだよぉ⋯⋯』
リンク機能越しに伝わるくっちーの悲鳴からして、成果は得られなかったっぽい。
なんだったら悪化してたよ。
益々曇り空のどんよりさが増した気がして、喉の奥が渇いた音を立てていた。
「ところでナガレ。"いつもの装い"とは少し違うが、その服はどうしたのかな? 正妻からの贈り物か?」
「⋯⋯なんでそこでスッと『正妻』と『贈り物』って発想が出てくんだよ」
「おや、違ったのか。私はてっきり、ナナルゥ嬢が直接渡すのを恥ずかしがって、あえて魔女の弟子への贈った洋服袋の中に混ぜておいた、お前へのいじらしいプレゼントかと推測したのだがな?」
「具体的過ぎるわ! あんた絶対どっかで見てたろ!」
「お前達が分かり易いだけさ。特に正妻殿は、同じか弱き乙女としてよぅく分かるのだよ」
「どこがか弱い乙女か。というかお嬢を正妻殿って呼んで定着させようとすんのやめてくんない!?」
なーにが憶測か。絶対どっかで覗いてただろ、このストーカーもどき。
そう吐き捨てながら、お嬢から贈られたらしきフードの付いた、深い紅色のパーカーの袖を見る。
お嬢やセリアのものと違った、どこか現代的な趣向が施されたパーカーは、俺への贈り物だと明言された訳じゃないけど。
トトには大き過ぎて袖が余るのに、俺が着込めばびっくりするほどピッタリだった事もあって、多分そういう事なんだろう。
一つだけ混ざった大人用のブルーのドレスに、目を細めて微笑むセリアもまた、「そういう事みたいね」と同意してくれた。
「ふふ。だが、微笑ましい事じゃないか」
「⋯⋯ふん。せっかくの貰い物を腐らすのも趣味はないってだけだろ」
「素直に見せびらかしたいと言えば良いだろうに」
「んなに子供じゃないっての」
無論、嬉しくなかった訳じゃない。
ただそんな挙動を見せれば、すかさずからかいの種に変える出癖の悪い奴が居るから、誤魔化さざるを得ないだけ。
緩めた横顔から逃れるように逸らした視界が、初日と比べ少し緑の薄れた平原を映した時だった。
「⋯⋯ん?」
傷心を慰めていた蹄の音が、重なって聴こえて。
ふと振り向いた時には、もう既に目の前。
ひと塊の漆黒と、白く細い流星が、昼下がりの平原を横切った。
まるで自分が時間ごと置いていかれたかの如く、横切った影は余りに早くて。
「フードなんて女々しいぜ。頭隠してどうするよ! 漢なら、風に道を作るくらいじゃなきゃな!」
気付いたら俺達の前へと踊り出ていた、黒い俊馬。
その巨躯に跨がり、真っ白なマフラーを風に流した男の声が、スローモーションにさえ聴こえた。
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【音越えのライ】
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第一印象は、自信家。
初対面相手にそう断じれたのは、曇りひとつない快晴みたいな青い瞳に、爽やかな自尊が満ち満ちていたからだろうか。
パイロットジャケットに似た作りの上着とカーゴパンツ。
エルディスト・ラ・ディーの隊服と白いマフラーを首に巻いた赤毛の男が手綱を振るうと、逞しい蹄を響かせる馬が減速し、俺達に並走する形となった。
「馬に乗るならオレっちみたいにマフラー巻こうぜ。オレっち、映えてただろ?」
「⋯⋯いや、映えてたけどさ」
「だろ? 漢たるもの、背中で語れ。そんで語る背中をより格好良く見せるアイテムは、やっぱマフラーよ。フードよか断然こっちだ。特に先端がボロっちいほどイカす。そういう話をしてる。分かるか?」
(⋯⋯あぁ。この人、俺と"同じタイプ"の人種だ、うん)
藪から棒に現れては、セールスマンの如くマフラーを推す。
脈絡や他人の迷惑なんて知ったことじゃないと言わんばかりの勢い。
都市伝説を布教してる時の俺って、こんな感じなのかも。
いや流石にもうちょい空気読むか。
あ、でも写メ娘に「空気って知ってる?」みたいな冷たい目される事も多かった気が。いやいや。
なんて風に、棚の前で上げ下げを繰り返す思考を隅に追いやって、そろそろ話を進めなくては。
「⋯⋯で、そんな男前なあんたの名前は?」
「オレっちか? オレっちはスペード隊が誇る生粋の騎手、ライ・ダーウィンド! こっちはオレっちの愛馬にして大陸一の駿馬、アクセル。エルディスト・ラ・ディーの『音越え』たぁのオレっち達のことよ!」
赤毛マフラーの男前は、億面もなく自分の通り名に胸を張る。
音越え。音を越える、と書くのかは分かりやしないが、連なる響きと愛馬への信頼っぷりからして、よっぽど速さに矜持を持ってるのか。
漲る自信が、空の灰色を晴らすほどに純真で、青に伸びる飛行機雲の真っ直ぐさを思わせる。
そんなライに対して、羊の角ほどねじれた捻くれ者はといえば、あいも変わらず冷めた横顔で肩を竦ませていた。
「やれやれ、不躾じゃないか。語らう男女の間に割って入るとは、君はアレか、何気ない一言で場を凍らせる類の輩かな?」
「あぁん?」
「逢い引き中なのだよ。見て分からないか?」
「ただの偵察でしょーが! んな誤情報、分かられたら困んだけど!?」
「つれないじゃないか、ナーくん」
「これみよがしにその名で呼ぶな!」
またこいつは、その気もない癖に誤解を招くことを。
いつもの、熱の無いからかいの口調。いっそ相手をするから、面白がって付け上がられるのかも知れない。
いい加減放っとくべきかなと、呆れをこめに込めた溜め息を盛大に吐き出した時だった。
諦観に膝を屈してる場合じゃないと悟ったのは。
「⋯⋯決勝でフォル坊の相手をしたほどの奴が、実はあちこちに女作って侍らせるスケコマシっつー噂を聞いちゃいたが。事実かよ」
「⋯⋯はぁぁぁ!?」
気付いたら、蹄のデュエットをBGMにした長閑な景観には不似合いな叫び声を上げていた。
「ちょ、なにその噂どっから!?」
「あぁん? 鋏振り回す女騎士をテントに連れ込んだり、あどけねー少女にあれこれ世話させたり、セントハイムにエルフの現地妻作って、夜な夜な禁忌の関係を⋯⋯」
「いやいやいやいや、待って、待ってくれ! なんか色々と混ざったり入れ替わったりしてるけど! んな事より、なんっだよその噂! 全然事実と食い違ってんですけど!?」
「んな美味しい想いしときながら、今度はあの黒椿とシケ込みやがって。誤魔化すなんざ漢らしくねぇぞ、スケコマシ」
「誰がスケコマシかっ、俺にはナガレって名前があんの! つかそれはさっきのやり取りで嘘だって察せられたろ、話聞いてたのかあんたは!」
掘れば掘るほど素っ頓狂な噂の内容に、ひっくり返りそうになる。
鋏振り回す女騎士って、セリアとメリーさんいつの間に融合してんだよ。
テントに連れ込むって、明らかに昨日の話についた尾ヒレじゃんか。お嬢とか現地妻扱いだし。
あんだけの目がある中であんな事になればんな目で見られても仕方ないとしても。
身に覚えがないとまでは言わないけどさ。
人の噂は面白がられる内容ほど捻じ曲がってしまうもんって、身をもって知ってはいるけども。それにしたってこれは酷い。
あとセナト、当人の癖して笑ってんじゃねぇ。
声押し殺してても、震えが伝わって来てんだよ畜生。
「スケコマシだろーが女泣かせだろーが、どっちでもいいけどよ。だがそのザマにはオレっちがっかりぜ」
「⋯⋯ザマって、何がだよ」
「あのエースさんが見込んだ漢だって聞いてたから期待してたんだけどなぁ。偵察隊にかち込んで来た癖に、まさかてめーの女に手綱任せてるたぁな。がっかりすんのも無理ねぇだろ?」
「⋯⋯まだ一人じゃ乗れないんだよ、悪いか」
「悪くはねぇが、漢じゃねぇな」
「ぐっ」
あからさまな落胆と冷めた眼差しに、言葉に詰まる。
そりゃ現代からすれば、馬に乗れる方が凄いし、乗れないからってダサいと罵る奴は居ない。
けれどこのレジェンディアじゃ移動手段は、馬か徒歩が基本。
乗馬経験は圧倒的に多いだろうし、軍や騎士隊、傭兵稼業に関わる者は、むしろ扱えて当たり前。
だからこそ馬に乗った事がないと告白した時には、あのエースですら一瞬硬直してしまったくらいだ。
つまりライからすれば、自転車に乗れない上に、女性が漕ぐママチャリの荷台に乗ってる奴、みたく映ってるんだろうか。
そもそも較べるものではないにしろ⋯⋯確かにその姿は、漢らしいとは口が裂けても言えなかった。
「ふむ。私としては、馬を御せるか否かで漢が定まるものかという疑問はある。だが、ライ・ダーウィンド。お前にとってはそこに重きを置けるほどに、手綱捌きに自信があるようだな」
「ハッ、手綱捌きだけじゃねぇさ。疾く、速くこそがオレっちの信条! やがては三日三晩でこの大陸を横断出来るほどの騎手になるのが、オレっちという漢の夢よぉ!」
「三日三晩で大陸横断って⋯⋯」
「ほう、大きく出たじゃないか。漢に拘る立場で吹いたのだ、大言壮語という訳ではあるまい」
「ったり前よ。オレっちとこのアクセルなら、大陸一の騎手と騎馬になれる。寝言で終わらせるつもりは欠片もねぇさ!」
「なる程。ククク、惜しげもなく夢を語る。そういう子供染みた男は、私も嫌いじゃあないさ」
大陸一の騎手と騎馬。
それはきっと夢ではなく、ライ・ダーウィンドという男からすれば通過点なのかも知れない。
たった三日三晩での大陸横断。物理的にはどう考えても不可能な大言壮語に、爪先を引っ掛ける為のプロセス。
蒼青とした目を彼方に向けて、胸を張る男の横顔は、微塵も疑いで曇っちゃいなかった。
「⋯⋯だが。あまり一辺倒になり過ぎれば、何かと見失う物も多くなるということだ、ライ・ダーウィンド。傷心中のナガレも、あそこを見てみろ。どうやら、仕事の時間が来たらしい」
「あぁん? っと、こいつぁ⋯⋯」
「誰が傷心⋯⋯って────なんだ、あれ。黒い、帯?」
だが、僅かに声質を低めたセナトが指をさした先を見渡せば、すぐさま事態の異変に気付いた。
緑がまばらに芽吹く丘の向こう。
放物線の端を染めながら黒い帯状に蠢く何かが、徐々に"此方へと迫って来ていた"。
「ランクC⋯⋯【ハウンドリカオン】の群れだ」
つまりその黒い帯とは、紛れもなく、人間にとっての脅威であった。
【登場人物紹介】
ライ・ダーウィンド。
エルディスト・ラ・ディー スペード隊 音越えという肩書きを持つ。
身長169cm 年齢24歳
赤銅色の硬いショートカットに、色濃い空色の目。
そして常に首に巻いてる、少しくたびれた白いマフラーが特徴的な青年。
黒い体毛と巨躯が映える駿馬であり愛馬、アクセルと心通わす彼は、その機動力を活かしエルディスト・ラ・ディーの斥候・偵察を主に任せされている。
いずれはアクセルと共に大陸一の騎手と騎馬になり、大陸横断を果たすことを夢見、努力を重ねるひたむきな男である。
だが目標に夢中である反面、他者の批評基準を騎手としての実力や馬を大事にしているか。また、夢や目標に向けてどれだけ努力している者か、といった偏った価値観を基準に定めてしまっている部分もある。
ちなみに過去、馬の競争において負け知らずだった自分を、紙一重で破ってみせたエースに憧憬の念を抱いている。